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四歳くらい~

さらに月日が経ち、オイゲンくんが四歳二ヶ月ほどになった七月、オイゲンくんとクララちゃんは、親の保護のもとで遊ぶだけでなく、村の子どもたちの集団の中でも遊ぶようになった。

最初に教わったのは雑木林での木登りだった。六歳ほどの子が、樹高2メートルほどの小さなクワの木に70センチほど登ってみせて

「ああ、いい眺めだなぁ」

とつぶやいてから、降りてきて

「ああ、いい眺めだった」

と言ったのだ。

(ボサツ、子どもが木に登るのか! 山猿かよ!)

(いえいえ、子どもが木登りするのはふつうなのですが、あなたが生きていた社会は文明が進みすぎてなくなっていたようです)

さて、それを見たオイゲンくんとクララちゃんは大興奮である。

「オイゲン、クララ、枝で目をケガしないようにちゃんと気をつけろよ!」

見本を見せた子がそう注意をうながす。

まずはクララちゃんがトライ。手足を色々と動かして試す。クワの木の一番下の太い枝に左足を乗せて、そこに体重をかけつつ、両手で上のほうの枝をつかんで腕を曲げると、地面に着いていた右足が持ち上がった。右足を左足と同じ枝にのせると体勢が安定した。クララちゃんは慎重に枝の上でふり向く。体の向きを変えることに一生懸命だ。ものすごく真剣な表情だ。この作業に命がかかっていることを理解している顔だ。そして、体をふり向かせて姿勢が安定したらめっちゃ可愛らしい満面の笑顔になってオイゲンくんの顔を見て

「オイゲン、きてー!」

と叫んだ。

そして、少し枝の細いほうに体を動かしてスペースをあけた。

あいたところへオイゲンくんが登ろうとする。

オイゲンくんの脳の中で、ものすごい勢いで想像力が回転する。手を足をどう動かしたら何がどうなるだろうか。ものすごい勢いで想像しながら手足を動かして、想像と実際に起こったことのギャップを解釈して理解する。脳の中に「木登りのためのモデル」とでもいうべきネットワークが構成され、想像、行動、解釈、理解のサイクルでモデルが更新されていく。同時に枝の質感、葉の質感、触れれば香るそれらの素晴らしい香りを感じ、脳に刻みこんだ。そしてそのように脳が構造を作り変えるとき、脳はものすごく幸せになる。泥団子のころからコレはあるが、木登りは今までにない高度な情報処理だ。

(ねえボサツ、もしかして、こういう遊びをするとめっちゃ頭いい人ができあがらない? ハンパなく脳全体が活動してるんだけど……考えることそのものが楽しいって感覚があるよ?)

(ええ、小さいころは外遊びをすると脳の成長に非常によろしいですね)

(オレが生きていた世界って、木登りとかありえなかったけど)

(命が大切、ケガをすることさえダメだ、木に登ってはいけない、そういう価値観の世界でしたね。文明が進むとしかたないんですよ)

やがて、オイゲンくんは体感で理解した。手と足は四つあるが、体を安定させるのに必要なのはそのうち三つだけだ。安定している三つで体を支えれば、残りの一つを自由なところに置ける。それと、頭や胸、腹、腕、脚、それらはすべて摩擦抵抗を持っている。上手に使えば補助になるし、腕や脚で幹にしがみつけば摩擦抵抗だけで安定する。ただし腕や脚の力を弱めると摩擦抵抗が弱まりすべり落ちはじめる。そういうのを言葉で理解するんじゃなく、体感で理解したのだ。

そして、オイゲンくんはクララちゃんの隣に立って、クララちゃんにむかって手をさしのべた。二人はほぼ密着状態になって、お互いの脇腹をくっつけて、肩と肩を重ねて、お互いの手をお互いの肩の上に置いた。

「クララ、きたよー!」

二人は無垢に笑った。

その様子を見ていた他の子どもたちが集まってきた。

「オイゲン、こっち向いて~!」

オイゲンくんは必死で体の向きを変える。

オイゲンくんとクララちゃんは体の向きが同じになった。

「ジャンプして降りちゃえ~!」

「枝の上で足を滑らせないように気をつけろ~!」

オイゲンくんの足の高さはわずか30センチほど、クララちゃんの足の高さは35センチほどである。わずか30センチと35センチだったが、四歳児にとっては大冒険だった。

オイゲンくんとクララちゃんは枝からジャンプして降りたが、クララちゃんは着地したあとずっこけた。

クララちゃんの小さな女の子の体がバタリと柔らかいフカフカの土と草の地面に倒れこむが、倒れることには慣れている。自然に曲がった腕が前に出て、ヒザが曲がって、安全に体が倒れこむ。起き上がれば鼻とアゴに土が着いていて、手とヒジとヒザは泥だらけだ。

