辿り着いたその先へ
集会所から離れるとすぐに迷宮区はその姿を取り戻す。
確かレイアが言っていただろうか。ここは王の逃げ道だと。
自分がもし本当にアルトルなのだとしたら自分は何から逃げていることになるのだろう。
亜人たち?自分自身?――――いいや、自分は逃げてなどいない。
そのためにここに来たのだから。
階下へと向かう。
下へ、とにかく下へ。
ゆっくりと踏みしめるように暗闇の中階段を降りた。
会わせたい人間とやらがここのどこかにいるらしい。
テルは予定調和だと言った。
つまりはあの日の続き。テルと最後に出会った日の後に起こるはずだった出来事。
あの時の自分はアルトルのことなど知らなかった。
それなのにテルは確かめると言った。
疑問は残る。ただ確信があった。
この先へ進めば自分はもう戻れないのだと。
「ここ、昔は王様の逃げ道だったって知ってたか?」
「……ああ、レイアに聞いた。」
「そうか。ここさ、昔この国がまだ霧の国と呼ばれていた時に作られたものなんだけどよ……いったい誰が作ったと思う?」
「誰がって……亜人たち……なんだろ?」
「そ。奴隷としてこの国に連れてこられたあいつらの親世代だ。霧の王は強さを求めていた、そこで目をつけられたのがあいつら亜人たちだったわけだが……あいつらを見て素直に従う奴らだと思ったか?」
「それは……」
いいや、彼らは誇りを忘れてなどいない。居場所を追われ、地の果てまで追いやられてなおその目に希望を抱いている。
「そう。あいつらは何者にも頭を垂れない。足掻くこと歯向かうこと、そのために命を賭けることも厭わない。それがあいつらの根っこの部分だ。魂って言うのかね?そこに刻み込まれたあいつらの性だ。それがどうして大人しくあんな小さな村で過ごしているか。」
それはアルトルに救われたからだ。だから彼らはアルトルを待っている。
「確かにアルトルはあいつらを救ったさ。それと同時にあいつらをこの国に縛り付けた。」
「縛り付けた?」
「あいつらをそうするのに一番効果的なのはなんだと思う?あいつらが抱いてるであろう恨みか?だったらあいつらは復讐するさ。誰があいつらの牙をもいだか、誰があいつらにそうさせたか。」
テルが何を言いたいのかはわからない。
だが話を聞く限りではそれができた人間は一人しかいない。
もしもそれが本当なのだとしたら、順序が逆になる。
テルの言い方ではまるでアルトルが亜人たちをこの国に縛るために助けたような言いようでしかなかった。
「どうしようもねぇよな。復讐する対象にいなくなられただけじゃなく救われてんだからよ。まるで呪いだ。」
「呪い、だって……?」
理解が及ばなかった。
亜人たちの感謝を呪いだというテルにも、そうなることを理解して実行したのであろうアルトルにも。
「そんなもの……救いであってたまるものか!」
「そうだな。あいつは亜人たちを救っていない。」
「はっ…………?」
「あいつが救おうとしていたものはもっと別のもんだ。あいつらはそのついでに拾われた存在にすぎない。」
「いったいなにを…………。」
「嘘か本当か、この世界は滅んでいたらしいぜ?」
荒唐無稽な話に言葉が出なかった。
世界が滅ぶ――――
言葉一つの意味は理解できても文の意味としては理解できなかった。
テルが言うにはアルトルが世界が滅ぶと言ったらしい。それをテルも信じているということか?
