背信者共
ジルが驚くのも無理はない。それはここにいるはずのない存在だ。
テルの話からもそれはそうだ。亜人たちは光の下に出ることはできない。
どうして彼が。どうやって彼が。
そんな疑問は闇に光る眼を見て吹き飛んだ。
今にも食って掛かってきそうな鋭い目つきを見ればそこに誰がいるかは明白だった。
正式に記録された中でおよそ八年ぶりの亜人の出現。
アンデッドの首を手に、体毛に血を滴らせた狼の亜人、ラントが迷宮区に現れた。
「おいおいテル……てめぇ何考えてやがんだ。戦争でも始めるつもりか?」
「むしろその逆だ。こいつら亜人は吸血鬼についてお前ら人間より詳しい。なんせ吸血鬼はもともと亜人の国から来たもんだからな。事態の収拾にはもってこいってわけだ。」
「つってもなぁ…………。」
「それにナナ……アルトルであるこいつがいれば亜人たちも無茶はしない。それはお前もわかってることだろ?」
テルに体を引き寄せられるが二人の会話は耳に入っていなかった。入るわけもない。
目の前には記憶にあるままのラントがいた。
あの日、村を追い出された時の記憶が脳裏から蘇る。受けた傷の痛みが体に走った。
かろうじて思考だけが冴えた。だがそれでも分からない。
どうしてここにラントがいて、どうしてそんなに驚いた様子をしてみせるか。
「テル…お前レイアの姉さんに無断でこんなことして…殺されるぞ。」
「やってみろってんだ、返り討ちだ。」
ラントはテルに呼ばれてここに来た。きっとアステラと一緒にいたときにラントを呼びに行っていたのだろう。
いいや、違う。そうだとしたらあまりに時間が短すぎる。
少なくともラントがここにいるのはアンデッドの対処のためにではない。
テルは嘘をついている。そうだと考えればラントのその表情にも合点がいく。
ラントは何か別の目的のためにここに呼び出されていたと考えるしかない。
だとしたら本当に仲直りでもさせるつもりだとでも言うのだろうか。
…なんにしても正気ではない。
「お前らはさっさと生存者を集めながら集会所に向かえ。吸血鬼の対処は俺らでやる。」
「……へいへい。どうなっても知らねぇからな。」
ジルは生き残りの数人とともに通路に消えていった。
「テル!!!てめぇこれはどういうことだ!!!」
ジルたちがいなくなるなりラントはテルに掴みかかった。
テルの小さな体は壁に押さえつけられ容易に宙に浮く。
「なっ!?何を!?」
「動くなっ!人間!俺はこいつに用がある!!!テル、てめぇ言ったよな!?こいつは外に逃がしたって!探し物が見つかったから手を貸せって!!!」
「ああ。言葉通りだろ?ここはお前らにとっては外だ。それにほら、探し物は見つかっただろ?」
テルはナナシを指さしそう答える。
「テル!!!」
「傷つけないために外に傷つかないように内に、お前はちっとも前に進まないなラント。それじゃあいつまでたってもアルトルには追いつけないぞ。」
「っっっ!!!」
力任せに投げ捨てられたテルは地面に転がった。
心配する間もなくテルは何事もなかったように態勢を立て直して立ち上がった。
「さて、これからの話をしようか。対処しなければならない問題が二つ。吸血鬼の掃討、はっきり言ってこっちは時間の問題だ。迷宮区での騒動とはいえあの化け物共が外に漏れださない保証はない、この騒動を引き起こした奴らもそれは望んでないはずだ。そのうちこの国の兵士のやつらも対応しに来るだろ。」
「…………ここまで来る途中に何人か兵士を見たが苦戦していたぞ。」
「まぁそれなりに犠牲は出るだろう、こいつらの特性上仲間を増やすからな。とはいえ兵士どもも馬鹿じゃないしそのうち対処法を見つけるだろうさ。ほっといて大丈夫だろ。となると俺たちがしなければならないことは一つ。この迷宮区に吸血鬼を放った張本人を見つけ出すこと。」
周囲に異様な空気が立ち込める。
殺気というべきなのだろうか、それに似た空気を自分は知っていた。
恐る恐る近くにいたラントの姿を見た。
ラントの目は鋭く前を見つめ歯を喰い鳴らし、その握り拳からは血が滴る。
あの日とは比べ物にもならない身震いするほどの激しい怒りを近くのラントから感じた。
「とはいえ見つけ出すのも容易ではない。一先ずは吸血鬼共の対処だな。倒していけばどこから出てきたのかもある程度分かるだろ。」
そのテルの言葉には違和感を覚えた。
これは神器によって引き起こされたことだとテルは言った。神器を作り出したのは魔法使い、ただ現在それを保有するのは教会だ。
