簡単なこと
不思議な光景だとふと思った。
前を歩く亜人の青年の姿を見ているとそう思う。
思えばいつも対立するように正面から向き合ってばかりだった。
まさかラントと二人で行動を共にする機会があるとは思いもしていなかった。
アンデッドが迷宮区に放たれてどれくらいの時間が過ぎたのか、いつの間にか周囲は静けさを取り戻している。
騒動が収まりつつあるのか。テルが言うように兵士たちが対処に乗り出したのか。
「なにそわそわしてやがる。」
「あ、いや……。」
「気が散るからやめろ。」
「……すまない。」
ラントと行動を共にしているのはただ利害が一致したからだ。
なにも仲が良くなったわけでもない。アルトルの見た目、魔法使いの可能性、なんにしてもラントにとっては目障りな存在なのだろう。
行動を共にするのがよほど不愉快なのか気が立っている様に神経を張り巡らせているようにも見える。
「……っち。嫌な臭いだ。」
「えと……臭うだろうか?……すまない、ここ最近水浴びもできていないから……。」
「そうじゃねぇよ。これだから人間は……そこら中から漂う死臭に気付かねぇのかよ。……もうこんなとこまで吸血鬼がいやがんのかよ。」
ジルの店から離れてしばらくたつ。
事態はラントの想定より早く広まっているらしい。
「まぁこの匂いのおかげでテルが追ってこれねぇんだがよ。」
「匂いのおかげ?」
「っは!あいつがどうしてこの迷宮区で自由に動けるのかもしらねぇのかよ。」
「それは……道を知っているからじゃないのか?」
「匂いだよ。あいつは俺と同じくらいに鼻が利きやがる。人の臭い、空気の流れ……それを感じて動いてやがる。」
あれだけ傍にいて自分はテルのことを何も知らない。
テルはアルトルとしてのナナシを必要としていなかった。
どうして自分のことを救おうとしていたのかもついぞわからずじまい。
「……って、匂いで追えないってことは……。」
「ああ、そうだ。俺も今は索敵が落ちてる。吸血鬼の気配は覚えたから問題ねぇが……血にまみれた今のてめぇは別だ。だから離れるな、死ぬ気でついてきやがれ!」
「ああ、わかった。」
心配してくれているのだろうか?
…………まさか、だよな。
アルトルの姿に見えるこの身がこの国を乗っ取っている連中に利用されていることを警戒しているのだろう。
「――――一体来るぞ。お前武器は?」
「すまない、持っていない。」
「そうかよ。だったら後ろでじっとしてやがれ。」
ラントの指示で通路に立ち止まってしばらくした後それはやってきた。
鉄を地面に引きずるような音をさせながら鼻を突くような鉄錆の臭いが近づいてくる。
人か、化け物か。迷う間もなくラントはそれに対処する。
この騒動でどれほどの犠牲者が出ているかわからないが二人が対応を急ごうとするわけだ。
自分には近づいてくるそれがアンデッドだとはわからなかった。
迷っていては化け物の餌食になる。仲間を増やすという性質上それはこの騒動の拡大に直結する。
「……これを持ってろ。」
闇の中から伸びた手には一振りの長剣が握られていた。
「こんな場所で使うもんじゃねぇだろうがよ、ないよりはましなはずだ。」
「ああ、ありがとう。」
気のせいかラントの手が一瞬震えていたように見えた。
「――――ラント?」
「想像してたよりも深くまで事態が広まってる。……急ぐぞ。」
「あ、ああ。」
迷宮区の異変のせいだろうか。歩みを進めるごとに募る違和感の正体に気付くのにはそう時間はかからなかった。
ラントが言葉通り足早になっただけではない。物音がする方向は避け、通路を曲がることが増えた。
まるでアンデッドとの遭遇そのものを避けるような動きが目立った。
テルと行動を共にしていなければわからなかったかもしれない。
開けた場所に出ることが増えて気づいたことがある。
ラント、というより亜人の強さは知っていたつもりだ。
力の強さも動きの素早さも人間のそれとは大きく異なる。
ただそれだけでは確信することはなかっただろう。
アンデッドとの遭遇が三度あった。
ラントは人間に戦わせることはなく、後ろから見るラントの身のこなしはテルによく似て見えた。
だから、なのだろうか。
その異変には素人ながら気づくことができた。
伝えるべきだ。言葉にするべきだ。
急ぐと言ったラントの考えに反していてもそれを言えるのは今は自分しかいない。
「ラント……少し休もう。」
「あぁ?急いでるっつてるだろうがよ。」
「それでも…………さっきから立て続けに二回、だ。アンデッドに遭遇している。なにか……想定外のことが起きてるんじゃないのか?」
