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7/13

大主教ヒルデガルト

結婚式が終わったら、一ヶ月ほど旅支度をして、壮行会のあとの二月に二人は村をたった。小舟で川を下るのに、お昼と夕方~朝は川港で上陸・休憩で一週間かかった。さらに船で皇都の港まで補給をしながら一ヶ月半以上かかった。船の上での会話は全て共通語だった。二人は二ヶ月ほどかけて、四月の午後二時に皇都がある島におりたった。

皇都の港で身分証明書を提示すると、黒い髪の毛で黒い瞳の係官が顔色を変えた。

「クララ・イッセルシュテットさんとオイゲン・シュミットさんですね。ヒルデガルト大主教から直筆のお手紙が届いています」

二人はめちゃめちゃ驚いた。渡された封筒を開けると便箋にはこう書いてあった。


 若い夫婦よ、ようこそ皇都へ。私は名をヒルデガルト・フォン・リヒトホーフェンという女で、ソル教の大主教を務めている。な~に、大した仕事はしていないし、ヒマをもてあますレベルなのだ。今日と明日のあなたがたの宿は用意してあるから係官の指示に従ってくれると嬉しい。丸一日のんびりしてもいいし、はしゃいで遊んでくれてもいい。そして明後日私と面会してほしい。そのときには二本の剣を持ってきてほしい。お昼ご飯のあとくらいに僧院の馬車があなたがたを迎えに行く。これは命令ではないので従わなくてもよいけれど、お願いなので聞き入れてくれると嬉しい。ヨロシク~☆

対等な隣人愛を込めて

ヒルデガルト・フォン・リヒトホーフェン


オイゲンは言った。

「驚いたなぁ……俺たちが到着することも、剣のこともお見とおしかぁ……でも、大主教さまって偉い人なのに腰が低いし気さくな感じの手紙……」

クララは言った。

「見た目はかわいらしい五歳の女の子って話だけど、手紙の末尾が『ヨロシク~☆』かぁ……手紙に星を書くのね。対等な隣人愛かぁ……面白そうな人。大主教さまの話に乗りますか?」

「俺はそうしたいなぁ。命令じゃなくてお願いって書いてあるし、なんだかお話ししてみたいよ」

「私もです。あ~……でもサプライズ! 面白すぎ~もう!」


二人は係官に連れられて港の近くの宿屋に入った。そこまでの道は異国情緒にあふれていたが、オレにとっては懐かしさを感じるものがあった。なんか和風……。

用意されていた部屋は高級そうなソファがあるエントランスの奥に、大きな二つの個室があって、装具品は高級で、それぞれにお風呂とトイレがあった。ベッドはキングサイズだった。旅の間ずっと一つの部屋でなまめかしい気持ちをがまんしてきた二人にとってはほっとするプレゼントだった。

オイゲンはクララから解放された気分でのびのびと一人きりでお風呂を楽しんだ。そして用意されていた寝間着に身をつつんで、ベッドでゴロゴロした。旅の疲れが消えていくようだった。

晩ご飯は夕方の六時から食堂の個室でコース料理だった。少量ずつ適温で提供される見た目うるわしく味も美味しい食事は、二人が食べたことがない美味しいものだった。二人の会話はずっと料理をほめたたえるものだった。とくに牛肉のフィレ肉のグリルは口の中で十回かむとなくなる柔らかさで、肉汁もたいへん美味だった。そしてデザートはスポンジにオレンジ果汁がしみたチョコレートケーキで、チョコレートを初めて食べた二人はこんな複雑な味と香りがする美味しい食べものがあるのかと仰天した。食事の〆には二人は飲んだことがないコーヒーを飲んだが、苦みとはうらはらに幸せになれることに驚いた。ゆっくり提供されるコース料理なので、食べ終わったときには八時を過ぎていた。食後二人のところにシェフがやってきたので、二人とも礼を尽くした。村でマナーを学んだことが役に立った。

