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第5話『私の在処』

 ◇


 夏休みのある朝、私は自室のベッドから転がるように起き上がった。


 枕元のスマホを手に取り、時計の表示を確認する。


「まだ九時か……」


 そう呟くと、外から蝉の声がミンミンと響いているのが耳に飛び込んできた。


 合宿が終わってから数日が経ち、私はなんとなく気が抜けてしまっている。


 頬を叩き、「よし」と声を出すものの、身体はだるさを拭えないままだ。


 部屋のカーテンを開けると、夏の日差しが遠慮なく差し込んできて、まぶしさに目を細めてしまう。


「暑い……」


 夏の日差しというのは何と言うか、おしつけがましい気がする。


 春や秋はふわりとして優しいのに、夏のそれはぐいぐいと来るのだ。


 今日は何の予定もないが、このまま何もしないで一日を終えるのは嫌な気がする。


 とりあえずリビングに行くと、母がテレビをつけたまま洗濯物を畳んでいるところだった。


「おはよう」


 そう言うと、母は振り返って「ずいぶんゆっくりだったのね」と笑みを浮かべる。


「まあ……合宿疲れもあるから」


「そうね、お昼はそうめんにしようと思うけど、いい?」


「うん、むしろ大歓迎」


 そう返事をしながら、私はソファに腰をおろす。


 扇風機がないリビングはエアコンが効いていて、ひんやりと涼しい。


 そこで、私はスマホに目を落とした。


 画面には亜里香とのトーク履歴が映し出される。


 合宿から戻ってきて以来、一度も会っていないが、別に険悪でもない。


 ただ、どこかモヤモヤした距離感を感じているのが、少しだけ胸を刺す。


「そうだ……家に誘ってみようかな」


 思いつくままそう口にしたら、母が「誰を?」と首をかしげる。


「亜里香」


 母は「ああ、いいんじゃない」と特に何も考えずに笑みを返してくれる。


 それに背中を押されるように、私は思い切ってLINEを打ち始めた。


「暇だったらうち来ない?」


 送信ボタンを押すとき、少し緊張してしまった。


 友達を誘うのに何でそんな緊張する必要があるんだろう? 