だったらこの事態を引き起こしたのは教会ということにならないか。
「な、なぁ……テル――――。」
「ナナシ――――」
名前を呼んでくるテルの顔はいつになく本気の目をしていた。
ああ、でもその通りだ。
今ここにいるのはテルと自分だけではない、ラントもいる。
この事態を引き起こした何者かにこれだけ怒りを露わにさせるラントがその原因が教会にあるかもしれないと聞いて何をするかはわからない。
「――――お前はラントと組め。」
「…………はっ!?」
「あぁっ!?」
「何驚いてんだよ、お前ら。あたりまえだろ?この迷宮区でまともに動けるのは俺とラント、お前だけなんだからよ。」
「だったらこいつはいらねぇだろうが!!!」
ラントの言う通りだ。自分がここにいる必要はない。
まさか本気で仲直りをさせようとでも言うのか。この状況の中で。
「いらないってんならなおさらだ。ナナシはお前にとっての枷になるだろ?」
「てめぇ、最初からそのつもりで!?」
「自分で招いた事態だろ?自分で解決しろよな。」
掴みかかろうとするラントを悠々と躱しテルは迷宮区に消えていく。
「あらかた片付いたら集会所に向かえ。そこで合流だ。」
「っざっけんな!!!」
ラントの叫び声が周囲に響き渡った。
その声に群がるようにアンデッドが通路から押し寄せる。
「どけっ!人間!!!」
ラントはナナシを押しのけて吸血鬼の群れへ飛び込んだ。
怒りのままに力任せな戦い方だった。
…いいや、これが亜人の戦い方なのだろう。
小手先の技、それこそ武器すら持たない。あるのは己の身体一つ。
牙を剥き、爪をたて、噛みつき引き裂く。目の前の敵が倒れるまで。
その光景を見てようやく理解した。
自分自身が今ようやく本当の亜人の姿を見ていることを。
最後の吸血鬼が首を跳ね飛ばされ戦いは終着した。
爪からは血を滴らせ、ナナシへ視線を向けるラントは口に溜まった血を吐き捨てる。
亡者の束を踏み分け近づくラントの姿を見て、不思議とその姿を恐ろしいとは思わなかった。
「なんだその目は!?」
ラントが憤るのも無理はなかった。
恐ろしく思っていて当然だ。
ラントとはあの日以来会っていなかった。
傷を受けた、痛みを受けた……だというのにその思いの一つも受け取れていなかった。
――――それなのにだ。
傷を与えた、痛みを思い知らせた……その男が傷も痛みも負わず平然とそこにいる。
ラントにとっては同じに見えていることだろう。事情を知ってもなにも変わらない。
アルトルの皮を被った人間がアルトルとしての記憶を無くしてそこにいるだけだ。
――――ただ、ラントにとって変わったことがなくてもこちらにはある。
「…いいや、ただ――――」
「なんだっ!?」
言いたいことがあった。ただどうやって言葉にしていいかわからない。
どの伝え方をしようとも同情的だ。軽々しくわかる、だなんて言葉が出せるわけがない。
わかっているんだ。自分があの村にいてはいけなかった理由。
この身は誰がどう見てもアルトルに見えるらしい。
――――憎く思われていて当然だ。
あの村に閉じ込めた張本人。そうでないにしろこの国で亜人を奴隷とした者たちの血を引く存在だ。
今この身が目の前に転がる亡者たちのように無残な姿になっていないのはただの幸運…………。
……本当にそうか?……そんなわけがない。
傷を受けた。痛みも受けた。それでも自分はここにいる。こうして生きている。
黒壁の前で目覚め、記憶も失って、右も左もわからない自分が今こうしていられるのはこれまでの数少ない経験のおかげだ。
村の亜人たちがアルトルとして見ていたことも知った。出会った人間たちがアルトルとして見てくることも理解した。テルがアルトルを望んでいないこともわかった。
その中でラントの行動だけが異質に映った。
「君だけが自分をアルトルとして見ようとしていなかったんだな…………って。」
「あぁ!?」
ラントの行動は一貫している。アルトルの見た目をした自分を毛嫌いし、亜人たちから自分を遠ざけようとしている。村から自分を追い出したのもそのためだったのだろう。
亜人としての行動と見れば事情を知った今なら不思議にも思わなかっただろう。
違和感を感じたのはこの迷宮区でラントの姿を見て少しした頃。
驚きもした、動揺もした。ただ、どうして今なのかという疑問もあった。
ラントはテルに呼ばれてきたのだろう。
アンデッドの対処のためではないのなら何のために?