「…………こんなとこで、こんな時に、想定外のことなんてもんはいくらでも起こりやがる。今更だろうがよ。」
「しかし――――。」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!!!」
やはり見間違いなどではなかった。
小刻みに震えた手、怒りからくるものではないことは自分でもわかる。
掴みかかってくるラントにはいつものような力強さはない。
「なんだその目は!?」
「――――っ!心配してるんだよ!わからないか!?」
「――――っ!?」
一体目のアンデッドと遭遇してからだ。
関わった時間こそ短いがずっと見てきた。調子がすぐれないことくらいわかる。
「自分にこんなことを言われるのは不快なことくらいわかっている!だが……どうか聞き入れてくれ。」
「――――っ!?…………っくそ!」
不服そうにしながらもラントは歩みを止めた。
ラントは肩で息をしながら力なく座り込んだ。
思い違いなどではなかった。やはり体に無理を聞かせていたのだろう。
索敵の能力が落ちているのに気配だけを頼りに暗闇の中を進む、その困難さは自分もよく知っている。
ラントも想像以上に疲労を感じていたに違いない。
「…………見張りは自分が引き受ける。」
「てめぇが?……っは、笑わせんなよ。てめぇに任せるよりか今の俺の方がましだ。」
「でも……。」
「離れんなや、それよかこっちに座りやがれ。」
松明の火はとっくに消えていた。声の出所に壁伝いに向かった。
「おい、遠いぞ人間。」
「と、言われてもな。」
壁に背持たれたナナシにラントは声をかけた。
「こっちだっつったらこっちだっての。」
「うおっ!?」
腕を引かれ背中合わせに座り込む。
相当弱っているらしい、まさか自分に背を預けてくるとは思わなかった。
「じっとしていやがれ。」
「…………すまない。落ち着かなくてな。……悪かった。」
「あ?何がだよ。」
「何がって……それは……」
負担を強いていること。思いに添えないこと。……出会ったこと。
今のラントを見ていると自分さえいなければ、普通にいつもの亜人としてのラントでいられたのではと思えてならない。
本当はこの騒動を引き起こした現況を探しに行きたいはずだ。
自分という荷物さえ背負っていなければもっと自由に動けたはずだ。
「やっぱりてめぇはあいつにはなれねぇみたいだな。」
「あいつって…………もしかしてアルトルか?」
「他に誰がいる?」
「そう、だよな。……どんな奴だったんだ?」
「あぁ?」
「あっ、悪い。聞いちゃいけないことだったよな。」
無神経だっただろうか。
憎んでいるはずの相手だ。
その人物について話を聞くだなんて。
「どんな奴か……。そうだな、結局あいつは何を考えてたんだろうな。」
「えっ?」
「どうせ聞いてんだろ?俺らとあいつに最後何があったか。」
「それは……」
アルトルは何も伝えずに消えた。亜人の彼らをあの村に閉じ込めて。
それが仮に救うための行いであったとしても亜人の彼らには関係のないことのはずだ。
ただ居場所が迷宮区からあの村へ移っただけ。
亜人の立場は何も変わっていない。
「あいつは最後にも何も語らなかった。でもよ、あいつが何の意味もなくあんなことをするわけがねぇんだ。絶対何か、いつか……俺らになんか想像もつかないことを考えていたに違いないんだ!だから俺たちはあいつが戻ってくる居場所を取り戻す、必ずだ。」
「取り戻すって…………」
ラントの言葉からは強い意志を感じるとともに依存とでも取れる感情が読み取れた。
「だからお前があの村にいたら邪魔なんだ。お前がいたらあいつらが動けねぇだろうがよ。」
「本気、なのか?」
アルトルの偽物が今は国を治めている。
それを暴けばラントの願いは叶うだろう。
口で言うのは簡単だがそれは国を取ると言っているのと一緒だ。
「だったら……だったらなおさら自分のことが必要なのではないのか?そうすれば簡単に…………」
「誰が……誰がてめぇの国を落とすところを見せてやれるってんだよ。記憶がないにしろてめぇはその可能性が残ってんだからよ。」
「いや、自分は…………」
アルトルではないと、そう伝えようとした。
事実ラントもそうだと認めたはずだ。
今の言葉ではまるでまだ自分をアルトルと信じているかのような――――
伝えるべきか迷った。
アステラの予言でもそうなっている。アルトルは帰ってくる、そのはずだ。
……それを伝えてどうなる?
