白者
――――目の前に嫌な景色が広がっている。
最悪の気分だ。
妙に頭が痛いし体もだるい。
体の感覚はあるくせに中身がすっぽりと抜け落ちたような浮遊感がある。
そこにこの何も無い白い景色だ。
灯りもなにもないのにその白さに目が眩む。
「…また、この場所か。」
この場所には嫌な思い出しかない。
妙な幻覚を見せられ、暴言を浴びせられ、自分の浅ましさを思い知らされた。
思い出すだけでも身の毛もよだつ、できれば思い出したくもなかった記憶だ。
だがこの場所にこれほどの忌避感を覚えるもっと別の理由だ。
それはきっと、自分がこの場所から始まったからなのだろう。
「翼をもがれ地に叩き落とされた気分はどうだ?紛い者。」
「紛い者、か。…………思ってたんだけどさ、君って……意地悪だよね?」
声がする方向へ振り返るとそこには見覚えのある少年がいた。
灰色の髪に青い瞳、出来損ないでも見るかのような細まった瞼。
今となってはその表情の意味も少しならわかる気がする。
だからこそ問わねばならない。
「君は……アルトルなのか?」
初めてここに来たときはその可能性は考えることができなかった。
そもそもこの夢の中のような世界に現実の記憶は持ってくることはできなかった。
あくまでこの場所の主導権はこの少年にある。
「愚かだとは思っていたがここまでくれば呆れもしないな。最初に聞くのがそんなくだらないことなのか?」
「くだらないって……。自分にとっては大事なことなんだ。」
「くだらないな。目覚めた時にはそんなこと気にもしていなかっただろうに。あの小娘にその可能性を入れ知恵されたからか?それともあの亜人の小僧に信じられているからか?なんだっていい、どちらも無価値で軽薄な虚像だ。お前の望むものはそんなところにありはしない。忘れたわけではないだろ、そうやって手を伸ばした先で自分の身に何が起きたか。」
空から目の前に何かが降ってきた。
酷い臭いがした。鼻奥を指すような血の臭いに生臭いごみの臭い。
血濡れた布切れにピンク色の肉のようなものが張り付いている。
白い骨が飛び出し飛び散った肉片に人間だったものの片鱗が見える。
「自分は……死んでしまったのか。」
「そうなるな。……本当につまらん男だな、貴様は。驚きもしないか。」
「実感がわかないんだろうな……こうして会話ができているわけだし。」
「そうだろうな。実際完全に死んだわけではない。」
やはり目の前の少年は意地が悪い。
反応を見るためにわざわざこんなものまで見せるとは。
「勘違いをするな。目の前のそれは実際貴様の身に起きたことだ。」
「これで……生きているのか?」
「貴様の体は自由に動かせるものであっても貴様のものではない。器が壊れようと中身が無事なら復元は可能だ。」
「中身って……自分のことか?」
「違うな、貴様とは別の痴れ者だ。その男が壊れない限り貴様が死ぬことはない。つまり――――」
「つまり自分が壊れない限りその人がでてくることはない、か?」
「そうだ。記憶を取り戻そうとしても無駄なのはそういうことだ。貴様の中にはそんなものはありはしない、あるのはその男が取りこぼしたもの。」
「それって?」
「さぁな。生憎俺もそんなものを持ち合わせていなかった、だから貴様の行動は実に理解しがたい。そういう意味ではあのアルトルという男も同じだ。他人のために命をかける、そんな行動の先に何がある?何を得られるというのか。そも何も救えてやいやしない。その男の最後の顔がどんなものだったか気にはなるがな。」
「そう、か。」
「――――なんだ、その顔は。」
「いや……今日は良く喋るんだなと思って。」
無表情で、何もに無関心そうな少年が今回は年相応に見えた。
何かに苛立ちを見せるように表情を歪める。
「……………………。」
怒らせてしまったのか少年は一層眉を顰める。
整った顔立ちから放たれるその眼光からは妙な凄みを感じた。
蛇に睨まれたように動けずにいると音もなく空から一本の剣が落ちてきた。
「あぶっっっ!!!」
「拾え。貴様にそう何度も死なれては面倒なのでな。」
「まさか……。」
少年に問う間もなく予想は当たった。
顔を上げた時にはその場に座っていた少年の姿はない。
「どこを見ている。」
「あ――――」
声を出す間もなく懐に潜り込んだ少年に剣で顎を貫かれた。
脳天まで貫かれ一気に気が遠くなる。
その感覚には覚えがあった。
「あ、れ――――」
後ずさるように倒れた眼前に剣で貫かれた自分の姿があった。
「言っただろ。貴様に死はあっても終わりはない。続けるぞ。」
有無も言わさず攻撃を続ける少年に手も足も出なかった。
その状況に既視感があった。
違うことはラントとは違い手加減など皆無だということ。