二人とも、子どものころからいつもご飯を食べるときには瞑想的に食べものに向きあっている。オレが生きていたときはスマートフォンを見ながらご飯を食べたこともあったが、そうするとご飯の味なんかよく分からない。ご飯を食べるときにはご飯に向きあうほうが美味しいのは知っていた。でも、二人のように瞑想的にご飯に向きあうと、本当にご飯の味も香りも繊細なところまでよく分かるし、感謝の気持ちが自然とわいてきて、すごく幸せになれる。そして、今日の料理はオイゲンにとって食事の喜びとしては今までで一番大きなものだったし、クララも同じだと思われた。

食事のあと、二人は部屋にもどった。オイゲンが口を開いた。

「贅沢すぎてどのくらいのハイグレードなのか分からないよ……とにかく素晴らしいね」

クララは言った。

「分からないレベルでおもてなしされてますね。大主教には何を言われるのかしら……ありのままに受けいれて好きなようにお返事するのが楽しくて嬉しくて仕方がありません」

二人は瞑想をした。マナをつなげて一つになる瞑想も、人心地ついたあとなので安心感が各段に深かった。そして二人はすっかりくつろいだ気持ちになったあと、九時に別々の部屋で横になった。オイゲンは布団に入って思った。

(クララの呼吸音が聞こえない夜なんてメチャメチャ久しぶりだなぁ……我ながらよく性欲を制御していたよ……今日はだいぶ楽だ。好きは分かる。ずっとクララのことが好きだ。結婚式ではクララと永遠の愛を誓った。でも俺には愛がなんなのか分からない。誠実に答えを見つけていくしかないのだろう)

彼が心の中から言葉を消して目を閉じると、ほぼ同時に眠りに落ちた……と俺が思ったその次には、心地よい目覚めが待っていた。寝たかと思ったら即座に朝になってしまったようにオレは感じた。

クララはもう起きて着がえていた。オイゲンも着がえて二人は食事の時間まで触れあわずに慈悲の瞑想をした。時間どおりにうやうやしく紳士が朝食のお誘いにきた。何をどれだけ食べても無料の朝食だ。卵料理を頼むとシェフが目の前で焼いてくれる。新鮮な野菜や果物が豊富で、頼めばパンはオーブンで加熱してくれる。ジャムの種類も豊富だった。飲みものもさまざまな果物のジュースやお茶がメニュー表には書いてあった。スイーツも充実していた。そういったものは透明なケースの中で冷やされながら並んでいて、好きなものを好きなだけ食べることができた。二人は腹七分目まで食べたが、朝なのでそれほどの量ではなかった。

オイゲンは言った。

「さて、どうやって一日を過ごそうか……」

クララは言った。

「明日にそなえて今日はのんびりしましょう。とはいえこもりっきりではしんどいので散歩したりしますか」

お昼ご飯は宿が用意してくれるというので、二人は軽く外を散策した。あまり高い建物はなく、王城……っていうか和風の天守閣が遠くからでも見えた。遠くからでも目立つ背が高い大きな森は、ソル教の総本山ソル・テンプルだと思われた。街並みには全体的に緑深い公園が多く、都会にもかかわらずマナ密度は二人の故郷と遜色がなかった。

クララが言った。

「この街で子どもを育てるんであれば、自然たっぷりですね。村とはちがって子どもたちが面白そうな遊具で遊んでいますね。っていうか子どもになってアレで遊んでみたい~。すべり台とかブランコとか鉄棒とか、本で読むだけで村にはありませんでしたね」

オイゲンが言った。

「俺もだ。若返って遊びたいなぁ……」

二人はしばらく公園で子どもたちの遊びを見ていた。そして子どものころの思い出話をした。オイゲンの家の庭の大きなクワの木が話題になったときは、地面で跳ね返る漆黒のクワの実が奏でるポンという音を交代で口まねた。

