第八章 決戦と願いの石
大陸北部の町、ペチクルの小さな宿の中。
そこにはメイビスとサーラの姿だけがあった。
レナが捕らえられてしまったのだ。
「メイビス、どうするの」苛々と巻毛の金髪を振り乱しながらサーラが喚く。「早くレナを助け出さなきゃ、あの娘、殺されちゃうわ」
騒ぐサーラ。だが彼女の口をメイビスが掌で強引に押さえつけた。
「な、何するのよ」メイビスの白い手をはたき落とし、サーラが顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
それにかまわず、碧眼でじっと金髪の少女を射抜いて銀髪の少女が静かに言った。「今は慌てていても仕方がありませんわ。こういうときこそ考えますのよ」
迂闊に行動すれば、さらに被害が広がる恐れがある。賢く冷静に行動しなければならない。
メイビスだって、レナが心配でないわけがない。とりあえず女王の判断は受けるとは思うが、叛逆の罪で処刑されるかも知れないのである。
彼女と出会ってから一ヶ月ほどと日数は短い。
だがその間に様々なことを乗り越え、仲を深めてきた。
メイビスにとって、彼女はもはや仲間の域にはなく、はじめてできた本当の友人なのだ。
だからメイビスは、助けたい気持ちは誰よりもあると自信を持って言える。
「考えるたって、時間がないのに。どうしたら」サーラは頭を抱えこんでしまった。
そのとき、窓を叩く音がし、メイビスは振り返る。「何ですの」
窓の外には、ガラス戸をつつく鳥の姿があった。その口には手紙が挟まっている。手紙鳥だ。
ちなみに、なぜ手紙鳥が彼女たちの居場所がわかったかと言えば、その優れた探知能力のためである。
誰からだろうか。手紙を受け取ったメイビスは、その封をきってみた。
「こんなときに手紙なの」不審げに手紙を覗きこむサーラ。そこにはこう記されていた。
「 愚直たる王女に捧ぐ
伯爵令嬢の身柄はこちらで預かってるわ。
馬鹿なものねえ、おとなしくしてればよかったものを。
彼女を助けたければ三日以内に城へきなさい。ただし、死ぬことを覚悟でね。
憎きあなたの首が飛ぶのを、私、見てみたいの。首きり人を用意して待ってるわ。
ヴァルッサ王国女王 ドロドー」
手紙はドロドーからだった。
その身の毛がよだつような憎悪にまみれた彼女の笑顔が見えたような気がして、メイビスは寒気がした。
「つまり三日間はレナは無事ってことね」
サーラの楽観的な言葉も正しいが、同時に三日を越えると確実に処刑されてしまうということでもある。絶対にそれだけは、あってはならない。
与えられた猶予は三日。たったそれだけの時間で、何ができるというのだろうか。
城に突入するには、人員があまりにも足りな過ぎる。だが三日で人を集めるのは無理であった。
とはいえ単に城に飛びこめば、ほぼ必死だ。死んでしまえば元も子もない。
「どうしたらいいですのかしら」
頭脳を可能な限り働かせ、考え悩むメイビス。そこへ、とある案がひらめいた。「そうですわ、あれを使えば」
「何か思いついたの」
首を傾げ、赤い瞳でじっと見つめてくるサーラに、メイビスは大きくうなずいた。「ええ。成功するかはわかりませんけれど、それしかありませんわ」
そして彼女はサーラに計画を話し出したのだった。
レナは王城まで引きずられてきた。
必死にもがいてももがいても、兵士二人の恐るべく腕力が絶対に離さない。
「わたしはこのまま殺されてしまうのかしら」
そう思うと恐ろしい。怖い。いやだ。ここで死ぬなんて、いやだ。
王の間につき飛ばされるように入らされる。
久しぶりに目にするドロドーの顔に、レナは驚いた。
なんと美人になったことだろう。
