老後
それから、おだやかで充実した二人の時間が流れた。そしてお互いに老いて、六十歳をこえると農作業の手伝いをしようにも足手まといになるようになった。オレがいた世界よりもだいぶ人が老いるのが早かった。
そういう者はヒーリングを拒むのがこの世界の文化だった。若者たちが子育てに集中できる社会が経済的に立ちいくのは、そういう者がヒーリングを拒む文化のおかげだった。
六十七歳の二月、オイゲンはベッドに横たわって、クララと親族に見守られていた。もう食事がのどをとおらない。
クララは笑顔で言った。
「騎士さま、お疲れさまでした。生涯を私と我が子たちに捧げてくださって、ありがとうございました」
オイゲンは言った。
「姫さま、私の一生は素晴らしいものでした……お終いは一緒がよかったけど、そのために無駄に長生きをするのはなんだか違うと思ってね。本当にありがとう。そしてごめん」
クララは笑顔のまま涙をこぼした。
「本当にお美事です」
三日後にはオイゲンは水も飲めなくなった。
さらに二日後、いよいよというとき、クララはずっとオイゲンの手を握っていた。オイゲンは夢を見ていた。三歳くらいになって、三歳くらいのクララといっしょに庭の大きなクワの木の下で、風が吹くとときおり漆黒の実が地面に落ちて高くはねるのを見ていた。地面にたくさんのクワの実が落ちていた。落ちてきたクワの実がはねるたびに、ポンというその軽やかな音を二人で口まねした。
オイゲンは夢から覚めて意識を回復した。彼が目を開けると、小さな子どもたちがオイゲンの顔をのぞき込んで「ポン」と口々に言っていた。クララも微笑みながら「ポン」と言った。
オイゲンは理解した。老いたクララも夢を共有してくれて、ずっと一緒に「ポン」と言ってくれていたのだと。子どもたちはクララのまねをしているのだと。
オイゲンが笑顔を浮かべると、クララも笑顔になった。もはやオイゲンは喋ることができなかったので念話を使った。
(愛しているよ)
クララは答えた。
(愛していますよ)
オイゲンは心の底から満足して、安心して、そのせいで急速に意識がもうろうとした。しばらく赤黒い闇と耳鳴りがつづき、やがてクワの木の夢がまた観えた。小鳥が樹上で鳴くチチチという声がした。小鳥が木の上の実をつつくと、同じ房の実が落ちて地面ではねた。老いたクララの「ポン」という声が聞こえた気がした。優しくあたたかい声だった。
『ライブラリー・システム、状況終了』
ボサツの声が聞こえた。オレは蓮の葉の上にいた。
「オイゲンは……」
「お隠れになりました」
オレとボサツは合掌した。