時を重ねるごとに死体の山が積み重なった。
「こんなこと、続けたって――――」
「意味はないと?意味はある。貴様に強くなる気がないならなおさらだ。」
「――――ぐぼっ!?」
剣で防いでもがら空きとなった体は少年の手に貫かれる。
一方的な虐殺。これは訓練などではない。
ただの八つ当たりのように思えた。
「死んでないと言われ図に乗ったか?なら続けるぞ。貴様が死を自覚するまで。己の恐怖を自覚するまで。」
この空間に死はない。終わりもない。
空想の世界で想像の世界。
与えられた傷の痛みを想像するまで痛みを実感することはない。
ただ目の前で倒れていく自分の姿を見ていると今その光景を目にしている自分自身が本物なのかわからなくなっていく。
「どうした。形を保てていないぞ。」
手だった部分からは剣が抜け落ちた。
揺れ動く炎のように輪郭がぶれ人間の形を保てずにいた。
碌な抵抗もできず消えようとするナナシに悪態をつくように少年は語る。
「もう一度問おう。貴様らはなぜ何者かのために命を賭けようとする?その果てに何がある?称賛はあるだろう、栄光もあるだろう、名誉も尊敬も思いのままだ。…………だがそのどれも命を賭すほどのものでもないはずだ。その果てに貴様らは何を得ようともがき足掻く。」
少年が不快に思うのも理解はできる。
その答えを自分は持っていない。それはきっとその景色を見た者にしかわからないものだ。
だというのに誰もがわずかな奇跡に追いすがるように動いている。
アルトルがいたから、アルトルがそうしたからと。
だからこそその存在に憧れを抱いたナナシという人間のことが一層不愉快なのだろう。
「この世に奇跡なんてものはありはしない。貴様らが夢見た理想郷とやらは未だ遥か遠くにある。」
「それ、でも――――」
アルトルがいた。彼が何をして、何を思い、最後に何があったかはわからない。
でもラントは亜人たちを救おうと動いている。テルもジルも、レイアだってそうだ。
自分に何ができるかはわからない。それでも彼らの行いを無駄だなんてどうして自分が否定できる。
「理想を目指して何が悪い……奇跡を願って何が悪い!皆、生きようと必死に足掻いてるんだ!それを君なんかに!」
「それを無駄だと言っている。弱者の戯言など強者によって淘汰されるものだ。いつの時代であってもな。力があるから理想を叶えられる。今、抵抗もせず消えようとしている貴様には到底理解できないことだろうがな。」
少年の手が右目を貫いた。
瞬間、燃えるような熱さが全身を駆け抜ける。
「何、を――――」
「この空間そのものを集約した、目覚めた時には少しはまともに戦えるようになっているはずだ……力をくれてやると言っている。貴様の言う理想とやらがもし万人を救うものだというのならその力を使い抗ってみせろ、そして身の程をわきまえぬ願いを持つことの愚かさを存分と知るがいい。」
白い世界が剥がれ落ちていくように壊れていく。
「これでもう貴様とも会うこともないだろう。よかったな、痴れ者――――これで貴様の願う魔法使いになれたぞ。」
「待――――」
壊れた世界が吸い込まれるように集まってくる。
少年に手を伸ばそうにもその手を形作ることは叶わなかった。
右目に映る景色を覆いつくすようにその場での記憶は途絶えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「いてて…………」
起き上がろうとすると体が思うように動かなかった。
それも当然か。
あれだけの高さから落ちたのだから体が無事だっただけ奇跡に近い。
地面に手をつき体を起こそうとすると地面に張り付いた肌が音をたてながら剥がれた。
どれくらいの間倒れていたのか、気を失っている間に不死者に襲われなかったのは不幸中の幸いだ。
「……ん?」
体の無事を確認しようと手に触れた時に気が付いた。
「…………見える?」
奇妙な感覚だった。
確かに見えている。今まで見ることができなかった迷宮区の全容を視界に写すことができている。
ただ――――
「ぶれている?…………ああ、片目だけ見えているのか。」
片目を塞ぐと視界はクリアになった。
どういう理屈かはわからないが右目だけが見えるようになっている。
だが単純に視力が上がったというわけでもないのだろう。
気配とでも言うのだろうか。視界に写していない部分もなんとなく把握できている。
水の落滴、地面を走るネズミ、地面に散らばる合成獣の残骸も。
何処に何があるかが正確にわかる。
「……まぁ、見える分には困ることはないか。とりあえずラントと合流しなきゃだよな……。」
大断層を落ちただけなのだから動かなければラントが迎えに来てくれるだろうか?
