星を詠む者
――――この先には未来があるとテルは言った。
アルトルが守ったもの、アルトルに守られたものが扉の先にある。
テルがアルトルになろうとする自分を否定するならこの先にあるものは答えだけだ。
自分とは無関係なもの――――
――――だが、どうしてだろうか。自分はこの扉を開かなければいけないのだと、そう強く思うのだ。
ゆっくりと扉を押し開いた。
埃が舞いあがり思わず口を腕で覆い隠した。
真っ暗な室内に漂う古書の香り。その中から蝋の匂いが鼻をかすめた。
様子がよくは見えないがすぐ近くに何者かがいるのは間違いない。
「あーあ、また散らかしやがって。」
遅れて入ってきたテルが床から一冊の本を取り上げた。
屈んだテルが持つ蝋燭が灯す先で何かが微かに蠢いて見えた。
地面に散らばった本の山に囲まれるようにしてぼろ布に包まれた何かがあった。
「テル……さん?」
その声に驚かざるを得なかった。
ぼろ布が声を出したからか?その声が幼く聞こえたからか?
そうであってそうでない。
部屋に灯された灯りのおかげでそれの正体が露わになった。
怯えるようにぼろ布から顔を覗かせた少年はナナシを見て目を見開いていった。
「――――――――兄さん?」
少年の言葉は耳を通り抜けた。
驚きを隠せずにはいられなかった。
目が合った少年の瞳は不可思議な文様を浮かべ眩い輝きを放っていた。
脳が思考を放棄した。
燻る火の香りが鼻腔を通り抜け目は情報を捕らえない。目の前の少年が何か話した気がしたがそれも理解できていなかった。
「違う、こいつはナナシだ。お前の兄貴じゃねぇよ。」
「え……あ、そっ……そうなん、ですか。」
テルの言葉でようやく我に返った。
脳に押し込まれる情報の整理で頭が上手く回らない。
回らないまでもアルトルの面影を持つ人間と久しぶりに再会する少年に対し否定の言葉を述べるテルも、それを素直に受け入れる少年にもなにも思わずにはいられなかった。
「なん、だ……これは……」
「まぁ驚くのは無理ねぇよな。アルトルに家族はいないってことになってるし。こいつの存在を知ってるやつ自体もこの国には――――」
「そういうことを言っているのでは――――っっっ!」
言葉に詰まる。
アルトルがいなくなって八年。そう、八年だ。
アルトルが守ったのがこの少年だというのならアルトルがいたころは彼自身がそうしていたはずだ。
だったらいなくなった後はどうだ。
アルトルは星の国の王だ。そこにいないはずの弟、状況だけを聞けば取れる手段が限られていることは理解できる。
それでも守るためにとこの暗い部屋に閉じ込めているというのなら……
「これはっ!!亜人が置かれている境遇と同じではないか!!」
アルトルにはなるな。そういったテルこそがアルトルと同じ行動をとっている。
感謝を枷に亜人を閉じ込め、安息を対価に少年を迷宮区へ閉じ込めた。
ここに未来なんてない。あるのは過去が積み重ねた負の連鎖だけだった。
「同じ、か。そう言われると返す言葉もねぇが……そうであってそうでもねぇんだよ。むしろ俺的にはそうあってくれた方が都合がよかったんだけどな。」
「いったい……何を言って……。」
「言ったはずだ。ここには未来があるって。俺は運命って言葉が嫌いでな、まるで最初から決まってるとでもいうようにすべてを諦めさせるその言葉が嫌いだ。だからお前が黒壁の前で倒れてなんかいなけりゃここに連れてくるつもりはなかったが、そうもいかなくなってきた。」
「それは……だから自分がアルトルかもしれないと……」
「そうだな。だからお前を一目見た時は驚いたぜ。だったら試すしかねぇだろ、運命ってやつに抗えるのか。もう一度言おうか?俺は運命ってやつが嫌いだ。だからこそ俺はこいつのことも嫌いなんだよ。」
テルは少年を指さして言った。
テルの言っていることは捉えどころのないものばかりだった。未来、運命……どれも抽象的で何を指すのかわからない。
だがテルは言った。ここでアルトルかどうかを知れると。
テルは言っていた。ここに未来があると。
