第五話 死んででも
最近、ゼンシンは空回りしている、と思う。
私は彼の幼馴染として長い間を共に過ごしてきたけれど、今回以上に悪戦苦闘している日々は知らない。
彼は昔から明るかったわけではなかった。
引っ込み思案で、臆病で、私たちのことを血の繋がりがある家族ではないと、幼い頃から気づいていたのだろう。
一歩下がり、線を引いているような距離感を感じていた。
だがある日、突然変わった。
私の父がある日、死んでしまったことがわかった時に、変わってしまった。
特徴的な赤髪を前髪から真後ろにかき上げて、笑顔で日常を過ごすようになった。
私の記憶力が特別良いのか、彼は覚えていない。
明るくなったことが良いことなのか、今でもわからないけれど、少なくとも悪いことではなかったと思う。
二人でテイマーの学園に入り、その適性の無さから多くの人にいじめられてもなお諦めないその心は、恐らくその性格の変化により生まれたものだ。
でも私は心配だった。
諦めてしまえば良いのに。
何度も思った。
彼がテイマーに憧れる理由はたくさんあったが、最たる理由は家族の存在に他ならない。
私たち、と言い換えても良い。
女手一つで私達を育てている母の苦労は、察するに余りある。
いつの日からか、私はわがままを言わなくなり、ゼンシンは率先して家事の手伝いをするようになった。
だから諦めてしまえば良いのにと、思った。
彼にとって、私達は育ての家族だ。
思い入れはあるのかもしれない。
それでも血の繋がりには勝てないだろう。
血が繋がっていない私達のために、そこまで頑張って欲しくない。
そう思って数年、マスターの儀を迎えた。
彼はモンスターがいるモンスター館の入り口で、ステルク先生に止められていた。
絶望。遠目で見てもわかるその表情を見て、私は逃げ出した。
聞くまでもない。適性がないからテイマーになれないと、そう真実を告げられたのだ。
テイマーの歴史は長くない。
後から聞いた話だが、三十年と経っていないテイマーの歴史において、ゼンシンの事例は初めてなのだそうだ。
ならば、仕方あるまい。
努力はしても仕方なかったのだ。
起きるべくして起きたこと。
無駄な努力だったのだ。
「……どの口が」
内心笑ってしまう。
彼を笑えるほど、私は大人じゃない。
まだまだ私も、夢を諦められない子供なのだ。
それからボルクをパートナーにしたゼンシンはまた、苦行の道を歩んでいる。
ドラゴンという種族の誇りからか、ボルクは全くゼンシンの言うことを聞かない。
私、というより母には強く懐いたが、ゼンシンは一ヶ月経ってもなお険悪な雰囲気だった。
打開できない、問題がわからない、どうしたら良いのかわからない。
そんな思考の迷宮に迷い込んだゼンシンは、昔の自信がなさそうな表情を時折見せた。
やっぱり、無駄な努力は必要ない。
だって無駄なのだから。
授業ではボルクは協力せず、バトルでは言うことを聞かず、強くゼンシンに反抗の意思を見せた。
結局はこうなるのか。
そう思っていたある日。
「よし! 行くぞ!! ボルク!」
ゼンシンの表情がまた戻っていた。
真っ赤な髪を真後ろにかき上げて、真っ直ぐ前を向いた、あの顔に。
テイモンバトルの授業の日。
ゼンシンはそう言って、試合開始の号令がされるやいなや、ボルクより先に、
「え?」
モンスターに向かって駆け出していった。
—
俺はボルクを差し置いて、前に飛び出した。
「うおおおお!!」
相手はホブゴブリン。
俺と同じくらいの身長のゴブリンだ。
普通のゴブリンだと股下くらいのサイズ感だが、ホブになるだけで物凄く大きく見えた。
拳を振り上げて突進する。
奴の緑の頬に目掛けて、拳を突き刺し、そして。
見事なまでに返り討ちにあったのだった。
—
「な、何やってんだ! 人間!! モンスターと戦うなんて……素手で勝てるわけないだろ!」
珍しい光景だった。
俺はしこたまホブゴブリンに殴られた後、医務室に運ばれた。
いつもは傷だらけになっているボルクを俺が眺めているはずなのに、今回は立場が逆だった。
というか、思った以上にボルクが心配そうにしている。
てっきり嫌われると思ったが、実はそんなことないのだろうか。
「お前はオレっちに任せておけば良いんだ。命令も出すな。オレっちの言うとおりにしていれば良い」
「ボルク……」
なぜそこまで一人で戦うことにこだわるのか。
それがわからない。
プライドが邪魔をしている、はそうなのだろうが、それ以外にも理由がある気がした。
「そもそも馬鹿すぎるわ。モンスターに向かって、魔力も扱えないのに」
ボルクの横で珍しく眉を吊り上げているミミ。
相当怒らせてしまったようだ。
「いやー試してみたら意外といけるかなって」
