その光景を夢に見る
――――それが自分が忘れてしまったものだと気づくのにそう時間はかからなかった。
それが見たこともない場所だったからか。
それを見て何かを思い出したからか。
――――そのどちらとも違う。
その光景が生み出すもの、感じさせるはずのない暑さが、これがただの夢などではないと告げていた。
燃える建物、逃げ惑う人々、聴こえる悲鳴。その中をただ歩いた。
目を覆いたくても耳を塞ぐ手でそれは叶わない。
耳を塞ぎたくても目を覆う手でそれは叶わない。
頬を伝う涙を拭おうにも流れる先から乾いていく。
目を瞑ってしまいたくなる光景から逃れるようにただ前に進んだ。
この夢の終わりももう近い。目が覚めた時にはこのすべてを忘れているのだろう。
何かを思い出したわけではないが、名も知らないこの少年の歩みがもうすぐ終わるのだけは知っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――――!」
――――ノル?
「兄ちゃん!」
「――――ノル?」
「大丈夫か、兄ちゃん!凄い汗だぞ?」
酷く心配した様子のノルが顔を覗き込んでくる。
ノルの言う通り体が熱く体が汗ばんでいた。
「今水持ってくるから!」
ノルは慌てて部屋を飛び出していった。
ノルが慌てるのも無理もない、普通ではない汗の量に自分でも理由がわからない。
上手く思考が廻らない、汗をかきすぎたせいか頭が回る。
何か夢を見ていた気もするが思い出せない。思い出そうとすると頭に靄がかかったように邪魔をした。
「――――いったい、なにが……。」
「そりゃこっちの台詞だぁ。朝っぱらから騒がしい。」
「テムズ?うぉっ!!!」
窓の方からテムズの声がして振り向いた。
そこには窓一杯に見開かれたテムズの瞳があった。
「おお、すまんすまん。驚かせちまったな。だがそう顔を青白くさせるほど怯えることないだろうよ。」
「いや、これは……なんでもない。……というかどういてテムズがここに?」
「なぜ、って……ノルのやつがお前さんが目を覚まさないと言ってわしのとこまで走ってきたんだ。心配して見にきたが……何も無さそうでよかったわい。」
「ああ、それはすまなかった。」
「飯はちゃんと食ってるのか?」
「しっかりと貰ってるよ。……強烈な奴をな。」
「そりゃ何よりだがお前さん細っこいからのぉ。ほれ、いいもんやるよ。」
そう言って窓から入れられたパンを受け取る。
「ああ、ありがとう。これは?」
「おお、テルのやつから預かっててな。スープばかりじゃ飽きるだろうとさ。」
「そうか、ありがたい。」
一口食べるとあの強烈なスープの風味がした。
「――――っ!?」
「あいつ特製の体力強化メニューだってな。まだまだあるぞ、遠慮するな。」
「――――!ノル、水を!」
寝起きに食べるものではないそれをノルから受け取った水で流し込んだ。
だが効果はてきめんだった。おぼろげな頭は冴え、熱のこもった体は冷や汗が出るほど。
舌に走る激痛といえもはや食べ物というより薬物に近い。
「すまんの、まさかお前さんこれが苦手だったとは。」
「な?こんなにおいしいのに。」
「おいしい……のか?舌に刺激しかしないぞ?」
「んん?まぁ確かに刺激は強いがそんなの美味さの前じゃ些細なことだ。」
外に出て三人でパンを消化する。
凄まじい速さで消費する二人は本当に美味しそうにパンを食べている。
亜人と人間では味覚が違うのだろうか。だとするとやはり人間の見た目をしていてもノルは亜人なのだろう。
「……テルがこれを作っているんだよな?」
「ああ、そうだぜ?それがどうかしたか?」
「だとしたらテルもやはり亜人ということか。」
「……どうしてそう思う?」