そして二人は大きな木を見つけて、それと一体になる瞑想をした。公園のベンチは結跏趺坐に適したもので、他にも瞑想している人がたくさんいた。

……うーん。なんか皇都の人って日本人っぽい人が多いな……そうじゃない人も多いけど半分以上が懐かしい顔つきをしている……

結跏趺坐のまま一時間ほど経ってから、頃合いであることに気づいてオイゲンは自作の懐中時計を見た。11時半ほどだった。

「そろそろ戻ろうか」

二人が宿に戻って食堂に顔を出すと、もう料理を開始する準備はできているというのでお昼ご飯を食べた。昨晩の晩ご飯より量は少ないがコース料理だった。どの料理も美味しかった。二人は料理を褒めたたえあった。

デザートのイチゴのミルフィーユを食べ終わり、〆のバラの香りの紅茶とバラのジャムがセットになったものをいただきながら、クララが言った。

「ああ、ようやく船からちゃんと下りてご飯が食べられた気がします。朝ご飯までは船の上でゆられる感覚が残っていました」

「ああ、言われてみれば俺もだ。緑と一体になる瞑想でなんだか三半規管が安定したよ。やっぱり大きな木はアンカーとして強いなぁ」

二人は午後も公園で人間観察をしたり瞑想をしたりして過ごした。

午後六時からはやはり豪勢なディナーで、昨日とはだいぶ趣向がちがっていた。オレは驚いた。掘りごたつじゃんこの席! 和食じゃんこれ! 二人は箸を使いこなして食べた。話題は食事を褒めたたえあうことが中心だった。〆は抹茶アイスとあたたかいほうじ茶だった。オレは心底懐かしかった。今日の料理長がやってきた。料理長っていうか板前だった。二人とも和風の作法をお金持ち夫婦に教わっていて、板前に礼を尽くした。板前は嬉しそうに礼を尽くし返してくれた。彼は言った。

「今日の料理はお口にあいましたか?」

クララもオイゲンも今日の料理をほめたたえた。板前は破顔した。

「それはよかった、こういうのが皇都の郷土料理ですから、お口にあわなかったらこの島々にいらっしゃる間はとても不便ですよ」

二人は部屋に戻ってエントランスのソファで肩を寄せあった。クララが言った。

「異文化で暮らすって、大変そうですけどワクワクしますね」

オイゲンが言った。

「知らないところに飛びこんで、迷惑をかけたりかけられたり。チャレンジ魂が燃えるなぁ」

二人ともだいぶ疲れは癒えたけれども、マナをつなげる瞑想をしたあと、夜の九時にそれぞれの個室へ別れた。オイゲンくんは布団の中で考えた。

(二日つづけてクララの呼吸音が聞こえないと、少し寂しいなぁ。あれを聞いていると胸があたたかくなるのだけど、今日はやけに胸がスカスカする)

彼は心の中から言葉を消して目を閉じてから五分ほどで眠りについた。

次の朝食は旅館の朝ご飯みたいだった。納豆が出てきたのにオレは驚いたし二人が食べられるかどうか心配だったが、豆が変わった匂いがすること、糸を引くことなど、すべてを褒めたたえあいながら食べた。ありのままをありのままに楽しむ。瞑想ではとても大切なことだが、二人がそれに長けていることを実感する出来事だった。

そのあと二人は公園で人間観察と瞑想。お昼ご飯は中華のコースだった。二人にとってはこれも異国情緒あふれる食事だった。

食事をして部屋に戻ってしばらくすると、紳士が部屋の扉をノックして言った。

「大主教庁から馬車が届きました」


二人は二本の剣を持ってその馬車にゆられて大主教庁の門をくぐった。お寺の色々な建物の中を進んだあと、老いたお坊さんの前で馬車が止まった。

「ここより先は馬車では入れない『奥の院』と呼ばれる聖域です」

老いたお坊さんの案内について十分ほど歩くと、紫色の屋根の八角円堂があった。その八角円堂はたくさんのお茶の木にかこまれていた。三人でそれに近づいていくと、八角円堂から小さな人影が出てきた。矢車草の花のように赤紫、紫、青紫などの多彩な紫色をたくみに配色した僧衣を着た人物は宙に浮いていて、長い僧衣が足を隠していた。その目は柔らかく閉ざされていた。髪の毛は長いブロンドだった。誰もが可愛らしいと思うような五歳ほどの女の子である。

