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竜の爪あと  作者: ASD(芦田直人)
第1章
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第1章(その1)

    竜は死して 爪あとを残し

    その傷の癒える日は遠く

    いつか形をなした災いを

    人々は目の当たりにするであろう


     *     *     *


 アドニス・アンバーソンが死去したという報せをユディスが受け取ったのは、その日の午前遅く、昼にさしかかろうかという頃合いだった。

 遅い朝食のあと、一人お茶をいれて部屋着のままぼんやりと読書などして過ごしていた折に、下宿の大家である老婦人アンナマリーがわざわざ部屋まで手紙を届けに来てくれたのだった。身支度もろくに済ませていないままの彼女が戸口に立つと、老婦人は渋い表情を見せた。

「外はいい天気ですよ。せっかくだからお出かけでもしたらどう?」

「……そうね、考えておく」

 ユディスは髪も整わないままの頭をくしゃくしゃと掻きながら、気だるげに生返事した。

 アンナマリーは親切で愛想もいいが、多少おせっかいというか、世話を焼きすぎるきらいがあって、時としてそれが煩わしいこともあった。もっともその日その場に関して言えばユディスものんびりし過ぎではあったのだが、ともあれ彼女は苦笑いで老婦人を見送りつつ、手紙を開封して目を通したのだった。

 彼女が呑気にしていられたのは、そこまでだった。

 文面を目にした瞬間、それこそ血の気が引くような思いがした。

 つい先月、叔母の邸宅に直接見舞いに足を運んだばかりではなかったか。その時は多少やつれているとはいえ、まだまだ元気に見えた。いずれはこの時が来るのは分かっていたつもりだったが、いざその知らせを受け取ってみると、やはり動揺は隠しきれなかった。

 アドニス・アンバーソンは名目上はアンバーソン子爵家の当主であり、ユディスの叔母に当たる人物であった。

 問題はその叔母の死んだ日付だ。手紙によれば叔母が死んだのは手紙を受け取ったその時点から数えて二日も前のことだった。王都から叔母の邸宅のあるアーヴァリーまでは早馬を飛ばせば半日もかからないはずで、何故、と疑問に思いながら封筒を見返すと、どうやら元は速達と書かれていたらしい赤いインクの滲みがあるのがわかった。判読出来ないのであれば仕方なかったが、郵便省の誰かしらがもう少し真面目に仕事をしてくれていれば、と今更どうにもならない繰り言が出てきてしまうのは致し方ないところだったかも知れない。

 アンバーソン家は王国に古くからある名家で、肩書きで言うならばユディスは子爵家の令嬢という事にはなる。ただそうは言っても彼女には他に兄弟姉妹はおらず、父母は幼いころに火災で死去しており、叔母も未婚のままの身の上だった。

 アドニス・アンバーソンはユディスの母と姉妹であり、この姉妹の他に兄弟はなかった。しいて言えば婿養子にあたる父方に親族はあったかもしれないが、ユディスには面識はなかった。それを考慮に入れなければ、王都で慎ましやかな下宿暮らしの身の上のユディスと、郊外の片田舎であるアーヴァリーに独り隠遁していた叔母以外に、アンバーソン家に連なる家柄の者はいないはずだった。

 ともあれ、叔母の邸宅には頼りになる従者たちがおり、今頃はもしかしたら連絡のつかないユディス抜きですでに葬儀を終えてしまっていたかも知れない。用意周到な叔母のことだからユディスに連絡がつかなかった場合のことも彼らにはきちんと言い含めてあったかも知れないが、とにかくユディスは今すぐにでも叔母の元へ駆けつける必要があった。

 彼女は慌てて身支度をすると、アンナマリーに外出する旨を――場合によっては数日留守にするかも知れない旨を告げて、旅行鞄を引っ張り出してきては取り敢えず荷造りを開始した。今から馬車を手配すれば日暮れ頃にはむこうにたどり着けるはずだった。

 そうやって――死者を悼む余裕もなく慌ただしげな彼女の元に、一人の来客があったのはそれからほんの小一時間もしないうちのことだった。

 馬車の手配をアンナマリーに頼んではおいたものの、それが着くにはさすがに早すぎる。誰かと思い戸口に出てみると、そこには見知った顔の男性が立っていた。

「……マティソン少尉?」

「やあ、ユディス。こんにちは」

 軍服姿でこわばった笑みを浮かべる青年を前に、ユディスも渋い表情を隠しきれなかった。

 憲兵隊の若い士官であるマティソン少尉は、アンナマリーに勧められて渋々出席したお茶会でここ最近知り合った青年であった。交わした会話の内容によればユディスよりは三、四ほど年上、すらりと長身だが軍人としては少し痩せ気味、無理にはやした口ひげも手入れこそ行き届いてはいるが少々幼げな顔立ちには似合っているとは言いがたい。お茶会の席を早々に中座しては礼を欠くからと、取り敢えず自分と同じように話し相手が見つからずに居心地悪そうにしていた者同士で当たり障りのない世間話をしていたのがそもそもの出会いであったが、それ以来何かと顔を合わせる機会があったりなかったりで、もしかすると向こうはユディスに余計な期待を抱いているのかも知れなかった。

 彼女にしてみればどちらかといえば面倒な話ではあったし、それとは別にこの日この時点での来訪というのがまた実に厄介で、正直歓迎すべき客とは言えなかった。

「少尉、本当に申し訳ないけど、私は早急に王都を出立しないといけない用事があるの」

「存じ上げてます。叔母さんの件ですよね?」

 おそらくその一言を耳にしたユディスの表情は、露骨に疑わしいものを見るような顔つきになっていたに違いない。

 口をあからさまにへの字に曲げる彼女を前に、少尉はしどろもどろになりながら先を続けた。

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