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最終話『私の亜里香』

 ◇


「私は──そうだね、友里が好き。この好きは多分、友達としてもそうだけどそれ以上の意味もあると思う」


 亜里香の言葉を聞いた私は、案外にも平静だった。


 ある程度はそれを予想していたからかもしれない。


「ただね、友里が私に対してそうではないことは分かってたの。何となくそう感じてた。でも、私はそれが嫌だった。私と同じように私の事を好きになってほしかった。だから、恋人みたいにしていれば──もしかしたら、もしかしたら友里も同じ様におもってくれるかな、って」


 亜里香の瞳から、すっと涙が一筋こぼれた。


 私は思わず手を伸ばし、その頬を拭おうとする。


 けれど触れた瞬間、自分の指先も震えているのに気づいた。


「ごめん、急に泣いて」


「ううん。いいよ、泣きたいときは泣いて」


 私の声も震えていた。


 ・

 ・

 ・


 しばらくの間、二人して黙り込んだまま、教室に沈黙が落ちる。


 遠くからは掃除当番の生徒たちが廊下を行き来する音が聞こえた。


 もう少ししたら、完全に下校時間を過ぎてしまうかもしれない。


 でも、今はそんなことすらどうでもいいと思える。


「私は、よくわからない」


 私がぽつりというと、亜里香がこっちを見た。 


「好きとか、そういうの。……亜里香は凄いよ。自分の好きがどういうものかちゃんと分かっている。私はわかんないもん。亜里香の事は好きだけどさ、何がどう好きで私にとってそれがどういうものかとかさ、説明できないよ。何もわからない。だから、わからないまま決めたくなかった」


 そういう気持ちを言葉ではっきり言い表す事自体がナンセンスなのかもしれない。


 でも、私はそう言う風に割り切れない。


 好きなら好きで、ちゃんと自分の中で形を見定めたかった。


 じゃないと私がよくわからないまま()()が始まって、私がよくわからないまま()()が終わってしまうから。


 私はそれは嫌だった。


 好きなら好きで、ちゃんと自分の中で形を見定めたかった。


 じゃないと私がよくわからないままそれが始まって、私がよくわからないままそれが終わってしまうから。


 ◇


「でも、それってさ」


 教室のドアを閉め切った静かな空間で、亜里香が苦しそうに言葉をつむぐ。


「私と友里がもし付き合ったとしたら、いつか終わるかもしれないってことでしょ? それが怖いから、最初から曖昧にしておきたいってこと?」


「ううん、曖昧にしておきたいわけじゃないの。曖昧なまま踏み出すのが怖いっていうか……たとえばさ、好きだって言ってくれるのが嬉しい一方で、私がそれに見合う '好き' を返せないかもしれないでしょう?」


「返せないかもしれないから、始めたくない?」


 亜里香の声が少し震える。


 その問いに、私はまっすぐ答えられなかった。


「……よくわからない。何をどう返せばいいのかもわからない。今まで彼氏とか作ったこともないし、男の子に告白されたことがあっても、ちゃんと向き合ったことなかったし。ちゃんと好きってどういうことなのか、自分で理解したいんだ」


「理解するって? 理屈で理解できるものじゃないよ、きっと」


「そうかもしれない。でも私は、漠然と流されて、流れに身を任せて『なんかうまくいかなかったね』で終わるのが嫌なの」


「…………」


 亜里香は何か言いたそうに口を開きかけ、言いそびれて俯く。


 午後の日差しが、すりガラス越しに微妙な影を作り始めている。


 外では誰かが掃除道具をガラガラと押して歩く音がする。


 全部が全部、遠い世界の出来事のように聞こえた。


「ねえ、私……」


 思い切って口を開きかけるけれど、言葉が出てこない。


 胸の奥にあるのは確かに「好き」っていう感情。


 でもそれを言葉にするとき、恋愛感情と言いきれない自分がいる。


「ごめん、私たち、ちゃんと向き合うって言いながら、結局またこうやってすれ違ってる気がする。……私、どうしたらいいんだろう。亜里香の気持ちに応えたいけど、今の私じゃ不安しかない」


「不安?」


「うん。もし恋人同士みたいになったとして、私が "よくわからない" を理由に逃げ出すかもしれないじゃん。そしたら、もっと傷つけるよね」


 そう言うと、亜里香は少し首を振った。


「わからないけど……もし本当にそうなったら、私はそれでもいいかもしれないと思う」


「え?」


「何もしないで終わるのって、一番辛いよ。少なくとも、一度でも向き合って、それでもダメだったら仕方ないって思えるかもしれない。……何も始めないまま離れていくほうが、私はもっと怖い」