伯爵令嬢と侯爵令嬢ということで、歳は十五ほど違えど多少なりともつき合いはあった。だが彼女は確か平凡な、どちらかと言えばやぼったい顔のはずであったが、これも願いの石のせいなのだろう。
「あ」
ドロドーの胸に光るペンダント。
それは翡翠の宝玉だった。つまり、願いの石である。
立ち上がって走り出せれば、とレナは思うが、ほんの三メートル先の玉座まではまったく手が届かない。足も押さえつけられて動かない。
「こいつが伯爵令嬢ね」
そう言って艶やかに凶悪な笑みを浮かべ、ドロドーが黒髪の少女を見下ろす。
その眼差しが、許せなかった。叫び出すレナ。
「ドロドー。あなたはどうしてこんなひどいことをするの。メイビスだって悲しんでいたわ。国民だって不安定になってきているのよ。私利私欲で女王になるなんて、言語道断だわ」
だが、「女王様への無礼は許されない」と兵士にがん、と背中を蹴られ、息が詰まる。抉られた脇腹がずきずきと痛み出し、レナは呻いた。
「ふうん」そう興味深そうに息をつきながら、レナをなめまわすように見つめるドロドー。「すぐに処刑してもいいのだけれど、こいつ、使えそうだわ」
「使えそう、ですって」首を捻るレナ。
だがドロドーはレナの問いには答えず、逆に問う。「あなた、元王女とは仲がいいんでしょう」
「ええそうよ。あの娘はわたしの友だちだもの」
満面の笑みで「そうでしょう」とドロドーがうなずき、そして思いがけない言葉を発した。「処刑は三日後にしましょう。今殺すのはもったいないから」
レナは女王を睨みつける。「わたしをどうするつもりなの」
「馬鹿ねえ」嘲笑し、それからドロドーは言い放ったのだった。「決まっているじゃない。人質にするのよ」
兵士に連れて行かれ、今レナは牢獄の中にいた。
処刑に三日後という猶予が設けられただけで、状況は変わっていない。
牢屋からは出られる様子もなく、料理も粗末なものばかり。死の時間が、刻々と迫っている。
牢屋の中ではたった一人。伯爵邸では父親やメイドたちがいたし、旅ではメイビスとサーラが、霧の森ですらブラリーがいてくれた。本当に一人になったのは、これがはじめてだ。
だがレナは、何も後悔していなかったし、恐怖を抱いたり不安にも思っていなかった。
むしろ微笑みを浮かべ、ここからの生還を疑っていない。
彼女が強がっていたり、そんなに馬鹿なのかというと、そういうわけではない。
女王はメイビスに手紙を送り、レナを人質に城へ呼び出したのだという。
もちろん普通、そんな呼び出しに応える者はいないだろう。
だが、彼女は信じているのだ。
「メイビスとサーラが、絶対に助けにきてくれるわ。きっと、ブラリーとホワーレもね」
仲間が、助けにきてくれるということを。
そんな確証はない。
しかしメイビスなら、しっかり計画を立てて入城し、助けに駆けつけるに違いない。
サーラなら、強引に槍を振りまわして悪態をつきながらもきてくれるのだろう。
「だってメイビスたちは、わたしの一番の友だちだから」
そう言って、脳裏に浮かぶ少女たちと愛馬たちの顔にそっと呟いた。
「待っているわ。応援しているから」
城への突入が決まれば、もうすぐ夕方だが時間がないので早速行動を開始するしかない。
メイビスとサーラは、ペチクルの町の防具屋で盾と鉄の胸あてを一つずつ購入。胸あては弓を使うので片手では戦えないメイビスのため。城での戦い、あのときのレナのように石を受けてはたまったものではないからだ。後は武器屋でメイビスの弓の矢をたんまり買っておく。
そして一連の準備が終われば、東へ向けて馬を走らせるのみであった。
ペチクルは、大陸の北西に位置している。