「え?いや、自分にはやはりこれの美味しさがわからないから……亜人と人間では味覚も違うのか、と思ってさ。」
「さぁなぁ。……どうだろうか、わかりゃしねぇが……テルは人間だよ。だからあんちゃんよ、テルに同じことを聞いてくれるなよ?」
「……?ああ、わかった。」
「さてと!腹ごなしも済んだことだし、村の案内をしてやろうか!」
「テムズもついてくるのか?」
「みたいだぜ?俺は別にいいって言ったのによ。」
「ノルだけじゃ心配でな。おちおち寝てもいられねぇや。」
「んだよ。俺でもそんくらいできるっての!」
「ほぉ?ではお手並み拝見だ。」
食事を済ませ村の中を歩いた。
亜人たちは今日も個々に分かれて何かの作業をしている。
「あそこにいるのは蛇人のシーナ、その隣は鳥人のレティ今は寒さをしのぐための藁集めをしてるみたいだな。木を運んでるのは馬人達、今森に入っていったのは赤狼族で狩りが得意なんだ。で、俺とラント兄は誇り高き灰狼族!それであっちが――――」
「おいおい、あんちゃんのことを紹介すんだろ?」
「今からするとこ!待ってろよ兄ちゃん、みんな連れてくるからよ!」
ノルは村中を駆けまわり亜人たちに声をかける。
「すまねぇな、あんちゃん。今まであいつらのことを紹介できなくて。」
「別に気にしていないさ。……それに自分も心の整理をする時間が必要だったし。」
「そう言ってもらえるのはありがたいが……テルから何か聞いているか?」
「テルから?……いいや特にはなにも?」
「そうか。そうかよ……。」
テムズの諦めたような表情を見るのは何度目だろうか。
それを見るたびに何かの違和感に苛まれる。テムズがその表情をするのはいつもテルが関わった時だ。
「あんちゃんよ、あいつらと会わせる前に一つ言っておくことがある。」
「……なんだろうか?」
「わしはテルの味方のつもりだ。昔も今も、そしてこれからもな……だからあいつが守ろうとするあんちゃんの味方だと思ってくれて構わねぇ。だがなわしは亜人だ、いざとなったらあいつら側に立つ。あのちび助が何を考えてるか正直なところ半分程度にしかわかっとらん、だからその時が来ればわしは……いいや、違うな。わしはただの老骨よ、成り行きはあとの若いもんに任せるだけだ。」
「えと……どういう意味だ?」
「そうか、本当に何も聞いていないんだな。全く、あのちび助は本当に何も話していないんだな。」
複雑な思いが胸中にあるのだろう。それでも初めて見るテムズの表情に確かに怒りが感じられた。
テムズが何に怒っているのかはわからなかったが自分が感じている違和感の元凶もそこにあるのだろう。
テルは亜人の村に住む人間で、テムズは巨人族の亜人、そして村の亜人たち。
今のテムズの語り口ではまるでそれぞれが別の目的でここにいるような言い方だった。
「……悪いな、あんちゃん。わしもどうしていいかわからんのよ。はぁ……歳をとるもんじゃぁねぇな、手放せないものが多すぎて臆病になっちまう。」
「テムズ?」
「気にするな、ただの老いぼれの独り言だ。」
ノルが連れてきた亜人たちが続々とナナシたちの周りに集まってきた。
軽く会話を交わしたり挨拶をする程度だったがノルが何か話したのか、亜人たちから向けられる不可解な視線は消えていた。
亜人たちを一目見た時の印象はもうなかった。そこにいたのは畏怖すべき化け物などではない。自分と同じ言葉を話し理解しあえる同じ生命を持つ者達だ。
たった今ようやく亜人の村の本当の姿を見た気分だった。
集まり楽しそうに会話をする亜人たち、その奥でいたずらをしたノルを追いかける者が見えた。
「どうしたよ、あんちゃん。ぼーっと突っ立ってよ。」
「ん?いや、少し安心しただけだ。」
「安心?なににだ?」