 亜里香の目から、また涙がこぼれる。


 その表情を見て、私の心臓がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。


 ──何も始めずに終わるほうが、辛いんだ


 それは私も同じかもしれない。


「……そうだね。私、気づいてなかったけど、私も今このままだと何だか後悔しそうな気はしてる」


「後悔するくらいなら、少しだけ頑張ってみようって……そう思えない?」


「……うん」


 私は思わず亜里香の手を握りしめる。


「でも、私にできることなんて少ないかもしれないよ。恋愛とか全然わからないし、ただ'仲良し の延長でごまかすかもしれない。……でも、もしそれでも良ければ、私たちなりにゆっくり探っていけないかな?」


「……いいの?」


「うん。私も、同じように'好き って言えないかもしれないけど、でも亜里香のことが大事だし、離れるのは絶対に嫌だから」


 その言葉を聞いた瞬間、亜里香は勢いよく私の手を握り返してきた。


「そっか……ありがとう。それだけでも、ずいぶん救われるよ」


 彼女の掌から伝わる体温は、やけにあたたかい。


 私たちは何度もすれ違ってきたけど、ようやく同じ場所を見て話せる気がした。


 ◇


 ただ、これで全部が一気に解決するわけじゃない。


 私たちはお互い「好き」の形をはっきり定義できていないし、社会的に見ればいろんな意見や偏見があるかもしれない。


 それでも──という気持ちが、今の私を突き動かす。


「ねえ、今日は少しだけ時間ある? バイトの時間までは……」


 私が尋ねると、亜里香は携帯の画面を見てから、小さく首をかしげた。


「うん……あと30分くらいなら大丈夫」


「そっか。……じゃあ、ちょっとだけ外歩こっか」


「うん」


 ふたりで教室を出て、昇降口からいったん外へ出る。


 もう外の空気は夕暮れめいて、冷えた風が頬をかすめた。


 購買前の自販機で飲み物を買い、それぞれ手にしたまま校庭脇のベンチに腰を下ろす。


「私たち……こんなふうに一緒に座るの、久しぶりだね」


 亜里香がぽつりと言う。


「そうだね。ほんとに。……あのときは、もっと気楽に隣に座れてたのにね」


「うん。でも、今は今で悪くないと思う」


 ベンチの木の感触が、少し冷たい。


 私はプルトップを開けて炭酸飲料を一口飲んだ。


 ◇


「ねえ、友里。これから、どうする?」


「どうする、か……正直、まだちゃんと'恋人としてとかは言えない。でも……好きだって気持ちは確かだし、離れるのは嫌。だから、まずはもう少し近づいてみてもいいかなって」


「近づくって?」


「うーん、たとえば放課後に少し一緒に帰るとか。家に遊びに来てもらうとか。前みたいに距離をあけずに、私からも声をかけるとか……。そういうところから、少しずつ、もう一度いつも通りに戻りたいな」


「そっか。ありがと」


 亜里香はほっとしたように息をつく。


「私も、友里に無理に恋愛の形を押しつけるつもりはないんだ。ただ、私にはそういう気持ちがあるけど……たとえば別にキスしろとか、そういう話じゃないし、スキンシップも無理にしない」