 考えても良く分からない。


 数十秒ほど経ったころ、亜里香から「行く行く、いいの?」という返事が返ってくる。


 それを見た瞬間、私は少し肩の力が抜けるような安堵を覚えた。


「うん、大歓迎だよ」


 自分でもぎこちない笑顔が浮かんだのを感じる。


 こうして約束が決まった以上、私はさっさと部屋を片付けておかなければいけない。


 母は「お昼をちょっと多めに用意するわね」と言い、私は急いで自室へ戻った。


 ◇


 薄手の布団をたたみ、散乱したプリントやノートをカバンに押し込む。


 服は床に放りっぱなしだったので、クローゼットに急ぎしまい込んだ。


 机の周りにあった教科書類を整理していると、ふと夏休みの宿題が目に入る。


「まだ全然やってないや……」


 その事実に苦笑するが、今は亜里香が来る前に部屋をなんとかするのが先決だ。


 なんとか形を整え、一息つく。


 ちょうどそのとき、スマホの通知が振動する。


 画面を見ると「もうすぐ着くよ」と亜里香からのメッセージだ。


 時計を確認すると、約束の時間までまだ十分に余裕がある。


「まじかぁ……早っ」


 私はバタバタと廊下を駆け降り、玄関のあたりを整える。


 靴が散らばっているのを揃えて棚にしまい、やたらと慌てている自分に「落ち着け」と言い聞かせた。


 ◇


 インターホンが鳴る。


 私は一瞬息を飲んでから、玄関ドアを開けた。


「おじゃまします」


 そう言いながら、亜里香は軽く手を振って笑う。


 亜里香は白いTシャツにデニムのショートパンツというラフな格好で、長い髪を後ろで束ねていた。


「いらっしゃい」


 私もにこりと笑って答えた。


 母がちょうどキッチンから顔を出し、「亜里香ちゃん、こんにちは」と声をかける。


「こんにちは。お邪魔します」


 そう挨拶をする亜里香に、母は「エアコンかけてるからリビング涼しいわよ」と促す。


「私の部屋でもいいよ。どうする?」


 私が聞くと、亜里香は少し考えてから「先にリビングにご挨拶するね」と笑った。


 ・

 ・

 ・


 リビングに入ると、エアコンの涼しさが心地良い。


 母はエアコンについてはかなり寛容で、むしろガンガンつけなさいというタイプだ。


 幼いころ熱中症で冗談抜きで死にかけたらしく、エアコンは確かに不健康だけど下手に我慢して死ぬよりはずっとマシというスタンスらしい。


 テーブルの上には母が切っておいてくれたスイカが並んでいた。


「食べる?」


「いいんですか?」


「もちろん。暑いし、水分補給にもね」


 母がニコニコしながら勧めてくれるので、私たちは椅子に座ってスイカを一切れずつ手に取る。


 甘くて冷たい汁が口の中に広がり、なんとも幸せな気分になる。


「美味しいね」


「うん、夏って感じ」


 しばしスイカを頬張り、種をペッと出しながら笑い合う。


 母は「ごめんね、私は洗濯物の続きするから、後はごゆっくり」と奥の部屋へ向かった。


 リビングにはテレビが点いているが、音量は絞られている。


 外の蝉の声が微かに窓越しに聞こえてくる。


 ◇


「どうする? もうちょいここで休む?」


 私が尋ねると、亜里香は「うん、ちょっとだけ……あ、でも友里の部屋も見たい」と答える。


「じゃあ、スイカ食べ終わったら部屋行こう」


 そうして私たちはしばらく談笑しながらスイカを堪能した。


 食べ終わった皿をキッチンに運び、部屋へ向かう。


 階段を上がる途中、亜里香は「あ、夏休みの宿題って進んでる?」などと軽い話題を振ってきた。


「全然。あとで一緒にやる?」


「いいね、そのうち時間あったらやろう」


 そんなことを言いながら、私が部屋のドアを開ける。


「散らかってないといいけど……」


 一応片付けたつもりだが、もしかするとまだ雑然としているかもしれない。


 しかし、亜里香は入るなり「綺麗にしてるじゃん」と言ってくれたので、ほっとした。


 床に散乱していた教科書やノートは棚に収まっている。


 ベッドの上も最低限整えてあり、クッションがひとつ置かれているだけだ。


 ◇


「座って」


 そう促して、私はベッドの端に腰かける。


 亜里香は少し迷うように周囲を見回し、ためらいなく私の隣に座ってきた。


「……ん?」