「自分みたいな得体の知れない人間がいて不安がらせてるんじゃないかとずっと思っていたから。この賑やかな光景を見れてよかった。ノルに改めて感謝しなければな。」
「そうか。……でも、そいつは少し違ぇな。あんちゃんが来たからあいつらは今こうして笑っていられる。」
「自分が来たから?」
「前にも言ったかもしれねぇが亜人に知識を与えたのは魔法使いだ。それまで自分が生きることしか考えなかった亜人たちが魔法使いのおかげで一つになれた、要は魔法使いってやつは亜人たちにとって英雄みたいなもんなんだよ。」
「英雄……。」
「わしも、こいつらがこんなにはしゃいでるのを久方ぶりに見らぁ。……そうだな、ちと役者不足だがいい機会だ。」
そう言うとテムズは村全体に聞こえそうなほどの大声で叫んだ。
「おい!お前らぁ!今日は宴だ!存分に飲んで騒げ!」
テムズの号令に亜人たちは慌ただしく宴の準備を始める。
「いい、のか?」
「構わしねぇよ、ちと早いがわしらの収穫祭ってやつだ。」
「収穫祭?」
「ああ、あんちゃんは知らねぇんだったな。この星の国で毎年収穫祭ってのをやってんだ、王都の方で大きな市が開かれる。わしらみたいな村住まいの一年に一度の稼ぎ時ってやつだ。」
「そうか……それは楽しそうだな。」
「テルに連れて行ってもらうといい、お前さんもそれを見りゃ何か思いだすかもしれねぇしな。」
「そうだな……その時までに魔法を扱えるようになっていればいいが……。」
「んん?……ああ、そういやそういう話だったな。」
その日、亜人達の村で宴が開かれた。
村中の者たちが集まり宴は日が落ちても続いた。
星明りの下、飲めや歌えの大騒ぎ。体力が尽きたもの、酔い潰れたものから倒れるように眠っていく。
ようやく森が静けさを取り戻した時には月が空高く上げっていた。
最後にテムズが地響きをたて倒れたことで宴は終わりを告げる。
騒ぎが嘘だったかのように静まり返ったその場から眠ったノルを抱き上げ家に戻った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ノルを寝床まで運び、自分も眠ろうかとした時だった。家の扉が軋み開かれる音が聞こえた。
この家に帰ってくる者を自分は二人しか知らない。
恐る恐る今の方へと向かうと暗闇の中何者かが立っていた。
「……テル?」
「なんだ、起きてたのか。」
星明りが室内を照らし陰が晴れる。
そこには数日ぶりに見るテルの姿があった。
「表の惨状はなんだ?」
「表?……ああ、もしかして亜人たちのことを言っているのか?」
「そうだ。」
「えと……テムズたちが宴を開いてくれたんだ。」
「それで全員あの様か、テムズはどうした?」
「亜人たちと一緒に酔って眠っていなかったか?」
「あいつがそう簡単に潰れるかよ。……まぁいい、少し話をしようぜナナシ。」
中央に明かりの点いた蝋燭、二人分の盃を机にテルと向かい合って座った。
お互いの顔もまともに照らされていないがテルはどこか不機嫌な様子だった。
「それで……話ってなんなんだ?」
「そう急ぐなよ。そう長い話をするつもりはない。」
そう言ってテルは盃を一つ寄こしてきた。
「王都の土産だ。安物だけどな。」
「ああ、ありがとう。……ノルの言う通り王都に行ってたんだな。仕事……だっけか?」
「いいや、今回は別件だ。」
「そうか……ってこれお酒じゃないか。」
「なんだ、飲めるだろ?」
「そうだが……テルは子供だろ。」
「子供扱いすんじゃねぇよ。体はこんなだが立派な大人だっての。」
「大人って……いったいいくつだというのだ。」
「女に歳を聞くとは失礼な奴だな。記憶と一緒に礼儀もどこかにやっちまったらしい。…………悪い、今のは忘れろ。」
やはりテルの様子がどこかおかしい。
