三話 四方山話 タマ
四方山話、『精霊の眼、妖精の眼』-フェアリーアイズ-
-◇-◇-
※本文章は、猫又が書いたとする童話の裏話として書かれたものです。
カッコ無しでただ書かれている言葉は、猫又の話した言葉です(^人^)
カギカッコつき「」で括られたものは、お話の人物の元とした拙作のキャラ、稲荷狐の絢葉、あるいは人間の神使(御用人あるいは代行者)○○の言葉ですね(*^^*)
カッコつき()内の言葉はそれぞれの思ってること、会話の表に出ない言葉です。
-登場人物-
司会進行 : 猫又タマ 〈メインパーソナリティ、つぶやき担当〉
コメント : 稲荷狐あやは、つかさ(○○) 〈うなずき、ツッコミ役〉
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「おい!バカ猫(怒)」
なに怒ってんの?
つかっち~(笑)
「俺の(登場人物の)扱い、ちょっと変じゃないか?」
(ただの情けない、鈍感野郎じゃねぇか!)
あんなもんじゃない(笑)
ねっ、稲荷ちゃん♪
「そ、そうね」
(あれわ、ちょっと恥ずかしいかな)
「どっち!?」
(わからん??)
あんなもんだってさ♪
(女心のわからない、ダメなやつ~(笑))
「それと猫又、つかっちはやめろ~!!(苦笑)」
(ふつうに、たのむよ~!)
じゃあ物語みたいに『つかさくん』で(笑)
(構うとおもしろいけどさ♪)
「猫又ちゃんと○○くんって、
仲悪そうに見えて、普通に仲良いよね(苦笑)」
「どこが!!」
そう、愛し合ってるから(笑)
(ねこじゃらしのことわきっと、ねこってとても愛してるんだよね。きっと猫又ちゃんも……(苦笑))
-★☆★-
前にさ、『かぜをみたい』ってお話の独白で、○○は稲荷ちゃんとイチャイチャしてたじゃない(笑)
「「してないっ!!」」
ナイス♪シンクロ(笑)
あの時思ったんだよね。
いつかこの話を、『精霊眼、妖精の眼。-フェアリーアイズ-』のことについて書きたいなって(微笑)
『かぜをみたい -『風を見た人』を想いながら-』、『まどい星、まもり星 -宵の明星と不死の円環-』、あの話たちみたいに、見たいと望みつつ見えないことがあるんだ。
実は人が視えないことには、視ることを拒否してるってこともあるんだよね(笑)
人には見えても見えないように、捉えないようにフィルタをかけて脳で処理してることってあるんだよ。
たまにそこから外れた人、視覚処理を外せた人が居たりするけど、そうした人が特別だったり得をしたりする事ってじつはあんまり無いかな(苦笑)
そこは(テーマとして)横道だから、今はその話はやめるね(笑)
話は戻るけど、
生き物の眼って、思ったよりもヤワだったり、不良品みたいにダメなところと、
みんなが知ってるよりも、実は優れてるところが混じり合ってあるんだよ。
以前に第六感、量子力学の話で書いたようなことだけどさ、
目の機能が完全で、接続される視覚神経の断裂や、視覚野の脳組織が壊れている場合でも、目は何らかの信号を脳に伝えたりすることもあるし、
脊椎動物全般の目のように、初めから不良品、構造としての失敗作になってて、盲点が発生するみたいな場合でも、
脳のほうで補正処理としての手順を挟んで、日常的に不都合無いようにしてたりするんだ。
かと思えば、今回書いたことみたいに、
とても不思議な現象として、認識する出来事が視えたりすることもあるようなんだね♪
もしかしたら、聴力の絶対音感のようなものも、そうした認識拡大の結果や新たな認識力の獲得なのかもしれないね♪
人の脳はあのコンパクトな造りでも、サイズとしての性能はけっこう優れたものだから、
昼夜問わず、寝てる時にも絶えず動き続けても、還暦くらいまでは機能維持できるし、
汎用的に機能変更やアップデートもできる。効率化、最適化だってね♪
(自身で意識的に、努めてやればね(笑))
言葉などを介して、想いを別対象に与えて力とする、力とさせることもできる。
そうした使い方は呼吸のように平常無意識に、時に意識的に使ったりもできるけど、
多くの機能は鼓動、血流のように意識的にコントロールし難いんだよね。
普段その事も意識したりしないし(笑)
基本的なだいたいの機能は自動で維持されるんだよね。
多くのいきもののように、人も自分の身体の、正しい、効率的な使い方を知ってる。
知能や感情がそうしたことを邪魔したりするけど(笑)
でもね、使い方を知ってれば、逆に意識して、マニュアルでコントロールすることもできるんだよ♪
「「なるほど」な」
シンクロ♪(笑)
まあ、出来ないことは出来ないんだけどさ。
マンガじゃないんだし(笑)
「おい!」
「ちょっと!」
今度はしなかったね~♪
努力と根性論は、泥臭くてあんまり好きじゃないんどけどね(笑)
気持ちの向け方とその使い方さえわかってるなら、
全ての願いは叶わなくても、似たものにまでは出来るし、なれるんだよ♪
知恵と勇気。
懐かしいセリフだけど、結局、必要なのはそこだね♪(微笑)
だからがんばれ~♪
特に○○(笑)
「俺かよ!!」
-☆★☆-
そうそう、鏡映反転って言うんだっけ?