「こんにちは、よくぞ来てくださいました。ありがとうございます。大主教のヒルデガルトです。ヒルデと呼んでください」

「クララです」

「オイゲンです」

老いたお坊さんは合掌してから退席して、三人だけになった。

クララとオイゲンは靴を脱いで八角円堂に上がった。三人は結跏趺坐でくつろいだ。

「さて、あなたがたをここに呼んだ理由ですが、あなたがたにはどうか大主教庁づけの鍛冶になってほしいのです」

クララもオイゲンも驚いた。

「いやー、ほんとうに素晴らしい剣です。特に光の剣は。クララさんがこの光の剣で使用した微細レーザーを自由にコントロールする技術を使うと、エネルギーを極限まで凝縮することができます。そうすると真空崩壊という現象が起きて、凝縮した点から宇宙が崩壊しはじめ、光の速さでそれが広がっていきます。宇宙の大崩壊です」

オイゲンはまた驚いたが、クララはニコニコしていた。ヒルデは続ける。

「それと、どちらの剣も物質から熱エネルギーを奪って絶対零度近くまで温度を下げる技術が使われています。ですが、可能なのに絶対零度までは下げていません。どうしてでしょう?」

クララは胸をはって答えた。

「大爆発が起きる可能性があります。もしくはブラックホールのようなものができる可能性があります」

オイゲンはまたまた驚いた。ヒルデはニコニコした。

「そのとおりです。ボース=アインシュタイン凝縮が起きます。この二本の剣を作り上げたのはよいのです。ちゃんと安全なように調整したあなたがたのお手柄は尊重いたします。ですが、この二本の剣を人類に解析させるわけにはいかないのです。科学が進んだころに解析されると宇宙の破滅の原因になりますので、あなたがたの人生が終わったあと、エンパイアの国宝、ということで奥の院あずかりとさせていただいて、皇室にも手出しができないようにさせます。ナノメートル単位の微細構造に論理回路を仕込んで、マナ・コンピューティングを実現する……人類にとっては滅ぶ瞬間までオーバーテクノロジーです。悟りを得て全てを知った者ならではのしわざです。ほんとうにもう……すべて予定どおりです。クララ、ようやく一部の封印を解くときがきたよ」

クララの体が光った。そして言った。

「う~ん、この十三年ほど自由意志で生きたけど、すべて予定どおりに歩んでたなぁ。ヤバい剣を作ったけど、そのおかげでヒルデに会えた」

オイゲンは驚いた。

クララは言った。

「ヒルデ~、ようやく本当に会えたね! 嬉しい!」

ヒルデは言った。

「うんうん。ようやく会えたのう。嬉しいよ」

クララは言った。

「四歳で初めて瞑想をしたときね、私は世界そのものと一体になって、ヒルデとも会ったの。私も司になるかどうか聞かれたけど、司は何人いても変わらない、もう歴史は決まっているって言われて、私は人間としてあなたと生きて死ぬことに決めたの。そして記憶と能力の一部を封印してもらったの。まだ封印されている部分は残っているよ」

ヒルデが言った。

「人類にとって最も大事なことが何かというと、真空崩壊を起こすことなく滅ぶことなのじゃ。文明というものは、それを作り上げている恒星が超新星爆発を起こすときに滅ぶのが約束なのじゃ。様々な星々の様々な文明の間で、お互いにそういうふうに滅ぼうという取り決めがあるのじゃ。悟った者どうしのゼロ秒通信で、銀河系の司のみんなで仲よくそう語りあうのじゃ。銀河系の外の無数の司ともたまに遊ぶのじゃが、みんな同じことを言うよ」