不機嫌かと思ったがそうでもない、言葉に切れがないというかどうにも歯切れが悪い。
夜の静けさもあってかテルの様子がおかしいせいでこちらの方が落ち着かない。
「あ……あー……そういえば亜人の皆はあんなところで寝て風を引かないだろうか……やっぱり起こした方がよかっただろうか?」
「あいつらはそんなにやわじゃねぇよ。寒さに弱い奴らはテムズが運んだようだし。」
「そうか……テムズ、起きてたんだな。」
「お前もな。どれだけ飲んだのかは知らねぇがあいつらに付き合ってよく潰されなかったな。」
「ああ、お酒というものを初めて飲んだが悪くないな。……それで、テルは王都に何をしに行ってたんだ?」
「ただの様子見だ。もうすぐ収穫祭で警備も厳しくなるからな。その前に、な。」
「……まるで忍び込むみたいな言い方だな。」
「そうだぜ。そのつもりだ。」
「……冗談だろ?」
「そんなことお前に話してなんになるよ。それにこれはお前を王都に入れるためにだ。」
「自分……を?」
「前に言っただろ。魔法使いは希少なんだって、存在がばれるのだってまずいんだ。正攻法で王都に入ろうとする馬鹿がいるか。」
「それは……そうなんだろうが……どうして自分を王都に?」
「…………」
テルは盃を飲み干すとナナシの問いに答えた。
「ここからが本題だ。そろそろ助けた対価を払ってもらおうと思ってな。」
「ああ、ようやくか。」
「なんだ、やけにあっさりと引き受けるな。」
「以外か?まぁ、自分で言いだしたことだしな……それで自分は何をさせられるんだ?」
「お前に何かしてもらうつもりはない。ただ――――」
「ただ?」
「会ってほしい奴がいる、それだけだ。」
言い淀んだわりには簡単な頼みでどこか拍子抜けした。
「それだけ?……会うだけってそれはどんな人物なんだ?」
「どんなやつって……一言で言えば引きこもりだな。」
「引きこもり……。」
「本が好きで部屋から出ようともしねぇ。まぁその分物知りではあるからもしかしたら魔法のことも何か知ってるかもしれねぇってそういう話だ。」
「なんだ……結局は自分のためじゃないか。本当にいいのか?そんな頼みで。」
「いい。それ次第でお前がどうするか、お前がどうしたいかも見えてくるだろうよ。その時が来ればまた声をかける。」
「明日ではないのか?」
「早いに越したことはねぇが……明日は駄目だ。」
「そう、か。」
「……話は終わりだ、付き合わせて悪かったな。」
「構わないよ……おやすみ、テル。」
「ああ、またな。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――目を開けるとその光景が広がっていた。
燃える景色の中を歩いている。
同じ光景、同じ熱さ―――それが自分が忘れてしまったものだと気づくのにそう時間はかからなかった。
それが見たこともない場所だったからか。
それを見て何かを思い出したからか。
――――そのどちらとも違う。
その光景が生み出すもの、感じさせるはずのない熱さが、これがただの夢などではないと告げていた。
燃える建物、逃げ惑う人々、聴こえる悲鳴。その中をただ歩いた。
目を覆いたくても耳を塞ぐ手でそれは叶わない。
耳を塞ぎたくても目を覆う手でそれは叶わない。
頬を伝う涙を拭おうにも流れる先から乾いていく。
目を瞑ってしまいたくなる光景から逃れるようにただ前に進んだ。
この夢の終わりももう近い。目が覚めた時にはこのすべてを忘れているのだろう。
何かを思い出したわけではないが、名も知らないこの少年の歩みがもうすぐ終わるのだけは知っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――――!」
――――ノル?
