子育て・帰郷
それから九年ほどして二人が二十七歳の時、五人目の子ができた。子どもたちは全員が髪の色はプラチナブロンドかブロンドで、瞳の色はクララのように見る角度や周囲の色で変わるが、クララほど鮮やかに変わる子はいなかった。さらに五年がたち、産休と育休は十四年連続となり、家族の財産は金二キロちかく減った。食堂があるのでそんなにお金は必要ないはずなのに、けっこうぜいたくをしていた。お産のときの入院が親子全員だったこと、そのときは美味しいご飯を食べたことが主原因だった。でも家族の財産は金六十八キロ以上残っていた。
子どもたちは食堂や大主教庁の保育所で幼なじみができた。さまざまな目の色、さまざまな髪の色、さまざまな肌の色の幼なじみができた。みんな自然の中で大いに遊んで、幼いうちから瞑想の指導を受けた。でも、学校に上がって初回に測った最大MPは5~9だった。子どもたちは天才ではなかった。クララは子どもたちとは『マナをつなげる瞑想』はしなかった。
二人は最初のお産の直後から子どもたちを連れてヒルデのところによく遊びに行った。ヒルデは三百年ぶりに子どものおしめを取りかえた。クララが赤ちゃんにお乳を飲ませるところも見て、尊い尊いと喜んだ。成長した子らとヒルデは鬼ごっこや影踏みをして遊んだ。でも、月日が経ってみると、ヒルデはもう一番下の子よりも背が低かった。
子どもたちは、ヒルデよりも自分の幼なじみと遊ぶ時間のほうがずっと多かった。成長するにしたがってヒルデとは疎遠になっていった。ヒルデもそうなることを望んでいた。特別な人間はクララとオイゲンの二人きりがよかった。そうでなければ子々孫々縁が続き人数も膨大になる見とおしだったからだ。
クララとオイゲンが三十五歳になったころには、ヒルデとお茶を飲む人間はクララとオイゲンの二人きりにもどっていた。
鍛冶部の部長はアルフで、十四年では年を取っていないかのように見えた。クララとオイゲンは、中堅職員としてよく働いた。後進の育成にも注力した。クララによる瞑想の指導は部外からの参加者もいるほど評判だった。若い職員には人生の先輩として助言をした。オイゲンは食堂のまとめ役を三年つとめた。
二人が四十五歳をこえたころ、子どもは全員結婚した。それを機に二人はもう故郷に帰ろうと話しあった。でも、二人ともヒルデをひとりぼっちにしたくなかった。悩ましかった。それをヒルデに正直に打ち明けると、ヒルデは言った。
「う~ん。お前たちとの時間は楽しかったが、それがなくなるからと言って寂しさはないよ」
でもクララは心配な顔をヒルデにむけた。ヒルデが言った。
「クララよ、予定どおりだ。人間としては充分に生きたであろう。封印をすべて解きはなつ」
クララの体が光ったあと、クララとヒルデはだきしめあった。それが二人とヒルデの別れとなった。二人は鍛冶部を辞して故郷に帰ることになった。子ども一人一人に金五キロを渡し、二人は金十キロを持って、あまりは寄付をして二ヶ月の船と舟の旅をして帰郷した。
二人が帰郷したときには、オイゲンの母とクララの父は病ですでに隠れていた。オイゲンの父とクララの母は二人の帰郷を泣いて喜び、二人は村のほまれであるとほめたたえた。
五人のアルフはあいかわらず仲よくしてくれた。ドウェルフのうち二人、グノームのうち四人が見知らぬ人になっていたが、みんな仲よくしてくれた。
二人は帰郷して、クララの親族とともに生活するようになった。小作人として農作業をして、親族の子どもたちを我が子のようにかわいがった。二人は瞑想に長い時間を取るようになった。クララがオイゲンにそれを求めた。
オイゲンは人生という仕事を果たし終えたと思った。あとは余生だと思った。そうクララに言うと、こう言われた。
「私もそのようなものです。五人の子を育て上げ、みんなが無事結婚するところまで見届けて帰郷しました。もう何もかも満足です。あとはこの満足と感謝を日々味わうだけです」
オイゲンは少し違っていた。彼は満足と空虚を同時に抱えていた。胸に穴があいたような感触がして、日々それをありのままに生きた。よき人生への感謝、おだやかな余生への感謝がそれを可能にしていたが、寂しかった。
二人が四十九歳になった十月のある日、オイゲンは自分の人生を振りかえって思った。
(俺の人生には何の価値があっただろうかと思っていたが、価値があるとかないとか考えるだけ野暮だった。価値というものは価値観というものさしではからなければ分からない。だが、ものさしを何かに当てるということそのものが、つまらんことだった。世の中には無限の数のものさしがある。そこには無限の矛盾がある。どのものさしが正しいとか正しくないとか、根拠がまるでない。すべてのものさしが同じようにばかばかしい。頭で考えて価値があるとか無いとか考えると、最後には必ず空虚と虚無にいたる。それだけでは生きる力がとぼしくなる。感性で生きる喜びを拾いあげて、感性で生きる価値を感じる必要がある)
このことをクララに話すとクララは言った。
「そう言われてみると、私は四歳のあの時からそう思いながら生きてきました。私の全身全霊がそれを納得しています」
オイゲンは言った。
「わしはまだ、全身全霊が納得したわけじゃないな……」
オイゲンは自分の知性を魔法で五感から切り離し、無感覚の虚無をメタ認知する瞑想を編み出し、実践した。無限大の広さの虚無だけがある世界に身をおいた。それとは別に、ありのままの世界を受けいれる瞑想を始めた。生きとし生けるものの幸福を願うなど、絵空事の瞑想であることに気づいた。生きとし生けるものは、片手で握手しながら片手で殴りあう、相補性という名のパワーゲームを演じていることに気づいた。彼は食物連鎖こそが生物の真の姿で、飢えと貧困がほぼ解決されている人類という存在は、司たちが作りだしている優しい幻であることに気づいた。彼がここにいたったのは五十三歳の十一月だった。
世界の本質は残酷である。だが、それがいい。それをありのままに許容するべきである。理性がそれを理解したあと、全身がそれを納得してくれたのは五十五歳の三月だった。最後まで抵抗していたのは、脳の海馬だった。
彼は理性と海馬を統合することに成功した。そうすると、理性が望めば、人生のあらゆる瞬間を今まさに体験しているかのように思い出すことができた。
しかし、彼は海馬の『奥』にまだ統合できていないものがあることを発見した。物理的な海馬は統合しおえたが『魂』をまだ統合していないことに彼は気づいた。
オイゲンがそのことをクララに言うと、クララは言った。
「魂と心、肉体……それらの利害関係はふつう一致していないので、魂との統合はむずかしいのです。私は訳あって四歳の時点で三者の利害が一致していたのですが」
オイゲンはその言葉を聞いて、無理に魂と合一しないほうが、魂を尊重することになるのかもしれないと思った。自分というものは心であり、体に生かされている。体を自分と言うこともできる。無限大の広さの虚無に心を置いても心は満ち足りている。最後の時を迎えても心は満ち足りている自信がある。もう充分ではないか。
改めて瞑想しながら彼の知性がそう納得して優しい気持ちになったとき、統合によって情報結合が高まっていた全身がそれに納得をした。全身に満ちているマナが優しくなった。彼はマナと魂が融合した気がした。そして魂が全身と融合した。