第五話 生死の境
幸い、マロンさんの傷は浅く、ハーバー・クリックの治癒魔法で全て塞がった。
マロンさんの抱えていた黒髪の少女は、意識を失ったままだったが怪我はしていなかったため、僕の右隣の部屋のベッドに寝かせられた。
「ありがとうございます。ハーバー、ソフィア様、ゼノン君」
治療が終わり、一人で問題なく歩ける程度に回復したマロンさんはハーバー・クリックの魔法部屋にある病床に座っていた。
「それで、何があった」
ソフィアさんが事の経緯を尋ねる。
「最後の村の巡回を終えたあと、館への帰り道で吹雪の中倒れていた黒髪の少女を見つけたのです」
「それで?」
「少女を抱えて館へ向かっていた途中でホワイトウルフの襲撃に遭い、辛うじて撃退したのですが、剣と馬を失い、腕と足に怪我を作ってしまいました」
マロンさんの左腕と右足には包帯が巻かれていた。治癒魔法で傷を塞いだとは言え、傷の深部まで治したわけではない。
「なぜ少女を手放さなかった」
「領主様はそうした方が喜ぶと思ったからです」
「馬鹿野郎。お前が死んだらどうにもならんだろうが」
相変わらず辛辣なソフィアさんに対し、マロンさんが力なく笑う。
「いやしかし、吹雪と言い、黒髪の少女と言い、ホワイトウルフの襲撃と言い、なんとも奇妙、それでもって不吉。悪条件が重なり過ぎだ。もしこの館が探索中の迷宮なら、我は研究も財宝もかなぐり捨てて一目散に地上に逃げ帰っているところである」
マロンさんの治療を終えたハーバー・クリックは鼻筋に指を押し当てて、目を瞑る。
ハーバー・クリックは今の状況を奇妙で不吉と言うけど、僕からすればハーバー・クリックの発言の方に引っかかるところがある。
「黒髪の少女は関係ないでしょ?」
「大ありだぁァァ!! 一番の不吉の原因とも言っていい。何と言っても―」
「ハーバー!」
ハーバー・クリックの言葉をソフィアさんが遮る。
「ハーバー、迷信で事を荒立てるな」
「しかしソフィア様、『呪いの少女』の噂話はただの迷信だと片付けられるものではないはずだ。噂話には少なくとも二つ、疑いようのない事実が含まれ、片方にはソフィア様のメイド長の―」
「ハーバー!」
「失礼、言い過ぎたようだ。発言を撤回させてくれ」
勝手に話が終わっていく。メイド長はだれのことか、呪いの少女の噂話とは何なのか、それと黒髪の少女がどう関係しているのか、なにも分からないままだ。
「はあ、『呪いの少女』は迷信だ。呪いなど真には存在しない。それは学者のお前が一番理解していることだろうが。大方、噂話は教会やら敵対貴族やらが己の悪事を隠すために捏造した出鱈目だ。噂に踊らされ少女を貶めるのはこの館では私が許さん」
「仰せのままに」
「うん。分かった」
ソフィアさんの言うことはもっともだった。そう思い、ハーバー・クリックと一緒になって頷く。
そんな僕らの様子を見てマロンさんが笑う。
「皆様すっかり仲良しですなぁ。しかしそろそろ消灯なのでゼノン君もソフィア様も自室に戻ってお休みしてください」
「うん、おやすみ。お大事にね」
マロンさんの言葉に力強く頷いた。
「傷口は塞がったとは言え、失血による衰弱もある。無理だけはするなよ」
ずっと険しい顔をしていたソフィアさんが口元を少し緩め、柔らかな表情になってマロンさんの耳を優しくなでる。しかしすぐに元の引き締まった顔に戻り、ハーバー・クリックの魔法部屋を後にする。
僕も続いて部屋を去り、廊下のろうそくの火が灯っている内に自室に戻り、ベッドに潜った。
―――――
これは僕が、これから起きる色々なことが全て終わってしばらく経った後に聞いた『呪いの少女』の噂話だ。
昔々、ここよりさらに北の地方の村にひとりの少女が暮らしていた。その子は黒髪と深紅の瞳を持っていたという。
ちなみに、黒髪は世界的に見れば別に珍しいものではないらしい。ここでは金髪や茶髪の人がほとんどだけれど、南方では黒髪の人の方が多数らしい。北方の村にいる黒髪もたしかに珍しいけど、最も奇妙だったのは深紅の、血のように赤く染まった瞳の方だった。
村人たちは黒い瞳の両親から生まれた深紅の瞳の娘を奇妙に思いながらも、村の一員として暖かく迎え入れた。少女が生まれて間もない頃に母親が死んだという事情もあり、同情的になってくれていたのかもしれない。
ところが今から八年前に悲劇が始まる。
突如、少女ただ一人を残して村人が全滅したのだ。
噂話では、少女の美しい深紅の瞳を羨んだ村人たちに目玉をくり抜かれた恨みから、少女が村人たちを呪い殺したと言われている。
しかし実際の所なぜ全滅したのかは分かっていない。村には争った形跡があったらしいが、それでも全滅はあり得ないことだった。