目指す王城は大陸北中部。ほぼ東に行くだけで着くのだが、距離は決して近くない。急がなければならないのだ。
ずっとレナの後でただ乗っていただけのサーラは馬術については何も知らず、乗馬下手だった。だがブラリーは優雅に歩き、それをフォロー。さすがレナの馬である。
いくつもの街を通り過ぎ、村を越える。銀髪をなびかせ、メイビスはただひたすらに昼も夜もホワーレを駆けさせた。
そして三日目、期限の日の昼にやっと一行は城下町にたどり着いたのだった。
王女室からよく見下ろした、メイビスにとっては懐かしの城下町の景色。
こここそが王国の中心部。レンガ造りの立派な建物が並び、商人やら旅人が大勢いる。
「ここが城下町なのね。わあ、素敵な建物だらけじゃない」
サーラはそんな場合でないのにはしゃいでいる。疲れたのでメイビスは彼女に休憩を提案した。
町の公園のベンチに腰かけながら、メイビスは目を閉じ、考えに耽る。
レナは今頃、どうしているだろうか。
まさか殺されてはいないか。
それともひどい仕打ちを受けてはいないか。
あの脇腹からの出血が原因で死んではいまいだろうか。
孤独で泣いているのではないか。
さまざまな不安が脳裏を通り過ぎる。だが、ゆるゆるとかぶりを振るメイビス。
「そんなわけがありませんわ。レナはきっと無事で、わたくしたちを待ってくれていますわよ」
悪いことばかり考えてはいけない。きっとメイビスたちが助けにくるのを心待ちにしているであろうレナのためにも、早くしなければ。
そう思い、メイビスが立ち上がったとき、もう夕刻前になっていた。
「そろそろ行きましょ」黒馬にまたがるサーラ。赤いワンピースを揺らめかせ、なんだか様になっていた。
「ええ。レナが待っていますもの、いつまでも呑気にはしていられませんわね」
うなずくメイビス。彼女は白馬に乗ってすぐ近くに見える城へと向かったのだった。
目の前にそびえ立つのは黄金色に輝く建物。
威厳のある古いこの建造物こそが、メイビスの馴染み深い、王城である。
ここへ戻ってくるのはほぼ一ヶ月ぶり、ドロドーに命を狙われ追われたとき以来だ。
すぐ目前には王城の大きな門があった。
問題はここをどうやってくぐるか、だ。内側からなら容易に開けられるようになっているが、外からは無理だし、乗り越えることも不可能。ただし、普通は、の話ではあるが。
「ホワーレ、ブラリー。これをお飲みなさいな」
そう言って彼女が愛馬たちに差し出したのは、いつも彼らに水や餌をやるときに使う小さな器に入った青い液体だ。
不審そうに彼女を見つめるホワーレに、メイビスは優しく教えた。
「それを飲むと、体の形が変わりますの。でも心配いりませんわよ」
その言葉に従い、馬たちはごくごくとおとなしくそれを飲み干した。
液体の正体、それは変身薬だ。賢者からもらったそれを、白馬と黒馬に飲ませるのだ。
「あ」
サーラが小さく声を漏らすと同時に、馬たちの容姿がみるみる変わっていた。
割合小さな雌馬たちの体は細長くなり、美しい毛並みが鱗に変化。四本の細い脚はトカゲの脚のようになり、馬面だった頭部は犬のようになって二本の小さな角が生えた。
そして瞬きの後、そこには白と黒、二頭の巨大で美しい竜が現れていた。
これこそがメイビスの作戦。
城に乗りこむには何しろ人手が足りなかった。
では、せっかくの変身薬は使えないのか。そう考え、この案をひらめいたのである。
ホワーレとブラリーの竜に乗れば軽々と城門を飛び越えられるだろうし、彼女たちが戦ってくれれば百人力だ。
ただし、この作戦には欠点がある。
サーラによると、変身薬はたったの一時間しか効き目がないらしい。その間にドロドーのところへたどり着けなければ、メイビスたちの負けはほぼ確定だろう。
