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第6話『亜里香のカタチ』

 ◇


 あれから三ヶ月が経った。

 

 私と亜里香はどこか気まずい距離を保ったまま、あやふやに日々を過ごしていた。

 

 あれほど親しかったはずなのに、どうしてこんなことになったのだろう。

 

 単純に言えば、私のほうが逃げているのかもしれない。

 

 次にまた亜里香と密着したり、はっきりと「好き」という言葉をぶつけ合ったりしたら、自分がどう反応するか怖かった。

 

 言い換えれば、彼女の「好き」に巻き込まれる形で何かが決まってしまうのが怖いのだ。

 

 友達としての好きか、恋人同士のような好きか。

 

 曖昧なままだからこそ、始まらない。


 始まらないからこそ、終わらない。


 終わらないなら私と亜里香はずっと仲良しでいられる──どこかでそう感じているから、私は無意識に亜里香を避けてしまうのだろう。

 

 授業が終われば速やかに部活に行き、終われば友人と適当なところで食事をしてから帰宅する。

 

 連絡をもらっても「ごめん、ちょっと今日は先約がある」「明日も朝練早いから、帰ったら寝る」などと断ってしまう。

 

 そうやって時間だけが過ぎていく。

 

 そんな私を見て、亜里香はどう思っているのだろうか。

 

 彼女のほうも積極的に誘ってはこなくなったし、前みたいに無理やり私を捕まえるということはしない。

 

 まあ、私が露骨に逃げているのを察したのかもしれない。

 

 それでも今さら決定的にケンカをするわけでもなく、かといって仲良く語り合うわけでもなく、なんとも微妙な距離感に落ち着いてしまった。

 

 三ヶ月という長いような短いような期間を、私はそんな風にやり過ごしてきた。

 

 ◇


 秋が過ぎて冬が近づく頃、学校では進路調査のための面談が始まった。

 

 私は陸上部の活動と両立する形でそこそこ良い成績をキープしているものの、いざ大学進学となると学費の問題もあり、悩みどころが多い。

 

 母は「学費くらい何とか出すわよ。あなたの好きな道に進んでほしい」と笑ってはくれるが、私自身はまだ「何を勉強したいか」明確ではない。

 

 そもそも大学に行く必要があるのかどうかさえわかっていない。

 

 そんな宙ぶらりんな気持ちが、私の中に妙な苛立ちを生んでいた。

 

 家庭科室での調理実習のときに、何気なくクラスメイトが「大学行く? それとも就職?」と話しかけてくるだけでも、変に心がささくれ立ってしまう。

 

 ──みんな自分の道をちゃんと考えてるんだろうか

 

 ──私はどこへ進むんだろう

 

 そんな悶々とした思いを抱えていると、ほんの些細なことで気持ちが揺さぶられ、誰にも言えない苛立ちがこみ上げる。

 

 ◇


 そんなある日、下駄箱の前でばったり亜里香に遭遇した。

 

 授業も終わって、部活の集合時間まで微妙な空きがある頃だった。

 

「……ひさしぶり」

 

 私が声をかけると、亜里香は一瞬だけ目を伏せ、「うん、久しぶり」と低い調子で応じた。

 

 本当ならここで「久しぶりって……同じ学校に通ってるのにね」と笑い合えるくらいの間柄だったはず。

 

 なのに、今の私たちにはそういう軽口を叩く余裕がなかった。

 

「これから部活?」

 

「うん……そっちは?」

 

「今日は委員会の打ち合わせがあって、その後バイト」

 

 たったそれだけの会話。

 

 でも私はその短いやり取りの中で、亜里香がどこか疲れているように見えたのが妙に気にかかった。

 

 前からバイトはしていたみたいだけど、最近さらにシフトを増やしているのかもしれない。

 

 顔色が悪い気がするし、目の下にわずかなクマも見える。

 

 声をかけたい。

 

 「大丈夫?」って聞きたい。

 

 けれど、私はその言葉を飲み込み、「そっか。……頑張ってね」とだけ言ってしまった。

 

「……うん、ありがとう」

 