 正直、私としてはベッドの端と端に座るくらいの距離感を想定していたのだが、彼女はごく自然に私とくっつくように座っている。


 太ももが触れ合う程度の距離。


 心臓が少し早く鼓動を打つのを感じるが、私は「狭いから仕方ないか」と自分を納得させる。


「そういえば、合宿どうだった? 大変そうだったけど」


「うん、きつかった。でもまあ充実はしてたかな」


 そんな当たり障りのない話を続けるうち、亜里香がなぜか私の肩に頭を預けるような仕草を見せる。


「……!?」


 驚きつつも、私は咄嗟に「どうしたの?」と聞けずに固まる。


「あ、ごめん。ちょっと疲れちゃった」


 そう言って彼女は笑みを浮かべるが、そのまま身体を私に寄せかけてくる。


 体温と微かな汗の匂いが混ざって、なんとも言えない妙な緊張感が生まれる。


「大丈夫? 熱中症とかじゃないといいんだけど。もう少しエアコン下げようか?」


 私が聞くと、亜里香は「平気。むしろ涼しい方だよ」と頭を振る。


「そ、そっか」


 それ以上言葉が出なくなる。


 心拍数が高まる自分に、自分で戸惑ってしまうのだ。


 ただのボディタッチなのに、なんでこんなに意識してるんだろう。


 小学生のときは手を繋ぐのも普通だったのに、高校生になってからはやけにドキドキしてしまう。


「そういえばさ、私の家には最近誰もいないことが多くて、ちょっと寂しいんだ」


 亜里香がつぶやくように話し始める。


「お母さん、夜勤多いんだっけ?」


「うん。夜勤とか夕方からのシフトが重なると、家に帰っても誰もいないし」


 言葉に詰まった私に、彼女はさらに体を寄せてくる。


「だから、友里んちのこういう雰囲気、すごく落ち着くんだよね」


「そっか……よかったら、いつでも来ていいよ」


 そう言いながらも、私の胸はどこかそわそわしたままだ。


 暑さなのか、彼女が近いからなのか、自分でもよくわからない。


 少しして、亜里香が私の腕をそっと掴んだ。


「ん? どうした?」


 自然に問いかけるしかない。


 亜里香はなんでもない、というふうに笑って私の腕に触れた。


「やっぱり柔らかいね、友里は陸上やってるけど痩せすぎじゃないからいい感じ」


「な、何それ。変なこと言わないでよ」


 妙に具体的な感想に、私は焦ってしまう。


 だけど亜里香は気にする様子もなく、くすりと笑う。


 まるで当たり前のように、私の腕を抱きしめるようにし始めた。


「ちょ、ちょっとくすぐったいって」


 慌てて言う私に、彼女は「ごめんごめん」とは言いつつも腕を離そうとしない。


「そういえば、小学校の頃はこんなふうにくっついてたよね?」


 亜里香が懐かしそうな目を向ける。


「う、うん……まあ、あの頃は普通に腕組んだりしてたかも」


「高校生になっても、別に変じゃないよね?」


「いや、変ってわけじゃないけど……」


 わずかな沈黙が生まれる。


 変か変じゃないかで言えば、同姓同士のボディタッチなんて珍しいことでもないかもしれない。


 だけど、私は今、どうしてこんなに胸がドキドキしているんだろう。


 亜里香はそのまま、私の肩に軽く顎を載せてきた。


「んー、落ち着く」


「まじで……?」


 私の声は裏返りそうになる。


「なに、嫌?」


 彼女の瞳がこちらを伺うように揺れる。


「別に嫌じゃないけど、ちょっと恥ずかしいかな」


 正直にそう答えると、彼女は「そっか」と呟いて、でも身体は離さないままだ。


 むしろ腕をもう少し強く抱き寄せようとしているようにも思える。


「なんていうかさ、こう言うの久しぶりだなって思って」


 亜里香の言葉に私は少し考えてから頷いた。


 高校に入ってから、心理的にも物理的にも私と亜里香は距離が離れてしまったと思う。


 紆余曲折あって、いまではまた仲良しに戻れたけれど。


 私は「そうだ、飲み物取ってくるよ」と言い訳をして、さっとベッドから立ち上がった。


 嫌悪感からそうしたわけではない。


 ただ、恥ずかしかったのだ。


 まるで恋人同士のような距離感──私は確かに亜里香が好きだけれど、別に恋人になってほしいわけではない。


 だからもっと離れろというわけではなくて、なんというか──ううん、自分でもよくわからなかった。


 とにかく恥ずかしかった、ただそれだけだ。


「うん……」


 亜里香が少し寂しそうな声を出すが、私には一度クールダウンが必要だった。