「兄ちゃん!」
「――――ノル?」
「大丈夫か、兄ちゃん!凄い汗だぞ?」
酷く心配した様子のノルが顔を覗き込んでくる。
ノルの言う通り体が熱く体が汗ばんでいた。
「今水持ってくるから!」
ノルは慌てて部屋を飛び出していった。
ノルが慌てるのも無理もない、普通ではない汗の量に自分でも理由がわからない。
上手く思考が廻らない、汗をかきすぎたせいか頭が回る。
何か夢を見ていた気もするが思い出せない。思い出そうとすると頭に靄がかかったように邪魔をした。
「――――いったい、なにが……。」
「そりゃこっちの台詞だぁ。朝っぱらから騒がしい。」
「テムズ?うぉっ!!!」
窓の方からテムズの声がして振り向いた。
そこには窓一杯に見開かれたテムズの瞳があった。
「おお、すまんすまん。驚かせちまったな。だがそう顔を青白くさせるほど怯えることないだろうよ。」
「いや、これは……なんでもない。……というかどういてテムズがここに?」
「なぜ、って……ノルのやつがお前さんが目を覚まさないと言ってわしのとこまで走ってきたんだ。心配して見にきたが……何も無さそうでよかったわい。」
「ああ、それはすまなかった。」
「飯はちゃんと食ってるのか?」
「しっかりと貰ってるよ。……強烈な奴をな。」
「そりゃ何よりだがお前さん細っこいからのぉ。ほれ、いいもんやるよ。」
そう言って窓から入れられたパンを受け取る。
「ああ、ありがとう。これは?」
「おお、テルのやつから預かっててな。スープばかりじゃ飽きるだろうとさ。」
「そうか、ありがたい。」
一口食べるとあの強烈なスープの風味がした。
「――――っ!?」
「あいつ特製の体力強化メニューだってな。まだまだあるぞ、遠慮するな。」
「――――!ノル、水を!」
寝起きに食べるものではないそれをノルから受け取った水で流し込んだ。
だが効果はてきめんだった。おぼろげな頭は冴え、熱のこもった体は冷や汗が出るほど。
舌に走る激痛といえもはや食べ物というより薬物に近い。
「すまんの、まさかお前さんこれが苦手だったとは。」
「な?こんなにおいしいのに。」
「おいしい……のか?舌に刺激しかしないぞ?」
「んん?まぁ確かに刺激は強いがそんなの美味さの前じゃ些細なことだ。」
外に出て三人でパンを消化する。
凄まじい速さで消費する二人は本当に美味しそうにパンを食べている。
亜人と人間では味覚が違うのだろうか。だとするとやはり人間の見た目をしていてもノルは亜人なのだろう。
「……テルがこれを作っているんだよな?」
「ああ、そうだぜ?それがどうかしたか?」
「だとしたらテルもやはり亜人ということか。」
「……どうしてそう思う?」
「え?いや、自分にはやはりこれの美味しさがわからないから……亜人と人間では味覚も違うのか、と思ってさ。」
「さぁなぁ。……どうだろうか、わかりゃしねぇが……テルは人間だよ。だからあんちゃんよ、テルに同じことを聞いてくれるなよ?」
「……?ああ、わかった。」
「さてと!腹ごなしも済んだことだし、村の案内をしてやろうか!」
「テムズもついてくるのか?」
「みたいだぜ?俺は別にいいって言ったのによ。」
「ノルだけじゃ心配でな。おちおち寝てもいられねぇや。」
「んだよ。俺でもそんくらいできるっての!」
「ほぉ?ではお手並み拝見だ。」
食事を済ませ村の中を歩いた。
亜人たちは今日も個々に分かれて何かの作業をしている。
「あそこにいるのは蛇人のシーナ、その隣は鳥人のレティ今は寒さをしのぐための藁集めをしてるみたいだな。木を運んでるのは馬人達、今森に入っていったのは赤狼族で狩りが得意なんだ。で、俺とラント兄は誇り高き灰狼族!それであっちが――――」
「おいおい、あんちゃんのことを紹介すんだろ?」
「今からするとこ!待ってろよ兄ちゃん、みんな連れてくるからよ!」
ノルは村中を駆けまわり亜人たちに声をかける。
「すまねぇな、あんちゃん。今まであいつらのことを紹介できなくて。」
「別に気にしていないさ。……それに自分も心の整理をする時間が必要だったし。」
「そう言ってもらえるのはありがたいが……テルから何か聞いているか?」
「テルから?……いいや特にはなにも?」
「そうか。そうかよ……。」