自分がアルトルとして見られているからこそ亜人たちはこの国に攻め込むことをしていない。
攻め込むとして勝算は?
未だに亜人を支配していた神器は見つかっていない。日の下に出れもしない。
限られた時間しか亜人たちは戦えない。
亜人たちに残された時間はあまりにも少ない。
「無駄話が過ぎたな、そろそろ行くぞ。」
「ラント、自分は――――」
「ああ、そうそう。話ついでに伝えておく。その剣を持ってたやつ、そいつを倒した吸血鬼はそこそこ強い。だから俺から離れるな、わかったか?」
「どうして……そんなことがわかるんだ。」
「知った顔だ、そういう奴もいる。知らねぇことねぇだろ、迷宮区は元は俺らの隠れ家だったんだからよ。」
知っていても知りはしない。
情報として理解していても、自分は亜人たちのことを何も知らないんだと改めて思い知らせれた。
どうして考えなかったのだろう。
迷宮区を住処としていた亜人たち。だがこの場所に身を寄せていたのはなにも亜人たちだけではなかったはずだ。
ジルのような人間が過去にもいたことは何ら不思議ではない。それが亜人たちの存在を知らずに暮らしていたとも思えない。
想像もできないが今とは全く異なる迷宮区の姿があったのかもしれない。
考えもしなかった。
迫害に怯え隠れる、それが普通だと思っていた。
だがここに守られるだけの亜人たちはいない。むしろ国を取り戻そうとさえしている。
誰のために?何のために?
――――まさかとは思うが人間を救おうとでも言うのか?
それほどまでに思われるまでになにを残したというのか。
アルトル・ルナゾフィアという人間が理解できない。
ただ、身を焼くような息苦しさが内から込み上げるのを感じた。
「大断層……そろそろか。」
「ここは…………」
その場所には見覚えがあった。
上層から漏れる光が周囲を淡く照らした。未だ少し流れ落ちる水の音。
アステラのいた部屋へ行く道すがらにも似た場所を通った。
「随分……下まで来たんだな。」
「……来たことあんのか?」
「あ、いや……テルと一緒に似たような場所に来たんだ。」
「はっ、そうかよ。……まぁ、ここならいいだろ。」
「いいって、何がだ?」
「吸血鬼のやつらを待ち受ける。」
「ここでか!?」
「ここならてめぇでも多少は見えるだろ。……どうしても倒さなきゃならねぇやつらがいる。」
「強い、のか?」
「少しばかり厄介な相手ってだけだ。てめぇは同じように後ろで隠れてろ。」
今まで容易にアンデッドを倒していたラントが厄介というのなら本当にそうなのだろう。
「大丈夫、なのか?」
「はっ、なめんじゃねぇよ。それよか絶対に戦おうだなんてすんなよ、てめぇに武器を持たせたのは何も戦わせようってそういう意味じゃぁねぇんだからよ。」
「…………ああ、わかった。」
左に壁、右に大穴。逃げも隠れもできない一本道でしばらく待つとそれは来た。
「なんっ――――」
喉を鳴らしながらそれは前からゆっくりと近づいてくる。
口にはきらりと闇に輝く牙を、手にはいとも容易く肉を裂けそうな爪を。
縫い合わされとってつけたような翼を生やすそれは亜人であってもそうとは言い難く――――
「随分――――御大層な姿になったじゃぁねぇか、お前ら。」
優しく言葉を発するラントの表情は不釣り合いな殺気を纏っていた。