オイゲンが言った。

「宇宙を破滅させることなく滅ぶのが人類最大のお仕事……か。虚無的ではあるけど、文明と文明がお互いを大切にしあうとこうなるってこと?」

クララもヒルデもうなずいた。ヒルデが言った。

「滅びを受けいれていない文明は攻撃的になるし侵略的になる。我ら司たちによる恒星間ゼロ秒通信ネットワークが作る大文明にとっては害獣じゃよ。駆除の対象じゃ」

クララが言った。

「私たちのエンパイアがこんなに平和なのは、みんなが死を受けいれているからなの。自分だけは永遠に生きたいなんて人がたくさんいると、戦争だらけになるの」

ヒルデが言った。

「人類最大の強みは『間違いを起こす力』が他の動物よりもはるかに高いことなのじゃ。これがなければ人類はまだ火も魔法も手に入れていない。愚かな者が火をもてあそび、愚かな者がマナをもてあそんだ。それで文明が進むのは楽しく愉快なことなのじゃ。だが、ある程度文明が進んだらその『間違いを起こす力』は弱くなるべきだし、最終的にはその力は失われるべきなのじゃ」

オイゲンが言った。

「うーん……人類の未来がどうあるべきかとか、大きな話すぎて俺はどうでもいいなぁ……それより、俺とクララは大主教庁づけの鍛冶になって食いっぱぐれがないってことだよね……そんならまぁ、他の大きな話についてはどうでもいいよ」

ヒルデが言った。

「うんうん。大らかな男じゃ。クララが入れ込むのも分かる」

クララは「でしょー!」と言って破顔した。

ヒルデが言った。

「では、話がまとまったところで、ささやかながらわしができる最大限のおもてなしをしようかな」

そう言って、ヒルデは結跏趺坐で座ったまま、茶器を魔法で操って緑茶を淹れはじめた。

「わしはな、もうご飯を食べなくても生きることができる。だから一緒に食事はしないのじゃ。だが、わしはわしに水分摂取とかお茶という楽しみを残した。お茶を飲むのも楽しいし、そのあとにもちょいと秘密のお楽しみがあるのじゃ。わしはな、ほかの人間にとってはあまりにも楽しみがなさすぎて単調で灰色の人生を送っておる。だがの、わしはこれで充分に楽しいのじゃ」

三分後にヒルデは急須の中の緑茶を三つの湯呑みに注いだ。二つの湯呑みがふわりと浮かんでクララとオイゲンの前に置かれた。

「粗茶ですがどうぞ」

飲んだクララが言った。

「おいしいよ、ヒルデ」

オイゲンが言った。

「うん。美味しいお茶です。ありがとうございます、ヒルデガルト大主教さま」

ヒルデが言った。

「ヒルデって呼んで♪」

オイゲンが優しい目になって言った。

「美味しいよ、ヒルデ」

ヒルデはご満悦の表情になった。

オイゲンが言った。

「ところでヒルデ……なんでずっと目をつぶっているの?」

ヒルデは笑顔を浮かべた。

「ほうほう……わしのぷりちいな菫色のお目々を見たいと申すか……だがのう、わしのかわいらしいお目々が開いたお顔を見た者はな、失禁してしまう場合があるどころか、場合によっては死んでしまう場合もあるのじゃ。人間というものは幸せすぎるとハッピーハート症候群とでも名づけたい心臓の発作がおきて死んでしまうものなのじゃ」

クララが言った。

「私もヒルデの目が開いた顔を見るのは怖くてできないな~」

オイゲンが言った。

「じゃぁ俺も遠慮する」

三人は瞑想的にお茶を味わった。そして飲み終えた。

「この八角円堂の周りにはな、お茶の木が植わっているんじゃ。わしが自分で茶摘みをして製茶する。わしがわしに許す最後のぜいたくじゃ。もうすぐ新茶の季節じゃからまた遊びに来てくれ。いつでも歓迎する。子どもができたら見せに来てくれ。命令ではないがお願いじゃ。お主らの新居は大主教庁の敷地内に用意した。大主教庁には多くの者が勤めている。僧侶たちも結婚して子どもを作っているし、僧侶以外もたくさん住んでいる。お主らの子どもの幼なじみも簡単に何人か候補が見つかるだろう。子どもを遊ばせるのに便利な保育所もある。とはいえ、ここに住めという命令ではないぞ。別の場所を探してそこに住んでくれてもいいんじゃ」