立ち上がったクララちゃんが両手を挙げて「あははははっ!」と笑って舞うと、子どもたち全員が楽しく笑って舞った。

オイゲンくんもよく倒れるが、オレが住んでいた世界のように固いアスファルトに倒れるのと、軟らかい土の上に倒れるのではまるで違うし、子どもの体重で倒れてもあまり痛くない。ただ、成長とともに体重も重くなり、少しずつ痛みは増している。

その日はもう、オイゲンくんもクララちゃんもそのクワの木に夢中だった。様々なやりかたで登ったり降りたりした。ただ、クララちゃんが70センチ登ったところで他の子から声がかかった。

「クララ、それ以上登っちゃダメ。オイゲンもまだ。まだあなたたち慣れてないからキケンよ。それにもう、あなたたち疲れているはず。分からないかもしれないけど」

その子の表情が真剣なのが伝わってくる。子どもが子どもの面倒を見る、責任を背負っている表情だ。

その顔を見たら、オイゲンくんはそれがルールなのだと理解した。そしてクララちゃんを一目見たら、クララちゃんもこくりとうなずいた。

二人はクワの木の高さ50~55センチほどの枝に並んで座った。背中を支えてくれる太めの枝葉もある。二人は肩を組んで空を見上げた。

ああ、七月のクワの木の木陰を涼しい風が流れて枝葉をざわつかせる。葉っぱの向こうの太陽がときおり葉に隠れながらきらめいている。枝葉の向こうの空が青い。枝葉の向こうの小さな白い雲がのんびりと動いていく。

それを見るオイゲンくんの心の中には言葉が無い。あるのは感覚だけだ。心の中が感覚ですっかり満たされている。感覚をフルに使って世界を感じている。

生前のオレはすっかり忘れていた感覚。世界とダイレクトにつながっている感覚。いつからオレは理性だけが自分自身だと誤解をしたのだろう。いつからいつも脳の中で言葉がグルグルして消えなくなったのだろう。オイゲンくんの傍観者となってから三年弱、本能や肉体も自分自身なのだと日々体感している。

クララちゃんが頭をこちらに傾けてきたので肩の圧力が強まった。ああ、ほおずりサインだな。オイゲンくんもそのことに気づくが、いっさい言葉は脳裏に浮かばない。そのかわり、以前にクララちゃんとほおずりしたときの感覚が脳裏にきらめく。そして感覚で気づいて感覚で行動する。

ほおずり、ほおずり、ほおずり。

子どものほっぺた同士のほおずりは格別気持ちがいい。二人とも力を抜いて優しく柔らかくほおずりすることを知っているからなおさらだ。夏だからそこそこ暑いし、お互いにほっぺたが汗ばんでいて、皮膚がすいつく。

ぷにぷに、もちっ、すりすり。ぷにぷに、もちっ、すりすり。

ほおずりが終わったら、なでなでタイム。

オイゲンくんの指がクララちゃんの髪の毛をくしけずる。親指以外の四つの指の腹がクララちゃんの髪の地肌をすべる。彼自身の指の腹が優しく幸せな感覚になるように自然に調整する。

クララちゃんもオイゲンくんをなでる。『優しい』『柔らかい』『心地いい』のかたまりが四つ、オイゲンくんの頭皮の上をゆっくりと動く。

「オイゲン、ありがとう」

夢見るような表情のクララちゃんに感謝の言葉をかけられ、オイゲンくんの喜びや幸せは何倍になるのか分からないほど強くなる。

「クララ、ありがとう」

そして、感謝の言葉をかけると喜びや幸せは更に何倍になるのか分からないほど強くなる。

オイゲンくんにとって、クララちゃんはとても大切な存在だ。大切な存在を大切にする幸せ、なでる幸せ、慈愛、誰かを大切にする圧倒的な力。大切な存在に大切にされる幸せ、なでられる幸せ、慈愛をそそがれているという確信、自分自身に価値を感じる圧倒的な力。

