第六話 なぜ僕が犯人を突き止めるのか
マロンさんは刃物で背中をグッサリ刺され、血だらけになってうつ伏せに倒れていた。
マロンさんの手に触れる。
ひんやりと、冷たかった。
優しく、慎重に手首を持ち上げ、「ある」ことを願いながら血管を親指で軽く押して確かめてみる。
「ある」ではなかった。
脈は無かった。
既にマロンさんの身体に血は通っていなかった。
どうしてだ。
なぜなんだ。
理不尽だ。
もっと仲良くなりたかった。
マロンさんの倒れていた空き部屋は僕の部屋の二つ右隣にあった。僕の部屋と同じ間取りだが椅子やチェストは部屋の隅に片付けられていて、赤茶の毛布もベッドに掛かっていなかった。部屋のドアには鍵はかかっていなく、昨日の晩から今に至るまで、館に居る人なら誰でもこの部屋に入れた状態だと言える。
マロンさんは刃物で背中をグッサリと刺され、血まみれになって部屋の床にうつ伏せに倒れていた。床一面にはマロンさんの血が水たまりを作っていた。
「抜かれている」
ソフィアさんがマロンさんの身体を起き上らせ、背中の他に刺されたところが無いか調べる。その時、マロンさんが胸元に隠し持っていたナイフが無くなっていたことが判明した。チェストの中やベッドの下にもナイフは入ってなかった。
「厳戒態勢を取る。アサシンはマロンを病床に運び、シールドは玄関で防備を固め、ソードは館の人間を食堂に集めろ。いいな?何人たりとも決して館から逃がすな。入れるな。これは厳命だ」
「「「はい」」」
ソフィアさんが集まった従者たちに命令を下す。アサシン、シールド、ソードは従者たちに戦闘時に与えられる分担名だ。
マロンさんの死が確認されて以降、ソフィアさんは感情のスイッチを落としたかのように淡々と的確な命令を下していった。冷酷ですらあった。
「ゼノン、貴様は食堂へ戻れ。ハーバーは魔法の使用された痕跡を徹底的に調べろ」
…。
悲しい。
食堂に向かって歩きながらそう思う。
マロンさんとは一日しか過ごしていなかったけど、頭の中にはたくさんの出来事の記憶が鮮明に残っている。マロンさんの大きくてフワフワの耳、ピンク色の髪、慈しむような優しい笑顔が頭にこびりついて離れない。初めましての時に僕にフレンドリーにはにかんでくれたマロンさんが死んだなんて信じられない。マロンさんの死とマロンさんの笑顔が線で繋がらない。
それに悔しい。僕がマロンさんに受けた恩を、いつかマロンさんに返したかった。またマロンさんに会いたかった。もっと仲良くなりたかった。
胸に針が刺さっているような痛みがなくなず、苦しい。
「でも、ソフィアさんは…」
考えていたことが口から漏れ出る。
ソフィアさんはもっと辛いはずだ。ソフィアさんがどういった気持ちでいま当主としての責務を果たしているのかは僕には分からないけど、僕以上にソフィアさんにとってマロンさんは重要で、心の支えになっていたことくらいは分かっている。マロンさんにとってもソフィアさんは重要で、心の支えになっていた。
だとすると僕はマロンさんのためにソフィアさんの力になってみるべきなんじゃないのか?
少し飛躍した思考ではある。しかし、間違っているとも思えなかった。
僕は自分の悲しみを紛らわすためにソフィアさんの力になりたがっているのかもしれない。独善なのかもしれない。
だが僕の直感がこの考えは正しいと言っている。なら理屈は後からでも見つかるはずだ。
踵を返し、ソフィアさんの元へ走った。
僕が戻ってきたことを察知したソフィアさんは腰の大剣の柄に軽く左手を掛けながら目を鋭くさせて睨んできた。
「命令を無視するならば斬り―」
「ソフィアさんは何がしたいんですか?!」
ソフィアさんの言葉を遮り、先に質問をする。
大剣に掛けていた左手が力を籠めて握り直される。
構わない。
「新たな犠牲を増やしたくない?犯人を見つけ出したい?館にいる部外者を全員排除したい?それとも犯人に復讐したい?それは何のため?マロンさんのためになるの?!」
マロンさんのため、と言い始めた辺りでソフィアさんが目にギラリと殺意を宿らせ、日の光を反射して銀色に輝く大剣を僕に向けて構える。
抜刀の瞬間は早すぎて僕の目には捉えられなかった。
「それ以上貴様の口からマロンの名前を出せば―」
「何がしたいか、それは何でもいい!明確な目的があるなら僕に協力させて!!」
左手を胸に当て、右手を右斜め下に伸ばし、一歩前に出て懇願する。礼儀は分からないからフィーリングで跪いた。
でも僕は本気だ。
もしソフィアさんがこれから疑わしき人間を片っ端から排除することなら、僕は目の前の大剣で首を切り落とされてもいい。積み上げてきたモノが無いからなのか、守りたいモノがないからなのか、自然とそう思えた。
ところがソフィアさんは黙り込んだまま静止している。時間にして一秒か二秒だが、即答しなかったのがじれったい。
「ソフィアさん、僕は本気だ」
両手を下げて少し落ち着きを取り戻させて、改めてもう一歩踏み込む。
踏み込んだ先には大剣があった。しかし僕が踏み込むとほぼ同時に大剣が足元に下がり、すぐに腰の鞘に納められた。
ソフィアさんは小さくため息をつく。
「これから私のすることは決してマロンの為ではない。犯人か私に殺される前に館を去れ」
「いや、僕は『マロンさんの為に』ソフィアさんの為になることをするんだ。それが僕にとってのマロンさんへの恩返しになるはずだ」