「さあ、時間がありませんわ。いよいよ、城に突入ですわよ」
白竜と黒竜にまたがるメイビスとサーラ。
竜たちは大空を舞い、大門を越えて城の上空で、空が飛べたのが嬉しいのだろうか、身をくねらせて踊る。
「わっ」「竜だ」「竜だぞ」
新しくなった門番と数人の兵が竜に気づき、矢を向ける。
だがホワーレとブラリーの鱗はそれをカーンと跳ね返してものともせずに城の前庭に降り立った。
レナのため、願いの石を手にするため、ドロドーを打倒するため、王城戦が幕を開けた。
弓をかまえるメイビスは、白竜の上から次つぎに矢を放つ。
「元王女めっ」兵士たちの方も彼女を狙って弓や投石器をやたらめたらに投げてくるが、ホワーレが竜の尾を一振りしてすべてよけてしまい、メイビスの矢があたった一人の兵士がどた、と地面に倒れ伏した。即死だ。
サーラも黒竜の上で舞い踊るようにしながら槍を振りまわして兵士や門番を昏倒させる。一方のブラリーは口から火を吹き出して兵を一瞬で灰にしてしまった。
前庭に血の花が咲く。
騒ぎを聞きつけて中から飛び出してくる兵士たち。
その増援の兵士も、メイビスはただひたすらに弓矢で、サーラは槍の舞で、白と黒の竜は火の息や尾、場合によっては噛みつくことで応戦。夕陽の照らす中、前庭はすぐに血の海と化した。
増援の兵たちも一掃したメイビスとサーラ。
でも手こずってしまった。二十分ほどはかかっただろうか。
「早くお城の中に入らなきゃ」
二人は竜を急がせ、内門を竜の尾で叩き壊してやっと城内へ。
城内はとても豪華な造りで、タイル貼りの床には赤いカーペットが敷かれていた。
ドロドーがいるであろう王の間はここ一階のもっとも奥に位置している。
「まあ綺麗。お城の中に入れるなんて夢みたいだわ。ずっと憧れだったのよ」場違いな感想を述べ、目を輝かせるサーラ。
おかしい。見渡す限り兵の姿はなく、すごく静かだ。
「慎重に、進みますわよ」
飛ぶのをやめ、ホワーレとブラリーは地に足をつけてゆっくりと歩き出す。
そろり、そろり。
と、突然、轟音がし、地面が揺れた。
「きいっ」妙な叫び声を上げ、ホワーレが急発進。その予想していなかった挙動にメイビスは驚き、必死に愛馬、いや、今に限って愛竜の体を掴む。
背後でどんっ、と何かの落ちる音がした。
振り返ってみれば、そこには大岩が。
上を見ると天井がつき破られていて、そこから降ってきたと思われるそれは、巨大化したホワーレですら押し潰されてしまいそうな巨岩だった。
「あああああ」ぎりぎりのところでそれをかわしたブラリーの上でサーラは大きく悲鳴を上げる。もし竜たちが動いてくれなければ、今頃ぺしゃんこになっていたところだ。
「ありがとうございます。こんな仕かけが用意されていましたのね」
抜けた天井の上は二階のバルコニーにあたる場所。ああ、バルコニーを修理しなくては、とメイビスはどうでもいいことをちらと考えた。
安心したのも束の間、またどん、と音がし、空いた天井から何かが落ちてきた。
それは大きな獣に見えた。だがすぐにそれが何だかメイビスは悟る。人だ。とても大きな、まるで熊のような巨漢の男が飛び降りてきたのだ。
とっさに弓を引き、男を狙うメイビス。
ぷす、と一応は大男の腹につき刺さる。だがその恐るべく腹筋によってほぼ跳ね返されるようにぽと、と地面に落ちた。
筋肉がクッションのようになっているのだ。どこを狙っても同じで、あちらこちらに血が滲む程度、ほぼダメージを与えられない。
男がメイビスに厚く不細工な顔を向け、獣の笑みを浮かべた。「待っていたぞ、元王女。我の名はヴァルッサ王国一の戦士、デトラボ」