幸福と幸福が共鳴したときにものすごい幸福ができあがる。無垢な心と無垢な心がかなでる協奏曲。

こんな風に自分自身を大切に思うことが、生前のオレにはあっただろうか……いつも他人のために生きていたような……オレ自身が幸せになることに罪悪感があった気がする。そしていま、その罪悪感がない無垢な幸せが傍観者のオレに届いてくる。ほんとうに素敵な体験だ。

ぴうっと少し涼しい風が吹いた。クワの木がざわっとひときわ大きな音を立てた。西の空が青ではなく水色になっている。

「オイゲン、クララ、もう帰るよ~」

オイゲンくんのお父さんが呼びに来た。もう午後の四時をとっくに過ぎているようだった。


オイゲンくんとクララちゃんはひとまずオイゲンくんの家をめざす。

そして、帰りながらお父さんに木登りの話をした。

お父さんは真剣な顔で言った。

「オイゲン、クララ、木登り名人の話を教えてやる。ある人がね、木登り名人に木登りのコツを教えてもらうことになったんだ」

オイゲンくんもクララちゃんも興味津々である。

「木登り名人はね、まずその人に『では木に登ってみよ』と言ったんだ。その人は木に登って、これ以上登ると幹が細くて危険だと思うところまで登ったけど、木登り名人は何も言わなかった。そして、その人が木を降り始めて、そろそろ安全に地面に降りられるな、と思ったあたりで、木登り名人が『気をつけろ! 気がゆるむ所じゃぞ!』って叫んだんだ。その人は自分の心が本当に油断していたからね、気を引きしめて降りたのさ……どういうことか分かるかな?」

オイゲンくんが率直に言った。

「ごめん、分かんない!」

クララちゃんも率直に言った。

「うん、分かんない」

お父さんは笑顔になった。

「いいんだ、いずれ分かるときが来るから、分かるまで同じお話しをするよ、ときどき。聞いてくれてありがとう」

この家ではこういうことが多い。子どもには難しいことを平気で言う。オイゲンくんも当然分からない。分からなくても怒られない。でも、成長するにしたがって少しずつ分かったり、ある日突然ひらめいたように分かる。それが慣れっこなので、分からないことを言われるのが嫌じゃない。


クララちゃんはクララちゃんのお母さんに連れられて帰宅した。

オイゲンくんは、お腹ペコペコだけど、それ以上に疲れていたので、自分のベッドに戻って服と靴を脱いでから寝転んだ。

そして、木の幹を抱きかかえる感触、枝をにぎる感触、幹や枝にどう力を加えるとどういう感触が帰ってくるかを延々と思い出した。

でも、ふっとクララちゃんのほっぺたの感触、頭をなでたりなでられたりする感触を思い出して、安心して微笑んだと思ったら眠りに落ちた。


目覚めるとお腹がすいていたので、夕焼けの始まりの中をオイゲンくんがお祖母ちゃんの家の食堂に行くと、すでにパンや食器がテーブルに並んでいた。お母さんとお父さんに近い世代の人たちが楽しそうに料理をしている声がする。リビングのテーブルにはもうお祖母ちゃんやお祖父ちゃんの世代の人がいて、雑談をしたり子どもたちに様々な話をしてくれる。オレもこの国の歴史や女傑・英雄の伝説に詳しくなったし、この家の歴史にも詳しくなった。

この家のパンは小麦の全粒粉をイースト酵母で発酵させたもののようで、クララちゃんの家のパンはライ麦の全粒粉が混じっていてサワードウ酵母を使っているようだ。この家のパンはふんわり柔らかくて食べやすい。クララちゃんの家のパンはもっちりしていてやや固く、酸っぱさがあり味と香りが複雑だ。

テーブルの上にはレタスやルッコラ、オリーブの酢漬け、牛とヤギのチーズなどを、岩塩とオリーブオイル、コショウで味付けしたいつものサラダの大皿がいくつか並んだ。注ぎ口がついた鍋の中で熱くなっている牛乳が各人のカップに注がれた。この家では牛やヤギをたくさん飼っている。そのチーズは多めに作り都会に売っている。

