王都へ
あの少年が言うように心のどこかでは憧れがあったのかもしれない。
魔法使いだと言われて、それが人を簡単に殺せる力だと知って興味は惹かれなった。
その意識が変わったのはいつだったかはわからない。
ただ魔法の特訓をするのは嫌ではなかった。自分にも役割があるのだと、必要とされていると感じることが嬉しかった。
ああ、だったら最初からそうだったんだろう。
魔法使いが亜人の英雄だと知った時。
自分は魔法使いになることで亜人の友を得ようとした。亜人たちの気も知らずに高慢な憧れを抱いた。
これはそんな男に与えられた罰なのだろう。
両手を繋ぎ合わされ布の上から手首を縛られている。魔法を警戒してのことだろう。
両脚は縛られ布は目で隠される、口には轡をはめられていた。
それだけ人間が魔法使いを警戒しているということなのか。
聞こえてくる話し声から周りにいるのが兵士たちだとわかる。
向かっているのは王都で変わりないらしいが今となってもそれも無意味に近い。
誰かのためにと、亜人のためにと魔法使いになることを決めた。
だけれど亜人たちの元へは帰れない。帰る術すらない。
あの村はどういうわけか忽然と姿を消したのだから。
……だがこれでよかったのかもしれない。
あの村さえ見つからなければ教会が亜人を殲滅することなどできはしない。
あとはその存在を知る自分さえすべてを忘れてしまえばいいだけだ。
最初からすべて夢だったのだと切り捨ててしまえばいい。
――――無理だ。
受けた痛み、味わった苦しみ、そんなこと忘れられるほどの暖かさをもう知ってしまっている。
ノルといた時間も、テムズが庇っていてくれたことも、他の亜人たちと触れ合った宴の夜が忘れられない。
何も見なかったことにして忘れることなんて自分にはできない。
何もできず、無力なことがこんなにも苦しいなんて知らなかった。
こんな思いをするくらいなら出会わなければよかったんだ。
「それにしてもこの魔法使いどうしてあんなところにいたんだろうな。」
「さぁな。もしかしたら俺らがあそこにいたのと同じ理由じゃねぇか?」
「同じって……魔法使いが黒壁に何の用があるってんだ。」
「お前、大遠征が計画された理由聞いてねぇのか?どうも我らが星王は亜人どもがあの中にいるって辺りをつけたらしい。魔法使いは亜人どもにとって特別な存在なんだろ?だったらこいつを囲ってたって思えばおかしくねぇよ。」
「ああ、そういうことか。でも亜人どもは迷宮区にいるって話じゃなかったか?だから俺らが毎日のように巡回させられてたんだし。」
「つってももう八年だぜ?いくら迷宮区といえどそれだけ探しても見つからねぇんだ、亜人どもが黒壁の中にいるって結論が出ても不思議じゃねぇよ。それにだからこそこの魔法使いを王都に連れてくんだろうよ。」
「教会のお偉いさんが魔法使いを見たいんだっけか。」
「そうそう。で、広間で火にかけられるんだとよ。もし亜人どもが迷宮区にいたとしてもその話を聞きつければ奴らも黙ってないだろうからな。まぁちょっとした出発式みたいなもんだ。」
「そいつはいい!だったらこいつには派手に燃えてもらわねぇとな!ははははははははははははは!」
悪意をかけられている。亜人が、そして魔法使いが。
でもそれはきっと同じものではない。
知らなかった。いいや、知ろうともしなかった。
違和感は感じても、不思議に思っても、何かを隠されていると知っていてもそれを追求しようとはしなかった。
知るのが怖かった。
あの村での日常が壊れてしまうのではないかと思うと何も聞くことが出きなかった。
いつの間にか自分はあの村での日常を幸福なものだと感じていたんだ。
そんな風に思っていたのは自分だけだったというのに。
テルはどうして自分をあの村に自分を案内したのだろう。
それはテルにとって自分が必要だったから。
ラントが村から自分を追い出したのはどうしてか。
それはラントにとって自分が目障りで、邪魔だったから。
それがわかっても二人の目的は見えてこない。
どうすればいい?何ができる?いいや何もしてこなかったからこうなった。
今更自分が何かをしようと何も変わらない。
過去の自分のことは何も憶えていない。
でもどうして黒壁の前で倒れていたのかは分かる気がする。
踏み込むと二度と戻れない領域、そこに自死を求めたのだとしたら?
無力を嘆き、無気力に苛まれたのだとしたら?
自らの生に終わりを迎える選択をしても不思議ではない。
このまま何もしなければこの身は火刑にかけられる。
――――いいや、それは駄目だ。
自分でもどうしてそう思うのかはわからない。だがテルはきっと自分を救いに来る。
今こうしている時も自分のことを追ってきているかもしれない。
ラントに村を追い出された時地面は乾いていた。それに気を失ってからどれほどの時間が経ったかわからない。
テルがすぐそこまで来ていてもおかしくない。
もしもテルがこの場に現れたら?
周りには複数の兵士がいるはずだ。自分を救うために戦闘は避けられない。
また、救われるのか?また、人が死ぬのか?