デトラボ。そう名乗った男は自らをヴァルッサ王国一の戦士と言った。いやな予感がし、メイビスは身を強張らせる。
「ドロドー女王の命により、今から貴様を打ち倒す。いざ、勝負だっ」
気がつくと男はメイビスのすぐそばまできていた。
直後、繰り出される拳。小柄なメイビスはホワーレの上から容易くつき飛ばされ、壁に腰を打って動けなくなった。
「うう」痛みに耐え、なんとか立ち上がる。
ものすごい速さで走りくる男を、ホワーレの白い竜の尾が鞭のように叩いていた。
しかし、なんと男はびくともせず、白竜の尾を軽々と蹴り飛ばしたのだ。
なんという怪力であろう。そのまま男デトラボはまっすぐにメイビスに駆け寄ってくる。
さらにそこへ待ったをかける人物がいた。驚きから立ち直ったサーラだ。金髪を振り乱し、槍で男の岩のような巨漢を食い止めた。
「ぬぬぬ、お主、なかなかやるな」
「そりゃそうでしょ」サーラは勝気に笑う。「だって、賢者の娘よ。侮られちゃ困るわね」
黒竜が男を上から炎で狙う。ぎりぎりでそれをかわしたデトラボは、今度はサーラに向かってその拳を投じた。
それを鋭い槍で射抜き、なんとか留めさせるサーラ。赤いワンピースを翻しながら城内を跳びまわり、彼との激戦を繰り広げはじめる。
「メイビス。あんたは先に行きなさい。ここは私に任せて」
ここは確かに出番がない。うなずき、メイビスはふたたびホワーレの背に飛び乗った。「ホワーレ、飛びなさい」
ふわりと中空に浮遊した白竜は、ただまっすぐに風の如く飛びはじめた。
すると物陰から一斉に投石器が発射される。
だが大抵はホワーレの白い鱗に弾き返され、メイビスにあたったとしても胸あてに少し穴を開けるだけ。雑魚兵たちを脅威の弓の腕で全員倒れ伏させ、先を急ぐ。
残された時間は、三十分ほど。
次つぎと襲いかかる兵士の群れ。弓、投石器に限らず、なんとナイフを投げてくる輩もいたが、すべて矢で叩き落としたり、ホワーレの尾で振り落とされて、無常にも容赦のない炎の吐息で皆焼き尽くされる。
そうしてやっと、王の間を目前にした。
そこに立っていたのは、若い黒装束の女。
大鎌を手にし、灰色の瞳でこちらをじろりと睨みつけている。彼女は赤い舌をちろちろさせ、血の色の笑みを浮かべていた。
「あらぁ。あなたが王女様なのねぇ。可愛い竜ちゃんまで連れて、とっても美人だことぉ。あちきは殺し屋のパテルよぉ。あちき、ずぅっとあなたのこと待ってたのぉ。一緒に遊びましょぉ」
そう言うなり、黒い女がぶん、と大鎌を振りかぶった。
「負けてはいられませんわ」メイビスも弓を引き、矢を連射する。
ホワーレも鎌の攻撃を避けて空を舞い、炎の息吹を女に吹きかけんとする。
だが女は怪物じみたいやらしい微笑みのままで跳躍しそれらを避け、見事に大鎌を振るう。
直後、ぎゃいん、と大きな悲鳴が響き渡った。
大鎌にホワーレの前脚の鱗が丸ごと削がれたのだ。
「あぁら。意外に硬いのねぇ。あちきの鎌を受けてそんな傷で済むなんてぇ、竜ちゃんってなぁんて強いのかしらぁ。殺し甲斐があるわぁ」
鎌と矢と炎が城の廊下に乱舞する。ホワーレの鱗が次つぎにはがれるが、女、パテルも無傷とは行かずに足を炎に焼かれる。
「痛ぁい。でもあちき、痛いのは大好きよぉ。だって、生きてるって感じがするじゃなぁい」
戦いながらメイビスは呟く。「この女、狂人ですわ」
パテルというこの女はまさに殺し狂。その大鎌であらゆる命を刈り取る、死神だ。
「けれど、あなたなんかに負けはしませんわ」
せっかくここまできたのだ。死んでたまるものか。叫び、メイビスは火の息をかわしながらホワーレの腹を鎌できり裂かんとする女パテルへと思いきり弓を引き、その背中を矢で射抜いた。
