第二話 館の見学
結局、僕が朝食を取れたのは、お肉やスープが完全に冷め切った後だった。
どこから来たのか、僕は天使なのか、なぜ片翼しかないのか、何歳なのか、両親はどうしたのか、どうやって来たのか、何が目的なのか、色々なことを尋ねられたけど、僕が答えられることは何一つなく、結局自分の名前を伝えるだけで終わった。
「はん、何一つ知らないとはな。まあいいだろう。一先ず、数日間の館の滞在を許す。館で身体を休め、自分の今後について考えるんだな」
そう言ってくれたのはこの地域一帯を統治するソフィア・ノーゼンレパード伯爵。
黄金色の短髪を髪飾りでまとめている碧眼の若い女性だ。マントや胸当て、大剣を館の中でも装備しているから、頑丈で強そうに見える。
ちなみに、実際の統治地域は伯爵位には不相応なくらい小さいらしい。先代伯爵が教会の発布する禁忌事項を破ったときに、先代が火あぶりにされると同時に親戚によって大幅に領地を割譲させられたのだとか。
「なんで僕にそんな重要なことを教えたの?」
「スノウス王国では誰もが知っている周知の事実ですからなぁ。王国内で暮らすなら知っておいた方がよい豆知識ですよ」
僕の質問に答えたのは僕の横に座っているソフィアさんの従者のお姉さんだ。
長身で桃色の長髪をポニーテールにしていて赤茶の瞳を持っている。おしりからは桃色の尻尾が生えていて、僕の耳がある所よりも上の部分から僕よりも何倍も大きいフワフワした耳が垂れ下がっている。
僕が目覚めたときは運悪く朝食準備で席を外していたけど、それまではずっとこの人が意識を失っていた僕の看病をしてくれていたらしい。
「っと、申し遅れました。わたくしめの名前はマロンでございます。数日間ゼノン君をお世話致しますので、よろしくお願いします」
マロンさんがはにかむ。
不意に目を逸らしてしまった。
「よ、よろしく」
「それほど緊張せずともよろしいですよ。私は単なる使用人、この耳と尻尾も獣族の血が混じっているだけですから」
この人に見られると少し緊張する。恥ずかしい。
しかし同時に、この人に面倒を見てもらえるのが少し嬉しい気持ちもある。
でも多分、マロンさんは僕のお世話係だけでなく僕の監視役も兼ねている。
左の胸元が微かに膨らんでいる。おそらく、短剣を隠し持っている。
怪しまれるような事はしないでおこう。
朝食を取り終えた後はマロンさんが館の案内をしてくれた。
この館は正面玄関から見て左右対称の一階建てになっている。正面玄関からは大きな中央廊下が伸びていて、左右に二つの食堂がある。右の食堂が普段使いで、左の食堂はパーティをするときに使うらしい。僕がさっき朝食を食べていたのはもちろん右の食堂だ。
食堂を通り過ぎると右に台所、左に作業部屋がある。作業部屋では武器や防具の修理、モンスターの解体など様々な作業をするらしい。
「ここ北ヒューマ地方に出没するモンスターはゼノン君十人分を超える大きさで、その狩りをする夏はソフィア様についてゆくだけでも大変なんですよ」
そんなに大きいモンスターをどんな風に解体するのかは少し興味がある。
中央廊下の最奥には当主の執務室と寝室がある。ソフィアさんの寝床だ。中がどんな感じになっているのか気になったけど、その素振りを見せていたらマロンさんに
「例え誤りであっても執務室や寝室に許可なく入ればソフィア様に首を切り落とされかねませんので、くれぐれも気を付けてくださいな」
と釘を刺された。
二つの食堂からはそれぞれ一本ずつ、正面玄関から見て左右の方向に廊下が伸びている。廊下にはそれぞれ二十数個の小部屋が繋がっていた。右側の小部屋を客間、左側の小部屋を従者の部屋にしているけど、そんなに人は来ないから、部屋の約半数は物置に使っているらしい。
二本の廊下は、中央の大きな廊下を隔てて二つの中庭を作るような形でそれぞれ二回、内向きに垂直に折れ曲がり、正面玄関の真後ろで繋がっていた。つまり、二本の廊下は一本の回廊だったわけだ。