ヒルデは少し寂しい顔になった。

「さあクララ、また封印をしないと、未来がすべて見えた状態が続いてしまう。それは人間であることを選んだお主にとっては不都合なことのはずじゃ」

クララも少し悲しい顔になった。

「そうだね。でも神であることを選んだあなたは人間をやめたわけじゃない。辛い道を選んでいるね」

「いや~、そうでもないよ。たしかに先代も先々代も、次の司ができたらお隠れになった。でも三人目のわしは太陽の超新星爆発までつきあうよ。こういうのには向き不向きがあってな、わしは向いてるのじゃ。先代も先々代も、水も飲まなかった。マジメすぎんねん。あと三十億年ほど、地震が起きないようにプレートのはざまの引っかかりを破壊したり、地磁気が乱れないようにマントルの対流の調整をしたり、太陽の活動が安定するよう水素やヘリウムなどの流れを調整したり、アースにぶつかりそうな小惑星の軌道をずらしたり、太陽が赤色巨星化しはじめたらアースの軌道を変えたり……ほかの司と仲よくそういうことをするのじゃ」

ヒルデが微笑むと、クララの体が光った。ヒルデが言った。

「じゃぁお主ら、大主教庁づけの鍛冶になったから、風の剣も光の剣ももう作らないようにしてちょうだい。悪いけど、高度すぎる剣をもう作らせないために雇うようなものだから。でも、女皇への献上は予定どおりにしてくれていいよ」

クララが言った。

「ありがとうヒルデ」

オイゲンが言った。

「そうさせてもらうよ」

ヒルデが言った。

「じゃあ契約金として金二十キロをいまここで払う。少ないくらいだが、お主たちは持てあますだろう」

ヒルデの手の上にもりもりと金貨の山ができていく。

「いま地中の金を手元に集めて作った、私の顔が刻印された大主教庁金貨、1枚十グラムを二千枚、受けとって~」

十キロぶんの金貨が革袋の中に詰められたものを二人はそれぞれ受けとった。クララとオイゲンはヒルデに礼を尽くした。

先ほどの老いたお坊さんが二人を奥の院の外まで案内してくれた。あとは若いお坊さんが二人を新居に案内してくれる。道すがら色々なことを教えてもらった。

大主教庁には二百人ほどの人が住んでいて、五つの班に分かれている。食事は班ごとに分かれて食堂で行い、その時間は礼拝も兼ねている。鍛冶工房は少し離れたところに作られていて、オイゲン夫婦は家から徒歩五分のそこに通うことになる。一日三時間労働、二日働いたら一日休み。子どもができたら夫婦で産休&育休に入ってよし。この辺の感覚は村と変わりがなかった。社会そのものが子育て夫婦を応援することに特化している感じだし、魔法で生活が楽になる恩恵をのんびり暮らすことに全振りしている感じだ。村よりも作る子どもの数は少なく、多くの夫婦が十八~三十歳で二~五人の子どもをもうける感じだという。

生活に必要な品物は商人が引き売りに来てくれるので、繁華街まで買い物に行く必要はないらしいが、繁華街へ遊びに行くのは自由だという。

そんなことを話している間に新居に着いた。中にはいってみれば寝具や収納がすでに配置してあり、様々な生活に必要なものが分かりやすい場所に置いてあった。寝室は別にされていて、お風呂もトイレも二人ぶんあった。オイゲンはソファに座って言った。

「何もかも万事よろしくしてもらっているなぁ……だいぶ豪華な新居をあてがわれたね」

その隣にクララも座って言った。

「そうですね。感謝しかありませんね。金貨二十キロぶん……いきなりこんなにいただいてしまいました」

「もう風の剣も光の剣も作るな、か……君がやっていたことがそんなにも高度なことだとは思わなかった。頑張って頑張って……突き抜けちゃったね」

「四歳のあの時点で突き抜けてました。封印をいただいて人間として幸せな人生を歩んできたことを、封印を解かれて思い出しました。神として生きるということがどういうことかも思い出しました。でも、また封印をいただいて神ではない人間として生きることができます」

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