主菜である仔ヤギの肉と豆と根菜のスープの鍋がデンとテーブルの上に置かれた。

食事の前に、当主であるお祖母ちゃんが司会になってみんなで太陽神ソルに恵みの感謝の祈りを捧げる。

食堂は礼拝堂でもあり、食事のときは礼拝のときでもあった。誰も背を向けないで食事ができる場所に、青い空と白い雲を背景に子どもの姿をしたソルとそれを抱く母神コスモスが光をはなっている、聖母子のモザイク画が飾られている。

このとき、オイゲンくんが実に信心深く聖母子に祈りを捧げているのがオレにも伝わってくる。信心を持たないオレにとっては、不思議な感覚だ。

太陽そのものへの信仰も強いのだが、母が子をいつくしむ姿こそがこの世で最も尊く、他のすべてはそれを支えるために存在しているという価値観を多くの人が持っているようだった。少なくともオイゲンくんはそう固く信仰していたし、すでに父としての自分と、母としてのクララちゃんと、二人の間に生まれるであろう子どもを心の中に思い描くときがあったし、その母子を守り支えるために自分は存在している、だから強い男に成長しなくてはという使命感が心の中で燃えていた。

食事はオレの味覚で感じても美味しい。みんな食事をいっさい残さない。丁寧に食べきる。食事の量は満腹にはならないように調整され、腹七~八分目がよいとされている。

体調が悪く食欲がない者は食事に参加してはいけない。子どもが食事を残すのは認められていて、その残りは親などが食べる。ただし、妊婦は格別の温情がみんなから与えられて、ご飯を残してもおとがめなしだし、体調をみんなが思いやった。この村では誰もが子どものころからこういう思いやりにふれて育つ。

みんなが一段落したところで、鍋の中身や大皿に盛られたものが、まだ食べる余裕がある者たちによって食べ尽くされる。

使用した食器に熱い麦茶を注いで綺麗にして、その麦茶は飲む。生前オレが生きていた社会ではマナーが悪いことになっていたコレを、みんなが当たり前にやる。

オイゲンくんはこの麦茶で食器を綺麗にすることに熱心で、うまくできたときは周りの大人や子どもに綺麗な食器を見せつけて自慢をする。周りの子どもも似たものだ。

そして全員が食事を終えたのを確認してから、お祖母ちゃんが司会になってみんなで太陽神ソルに感謝をささげ、お母さんとお父さんに近い世代の人たちが食事のあとかたづけを始める。

子どもたちは遊びながらそれを待つが、二歳六ヶ月ほどになったオイゲンくんの妹が眠ったので、オイゲンくんはそばで見守った。妹の寝顔を興味と関心を持ちつつ優しい気持ちで眺めながら様々な物音をありのままに聴くだけで時間が過ぎてゆく、優しく柔らかい時間だ。

オイゲンくんは妹の遊び相手の男の子とも仲がよかった。そしてその二人がやがて夫婦になるのだろうと何となく思っていた。この村では幼いころから異性の幼なじみがあてがわれることが多く、オイゲンくんの両親もそうやって幼いときから仲がよかったという。

やがて洗いものが終わって、二十二歳ほどになったオイゲンくんの両親が二人を迎えにきた。お母さんは生後八ヶ月になるオイゲンくんの弟をおぶっている。弟は一ヶ月ほど前におすわりができるようになった。

もう七時を過ぎている。五人で夕暮れの中を魔法のかかったランタンで照らしながらお祖母ちゃんの家からオイゲンくんの家へと移動する。このランタンは持っている人の体内に存在している『マナ』を光へと変換する魔道具だそうだ。マナは太陽から光とともに大地に降り注ぎ、植物はこれを吸収・蓄積する性質を持つので、緑ゆたかなこの村は都会よりもマナが濃いそうだ。

家に着いて、子ども部屋で妹とともにお父さんが話す英雄の物語を聞く。いわゆる寝かしつけで、優しく穏やかでのんびりした口調だ。弟は親の部屋でお母さんと一緒だ。妹はすぐに眠りに落ちた。色々バリエーションはあるけれども『姫を敵から守る騎士』の話が多いなぁ……今日の敵は悪い竜か。などとオレが客観的なことを考えているうちに、オイゲンくんも眠りについてオレの意識もなくなる。