未来は何を指す。運命は何を示す。ここにいるのはたった一人の少年だけだ。
――――悪い考えが浮かんだ。
ただの想像で、非現実的な空想だ。
だが自分はそれを見てきた。体験してきた。
自分のちっぽけな常識なんていつも覆されてきた。
それに自分でも認めたはずだ。自分は魔法使いなのだと――――
「君は……もしかして……。」
「ぼ、僕は……未来が、見えます。未来視の力を授けられた――――精霊憑きです。」
「精霊……憑き?」
想像とは違った答えに戸惑いを隠せなかった。
それはどうやら少年も同じだったようで――――
「…………っへ!?…………っえ!?」
驚いた顔をしてテルとナナシの顔を交互に見つめた。
「なんだ、お前精霊付きのこと知らねぇのか?…………そういや言った覚えがねぇな。でもお前も見ただろ、ジルのところで。」
「ジルの?」
「ほら、あの双子だよ。」
「なにも…………おかしなところはなかったと思うが……。」
「まぁ一目にはわかんねぇか。あいつらは目と耳に憑かれてる。だから制限はあるがそれなりにこの迷宮区でも動けてるってわけだ。」
「…………なんとなく理解はできたが、精霊憑きとは何なのだ?」
「一言で言えば精霊に魅入られた人間だ。そういう奴がこの世界に時々生まれ落ちる。魅入られたやつは例外なく特異な力を身につける、祝福、代償……捉え方によっては様々な言われ方をしている。こいつの場合は未来視の力。つまりこいつにはこの先起こる未来が見えている。」
「い、意識して見えるわけではありませんが……。」
「それでこいつがアルトルの生還を予知した。それがお前かどうかって話だ。で、どうなんだ?ナナシはお前が未来で見たアルトルの姿をしているか?」
「――――え……?」
「テル!!!」
「なんだ?これが手っ取り早いだろ?お前も知りたがってたじゃねぇか。自分がそうなのかどうか。」
「――――っ!!!」
その通りだ。
この少年が未来が見えると知った今、アルトルと似た自分がここにいる――――もはやそれがこの少年にとっては答えだ。
今更テルを非難したところで何も変わらない。
変わらないでも言わずにはいられない。
「それは――――卑劣だ。」
「…………まぁお前はそういう奴だよな。自分より他人、その高潔であろうとする姿勢は否定しねぇがよ。悪いがこれが俺のやり方だ。……っは、全く本当にお前はあいつにそっくりだな。」
ここに来たのは自分の在り方を見つけるため。
だがそれが何かの犠牲の上に成り立つというのなら自分はここには来なかった。
待っていた人間、待ち続けた人間。
それがこんな形の結果を生むというのならそれは到底受け入れられるものではなかった。
「違い、ます。兄さんでは……ないです。」
少年の言葉に安堵した。
アルトルが生きているという可能性を潰さずに済んだからか?
……いいや、違う。アルトルではないと知って安堵した。
アルトルのやり方も、その意思を継いでいるのだろうテルのやり方も認められなかった。
もしもこの先、この身がアルトルであることになったとしても自分はアルトルとしての生き方を選ばない。
「ああ、その顔だ。それでいいナナシ。」
――――ああ、そうだったな。テルは自分にアルトルとしての生き方を捨てさせようとしていたんだった。
自分がどういう表情をしているのかはわからなかった。
ただその顔を見せないように少年を背に少年側に立ちテルと向かい合った。
少年のことが嫌いだというテルはきっとこの少年の心など厭わない。
傷つけても、壊してでも、ナナシという人間の糧にする。
自分がアルトルだからか?自分が魔法使いだからか?
テルの考えはわからない。
「テル……君のそのやり方は……人間の行いではない。」
そう言って少年の側に立つ自分も卑劣な存在だ。
アルトルでないことを願い、アルトルを待つ少年の傍に立つのだから。
そういう自分もまた人間だと定義できるものは何もない。
自分は所詮この体という殻に巣くった曖昧な存在なのだから。