そんなのにはもう耐えられない。
手を動かし縄を抜けようとするも上手くいかない。
「大人しくしてろ!」
「暴れても無駄だってぇの、魔法使いを誰が助けるってんだ?」
身動きを封じるように兵士に押さえつけられる。
知っている。
魔法使いに対する恐れを知った。
亜人に対する悪意を知った。
だから抗うんだ、立ち向かわなければならない理由がある。
こんなところで終わっていいはずがない。
抵抗を続けていたその時だった。
雷でも落ちたかのような轟音がした。
一瞬の静寂の後、馬車の屋根に大粒の雨でも降ったかのように音をたてて木片が降り注ぐ。
「なんだ!?敵襲か?」
「まさか……ここは王都だぞ?それとも本当に亜人どもが来たってのか?」
「様子を見てくる!」
馬車は止まった。
周囲からは逃げ惑う人の悲鳴が聞こえてくる。
亜人たちではない、彼らが来るはずがないと知っている。
周りは兵士で囲まれている。そんな中、魔法使いを救い出そうと無茶をする人物……そんなものは一人しか心当たりがない。
「魔法使いを逃がせ!」
「なんだ!?外に何がいる!?」
「赤鬼だ!裏切りの騎士が魔法使いを助けに来やがった!」
テル……ではない?
テルの髪は緑がかった銀髪だ。赤い髪の人間なんて記憶にない。
「なんで赤鬼が!」
「知らねぇよ!ちくしょう!やっぱりあの女、亜人どもと繋がってやがったんだ!」
鳴りやまない轟音はまるで馬車をしらみつぶしにしている様に近づいてくる。
「早く魔法使いを連れ出せ!もうすぐそこま――――」
音が聞こえたその瞬間には馬車は半壊した。
兵士ともども外に身を投げ出され、ずれた目隠しが視界に自由を取り戻させる。
久しぶりに見る日光に目がくらんだ。
時折落ちる影の正体に気付くのは少ししてからだった。
物音をたてながらそれが落ちてくる。
馬車だったものが瓦礫に変わり降ってくる。
宙に打ち上げられた人が力なく降ってくる。
この世のものとは思えない光景、その中央で赤髪の女が大剣を手に踊るように舞っていた。
「あれが……赤鬼……」
向かってくる兵士をものともせずに投げ飛ばしていく。
その様子を見てなぜか安堵した。
兵士たちが言うように魔法使いを助けに来たから……そうなのだろうがそれだけではない。
兵士たちの様は散々だがあれで手加減はされているらしい、傍に倒れている者も気を失っているだけだ。
兵士を相手しているのは手段であって目的は魔法使いなのは本当なのかもしれない。。
容赦はないが無情ではない、常識外れな強さを持っていても横暴ではない、その在り方にどこかテルの姿を連想した。
背格好は全く違うが間違いなくテルの関係者だと確信した。
「……助かった…………いいや、また助けられた。」
安堵と情けなさ、合わさった感情が自分では表現できない感情となって押し寄せた。
「あんたが……魔法使いか?」
いつの間にか音は止んでいた。
その場に立っている者はもう一人しかいなかった。
蹲るナナシの前に赤髪の女は立っていた。
「どうやらそうらしい。自分は……ナナシだ。」
「名無し…………それがあんたの名前なんだな?テルに聞いてたが……本当にそれがあんたの名前なんだな?」
名無しという名前が信じられなかったのか赤髪の女性は繰り返し男に問う。
テルの名前が出るということはやはりこの女性はテルの関係者だったらしい。
ただ違和感があった。
「テルに頼まれてあんたを探しに来た…………あんたが……本当に魔法使いなんだな?」
テルに頼まれて探しに来たというなら外見や名前は伝えられていたはずだ。
それなのに繰り返し問う女性の声はどこか悲し気で、その表情を歪ませている。
まるで見知った誰かを見つめるように、探していた誰かのことを魔法使いとしか伝えらえていなかったように女性は繰り返し男に問いを投げた。
「えっと……」
「――――悪い悪い!いやぁ、魔法使いなんて初めて見るもんでよ!わ……うちはレイア、さっき言った通りテルに頼まれてあんたを探しに来たんだ。」
「ああ、助けに来てくれてありがとう。それで……えっと……」
「聞きてぇことが色々あるだろうけどよ、それは後でな。まずはあいつら撒いちまおうぜ。」
指された先に視線をやると応援の兵士たちが迫ってきていた。
「少しお手を拝借。走るぜ、あんちゃん!」
「えっ?ちょっ!そっちは――――」
言葉とは裏腹に迫りくる兵士たちの方向へ向かう女性に手を引かれ駆けだした。
「このまま王都に入るぞ、手ぇ離すなよ!」
「王都!?」
言葉の通り目の前には城壁があった。
馬車に乗せられいつの間にか王都の傍まで来ていたらしい。
城壁の中からは次々と兵士が溢れ出てくる。
道中瓦礫と化した馬車からレイアは大剣を引き抜いた。
どおりで兵士たちが無事なわけだ、剣というには鈍らなそれは刃がついていない。
鉄の塊を片手に目の前に迫りくる兵士をレイアはなぎ倒した。
大剣を前方に投げ飛ばし生まれた土埃の中、都市へ入ろうとする民衆の中に紛れ込んだ。
逃げ惑う人々の中、門番はその対応に追われている。
都市へ入ることは意外なほど容易だった。
レイアはこうなることを予想していたのだろう。
凶行とも言うべき馬車の襲撃も王都に入る算段も全て予定されていたように上手くいっている。
王都に入るとその理由がわかった。
王都は収穫祭のためか人でごった返している。
普段よりも人の出入りが盛んだったのだろう。城門の騒ぎは収拾がつかないほどだった。
そして王都に出入りするそのほとんどが商人たち、その中で兵士が護衛した馬車はさぞ目立ったはずだ。
王都に入ればこちらのものだった。あとは人の群れに姿を隠してしまえばいい。
兵士たちの姿が見えなくなったところでレイアは方向を変えて立ち並ぶ建物の路地に身を隠すのだった。