「いや、スキンシップも……嫌いじゃないと思うんだ、私は。ただ、恥ずかしいってのが大きくて。それでも、少しずつ慣れてみたい」


「……うん。わかった」


 自然と微笑み合う。


 たったこれだけで、私の胸は温かいものに満たされていく。


「やっぱりさ、亜里香が隣にいてくれると落ち着くんだよね」


「私もだよ。……実はさ、親も夜勤ばっかで家に誰もいないから余計に寂しくてさ。友里に会えないとき、すごく不安だったの」


「そっか……私、そこにも全然気づかなくてごめん」


「いいよ。これからは、もうちょっと話せるようになりたいから。お互いに」


「うん。そうしよう」


 ふたりで誓い合うように目を見つめる。


 この先に何があるかはわからないけれど、もう逃げてばかりじゃいたくない。


 ◇


 それから私たちは、亜里香のバイト開始時間までしばらくおしゃべりを続けた。


 最近のクラス事情とか、文化祭の反省会みたいな話とか、受験のこととか。


 大きな問題は山ほどあるけど、会話をしているだけでどこか安心できる。


 まるで小学生の頃、ただ一緒にいるだけで楽しかったあの空気を少しだけ取り戻せた気がした。


「そろそろ行くね。遅れたら大変だから」


「うん、気をつけてね」


 亜里香が立ち上がり、私も腰を上げる。


 ふと、彼女が少しだけ照れたように笑って、「じゃあ、また」と呟いた。


 それを見た瞬間、私の胸はとくんと音を立てる。


「うん、またね。……頑張って」


 そう言い合って別れようとしたとき、亜里香が急に小さく手を差し伸べてきた。


「……少しだけ、握っていい?」


「手を?」


「うん。変かな」


「いや、いいよ」


 私は素直に手を差し出し、亜里香の手をそっと握る。


 昔は当たり前だったはずの行為。


 でも今の私は、少しだけど特別な意味を感じるようになっている。


 それは嫌じゃない。


 むしろ、なんだか温かい。


「……ありがとう。じゃあ、またね」


「うん、またね」


 短い握手を解いた後、亜里香は照れ笑いを浮かべながら靴のかかとを踏んで軽く跳ねるように立ち去っていく。


 私はその背中を見送る。


 ◇


 その日以来、私たちの間にあった壁は少しずつ溶け始めた。


 春はまだ少し先だけど、一足早い雪解けだ。


 放課後は一緒に帰る日が増えたし、廊下で顔を合わせたときも自然に「おはよう」と笑える。


 ただ、恋人と呼べるような関係ではない。


 私は明確に「付き合おう」と言ったわけでもなく、亜里香も私の気持ちを尊重して急かそうとはしない。


 でも、私たちなりの歩幅で一歩ずつ進んでいる──そんな実感がある。


 ◇


「ねえ、冬休みの予定ってどうなってるの?」


 ある日の放課後、昇降口で靴を履いていると亜里香が声をかけてきた。


 私はその問いに少し考える。


「冬休みは……部活も休みがちょっとだけある。実家のほうに行くとかはないから、基本暇かも」


「そっか。……もしよかったら、クリスマス前後でどこか行かない? イルミネーションとか、街の飾りとか、一緒に見に行けたら楽しいかなって」


「クリスマスか。いいね、行こうよ。……じゃあその日は私も空けておくからさ」


「うん、嬉しい。ありがとう」


 そう言い合って外に出ると、冷たい風が頬に当たる──でも、体とは裏腹に、心はぽかぽかしていた。


「寒いね」


「寒い……」


 自然と、私たちは寄り添うように歩き出す。


 肩が少し触れ合うだけで、どこか温かい気がした。


「……ありがとうね。誘ってくれて」


 私が呟くと、亜里香は「ううん、こちらこそ」とはにかむように笑う。


 その笑顔が可愛くて、私の胸は一瞬とくんと高鳴った。


 ・

 ・

 ・


 クリスマスまではまだ半月以上あるけれど、町はすでにクリスマスムードに染まりつつある。


 部活の顧問からは「受験生でもあるんだから、そろそろ進路に本腰を入れろ」と言われるが、私はまだ迷ってる。


 大学に行くのか、それとも就職するのか。


 ただ、少なくとも亜里香と並んで歩いているときは、そういう不安を一瞬だけ忘れられる。


 今まで不安や迷いを言い訳にして、彼女を遠ざけてきた私は本当に馬鹿だったと思う。


 “どうなるかわからない” なら、最初から投げ出すのではなく、一緒に模索していけばいい。


 それに気づかせてくれたのは、ほかでもない亜里香だ。


 ◇


 その週末、私は久しぶりに亜里香の家を訪れた。


 彼女の母親は夜勤というか夕方から遅くまで働いているらしく、家には誰もいない。


「いらっしゃい」


「お邪魔します」


 玄関で靴を脱ぎ、リビングへ向かう。


 以前に感じた懐かしい匂いが、やわらかく鼻をくすぐる。


 ソファに腰を下ろすと、亜里香がお茶を持ってきてくれた。


「お茶でいい?」


「うん、ありがと」


 マグカップを両手で包み込みながら、私は深呼吸するようにして息を吐いた。


 窓の外を見ると、もう夕暮れが迫っている。


「最近、バイトどう? あまり無理してない?」


 尋ねてみるが、ここ最近は亜里香の顔色も良いから余り心配は要らないだろう。


「まあ……忙しいけど、慣れてきたよ。少しずつ貯金もできるし、何とか」


「そっか」


 リビングには小さなテレビがあって、ニュースの音が微かに流れている。


 私たちは横に並んで座りながら、何となくテレビを眺める。


 でも内容はあまり頭に入ってこない。


 私の意識は、隣にいる亜里香へと向かっていた。


「……ねえ、前にここに来たときみたいに、抱きついてもいい?」


 ふいに亜里香が呟く。


「うん」


 私は少し照れくさくなりながら答える。


 すると亜里香は、そっと私の腕を抱くようにして身体を寄せてくる。


 暖房の効いた部屋の空気と、彼女の体温が混ざり合って、なんだか熱いくらいに感じる。


「嫌じゃない?」


「ううん。……前は、こういうのに戸惑ってたけど、今は結構落ち着くかも」


「そっか。よかった」


 そう言いながら、亜里香が軽く笑う。


 私も何となく笑顔になっていた。


 その時一瞬だけ、ほんの一瞬だけ私はこんな事を思った。


 ──ああ、この子を誰にも渡したくないな


 と。


 (了)


完結です!

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