テムズの諦めたような表情を見るのは何度目だろうか。
それを見るたびに何かの違和感に苛まれる。テムズがその表情をするのはいつもテルが関わった時だ。
「あんちゃんよ、あいつらと会わせる前に一つ言っておくことがある。」
「……なんだろうか?」
「わしはテルの味方のつもりだ。昔も今も、そしてこれからもな……だからあいつが守ろうとするあんちゃんの味方だと思ってくれて構わねぇ。だがなわしは亜人だ、いざとなったらあいつら側に立つ。あのちび助が何を考えてるか正直なところ半分程度にしかわかっとらん、だからその時が来ればわしは……いいや、違うな。わしはただの老骨よ、成り行きはあとの若いもんに任せるだけだ。」
「えと……どういう意味だ?」
「そうか、本当に何も聞いていないんだな。全く、あのちび助は本当に何も話していないんだな。」
複雑な思いが胸中にあるのだろう。それでも初めて見るテムズの表情に確かに怒りが感じられた。
テムズが何に怒っているのかはわからなかったが自分が感じている違和感の元凶もそこにあるのだろう。
テルは亜人の村に住む人間で、テムズは巨人族の亜人、そして村の亜人たち。
今のテムズの語り口ではまるでそれぞれが別の目的でここにいるような言い方だった。
「……悪いな、あんちゃん。わしもどうしていいかわからんのよ。はぁ……歳をとるもんじゃぁねぇな、手放せないものが多すぎて臆病になっちまう。」
「テムズ?」
「気にするな、ただの老いぼれの独り言だ。」
ノルが連れてきた亜人たちが続々とナナシたちの周りに集まってきた。
軽く会話を交わしたり挨拶をする程度だったがノルが何か話したのか、亜人たちから向けられる不可解な視線は消えていた。
亜人たちを一目見た時の印象はもうなかった。そこにいたのは畏怖すべき化け物などではない。自分と同じ言葉を話し理解しあえる同じ生命を持つ者達だ。
たった今ようやく亜人の村の本当の姿を見た気分だった。
集まり楽しそうに会話をする亜人たち、その奥でいたずらをしたノルを追いかける者が見えた。
「どうしたよ、あんちゃん。ぼーっと突っ立ってよ。」
「ん?いや、少し安心しただけだ。」
「安心?なににだ?」
「自分みたいな得体の知れない人間がいて不安がらせてるんじゃないかとずっと思っていたから。この賑やかな光景を見れてよかった。ノルに改めて感謝しなければな。」
「そうか。……でも、そいつは少し違ぇな。あんちゃんが来たからあいつらは今こうして笑っていられる。」
「自分が来たから?」
「前にも言ったかもしれねぇが亜人に知識を与えたのは魔法使いだ。それまで自分が生きることしか考えなかった亜人たちが魔法使いのおかげで一つになれた、要は魔法使いってやつは亜人たちにとって英雄みたいなもんなんだよ。」
「英雄……。」
「わしも、こいつらがこんなにはしゃいでるのを久方ぶりに見らぁ。……そうだな、ちと役者不足だがいい機会だ。」
そう言うとテムズは村全体に聞こえそうなほどの大声で叫んだ。
「おい!お前らぁ!今日は宴だ!存分に飲んで騒げ!」
テムズの号令に亜人たちは慌ただしく宴の準備を始める。
「いい、のか?」
「構わしねぇよ、ちと早いがわしらの収穫祭ってやつだ。」
「収穫祭?」
「ああ、あんちゃんは知らねぇんだったな。この星の国で毎年収穫祭ってのをやってんだ、王都の方で大きな市が開かれる。わしらみたいな村住まいの一年に一度の稼ぎ時ってやつだ。」
「そうか……それは楽しそうだな。」
「テルに連れて行ってもらうといい、お前さんもそれを見りゃ何か思いだすかもしれねぇしな。」
「そうだな……その時までに魔法を扱えるようになっていればいいが……。」
「んん?……ああ、そういやそういう話だったな。」
その日、亜人達の村で宴が開かれた。
村中の者たちが集まり宴は日が落ちても続いた。
星明りの下、飲めや歌えの大騒ぎ。体力が尽きたもの、酔い潰れたものから倒れるように眠っていく。
ようやく森が静けさを取り戻した時には月が空高く上げっていた。
最後にテムズが地響きをたて倒れたことで宴は終わりを告げる。