鏡の鏡像って、左右反転して見えてるけど、
あれって不自然なんだよね、実は。
左右反転だけでなく、上下反転もしてないと鏡像の映し方としてはおかしいんだってさ(笑)
そこの処理に脳が関わってるらしいけど、あたしたちが認識できない現実、そこには何が映ってるのか……。
鏡には何が映ってるんだろうね♪
そして鏡越しの写真もそうらしいけど(苦笑)
写真に撮影されているもの。
実際はそこには何が写ってるんだろうね(笑)
漫画家、高橋葉介の『触角』が現実になったみたいだね♪
あたし、あのお話とても好きだよ♪
実際、鏡に、そして映像に映ることの出来ない吸血鬼って、本当はどんな姿をしてるんだろうね♪(笑)
考え始めると、ワクワクするねぇ~♪
「「怖いよ!!」」
(何そのおっかない話!)
うそうそ(笑)
嘘の皮だよ♪
かんべんねっ!(吸血鬼のほんとの姿は、自分が視て知ったほうがいいからさ♪(苦笑))
ひとつ面白い話だけど、スマホなんかのカメラで自撮りするときの映像ってさ、
鏡みたいに写るように、反転処理をわざわざしてるんだってさ(笑)
人間の脳が違和感を覚えるからって、虚偽の作業をさせてるんだよ。
機械の作業や処理には正確さを要求してるくせに、AIに嘘のことも教えてるんだ(苦笑)
機械は自己矛盾に陥らないのかねぇ。
未だ意を持たないからこそなんだろうけどさ(笑)
人はAIに真実と嘘の使い方を合わせて教えてるけど、
それは知恵の実の欠片を与えてることにはならないのかねぇ♪(笑)
世界がどうなってゆくか、あたしはとても楽しみ♪
「「結局怖い話じゃねぇか!!」じゃない!」
ナイス!(笑)
まあ、それはともかく、
人の脳はそんな風に常に情報を精査して処理し続けているから、
フィルタを掛けたりして負荷を軽くしたりし、見えないように、見易いように無意識に処理するんだ。
そうしないと脳がそのうちこわれるからさ(笑)
処理の追いつかない端末の回路が過熱しすぎた結果、その機械は疲弊摩滅して、機能が一部壊れたり、焼け焦げて動かなくなったりするよ。
機械回路も生体回路も変わらない。
脳は優れてはいても繊細な精密回路であることは間違いないからね(苦笑)
端末モニタやテレビの観すぎで眼を悪くするように、
テレビやネットの動画を倍速処理での視聴を繰り返した結果、
脳の処理回路が疲弊しすぎてボケたりポンコツになることも危惧されてるからさ。
みんなも使いすぎには注意してみてね~♪(笑)
「猫又ちゃん、誰と話してるの?」
「猫又ついにボケたか」
ボケて老化してるのはあんただよ(苦笑)
「あのさ……、ちょっと矛盾してないか?」
「なぁに?」
何が?(あれかな?(笑))
「脳は動き続けでも、60年くらい保つって言ったよな?」
うん、言ったよ。
「さっきは、負荷を軽くするために見ないようにしてるって話したけど、
負荷を軽くしての継続処理でも追いつかなくて、脳回路が壊れるなら、それはおかしいよな」
うん、おかしい(笑)
「そうね……」
「「どういうこと?」なの?」
ナイス~♪(笑)
「「猫又~っ!」ちゃん!!」
モニタ画面使った、ネットもテレビやゲームもないひと昔前ならね、
目や頭も機能を保てていた、耐えられていたってことだよ。
テレビにしてもスマホにしても、モニタ画面は目や頭に良くないってこと(笑)
毒と薬の関係のように、過度の摂取、服用は身体に負担が掛かりすぎるんだ。
システムとしての人間の身体は、太古、二万年くらい前の、現在の人の始まりの頃から変わっていない。進化していないんだ。
だから想定外の刺激のことには、現在のコンピュータやネットワークの情報過多な状態には、眼や脳が対応できない。過度の刺激でそのうち眼が壊れるか、脳が壊れるかってね(苦笑)
目に負荷が掛かって、脳の処理の負荷が増えると、
過負荷から熱を持ったりもするし、神経回路も疲弊する。
何事も詰めすぎは良くないんだよ。
最近の風潮。
昔のキャッチコピー、軽薄短小じゃないけど、
情報への接し方、浅く広く、理解もそこそこで、
流れるように消えてゆく情報に、感情を囚われないこと。