「馬鹿すぎるわ! テイマーが少ない理由知ってるでしょ。自衛の手段がないから事故に遭いやすいのよ」
ミミの言うことは事実だった。
協会が助成金を出してまで後進の育成をするのは、いざテイマーとして世に出ていった後、引退者があまりにも多いからだった。
「魔力を扱えれるならまだしも、生身でモンスターと戦うなんて」
魔力を扱える。
それはすなわち、魔力を持って攻撃や身体能力の強化が行えると言うことだ。
訓練すればするほど精度は上がり、質も量も上昇する。
だが俺にはそれが全く出来なかった。
だからミミは涙ぐんで声を荒げる。
「本当に死ぬかもしれなか──」
「──死んでもなりたかったんだよ」
それを俺は静かに呟いた。
俺の言葉にハッとするように目を開くミミ。
「テイマーに」
続ける言葉に唇を噛むとミミは何も言わずに出ていってしまった。
俺も怪我だらけで追いかけることは出来なかった。
身体中が痛んで、腕を上げるのも辛い。
「悪いけど今は充電中でね。応急処置はしたから、充電終わったらまた治療するよ」
なんて言って、チユ先生は椅子に寄りかかりながらぐっすり寝ていた。
俺ら以外この医務室を使ってるところあんまりみないが、忙しいのだろうか。
仕方ないので寝ることにする。
まだまだ俺には出来ることがたくさんある。
魔力が使えないのも、適性がないのも、ボルクが言うことを聞かないのも、テイマーを諦める理由には何一つならない。
ボルクは珍しい俺のそばにずっとついていてくれて、隣で身体を丸くして寝ていた。
—
ボルクがパートナーになり一ヶ月半が経った頃。
俺は兎に角がむしゃらに色々試していた。
まずは身体を鍛えること。
魔力が使えない以上、より身体を鍛えて自力を上げる必要がある。
次にサポートスキルの見極めと研究だ。テイマーの切り札であり、タイミングいかんによっては、勝負の流れを変える強力な力だ。
実際、俺とダイとの決着をつけたのはサポートスキルの力あってこそと思う。
授業でのバトルを経て、なんとなくどういう時に使うべきかを考えた。
最後にボルクは何が好きで何が嫌いかを把握することだ。
ボルクがする一挙手一投足を観察して、メモにとる。
彼の嫌がることをしているようでは意味がない。
まずは彼と友達になるところから始めたのだ。
そんな工夫達もあまり実を結んでいないような気がして、とある日の夜。
俺はラビットフット家の畑の柵に捕まって、まんまるに光る満月を眺めていた。
「人間。ママは寝たぞ」
「そっか。ご苦労さん」
ボルクはおばさんの事を酷く気に入っていて、夜はいつもそばにいた。
おばさんは疲れているから、と夕食後の仕事はできる限り、俺らで分担している。
かく言う俺は洗濯物を畳み終わり、涼んでいたところだった。
「そういえばメスはどこいったんだ?」
「そろそろ名前で呼んでやれよ……多分森だな」
「森? こんな夜にか」
「ああ。そういえば、ボルクはまだ知らなかったか? ミミは偶に森に一人で行くんだよ」
ボルクは首を傾げている。
ミミが態々寝静まった夜に一人で抜け出す理由を想像できないのだろう。
「ミミはな、魔術の特訓に行ってるんだ」
「魔術の……へぇ、そりゃまたなんでだ?」
「夢だったからだよ。ミミは最初魔術師になりたかったんだ」
ミミは昔から魔術に憧れを抱いていた。
キラキラと光る魔術、それを自由自在に操る者。摩訶不思議な力を持って時には人を楽しませ、時には魔物から人を守る。
そんな人になりたいと、よく言っていたのを覚えている。
だが、
「結局家の事情でテイマーになっただろ? 授業でもさ。極めるためには一つのことに専念しないといけないって言われてるから、大っぴらに魔術の特訓ができないんだ」
「ふーん、そのために夜に。だけど夜にメスが一人なんて危なくないか?」
「ミミが行く森には魔物はいないからな。危険な動物もいないし、特に問題なんて」
そこまで行って、変な鳴き声がした気がした。
俺とボルクは同時に森の方角を見ると、平原を一匹のアルミラージが走っているのを発見した。
「アルミラージ……こんなところに? いや、まさか!?」
俺とボルクは顔を見合わせ、すぐアルミラージに駆け寄った。
アルミラージに怪我は見られなかったが、酷く焦った様子で俺らに何かを訴えている。
「まさか、ミミに何かあったのか?」
嫌な予感的中してくれなければそれで良い。
外れて欲しいと言う気持ちで問いかけたその言葉に、アルミラージは強く反応を示した。
何があったのかはわからない。
だがパートナーのモンスターが一人で助けを呼びにくる事態が、尋常でないことくらいは俺にもわかる。
どうか、どうか。
「無事でいてくれ……ミミ!」