騒ぎが嘘だったかのように静まり返ったその場から眠ったノルを抱き上げ家に戻った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ノルを寝床まで運び、自分も眠ろうかとした時だった。家の扉が軋み開かれる音が聞こえた。
この家に帰ってくる者を自分は二人しか知らない。
恐る恐る今の方へと向かうと暗闇の中何者かが立っていた。
「……テル?」
「なんだ、起きてたのか。」
星明りが室内を照らし陰が晴れる。
そこには数日ぶりに見るテルの姿があった。
「表の惨状はなんだ?」
「表?……ああ、もしかして亜人たちのことを言っているのか?」
「そうだ。」
「えと……テムズたちが宴を開いてくれたんだ。」
「それで全員あの様か、テムズはどうした?」
「亜人たちと一緒に酔って眠っていなかったか?」
「あいつがそう簡単に潰れるかよ。……まぁいい、少し話をしようぜナナシ。」
中央に明かりの点いた蝋燭、二人分の盃を机にテルと向かい合って座った。
お互いの顔もまともに照らされていないがテルはどこか不機嫌な様子だった。
「それで……話ってなんなんだ?」
「そう急ぐなよ。そう長い話をするつもりはない。」
そう言ってテルは盃を一つ寄こしてきた。
「王都の土産だ。安物だけどな。」
「ああ、ありがとう。……ノルの言う通り王都に行ってたんだな。仕事……だっけか?」
「いいや、今回は別件だ。」
「そうか……ってこれお酒じゃないか。」
「なんだ、飲めるだろ?」
「そうだが……テルは子供だろ。」
「子供扱いすんじゃねぇよ。体はこんなだが立派な大人だっての。」
「大人って……いったいいくつだというのだ。」
「女に歳を聞くとは失礼な奴だな。記憶と一緒に礼儀もどこかにやっちまったらしい。…………悪い、今のは忘れろ。」
やはりテルの様子がどこかおかしい。
不機嫌かと思ったがそうでもない、言葉に切れがないというかどうにも歯切れが悪い。
夜の静けさもあってかテルの様子がおかしいせいでこちらの方が落ち着かない。
「あ……あー……そういえば亜人の皆はあんなところで寝て風を引かないだろうか……やっぱり起こした方がよかっただろうか?」
「あいつらはそんなにやわじゃねぇよ。寒さに弱い奴らはテムズが運んだようだし。」
「そうか……テムズ、起きてたんだな。」
「お前もな。どれだけ飲んだのかは知らねぇがあいつらに付き合ってよく潰されなかったな。」
「ああ、お酒というものを初めて飲んだが悪くないな。……それで、テルは王都に何をしに行ってたんだ?」
「ただの様子見だ。もうすぐ収穫祭で警備も厳しくなるからな。その前に、な。」
「……まるで忍び込むみたいな言い方だな。」
「そうだぜ。そのつもりだ。」
「……冗談だろ?」
「そんなことお前に話してなんになるよ。それにこれはお前を王都に入れるためにだ。」
「自分……を?」
「前に言っただろ。魔法使いは希少なんだって、存在がばれるのだってまずいんだ。正攻法で王都に入ろうとする馬鹿がいるか。」
「それは……そうなんだろうが……どうして自分を王都に?」
「…………」
テルは盃を飲み干すとナナシの問いに答えた。
「ここからが本題だ。そろそろ助けた対価を払ってもらおうと思ってな。」
「ああ、ようやくか。」
「なんだ、やけにあっさりと引き受けるな。」
「以外か?まぁ、自分で言いだしたことだしな……それで自分は何をさせられるんだ?」
「お前に何かしてもらうつもりはない。ただ――――」
「ただ?」
「会ってほしい奴がいる、それだけだ。」
言い淀んだわりには簡単な頼みでどこか拍子抜けした。
「それだけ?……会うだけってそれはどんな人物なんだ?」
「どんなやつって……一言で言えば引きこもりだな。」
「引きこもり……。」
「本が好きで部屋から出ようともしねぇ。まぁその分物知りではあるからもしかしたら魔法のことも何か知ってるかもしれねぇってそういう話だ。」
「なんだ……結局は自分のためじゃないか。本当にいいのか?そんな頼みで。」
「いい。それ次第でお前がどうするか、お前がどうしたいかも見えてくるだろうよ。その時が来ればまた声をかける。」
「明日ではないのか?」
「早いに越したことはねぇが……明日は駄目だ。」
「そう、か。」
「……話は終わりだ、付き合わせて悪かったな。」
