始まり
幼少期の記憶というのはほとんどの人がおぼろげな記憶しかないだろう。
幼少期の自我の芽生えは周囲の環境や発達に応じて成長し、自分を記憶していくのではないだろうか。わたしも似たようなもので気が付いたらそこに自分が居たという感覚である。そして記憶というものは曖昧で、時間の経過とともに自分の都合の良いように改変も行っていると聞く。
つまり思い出話は思い出補正があるということであり、わたしはあまりあてにしていない。
最初にあの子を見た時は特になにも思わなかった。
毎日眺めては‘‘元気な子だなぁ‘‘と思うくらいであった。
ある日音が聞こえた。一瞬の出来事であり何の音か、どこから聞こえたのかもわからないが、なぜか気になる音だった。その夜夢を見た。夢というには変な夢だった。水滴が水面にゆっくりと落ち、波紋が広がっていく様子を眺めるだけ。周囲にあるのは一つの砂時計。不思議なことに上にある砂が落ちていなかった。
気が付けばまたあの子を見ていた。今日はなんだかいつもより静かで元気がない。何かあったのだろうか。目を閉じるとふいに音が聞こえた。今度は前より大きくはっきりと。…あぁ頭が痛い。
ゆっくり目を開けたわたしは決意した、わたしがこの子を守ろうと。目を閉じると砂時計がサラサラと落ち始めていた。そして水があった場所にはあの子が居た。