……いいや、かなり落ちてしまったし降りて迎えに来ることはしないだろう。
そもそもの話ラントにとって自分は邪魔ものだったわけだしこのままでも何も問題ないはずだ。
「どうするべきか…………。」
その場に立ち止まって悩んでいるとどこからともなく歌声のようなものが聞こえてきた。
「…………歌?どうしてこんなところで?」
不思議には思えど放ってもいられなかった。
ここで発生している不死者が血の臭いに釣られて動いてるとはいえ物音に反応する不死者だっている。
無用心なその声の主に忠告をしに行かずにはいられなかった。
「…………あっちか。」
声の流れを頼りに出所を探した。
目が見えるおかげで迷うことは少なく、案外その場所には簡単にたどり着くことができた。
辺りとは異なるその場所には覚えがあった。
迷宮区で唯一光が差し込む空間。五つある集会所のうちの一つだった。
第一と呼ばれた集会所にはジルやその仲間たちが集まっているはず。
ジルやそれ以外の者の姿は見当たらない。代わりに一人の少年がその場の中心で歌い踊っていた。
呑気なものだとその光景を目にして気が抜けた。
その様子は迷宮区で起こっていることなど知ったことではない、それよりも歌い踊ることの方が重要だとでも言いたげだった。
いいや、実際に何が起こっているのかを知らないのかもしれない。
少年の顔には目を塞ぐように布が巻かれていた。
声をかけるべきなのだろうがあまりにも喜楽な様子に邪魔をするのも躊躇いをも覚える。
もう少し様子を見ようかと置かれた木箱に腰を掛けたその時だった。
「――――誰、ですか?」
少年は突然歌うのを止めナナシがいる方向へと振り向いた。
「ああ、すまない。邪魔をしてしまったかな?」
「いいえ、そんなことはありませんよ。でもまさかこんな場所で観客の方がいるとは思わなかったので。」
「それもそうだな。自分もまさかこんな時にこんな場所で君みたいに歌を歌ってる人がいるとは思わなかったよ。チップをあげたいところだが…………すまない、今は手持ちがなくてな。」
「それは残念。……では代わりと言っては何ですがお話を一つ聞かせてはいただけませんか?」
「お話?」
「貴方のことについて教えてほしいんです。お名前はなんて言うんですか?」
「名前、か。自分の名前はナナシだ。」
「名無し、さん?」
「実は記憶がなくてな、拾ってくれたものがこの名前をくれたんだ。」
「…………ふふ!」
「やっぱりおかしいよな。」
「あ、いえ。可笑しくて笑ったのではなく、僕も似たような名前なので。」
「似ている?」
「はい。僕の名前はムメイって言います。名前が無いから無名。ね?」
「確かに、似ているな。」
その名に妙な邪推をしてしまうが悪い癖だ。
考えを紛らわせるように少年に問を投げた。
「それにしても自分が居ることに良く気づいたな。邪魔をしないように気配を消していたつもりだったのだが。」
「僕は目が見えないので物音には敏感なんです。」
「――――。」
「どうされましたか?」
「…………いや、できるだけそういう話題にならないように気をつけたつもりだったが結局こうなってしまうのかとな。少し前にも似たようなことがあったし。」
「ふふ!気にしてませんよ。」
「そう、か。その目ではここまで来るのは苦労したのではないか?」
「そうですね。でも一度は来てみたかったんです。」
「迷宮区に?」
「はい。星の国の迷宮区。この国以外ではかなり有名な場所なんですよ?」
「そうだったのか。この国では、ということはもしかして君は…………」
「はい。この国には観光で。世界中を旅するのが僕の生きがいなんです!そういうナナシさんこそどうしてこんな場所に?」
「なんというか……自分探しの旅、かな。さっきも言ったと思うが自分には記憶がないからな。ここに来ると何かわかるかと思ったんだが…………」
「もしかしてジルの何でも屋ですか?」
「知っているのか?」
「ええ。品物になるものなら何でも買い取るし売るとか、ここにきて初めて知りましたけど。でもまさかお店に精霊憑きの方がいるとは思いませんでしたが。」
少年が何気なく言ったその言葉に身構えた。
精霊憑きは秘密にするのが普通。ジルが双子のことを話したとも考えられない。
この少年はどこでそのことを知ったのか。
「…………?あ、勘違いしないでくださいね!僕は精霊憑きの方に偏見はありませんよ!」
「そう、なのか?」
「はい。なんせ僕自身がその精霊憑きなんですから。」