テルは嘘をついていた。テルは探し物とやらを餌にラントをここに呼びだした。
亜人は光の下に出られない。亜人であるラントがここにいられる理由はわからない。
それでもラントがこうしてここにいるのはその探し物のためだろう。
いつから探している?
自分が知るよりもずっと前からだろう。
だが自分の知る限り村にいるころのラントは自分を隠れて見張っていたはずだ。
どうして今なのか。
あの村で誰よりも人間のことを邪魔に思っていたのはラントだったのだろう。
それは同時に誰よりもナナシという存在をアルトルとして見ていたことを意味した。
ラントの行動は一貫していても言動と噛み合っていないことが多々あった。
テルに掴みかかった際も人間がいることよりも逃がしていないことに憤っていた。
テルが言っていたようにアルトルという存在は何かしらの枷になっているのだろう。
ようやく理解した。自分はラントとは相容れない。
アルトルの理想に憧れてもアルトルにはなれない人間、アルトルを憎んでアルトルを忘れられない亜人。
期待には添えない、だからと言ってその思いを受け取ってもやれない。
迫ってくるラントに対して怒りはない。恐れもない。
だがあの日、何も答えられなかった自分がすべきことはたしかにある。
それはあの亜人たちが棲む村に無知に足を踏み入れた自分の責任だ。
「……救われたかったんだろ……アルトルに。なのに裏切られて、あんなところに閉じ込められて……」
「そこまでは知ったようだな。だからなんだっ!てめぇに何ができる!?」
「…………生憎、自分には何もできそうにはないな。」
非力で知恵があるわけでもない。魔法があっても思うようには使えない。
この身に何ができるとも思えない。
あるのは同情と生まれ持った正義感。それで亜人を助けようだなんてあまりに偽善的だ。
「自分を助けてはくれないか、ラント。」
「…………っは?」
「この国を出る。テルと離れている今が好機なんだ。それは君の願いとも重なることのはずだろ?」
「……つまりてめぇは自分がアルトルじゃぁねぇと認めるってんだな?」
「そう思ってくれて構わない。」
事実そうだ。たとえこの身にその可能性が残っていようともアルトルになることはできない。
亜人の英雄にも、テルの駒になるわけにもいかない。
「そうかよ。…………お前がそう決めたならいいぜ、協力してやる。」
そう言ったラントの顔からはどこか険がとれて安心したようにも見えた。
「……おい、何見てやがる。」
「あ、いや……そんな顔もできるんだなって、さ。」
「あっ!?」
「いや今の言葉は忘れてくれ。自分が悪かった。」
そういえばラントという亜人はこういう奴だったな。
ノルに向ける表情も優しいものだった。本来何もなければ気のいい者なのかもしれない。
この国を出ると決めた以上もうノルに会うこともないのだろう。あの村の亜人たちにも、この国で出会った者達にも。
心残りがないわけではない。ただ自分がここにいたって何も変わらない。
最悪もっと状況が悪くなることもあり得てしまう。
「…………アステラとの約束は果たせそうにないな。」
「あ?なんか言ったか?」
「いいや、何も。これからどうするんだ?」
「下層へ向かう。そこに行けば外に繋がる抜け道があるからな。」
「もしかしてそこから来たのか?」
「ああ。まだ下層にはこの騒ぎはそこまで広がってないはずだ。急ぐぞ。」
手渡された松明を手にラントの後ろについて歩いた。
…………まさか自分がこんな選択をすることになるとは思いもしなかった。
テルは怒るだろうか。アステラは悲しむだろうか。
もしも、いつかがあるなら二人には謝らなければならない。
この選択が最善であることを願わずにはいられない。