根拠もなくそんな話が出てくるわけもない。ただそれがアルトルと何の関係があるのか繋がらない。
それも今の言い方ではまるでアルトルの行動抜きではすでに世界がなくなっていて、アルトルはそれを予期していたような話し方だった。
「まさか……アルトルが救おうとしていたのは世界だとでも言うのか?」
「さぁな。結局のところあいつが何をしようとしてたのか知ってるやつはどこにもいない。知らねぇか?あいつがどんな名前で呼ばれてるか。」
「……静寂王。」
「そうだ。あいつは最後のいなくなる瞬間にもなにも話さなかったらしい。」
…………そうだったのだろう。
なぜか。なぜだと問い続けた。何も知らない自分はそうやって人に問を投げ続けた。
返ってくる答えにも疑問は尽きない。それほどに自分は何も知らない。
そんな自分に唯一問いを投げた亜人のことを思い出す。
知りたいのは彼も同じだったのだろう。
あの夜の声だけが消えてくれない。悲痛なその叫びが脳裏に焼き付いている。
理由もなく救われた者の末路がまさにラントの行動に現れていた。
「痛むのか?」
「えっ…………?」
無意識に腕をさすっていた。
記憶が正しければそこは折れたはずの腕だった。
痛みはない、傷もない。いいや本来はなければならないものだ。忘れてはならないものだ。
でないとそれが誰に与えられた痛みかわからなくなってしまう。
――――誰が負うべき傷だったのかとぶれてしまう。
「あいつも行き場のない思いをお前にぶつけてただけだ。あいつも心の奥底では――――」
「言うな!!!…………言わないでくれ……頼むよ。」
自分がアルトルかどうかもわからない。それは誰にもわからない。
なのに自分は亜人を救おうとしている。それは彼らに救われたから。
いいや、本当は違う。救われているのは彼らの方だ。
そんなことわかっていたことだ。
だったら自分は何のために亜人を救おうとしている。
いつの間にか亜人を救うことを手段にしていた自分に吐き気を催す。
亜人を救うことで自分はアルトルになろうとしていた。
魔法使いになるための亜人という存在、アルトルになるための亜人の存在。
救うことそれ自体がいつの間にか手段になっていた。
言葉にはしないがテルもそのことに気付いている。
テルはよく知っているのだろう。救う事こそを手段にした人間のことを。
アルトルになろうとする自分は今、同じ道を辿ろうとしている。
今まで言葉にはされなかったが言っている。アルトルにはなるな、と――――
それでもアルトルは英雄になった。亜人たちにとっての英雄になる程の何かを残していった。
だったら自分は?何もない。何もないからこんなにもアルトルという存在に焦がれている。
自分の卑劣さも矮小さも、自覚してなお未だアルトルという存在に縋っている自分がいる。
「悪いがお前の願いは叶わない。どうやったってお前はアルトルになれやしない。それは記憶がどうかという問題じゃないからな。」
「だったら――――自分はただ運悪くあの場所に居ただけだとでも言うのか!?あの黒壁の前で!なんのっ!?…………何の意味もなく、記憶まで無くして――――」
テルは記憶を無くした自分を一個人として扱っている。
アルトルも何も関係がなければそれがどれほどありがたかったか、どれほど嬉しかったか。
出会った場所が違えば、状況さえ違えばどれだけ幸せだったか。
テルはナナシという人格を一人の人間としているからこそこんなにも苦しい。
自らの生に何か意味を持ちたい自分にとってそれは何よりも辛いものだった。
「そりゃそうだろ。生まれてきたことに意味がある奴なんてどこにもいやしねぇよ。どうするか、どうやって生きていくかなんてこれからのお前次第だ。あいつらのことなんか知らねぇと逃げ出しても構わなぇ、結局亜人を救うって答えになるのも俺は構わねぇ、それを止めるつもりはないからよ。」
「そんなこと……できるわけ、ない。」
「……やっぱりお前の根幹の部分をどうにかしてやるしかなさそうだな。」
「根幹?」
「お前がアルトルかどうかって部分だ。まぁ、だからこそここに来たんだがよ。」
テルが蝋燭で明りを灯した先には扉が見えた。
覆った埃が扉を開いた部分だけ地面が露出している。
最近も誰かがここに来たことが窺えるが場所が場所だ。
迷宮区を自由に行き来できるのはテルだけだという話だった。
「ここは…………」
「前に言っただろ。引きこもりがいるってさ。」
扉を開けると埃が舞い、先にはさらに下へと続く階段が続いていた。
壁に備えられた蝋燭を灯しながら下へと向かう。
空気は通っているらしく蝋燭は揺られ影を震えさせた。
「よく……来るのか?」
「様子見にたまにな。それに食い物なんかを持ってこなきゃならねぇし。」
「どうしてこんなところに…………」
「そいつが外に出たがらねぇってのもあるが……なにより外に出せねぇってのが一番の理由だな。」
「もしかして……亜人、なのか?」
「いいや、人間。……ああ、だけどあり方的には亜人……というかお前に近いかな。」
「自分、に?」
「そ。」
考えたのは魔法使いのことだった。だが聞く限りでは魔法使いはもういないという。
アルトルのことを知っていてかつ人前に出せない人間となると想像がつかなかった。
「まぁ、一言で言えばアルトルが守ったものだな。」
「それは……信じがたいが世界、という話ではなかったか?」
「本質はそこじゃない。滅ぶはずだった世界、それをあいつはつなぎとめたんだ。」
「はずだった…………」
そうだ。誰も知らないその終わりをなぜアルトルが防ごうと行動を起こしたか。
それは知っていたからだ。
なぜ知ったのか、どうやって知ることができたのか。
終わりを防いだのではない、終わりへ向かうのを防いだ。
「…………未来、か?」
「そう。この先にあるのは未来だよ。あいつは全てを賭けて未来を守った。言ったろ、予定調和だって。」