「え……いや、そんなこと言ってよかったのか!?」
「今のナナシさんの様子を見てればわかりますよ!駄目ですよ、そういう話をされても自分は何も知らないというようにそ知らぬふりをすればいいんですから。今のじゃ自分は関りがありますって言っているようなものです。」
「そう、だな。本当にその通りだ。」
「でもよかった、この国にきて。アルトル王が魔物……あ、亜人種に偏見がないって噂は本当なんですね。」
「そうらしいな。」
「僕が旅をしてるのは実は居場所探しもかねてなんです。知ってますか?精霊憑きがこの世界で生きていくという意味を。」
「…………少しなら。」
「特異な異能を持つ精霊憑きは迫害の対象です。でも実は精霊憑きは自分の異能に気付けないこともあるんです。」
「そう、なのか?」
「異能を自覚して初めて異能を使いこなせる精霊憑きになる。それまでは普通の人間の子供と大差ありません、人に話すことさえなければ。でもおかしいじゃないですか、普通は人の魂の色が見えたり未来なんて見えたりしませんからね。何も知らず無邪気に人に伝えた子供から殺されていくんです。だから精霊憑きは若いうちに死ぬ、実際に生きて大人になる精霊憑きは何人いるんでしょうかね。」
亜人を敵視するこの世界で精霊憑きの立場は低いものだ。
酷い話だ。生まれは人間でも能力を自覚した瞬間それと同種には見られることがない。
そして善意で人を救おうとしたものから命を絶たれてしまう。
「僕は幸運でした。両親に精霊憑きであることを知られても両目を潰されるだけで済んだんですから。」
そう言って目の布を解いた少年の瞳は焼き溶かされたように皮膚が繋がっていた。
「いいよ。見せなくていい。」
「あ、すみません。でもちっとも辛くないんです。過去が見える僕の異能を消そうとした結果ですから、両親には感謝してるんです。僕は愛されてたんだなって。」
「そ――――」
どうして否定できるだろうか。
本当に愛故の行いだったかもしれない。そうしなければ精霊憑きは生きていけないのかもしれない。
たとえそうでなくても少年はそう信じることで今まで生きてこられたのかもしれない。
それをどうして今であったばかりの自分が否定できるというのだろうか。
「そうだな。きっと君は両親に愛されていたんだ。」
「はい!」
痛みが、愛になることなどあるのだろうか。
少なくとも今目の前にいる少年はそうだ。それを糧としている。
自分にはわからない。
ラントに受けた傷は痛かったし、辛かった。
あれにもっと別の解釈を得られれば自分はまだラントや亜人たちと共に歩む資格を得られるのか?
未だにこんなことを考えると知られればまた彼に呆れられてしまうな。
…………いいや、それは一体誰だっただろうか?
「何か、凄い速さで近づいてきますね。」
「そうだな。…………もしかしたら自分の知り合いかもしれない。」
「ナナシさんの知り合いですか?」
「良かったら一緒にどうだ?今この迷宮区はかなり危険な状況だからさ。」
「そうですね……嬉しい提案ですけど僕はここで。今、ここに向かっている方きっと僕がいない方がいいんでしょうから。」
「すまない…………少し気難しい奴なんだ。」
「気にしてませんよ。今日はいい日でした。それではナナシさん、またどこかで。」
お辞儀をすると少年は集会所を離れ通路に消えていった。
「ああ、またどこかで。」
気を使ってくれたのか少年はその場から離れることを選んだ。
目が見えない少年、それも精霊憑きならとも思ったが少年の選択は正解だったかもしれない。
荒々しい息遣い、尋常じゃないスピード。いつにもなく気が立っているのは明確だ。
「やぁ、ラント。心配をかけたな。」
「お前、どうしてこんなところま――――!?」
「そんな驚くことか?ほら、見てみろよ。五体満足、どこも怪我してないよ。」
姿を見るなり固まったラントに困惑する。
驚いているのか?まぁ驚きもするか。
服は血でべったりだし――――
「ああ、この髪色か?自分もさっき気づいたんだよ。…………似合わないかな?」
少年が去った通路の隣にあった古びた鏡。
そこに映る自身の髪色は茶色から色が抜け落ちたように白色へ変わっていた。
体に何かしらの変化が起きたのは視界が変わったことから薄々感づいてはいたがまさか髪色まで変色していたとは思いもしなかった。
「お前!!!どうしちまったんだよ!?」
ああ、どうやら片方の瞳の色も変わっているらしい。
どおりで視界が歪むわけだ。