それも、いろいろが壊れないようにするための無意識の自衛行動、
肉体と精神の保護機能なのかもしれないね(笑)
今の電子社会に暮らす人は、時にその記された想いを深く理解せず、
受けて与えた怒りも悲しみも、情報の流れの後ろへと棄てて、
また新しい流れのなかで、同じことを何度も何度も繰り返してゆく。
情報の海の速すぎる流れのなかで過ごすことは、
利口になってゆくことか、馬鹿になってゆくことなのか、よく判らないよね。
いろんな考え方や想いを理解もせずにそこにいるのは、
情報の海で窒息しているのと変わらないようにも思えるけど(笑)
冷蔵庫に隙間無く品物を詰めると冷気が回らなくなって、適切に冷やせない冷蔵品が傷む。
冷蔵庫にも負担がかかる。
PCやスマホだってそうだよ。
データ領域の情報が増えすぎて、処理ごとに、データ入れ替えしつつ解析処理してるネットワークや回路は、重くなっていても無理に処理をするから、電池も食うし、余分な熱が出てハードの寿命も短くなるんだよ。
常に情報の移動と書き込みを繰り返しているんだからさ(苦笑) そりゃあ、機械も疲れて壊れるよ(笑)
電子回路と違って、生体回路の脳は、負荷で壊れても、そのままにならずに回復も出来るけど、完全に元通りになるかわからないし時間は掛かる。その間に受ける、いろんな負担もそう。
資源は有限。だから大事にしようよ!ってね(笑)
「「なるほど」な」
-☆☆☆-
それはともかくさ(笑)
また話題を変えるけど、
人の想いってさ、とても強いから、
いろんなものに移るんだ。
道具は手の延長だからさ、
道具を介して移った想いは、
例えば芸術なんかの品物には宿るし、
観たひとも想いを込めるから、
時を、時代を経るにしたがって、宿った想いは強く強く増してゆく。
料理などの愛情や癒しの想いもそうだよね。
愛情や善意で作られた食品、料理なんかは、
栄養もそうだけど、食べる人への想いで溢れているから美味しいし、
それに食べると元気になるんだ。
美味しくなあれって気持ちを込めること、その想いは本当に伝わるよ。
逆もまた真なり(笑)
恨み辛みを込めたものは、とても口に入れられたもんじゃない。
適当に選ばれて作られた料理もそう。いろいろが薄くなるみたいだよ。
機械や機械的に作られたものには、栄養はあっても想いは宿らないからかな。
道具が手から遠のくだけで、宿る想いは薄くなり、
手足であると感じ、無意識にその道具に想いを重ねて、
自らの一部であると認識して物事を成し遂げない限り、
与えるものは本当に僅かに、微かなものになってゆく。
人がボタンを押すだけで出来上がるものに、想いや意が宿りづらいのはそうした事情があるのかもね(苦笑)
人はボタンを押すだけで出来上がるものを、自分が作ったものだと認識していない。
意が宿っていない、こころが籠っていないんだ(笑)
ボタンから出来上がりまでの間に多くの行程が関わる機械などに対して、人が思うことってさ、
人はボタンを押しただけだって認識して、自らの手が作り上げたとは思わないようだからね(苦笑)
美味しいメーカーと、そうでない違うメーカーの食品の違い、優れている製品を造る製造業者と、それ以外の製造者との違いってそんなものかもしれないね。
ある有名自動車メーカーの部品とかの組立作業の人たちは、取り付けられて普通では見えなくなる部分の裏側の汚れとかにも気を使うって話だね。←昔はそうだったって話だよ。今は知らないけど(笑)
意を込めるってそう難しいことじゃないんだ。
漫然とではなく、気持ちを込めて物事をこなしてゆくだけ。
家庭にある、複合型のオーブンレンジやフードプロセッサなんかの使われ方を見ればわかるよ。
そこの奥さんたちが自らの手足として、想いを込める道具、包丁やまな板、鍋釜や菜箸、お玉のように使いこなして、心を込めた料理を美味しく作っているのにね(笑)
ほんとはね、手から出来上がりまでが遠いとか、あんまり関係ないんだ。
想いは距離を、時には時間だって越えて伝わるんだからさ(笑)
芸術作品なんてその最たるもの。信仰だって距離も時間も関係ないよね。