放たれていた殺気が霧散し、ソフィアさんは少し引きつった顔をする。
「お前は何を言っている?」
「マロンさんは最期までソフィアさんの力になりたかった。僕はマロンさんから受けた恩を返したい。もし僕がソフィアさんの力になれば、マロンさんが昨日世話を焼いた僕がマロンさんに恩義を感じて上司であるソフィアさんの力になったということになり、間接的にマロンさんは最後の最後までソフィアさんの力になったと言えるようになる。だから僕はソフィアさんの力になれることをしたいんだ」
おそらくマロンさんは無念だった。最期、ソフィアさんのために死ねなくて。
それは昨日の夜のマロンさんの力ない笑顔を思い出してようやく気づいた。
「マロンを勝手な憶測で弄ぶな」
「マロンさんはソフィアさんを喜ばせるために命を懸けたんじゃないの?! 僕には文字通り何もなかった。記憶も、持ち物も、人間関係も、なにもかも。でもそれは昨日までだ。今日は、僕にはマロンさんとの思い出と、マロンさんへの恩義がある。だから、お願いだからソフィアさんの協力をさせてよ。ほんの少しでもいいから力になりたいんだ。今日、今日だけ、ソフィアさんに忠誠を誓いたいんだ」
再度沈黙が訪れる。
「はあクソ、何故どいつも私なんかに忠義を尽くそうとする」
「それはソフィアさんは優しい人だからだ」
自然と口が動いていた。
優しくない人は僕を助けたり面倒までみたりしない。当然だ。
「…馬鹿野郎が。クソ、いいだろう。お望み通り、犯人への復讐に協力させてやる」
「ありがとう!」
こうして僕はマロンさんを殺した犯人を捜すことになった。
「だが私語は禁止だ。ゼノンは私に付き添い周囲の観察に専念しろ」
「了解!」
「ハーバーも付いて来い」
「仰せの通りに」
ソフィアさんが犯人への復讐に向け、廊下を歩き始める。僕もついていく。
食堂に残る人間の逃亡や更なる殺人事件を警戒してか、ソフィアさんがまず向かったのは食堂だった。
食堂にはエミネイさん、シスター・リーアさん、エリーさん、黒髪の少女アイビー、それと数人のメイドがいた。メイドさんの群れにはマロンさんの第一発見者もいた。
エミネイさんは食事を止めて両手を組み、訝しげにこちらを見ている。シスターは状況が分からないと言いたげに不思議そうな表情を作り、少女とエミネイさんへ交互に目線を送っている。エリーさんは涙をこらえていた。少女は両手を見つめながらうつむいていて動かない。表情は見えない。
ソフィアさんが食堂の丁度中央に立ち、全員の視線を集める。
「私の腹心、従者マロンが殺された」
淡々と述べる。
全員、注意深く、ソフィアさんに耳を傾ける。
「館の外からの侵入はあり得ない。犯人はこの中にいる。いざとなれば全員殺す。心しておけ」
静かに宣言した。
ソフィアさんは左手を大剣に掛けつつ意識を食堂全体に張り巡らせ、誰が何をしようとしても即座に斬れるようにしていた。
食堂に緊張が走る。
物音一つ立ててはならない、呼吸もまともに出来ない、そんな張り詰めた緊張感が食堂を包んでいた。
ソフィアさんによって容疑者候補に上げられたのは、
エミネイ・フォンデルセン
アイビー
シスター・リーア
ゼノン
ハーバー・クリック
エリー・ウェルストン
の六人だ。他のメイドさんやソフィアさんの従者は作業部屋や寝室で固まっていたりして、互いにアリバイが確認されていた。
「分かったな。では尋問を始める」
最初の尋問はエリーさんからだった。
涙を拭い、必死に息を整えようとしながらソフィアさんの問いに答える。
「空き部屋を覗いたことにこれといって深い理由はありませんでした。ゼノン君やアイビーちゃんのように予定に無い来客が立て続けにあったので、残りの空き部屋の様子を見ておこうとしただけです。それで、マロンの、マロンちゃんの、うう、マロンちゃんなんで!なんでよ!なんでマロンちゃんが―」
「昨晩は何をしていた」
「分かんないよ! 厨房と作業場の手伝い入って明日のシフト修正して書類作って、そのあとは部屋で寝たけど、どれも詳しい時間は覚えていないです。マロンとはすれ違ったりもしてません」
「分かった。下がれ」
「はい」
涙を拭い、透き通るような返事をしたあと、ゆっくりと身を翻して食堂の後ろの方に下がっていった。
ソフィアさんは唇を噛み締めていた。
尋問はエミネイさんに移る。
しかし尋問が始まってすぐにエミネイさんのアリバイが立証される。
「ディナーのあとはずっと自室に籠っていたよ。なにせ外から鍵が掛けられていたんだからな。いやはや、ノーゼンレパード卿に追加の酒を頂こうとした時は部屋に出られなくて驚いたよ」
エミネイさんは無関係だと言うように肩をくすめる。
でも鍵か。僕の部屋に掛かっていた記憶はないけど、エミネイさんの部屋にはかかっていたんだろうか。
「鍵?」
ソフィアさんに小声で訊ねる。
「ああ、ゼノンのような早寝遅起には気づかんだろうが、客間は全室消灯時間に施錠させている」
その時、後ろに待機していたメイドの一人が軽く手を上げて発言の許可を求めた。
「なんだ?」
「今朝は私が客室の開錠を致しました。その時、たしかにゼノン様とフォンデルセン様の部屋に鍵は掛かっていました。しかし…」
「しかし、なんだ」
「言いにくいのですが、アイビー様の部屋には私が開錠する前から、鍵が掛かっておりませんでした。私共の不手際です、申し訳ございませんでした」