 まるで社交辞令みたいな会話で終わり、私たちはそれぞれの方向へ歩き出す。

 

 背を向けた瞬間、胸がきゅっと締めつけられるように痛んだ。

 

 でも、振り返って引き止めることはできなかった。

 

 ◇


 その夜、私は自分の部屋で進路調査のアンケート用紙とにらめっこしていた。

 

 大学名の欄、志望動機の欄──これといったものは何も書けない。

 

 スポーツ推薦を狙うなら具体的にどの大学が現実的か、顧問の先生に聞けば教えてくれるだろう。

 

 でも、ただ「走るのが好きだから」というだけで大学に行くのは違う気もする。

 

 いっそ就職して稼ぐほうがいいんじゃないか。

 

 そんな堂々巡りの末、まったくペンが進まなかった。

 

「どうしたものかな……」

 

 頭をかき混ぜるようにして考えるが、答えは出ない。

 

 ふと、机の脇に置かれたスマホに目を落とす。

 

 そこには、以前亜里香と海に行ったときに撮ったままになっている写真アプリのアイコンがあった。

 

 タップすると海辺で二人並んで笑っている写真が表示される。

 

 ああ、この頃はまだ、こうやって一緒に出かけて、自然に笑えたんだな……。

 

 そう思った瞬間、胸の奥にじわりと熱いものがこみ上げてくる。

 

「……亜里香、今どうしてるかな」

 

 バイトは大変そうだし、おばあちゃんの具合はどうなったんだろう。

 

 いろいろ聞きたいことはあるのに、私が距離を置いているせいで何も知らないままだ。


 なんだか自分が物凄く馬鹿野郎な気がしてくる。


 いや、実際馬鹿野郎なんだろう。


 カタチが決まるのが怖い、いつか関係が終わるかもしれないから怖い──じゃあこうして現在進行形で亜里香を傷つけているのはいいのか。


 亜里香は多分私を嫌ってはいない、むしろ好かれてると思う。


 私だって亜里香が好きだし、だったらもう細かい事はどうでもいいんじゃないか。


 二人の間で問題になればそれはそのとき話せばいいだけの話で──


 そう理解できてはいるのだけど、私はそれが出来ないでいる。


 なんでだろう?


 私が馬鹿野郎だからだ。


 賢くなりたい……

 

 ◇


 翌日、朝のホームルームが終わったあと廊下でクラスメイトと立ち話をしていた──1時間目の授業までは10分くらいあるし、教室内は暖房が効きすぎててちょっと暑いからだ。


 するとむこう側から亜里香が一人で歩いてくるのが見えた。

 

 彼女は相変わらずあまり眠れていないのか、少しぼんやりした表情に見えた。

 

「ねえ」

 

 思わず私のほうから声をかける。

 

「……おはよう」

 

「おはよう」

 

 そんな挨拶を交わすだけで、亜里香は小さく頭を下げてすぐに行ってしまおうとする。

 

 だけど、私は反射的にその腕を軽く掴んだ。

 

 まるで数ヶ月前の逆バージョンみたいだ。

 

「ちょっとだけ……いい?」

 

 クラスメイトたちがこちらを振り返る。

 

 でも、そんな視線を気にしてる場合じゃなかった。

 

 亜里香は少し嫌そうな顔をするが、強く振り払うことはしない。

 

「……何?」

 

 その一言に、私の心臓は早鐘を打つ。

 

 どう言えばいい?

 

 “最近元気ないみたいだけど大丈夫?”と聞くべきか?