「構わないよ……おやすみ、テル。」
「ああ、またな。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――目を開けるとその光景が広がっていた。
燃える景色の中を歩いている。
同じ光景、同じ暑さ、同じ痛み――――繰り返し同じ光景を夢に見る。
その光景を手放してしまった男に忘れるなと告げるように。
きっとこれは自分が過去を取り戻すまで――――いいや、取り戻しても続くのだろう。
ナナシという男がこの光景から逃れることは叶わない。
これだけが、こんな光景だけだが過去に自分が生きた証でもあるのだから。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……雨、か。」
激しい雨音で目を覚ます。
「これでは今日の魔法の特訓はなしだろうか。」
どうしてか雨を見ると安心できた。
魔法の特訓が嫌というわけではなかったが雨を見ていると不思議と心が落ち着いた。
「兄ちゃ……ん?なんだ、起きてたのかよ!」
「ああ、おはようノル。この雨じゃ今日の魔法の特訓は無しだろうか?」
「みたいだぜ?テル姉が今日は外に出るなだってよ。」
「テルが?」
「今日は仕事だって言って朝早くから出てったけどよ。」
「そうか、テルはもういないのか。」
仕事だというなら今日が無理だったというのにも納得がいく。
「それにしてもどうして外に出ては駄目なのだろうか?」
「俺もテル姉から聞いてないんだよな。」
ノルと食事をしながら話をする。
外に出られないとなるといよいよすることが何もない。
室内で魔法の特訓をするわけにもいかない。
「あーあ、いいよなテル姉は外に行けてよ。」
「仕方ないさ、今日は雨が降っているしこんな日に外に出れば風邪を引いてしまうぞ?」
「大丈夫だって!俺今まで風邪なんかひいたことねぇし!テル姉言ってたぜ、馬鹿は風邪をひかないってさ!」
「そうか……いや、それは馬鹿にされてるだけではないか?」
「そうか?」
ノルが気にしていないならこれ以上指摘はすまい。
「でも俺もいつかは外に行っていいって言われてんだ!」
「いつか?」
ノルが何を言っているのか一瞬わからなかった。
「そ!そん時は絶対に皆で一緒に外に出るんだ!そんで人間の町を見てさ、いつか王都ってやつにも行ってみてぇ!知ってるか兄ちゃん!王都にはしろっつうでっけぇ建物があるってさ!」
「それは……」
「海ってやつも見てみてぇなぁ。爺さんが言うには川よりずっとずっとでっけぇって!氷の大地も燃える山ってのもあるらしいし!あー、でもやっぱり一番見たいのは――――」
ノルが言うものは全て子供が抱く夢としては普通のものだ。
だがノルはまるでこの村の者全員がそれらを見たことが無いように話をしている。
それではまるで――――
「――――故郷ってものが見てみてぇ!」
――――何も知らない自分と同じではないか。
「――――ノル、聞いていいか?」
「ん?なんだ?」
「亜人の故郷って……亜人たちはこの村以外にはいないのか?」
「どうかなぁ……他の国にはいるかもだけだ、少なくともこの国には俺たちしかいねぇみたいだぜ?」
「もう一ついいか?」
「なんだよ、兄ちゃん。」
「この村にいる亜人たちは皆……村から出たことが無いのか?」
「そうだぜ?テル姉とじいさん、それにラント兄はあるみてぇだけど皆この村で過ごしてきたんだ!だから俺たちは皆家族なんだ!って……どうした兄ちゃん?顔真っ青だぜ?」
感じていた違和感が疑念と確信に変わろうとしていた。
亜人たちが自分を見ていた時の目はどんなものであっただろうか。
もうその表情を思い出せはしない。
ただテル達が自分に何かを隠していることだけはわかる。
いいや最初から分かっていたはずだ。自分がこの場でどういう存在なのかを。
魔法使いなのかもしれない、魔法を扱えるものかもしれない。
だが自分が人間であることに変わりはない。
それを改めて認識しただけ。
「ノル……もしかして亜人は――――」
「――――そこから先は俺がはなしてやろぉか?」
肩に手を回され耳元で囁く声。
聞きなれない、だが聞いたことあるその声の主を自分は知っている。
「ラント兄帰ってたんだな!」