「ちょっと待ってて。ジュースとかあるから」


 そう言い残して、私は部屋のドアを開けて廊下に出た。


 廊下は空調があまり効いていなくて、むっとする暑さを感じる。


 にもかかわらず、私の身体は冷たい汗をかいているような気がした。


 階段を降りながら、胸に手を当てて深呼吸をする。


「落ち着け、落ち着け……」


 どうしてこんなに慌ててしまうんだろう。


 ただの幼なじみのボディタッチ、それ以上でも以下でもない……はず。


 ◇


 キッチンに行くと、母が食器を片付けているところだった。


「あれ、二人とも部屋にいたんじゃないの?」


「うん、ちょっとジュース持っていこうと思って」


 冷蔵庫を開け、オレンジジュースのボトルを探す。


 母がニヤリと笑っているのが視界の隅に入った。


「……何?」


「別に。仲良くしてるのはいいことだなって」


「そ、そう? まあ、普通だけど」


 自分で言いながら「普通」という単語に違和感を覚える。


 母は深く突っ込まず、「最近あなたたち、なんだかギクシャクしてたもんねぇ。仲直り出来てよかったわね」と言ってくれた。


「うん、ありがとう」


 私はコップ二つをトレーにのせ、オレンジジュースを手にしてリビングを後にする。


 ・

 ・

 ・


 再び部屋へ戻ると、亜里香はベッドに寝転がって天井を見上げていた。


「おまたせ、ジュース持ってきた」


「ありがとう」


 彼女は起き上がり、私に視線を向ける。


 その目がどこか優しく、でもどこか思わせぶりな雰囲気を帯びているように見える……気のせいかもしれない。


「はい、コップ」


 私が注いだオレンジジュースを手渡すと、亜里香は「ありがと」と言って一口飲む。


「美味しい」


 心なしかその仕草が色っぽいなどと思ってしまい、私は慌てて目線を逸らす。


 ◇


 それからしばらくは、雑談を続けながらジュースを飲んだ。


 話題は夏休みの宿題だの、最近のクラス事情だの、くだらないことばかり。


 けれど、私の意識はどうしてもさっきの密着の記憶に引っ張られる。


 隣に座ったときの肌の温もりが、まだ腕に残っているような気さえする。


 そんな気配を振り払いたくても、頭から離れてくれないのだ。


 そんなこんなしているうちに時計を見ると、意外にも時間が進んでいて昼を少し回っていた。


「友里、さっきお母さんがそうめん用意するって言ってたよね?」


「あ、そうだった。聞いてみようか」


 私が立ち上がろうとすると、亜里香はぽんと私の手の甲にタッチしてきた。


「うん、一緒に行こ」


 その軽いタッチに、私の心臓がまたしても反応する。


「……オッケー」


 私は平静を装って答えるしかなかった。


 ◇


 階段を降り、リビングに戻ると、母がすでにテーブルにそうめんを並べて待っていてくれた。


「お腹空いたでしょ? 適当に食べて」


「ありがとうございます」


 亜里香は嬉しそうに席に着く。


 私も向かい合わせに座り、冷たいそうめんを口に運んだ。


「おいしい」


 ほんのりとしたつゆの味が、火照った身体に染み込んでくるようだ。


 母は「足りなかったらまだあるからね」と言い残し、洗濯物を干しに裏庭へ向かう。


 私と亜里香の二人きりでテーブルに座ると、なんとなく二人そろって黙り込んでしまう。


 別に気まずいというほどでもないのだが、ちらと私の様子を窺う亜里香の目を見ると何となくドギマギして言葉が見つからない。


「ねえ、今日泊まったりは無理かな?」


 突然の言葉に、私は箸を止めてしまう。


「え、泊まり?」


「うん、なんとなく。久々にお泊まりしたら楽しいかなって」


 確かに小学生や中学生の頃は何度か泊まり合いをしたことがあった。


 だが、高校生になってからはそういう機会がめっきり減っていた。


「どうだろう……母さんに聞いてみないとわからないけど」


 そう言いつつ、内心では “もし泊まったら夜にも密着されるのか? ” と頭がぐるぐるする。


 ・

 ・

 ・


 結局、その日は亜里香の母親の都合もあるらしく、泊まりは先送りになった。


 ただ、「近いうちにまた誘うね」と笑う亜里香に、私はドキリとさせられる。


「じゃあ、今日はそろそろ帰る?」


「うん、そうする」


 そうめんを食べ終わった皿を片付け、玄関で靴を履く。