村に来た領主様は少女を館で保護したが、しばらくして今度は館で悲劇が起き、領主様を含むその領地を統治していた貴族家は、奉公に出していた末の娘を残して全滅した。
噂話では、少女の美しい黒髪に嫉妬した領主の妃に髪を焼切られた恨みから少女が館の住民を呪い殺したと言われている。
貴族家は取り潰しになり、館は廃墟に。領地は近縁の貴族家が取り込んだ。
その後の少女の足取りは分かっていない。村や館の住民が全滅した原因を調査しに行った教会の騎士団も行方不明になった。
噂話によると、目も髪も隣人も住む場所も何もかもを失った少女は最後に自分自身を呪い殺し、亡霊となって今でも北の吹雪に紛れて出会った人を呪っているらしい。
「吹雪を歩くときは黒髪と深紅の瞳に気をつけろ」という言葉をオチにして『呪いの少女』の噂話は終わる。この噂話は今から六年前くらいからこの地方の村や町でまことしやかに語られるようになったらしい。
―――――
翌朝。
清々しい目覚めだった。
吹雪は予想外に早く止み、僕の部屋には暖かな朝日が差し込んでいた。
上半身を起き上らせて、両腕をぐいーっと伸ばす。気持ちい。
爽やかな気分のまま、昨日の夜、床に脱ぎ捨てていたジャケットと帽子をかぶる。
部屋をぐるりと見渡す。
正面には鍵穴とドアノブが付いているドア。左にはベッド。赤茶の毛布。後ろには朝日の射す窓。右には椅子と小ぶりのチェスト。チェストの上には火の消えたろうそくがある。昨日の朝と全く同じ部屋に見えて、所々少し違う。過去から未来に向かって時間が着実に流れている紛れもない証拠だ。
ドアノブを回し、部屋を出る。
廊下には、ドアノブと鍵穴の付いたドアと蝋台が等間隔に並び、下には赤いじゅうたんが敷かれている。
廊下を歩いて食堂に向かう。
しかしその時、不意に小石のようなものを蹴ったような感覚が足に走った。
「なんだ?」
目線を落してみると、そこには小指サイズのちいさな黒い鉄塊のようなものがあった。
気になるのでそれをじっと眺め、ポケットに入れてから廊下を歩き、食堂に入る。
食堂ではソフィアさん、エミネイさん、ハーバー・クリックともう一人見覚えのない女性が既に席に着いて食事を取っていた。
「ゼノン、彼女は近くの修道院のシスターだ。例の黒髪少女を探し、館を訪ねてきた」
「は、初めまして。僕の名前はゼノン。よろしく」
「初めましてですわ信徒ゼノン。わたくしは見習いシスターのリーアですわ。シスター・リーアと呼んで!よろしくお願いしますわ」
シスター・リーアさんは白い修道服、腰まで伸ばしたロングの茶髪と茶色い瞳、美しい微笑みが特徴の聖女だ。所作の一つ一つが丁寧で、貴族であるエミネイさんやソフィアさんとはまた違った種類の気品を纏っていた。純白の修道服の袖は手首まであり、スカートも足首まで伸びている。着けている手袋とブーツまで白色。全身純白で幻想的だ。
シスターさんに微笑みかけられて少し緊張しながらハーバー・クリックの隣の席につく。ハーバー・クリックの隣は結構落ち着く。こういう場でも気を張らなくてもいい気がしてくるというか。
少ししてメイドさんがパンやスープ、魚料理の乗った皿、銀食器を運んできてくれた。
作法が分からないので、他の人の様子を見てから食べ始める。
エミネイさんはフォークだけで魚を切り分けて食べでいたが、他の三人はナイフも使っていた。
多数派に合わせ、僕もフォークとナイフ両方を使って魚料理を食べ始めた。
朝食を食べ始めてからしばらくして、黒髪の少女がひとりで食堂に入ってきた。
僕と同い年か一、二歳年上の、黒髪と深紅の瞳を持った少女だった。こぶしを握りしめながら不安そうに辺りを見回している。
ちらりと顔が見えた。
少女は酷く暗い表情をしていた。
ソフィアさんはシスターさんに尋ねる。
「こいつがお前の探していた少女か?」
「そうですわ。ねえ?シスター・アイビー?」
「…はい」
少女はうつむいたまま小さく頷く。
「そうか。ならば朝食を食べた後に館を立ち去れ」
「承知いたしましたわ、席に座りなさい、アイビー」
「…はい」
少女は恐る恐る席に着き、少しして運ばれてきた朝食を無造作に食べる。
そして、幾ばくかの時間が過ぎ―
食事中、丁度僕がパンに手を伸ばした頃だった。
乾いた大きな破裂音が食堂中に鳴り響く。
食堂の扉が荒々しく開かれた音だった。
焦燥したエリーさんが息を切らしてツカツカと食堂に入ってくる。
「マロンが空き部屋で血だらけで倒れ―」
「すぐ行く!ハーバー、付いて来い」
血の気が引いた。
僕もソフィアさんに続いて食堂を飛び出し、マロンさんの倒れていたという空き部屋に駆け付けた。
マロンさんは刃物で背中をグッサリ刺され、血だらけになってうつ伏せに倒れていた。