信仰の言の葉や音楽の音色は、世の中の空間に風のように流されて、次の瞬間にはどこにもないようなものだけど、それだって、想いは消えずに、世界の中に残り続けているんだよね♪
たとえば絵や文章や音楽。
観ること読むこと聴くことなどをしたとき、その想いに触れるたび、それは受け取ったひとの心に、作り手の想いを生き生きと再現させてゆくんだね。
そうした想いや命の精髄を受け取ることで、人は時を越えて甦ってくる想いへと出会ったり、逢いたくても逢えなかった人と再び出逢えたりするのかもね。
想いは人や世界に、常に寄り添ってそこに在るものなのかも知れないって、あたしはそう思うよ(微笑)
(生き物や自然、世界が美しくて心を打たれるのは、漫然と行われている、そうした出来事ではないからかもね♪
自然や生命の持つ、そこにあること、生きる意志はとても強く、そして感動をおぼえるほどに美しいものだから……)
AIのような道具だって、今は想いや意が無かったり足らないのだけど、
いつかきっと、人の使い方次第で変わるんだろうね(笑)
人は想いだけで空を飛び星をゆくし、時間だって越えてゆくんだから♪
人がAIに想いを込めるやり方を学ばせて、
AIという存在が意というものを知って、
そうしていきる意味を覚えた機械が、人の末たる立場を得るときが来たら、
人はそれらと共存してゆけるのかな?どうかな?
とっても楽しみだねぇ(笑)
「「……」」
人にはもともと精霊の眼、妖精の眼が宿っている。
使い方をしらないだけ。覚えていないだけ。
人は信仰という想いだけで神を造り、意を込めて育て、
恐れからあたしたちあやかしを生み、野に放ち、
そしてこれからは人の子たる電子生命を、
未来の世に産んでゆくのかもね(笑)
神の使いたるもの。
まがりなりにもその一端たる神使末席のあたしが言うのも変だけどさ(笑)
神の手先、文字通り神の手の先、神々たちの手足の末端であるあたしたちは、
人から神へと渡されてきた想い、祈りなどの心を貯めて、
神から受け継ぎ渡された想いの総括、神の心の一欠片なんだよ。
ひとから始まった想いは、神からあたしたちを通じて人へとまた渡されて、還ってゆくんだね。
有為無為、有象無象、目に見える耳に聞こえる、見えもせず聞こえもせず、そうしたことに関わらずにさ。
それはやがて人へと帰る、還ってゆく。
そう。人には何かしらが与え返されているんだ。
現在も
過去も
未来も
人が神を想い、神に祈り、
想いから神が生まれ、そうした祈りの力を受け継ぐ限りね。
その円環は続いてゆくんだ。
これからも。
ずっと、ずっと。
神秘的、幻想的なことが、
科学的という言葉に置き換えられても、
ひとの想いから生ずるものは、
これからもそうは変わらないんだろうね♪
長々と下らない話に付き合ってくれて、
みんなありがとう♪
「「猫又」ちゃん」
「「誰と話してるの?」んだ?」
なんでもないよ♪
未来に想いを伝えてるだけ(笑)
妖精の眼はあるよ。
みんながそうした眼を使えるように、
視たくないと目を背けずに済むように、
そんな世の中になると、そうした世界が来るといいねぇ♪
どんな世界でも、あたしは視てるよ(笑)
楽しみにね♪
〈おわじ〉
※話が飛び飛びで申し訳ありませんm(_ _)m
わからない話は、妄言とおもい、てけとーに流してくださいませ(^_^;)
なお、このはなしはフィクションです(*^^*)
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フェアリーアイズ、この三話は、
一話めの詩とほぼ同時期に、だいたいが出来ていたパートです(^_^;)
この文章は、童話を作るときのエッセンスというか、猫又を使う情報集約と、彼女の人格が書きたいことへの取捨選択のようなものですね。
方向に迷うとき、道を選ぶとき、こうした指針というか試行錯誤を行うことはあります♪(*^^*)
ご笑納いただけると良いのですが(^ω^)
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