「今日はありがとう、楽しかった」


 玄関先で亜里香が微笑む。


「こちらこそ。いつでも来ていいよ」


 私が言うと、彼女は「うん」と頷き、最後に軽く抱きついてきた。


「わっ」


 不意打ちのようなハグに、私は反射的に腕を上げるが、彼女はぎゅっと抱きしめたまま離れない。


 母がリビングにいるし、ちょっと恥ずかしい。


「ど、どうしたの?」


「なんとなく」


 すぐに離れてくれるかと思いきや、数秒ほどそのままの体勢で私に体を預けている。


 その間、私の頭は真っ白になりかけていた。


 数秒後、彼女はそっと腕を解く。


 そして「また連絡するね」と言い残し、ドアを開けて外へ出ていく。


 残された私は呆然と靴を揃えたまま立ち尽くすしかなかった。


「行っちゃった……」


 ドアを閉め、心臓を押さえる。


 何だろう、この気持ち。


 嫌だったわけじゃない。


 でも、正直戸惑いが大きい。


 あれはただのハグ。


 友達としてのハグ──本当に? 


 頭を振り、「考えすぎかな」と自分に言い聞かせた。


 ◇


「亜里香ちゃん、もう帰った?」


 母がリビングから顔を出す。


「あ、うん。ありがとう、美味しかったって言ってた」


「そう。仲良しでいいわね」


 母の言葉に適当に相槌を打ちながら、私は上の空だった。


 部屋に戻ってみると、ベッドがわずかに乱れていて、そこに彼女の体温が残っているような気がする。


 私は恥ずかしくなり、すぐさま布団を整えた。


 ・

 ・

 ・


 夕方。


 セミの鳴き声はさらに激しさを増している。


 ミンミンミンミンとずーっと鳴きっぱなしだ。


 窓を開けるとうるさくて頭がおかしくなりそうになる。


 机に座って宿題をやろうとするが、全然集中できない。


 肌の触れ合い、ドキドキする胸、ハグ……。


 次々と記憶が蘇り、ノートにペンを走らせる気力が湧いてこない。


 ◇


 その夜、スマホに視線を落としながら、私は亜里香とのトーク画面を眺める。


「今日はありがとう、また遊ぼうね」──さっき彼女から送られてきたメッセージが画面に残っている。


 やっぱり何気ない一文なのに、胸が高鳴るのはどうしてだろう。


 私は深呼吸し、落ち着こうとする。


 “次に会ったとき、また同じように身体を寄せてくるのかな”


 そんな考えが頭をよぎる。


 そのとき私はどう反応すればいいのか。


 気にしないフリを続けるのか、あるいはちゃんと理由を聞くのか。


 答えはまだ出ない。


 ただ一つ確かなのは、私が彼女の過剰なスキンシップに戸惑っているという事実だ。


 嬉しいのか嫌なのか、それすらもわからないのだ。


 ・

 ・

 ・


 そして、あっというまの夜。


 夏の夜は寝苦しいが、私はさらに違う熱を抱え込んでベッドに入る。


 明かりを消し、真っ暗な部屋の中で一人まぶたを閉じても、亜里香の抱擁の感触が消えてくれない。


 なんとか睡魔が訪れるまで、私はじっと耐えるしかなかった。


 ◇


 結局それが原因だったのだろう。


 私はまた亜里香をどこか避けるようになってしまった。


 ただ今回の「避け」は、前回とはまた違う。


 亜里香は多分、私との関係に形を与えようとしている──そんな気がした。


 それがなんだか怖かったのだ。


 私が何がなんだか決めかねているよく分からないモノが、亜里香の一存で形を得てしまう──私がきちんと理解しないままに。


 それは怖い事だなと思ってしまった。


 私の心は一体どこにあるのだろう──自分でもそれがよく分からない。


 亜里香が嫌いなわけではない。


 むしろ好きだし、仲良くしていきたい。


 だけど亜里香だけの気持ちで「カタチ」が決まってしまうのは嫌だ。


 だってだって、「カタチ」が決まれば、いつかは必ず壊れてしまうではないか。


 正直言って、それならそれで仕方ない事だとは思う。


 けど、二人で始めた事なら二人で終わらせたい。


 私が「カタチ」を理解できていないままだと、私が知らない間に()()が終わってしまうかもしれない。


 それは嫌だ、とっても。


 ──そんな風に思って、3ヶ月が経ってしまった。


 亜里香を避けたまま。


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