正面玄関の反対方向の回廊部分の廊下には書斎やお風呂、穀物庫や礼拝堂がついている。
今夜僕もお風呂に入れるらしい。楽しみだ。
お風呂暖かいといいな。
そんなことを考えながらマロンさんと廊下を歩いていたら、ぐるりと一周館を回って僕の目覚めた小部屋に戻ってていた。
小部屋の中にはチェストと椅子と赤茶のベッド、そして霜掛かった窓がある。日の光の角度が違うこと以外は目が覚めた時と変わっていない。見るもの全てが初めて見るものだった館の案内と比べ、ここは一度見たことあるから少し落ち着く。
「一日中部屋で暇を潰すというのも退屈でしょう。見た限り元気そうですし、私共と町へ行ってみます?」
「行きたい!」
即答してしまった。小部屋が落ち着くとはいえ、まだ見たことのないモノを見てみたい欲求には抗えなかった。
ということで、館の案内の後、町への買い出しに同行させてもらえた。
「一先ず、ゼノン君の光輪や翼が人目につかないような恰好に着替えた方がよさそうですなぁ。良さそうな衣装を見繕って来ます」
そう言って、マロンさんは部屋を後にした。
小さな部屋に静寂が訪れる。
「ふう」
バタリ、と両手両足を開いてベッドに倒れる。
疲れた。
僕はただマロンさんの説明を聞いていただけだったけど、それでも結構疲れた。慣れない環境だったからかな。マロンさんが戻ってくるまで少し眠ろう。
―――――
ゴンゴンゴン。
館の執務室に、扉を叩く音が鳴り響く。
「入れ」
領主ソフィアの声。少し厳しい声色に聞こえるが、これが彼女の平常である。
ギギギと軋む音を立てながら重厚な木製の扉が開かれる。
「失礼します」
ラクーン系半獣族マロンが執務室に入る。
執務室は暗い赤茶を基調としたシックな部屋だ。窓はない。側面にはいくつもの本棚と甲冑が並び、中央には大きめのテーブル、その上にはいくつかの本と羽ペンと書きかけの羊皮紙がある。
テーブルの奥の椅子にソフィアが座っている。
マロンは扉とテーブルの丁度中間くらいの位置までスタスタと歩き、立ち止まる。
立ち止まると同時に口を開く。
「あれ、ハーバー・クリックは留守ですか。意外です」
「ああ、朝方までここで書物を書き続けていたが、突然気絶するように床で眠りだしたから、部屋まで運んでやった。まったく、奴は学者になって人間をやめたというのか」
ソフィアは羽ペンで羊皮紙に文字を書き続けながら問いに答える。しかしすぐに手を止め、ペンを置き、マロンの方へ顔を上げる。
「それで、ゼノンはどうだった」
「驚くほどに普通の少年ですなぁ。天使族とヒト族は寿命が違うと聞いていましたが、見た限り年相応、十三か十四のヒトの子を相手するのと変わりありませんでした」
「そうか。しかしそれはそれで厄介だな。教会やら魔王やらが絡んでいた方がやりようがあった」
「ただ、ゼノン君からは『洗われてない猫のようなにおい』に加えて微かに血生臭さがあります。血を浴びるような過去があったような、そういう類のです」
マロンが人差し指で自分の鼻を指さす。
獣族はそれぞれ自分の血に混じっている獣に由来した特徴や秀でた能力がある。マロンはヒトよりも高性能な嗅覚を持っていた。
「それを言うなら『洗われてない犬のようなにおい』だが、そうか。留意しておく。他に言うべきことはあるか?」
「そうですね、ゼノン君はおそらく、身の回りの物事や人を勘繰るクセがありますなぁ。そういう仕草が出ています。あからさまなので教会や魔王が絡んでいることはないでしょうが、ソフィア・ノーゼンレパード家の秘密を暴かれるやも知れません。ご留意ください」
ソフィアは顔をしかめ、マロンの忠告を鼻で笑う。
「ありえんな。少しでも秘密を暴こうとする、そんな素振りを見せたらたとえ年端も行かない小僧であろうが私が即座に切り殺す。教会、魔王が絡んでいないなら尚更だ」
ソフィアは腰の大剣を鞘から引き抜き、ギラギラと銀色に輝く刃をまじまじと見てにやりと笑った。