 

 だけど、そんな漠然とした問いじゃ彼女は答えにくいかもしれない。

 

 ましてや廊下で、通りすがりの人もいる状況で、突っ込んだ話などできるわけもない。

 

「ごめん。放課後、時間ある?」

 

「……バイトあるけど、少しなら大丈夫」

 

「じゃあ、放課後、部活が終わったら昇降口で待ってて」

 

 私の言葉に、彼女は訝しげな表情を浮かべたまま、「わかった」とだけ答える。

 

 そのまま足早に去っていった後ろ姿を見ていると、周りのクラスメイトが「友里、どうしたの?」と首を傾げているのがわかった。

 

 私は適当に「ちょっと用事があってね」とごまかして、教室へ戻る。

 

 胸がどきどきして、授業どころではなかった。

 

 ◇


 放課後、昇降口に向かうとそこには意外にも亜里香が先に来ていた。

 

「お待たせ。……ありがとう、来てくれて」

 

「別に。少ししか時間ないから、手短に話して」

 

 そっけない返事。

 

 でもわざわざ先に来て待ってくれていたのは、彼女なりに私の言葉を気にしてくれたからだろう。

 

 私はカバンを肩にかけ直し、「外だと寒いから、ちょっと教室使わせてもらおうか」と言う。

 

「……教室?」

 

「うん。トイレ前の空き教室」

 

 そう言って私が先導するように歩き出すと、亜里香はついてくる。

 

 ◇


 幸い教室には先客はいなかった。

 

 一階トイレ前の教室はレクレーションルームみたいになっていて、たまに演劇部などが読み合わせなどをしていたりする。

 

 いくつかの机が不規則に並んだままになっていて、生徒の姿はない。

 

 私はその中の一つを引き、亜里香に座るよう促した。

 

「……話って何?」

 

 重い空気が漂う。

 

 私は意を決して口を開く。

 

「亜里香、最近……バイト増やしてるの?」

 

「うん。母がまた夜勤増えて、家計も厳しいし。私も進学とか考えたらバイト代少しでも貯めとかなきゃならなくて」

 

「そっか……あまり無理しないでって言いたいけど、簡単じゃないんだよね」

 

 亜里香は黙って頷く。

 

 正直、どう声をかけるのが正解かわからない。

 

 ただ、私が知らない間に、亜里香はどんどん追い詰められている気がした。

 

「私ね、あれからずっと、どう接したらいいか分からなくて。逃げちゃってた」

 

 そう正直に打ち明けると、亜里香は少しだけ目を伏せた。

 

「……うん。知ってるよ」

 

「ごめん。でも、それでも言いたいことがあって。……私、やっぱり亜里香のことが大事だよ。急にこんなこと言っても信じられないかもしれないけど」

 

「……大事?」

 

「うん。いろいろ戸惑うことはあるけど、でも大事な存在であることは変わらない。……最近、元気がなさそうで心配してたんだ」

 

 私の声は震えていた。

 

 気づけば、亜里香も唇をぎゅっと噛んでいる。

 

「心配するくらいなら、もう少し早く声かけてくれたらよかったのに」

 

「それは……そうだね。本当にそう思う。……ごめん」

 

 素直に謝るしかなかった。

 

 しばらく沈黙が落ちる。

 

 ◇


「私……」

 

 亜里香が口を開いたとき、声はかすれていた。

 

「私、最近ずっと考えてた。友里に嫌われたのかなって」

 

「ううん。嫌ってない。むしろ好きで、でもそれをどう扱っていいか分からなくて」

 

「そっか。……急に距離を取られて、なんか、私やらかしちゃったんだなぁって」

 

「あれは私が勝手に怖くなっただけだから」

 

「怖い?」

 

「うん。なんていうか、亜里香との関係が……ううん、変わろうとしているのかな、とか。なんかこう、ただの友達じゃなくなって来ているのかな、とか……そうなったらどうなるんだろうって。その関係は普通に友達でいるより良いものなのかなとかさ……自分でもちょっと何いってるかよくわからないけど……」

 

 自分の声が震えているのがわかる。

 

 だけどここで逃げたら、また同じことの繰り返しだ。


「……私があの日、ぴったりくっついたりしたからそう思ったの?」


亜里香の問いに私はウンと頷く。


「でもあれが嫌だったとかってわけじゃないよ。なんかさ、変な事いってごめんだけど、まるで恋人同士みたいだなーって思って。そしたら、もしかしたら亜里香って私の事を好きなのかなって。……その、友達としてじゃなくて。間違ってたらごめんだけど……」


すると亜里香は少し寂し気に笑って、「間違ってないよ」と言った。


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