数日かけて分かったことは、最初のクワの木は『小さな子どもでも登りやすい木』をちゃんと選んだものだったということだった。そして『登ってはいけない木』も教えられた。太い幹や枝があっさり折れるから登ってはいけない木、木の皮がはがれやすいから登ってはいけない木、それらを仕込まれた。オイゲンくんもクララちゃんも、登ってはいけない木と登るのが難しい木、簡単な木をだんだん見分けられるようになった。

でもまだ、オイゲンくんとクララちゃんだけでは木登りはさせてもらえていない。必ず子どものうち一人以上が見ているし、危ない場所にさしかかったり、危ない姿勢になった場合には忠告が与えられた。

『登ってはいけない木』の一つであるイチジクが、ちょうど色づいた実をたくわえていて、子どもたちは手が届くところにある熟した実だけを選んで取って食べた。

「この村のイチジクは皮が厚くてむきやすい。皮をむくなら洗わなくてもいいんだよ。こんな美味しい実が生る木を折ったらもったいないし、折れやすいから可哀想だろ? だから登るなよ」

『登ってはいけない木』の一つである柿が青い実をたくさんたくわえていた。落ちている青い実も多かった。

「秋になったら色がついてくるから食べごろになる。いま食べても苦いし渋いぞ。やめとけ」

オイゲンくんもクララちゃんも、子どもたちから『高い木を慎重に登るよりも、低い木を油断して登るほうが危険なこと』を教えられた。一度の言葉で理解するのではない。一緒に木に登り、自分の心を観察しながら何度も似たような話をされてようやく分かったのである。

オイゲンくんは、お父さんにされた『木登り名人』の話が分かったと思ったので、たどたどしいながらもお父さんに『自分で考えた自分の言葉』で『木登り名人』の話を言いかえて説明した。それを聞いたお父さんはめっちゃ嬉しそうな顔をしたあと褒めまくり、このことは即座にお母さんにも共有され、オイゲンくんは両親から褒めたたえられた。

ほかの子どもたちと鬼ごっこやかくれんぼ、影踏みで遊ぶのは、オイゲンくんにとってもクララちゃんにとっても楽しいことだった。ただ、そういう勝負事は幼いオイゲンくんとクララちゃんは手加減して遊んでもらう感じだった。二人とも他の子どもたちみんなに優しい目で見守られていた。他の子どもたちみんながかつてそうだったのであろう。

それと、子どもたちに積極的に関わってくる異質な存在と出会うようになった。それは『草木の民』アルフと呼ばれる人々で、耳が長く尖っていて、ほっそりとしていて、透きとおるように白い肌だった。

(うおっ、ボサツ、これエルフじゃん!)

(ええ、オレさんはこういうのがお好みでしたよね)

子どもたちはアルフを『先生』と呼んだ。アルフは長生きで、魔法を使え、魔道具を作ることができ、他言語の文字の読み書きや、歴史、数学、科学が得意だった。この村には五人のアルフが住んでいて、教師の役割をになう代わりに労働を免除されていた。彼らは自主的に雑木林の維持管理にも力を貸していた。

ある日、子どもたちがアルフの一人を囲んでみんなで瞑想をする時間が作られた。そのアルフは結跏趺坐で座った。

(ボサツ、エルフが結跏趺坐で座ってるよ! オレも中学生の時に剣道の先生に教わったよ! お坊さんが座禅をするときのヤツでしょ? モモの上に足が乗ってる)

(瞑想をする時に一番ラクな姿勢は結跏趺坐ですからね)

(えっ、ラク? いやいや、足痛いでしょアレ!)

(でも慣れると一番ラクなんですよ……瞑想も深くなりますし)

ここで才能を発揮したのがクララちゃんだ。見よう見まねでするりと結跏趺坐で座ってみせて、体勢を安定させたのだ。

「ほう……この幼さで教えもしていないのに見よう見まねで結跏趺坐を組むとは……しかも無理な姿勢ではなく安定している」

アルフが感心した。

いっぽう、オイゲンくんも結跏趺坐での座りかたを他の子どもに教わったけど、すぐに脚が痛くなってしまって、今日の瞑想はあぐらで参加することになった。

「では、姿勢を整えましょう……そして息と心を整えましょう……ゆっくり息をはいて……この息は丹田という、おへその下の体の中、腸があるあたりからノドをとおって口から出ます……息をはきすぎて痛くならないように……ゆっくり息を吸いますが、吸おうと思わなくていいです……体から力を抜いてください……息は鼻から入って、ノドをとおって丹田にたまります……」

そんなこと言われたってできるわけないよ。意識して呼吸するだけで人間は苦しくなるものだ。中学生の時のオレを思い出しながらそう思うと、やっぱりオイゲンくんは苦しくなってしまった。

「オイゲン、瞑想を忘れていちどふつうに息をして。いつもみたいに息をして」

周りの子にそう言われてオイゲンくんはようやく楽に呼吸ができた。

一方、クララちゃんは完璧に言われたことをこなしているかのようだった。

「この呼吸……この眼……この表情……この幼子は恐らく世界をありのままに観ることができている。ふつうの者であれば何らかの先入観を持って世界を観てしまうのだが、この子は正しく世界を観ている。私ですら到達していない領域だ。ヒルデガルト大主教もこの村の出身であったし、三百年以上前にこの村で初めて瞑想をしたときにこうであったと聞く」

今までにオイゲンくんをとおして聞いた話をまとめると、ヒルデガルト大主教というのは、ソル教をまとめる人で、三百年以上その座に着いていて、見た目はかわいらしい五歳くらいの女の子で、いつも矢車草の花ような紫色の僧衣をまとい、歩かないで浮いていて長い僧衣で足が見えなくて、いつも目をつぶっているというお人だ。

「将来が楽しみな子です。みんなお手本にするように。私もお手本にします」

子どもたちの間でどよめきが起きた。

「えっ? クララがヒルデガルト大主教くらいすごいってこと?」

「うわー。そう言えばクララってめっちゃかわいいわよね」

「ヒルデガルト大主教もめっちゃかわいいらしいし」

そう言われたクララちゃんの顔は、穏やかで慈愛に満ちて美しく、輝いているかのようだった。

オイゲンくんは、そんなクララちゃんの顔を間近で見ようとクララちゃんの目の前に立った。クララちゃんの表情はさらに慈愛に満ちたものとなった。あれ? クララちゃんの瞳孔から……光が? とオレは一瞬思ったけど、次の瞬間にクララちゃんの顔は幼くあどけないふつうの笑顔になった。瞳孔の奥が輝いたのは一瞬だった。

「オイゲン、ありがとう! 帰ってこれた~!」

クララちゃんはそう言ってオイゲンくんを抱きしめた。

クララちゃんが家に帰りたいというので、オイゲンくんはクララちゃんの家までついていった。そして子ども部屋のクララちゃんのベッドに二人で腰をかけた。

「オイゲン、わたしね……あのとき、すごい遠くの遠くへ飛んでいってしまったの。帰れないって思って驚いたけど、オイゲンの顔が見えてね。嬉しくなってもっと遠くへ飛んじゃったんだけど、そのあとオイゲンのところへ帰りたいってお願いしたらちゃんと帰ってこれたの」

「えっ、そうなの? 座っているだけに見えたけど、たいへんだったね」

「わたしにはオイゲンがいたから帰ってこれたの。たぶんヒルデガルト大主教って、オイゲンがいなかったときのわたしなんだと思う」

「そうなのかな? そうかもしれないね」

オイゲンくんはそう言ってクララちゃんの片手を両手でつつんで撫でた。

クララちゃんはあいた片手でオイゲンくんのほおをなでた。

「ずっとわたしのそばにいてね。わたしが遠くの遠くに飛んでいかないように」

「ん? う~ん、そうしたいよ。そうしたいけど、別の家に住んでるし……」

「うん、わかってる。でも怖いの」

「わかった。じゃぁ、お姫さまにこの騎士めが約束をいたします。命あるかぎりお守りすると」

オイゲンくんのお父さんが寝かしつけの物語でよく言うセリフだ。……そしてオイゲンくんはクララちゃんの右手を両手で持ち上げて、その甲に口づけた。

クララちゃんはメチャメチャ嬉しそうな顔でポロポロと涙をこぼした。

「ありがとう……いっしょうよろしくおねがいいたします」

オイゲンくんがクララちゃんを抱きしめると、クララちゃんもオイゲンくんを抱きしめかえした。

なんという神聖な時間だろう。

オイゲンくんはクララちゃんの背中を優しくポンポンと叩いた。妹をあやすときと同じように。

オイゲンくんのほっぺたにクララちゃんのほっぺたが押しつけられた。それは涙で濡れていた。ほおずり、ほおずり、ほおずり。

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