殺し屋女の動きが一瞬止まる。その隙を見逃さず、傷だらけの白竜は火炎を吐いたのだった。
「うぅ、あ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁ」
絶叫を上げ、黒い女が赤白い炎に包まれる。そのまま数秒しないうちに断末魔は止み、魂の抜けた黒焦げの女はがっくりと力なく倒れた。
こうして、死神女との戦闘は終わり、王の間への扉を開けるのを拒む者は皆無となった。
変身薬の効果がきれる時間は、後十五分ほど。
メイビスは静かに碧眼を閉じる。やっと、このときがきた。
父王を殺し、自分の王座を奪った憎き女、ドロドー。彼女にとうとう復讐が果たせるのだ。
それに、この先では囚われたレナが待っていることだろう。
背後ではまだサーラが戦っているようだ。彼女にはもう先に行ってくれと言われている。
心を決め、メイビスはホワーレに命じて頭突きで扉を開かせた。
目の前に広がる、豪華なシャンデリアに照らされた王の間の景色。ランセット王が座っていた懐かしの玉座に、彼女はいた。
ゆったりと玉座に腰かけ、栗色髪を揺らすその黒ドレスの美女こそが、女王ドロドーだ。
メイビスは彼女を鋭く睨みつけ、静かな美声を響かせる。「ドロドー。戻って参りましたわよ」
「待ってたわ。アリアの娘」
そう言って、ドロドーはにたりと笑んだのだった。
「ああ、もう。大男のくせにすばしっこいわね」
そう呟き、サーラは赤いカーペットの上を駆け跳ねまわる。
デトラボはごつい顔を楽しげに歪め、笑った。「お主、強いな。強い戦士こそ、倒し甲斐があるというものだな」
繰り出される拳、蹴り。肉弾のように迫りくるそれを、寸手で槍を使い打ち払って避ける。
デトラボの拳はもうサーラの槍で射抜かれ血が吹き出し、足もところどころ皮がはがれて筋肉がむき出しになっている。だが男は平気なようで、次つぎに攻撃を仕かけてくる。
ブラリー竜が男めがけて炎を噴出。デトラボの片腕が焼け焦げるが、彼はへっちゃらでブラリーの胴体に体あたりしてつき飛ばした。
戦いは混戦模様で、押したり引いたりだ。男が傷つく代わりにサーラも投げ飛ばされてしまう。
このままでは、埒が明かない。「どうしたらいいの」
時間がない。後約十五分。いつまでも手間取っているわけには行かない。
奥で扉の開く音がし、メイビスがどうやら王の間に入ったようである。
「私も、急がなきゃ」
槍を振りまわすサーラ。赤い瞳で男を睨みつけ、急所を見極める。
胸はだめだ。やってみたが刺さらない。頭が急所と思われるが腕や足に邪魔されてしまうだろう。では、まず四肢をもぎ取ればいい。
そう判断し、サーラは男へ突撃した。
飛び出す男の拳。それをぎりぎりでかわし、金髪の少女は槍を彼の右腕につき刺し、肉を抉り取った。
ぼと、音がし、男の焼け焦げていた右腕が落ちる。「くぬぬ」
だがサーラはデトラボの太い左足によって蹴られ、遠い地面へ吹っ飛ぶ。その間、ブラリーが彼の背後にまわりこみ、短いが鋭い牙で男の左足を削ぎ取った。
「がああああ」顔を真っ赤にして、デトラボがサーラに掴みかかろうとする。
「そうはさせるもんですか」
今、きっと奥の間でメイビスがドロドーと対峙していることだろう。
だからサーラも頑張らなくてはいけない。ここで活躍しないで、いつ見せ場があると言うのか。
思いきり槍を振り上げて、サーラは男の左腕をきり飛ばした。
右足だけが残った巨漢の戦士がかろうじて立ち、彼女に頭突きを喰らわそうとする。
その首に、サーラは力の限りで槍をつき刺したのだった。
デトラボからあふれ出す血の雨。
首がなかばちぎれた男は、サーラを穏やかな目で見つめ、一言呟いた。「見事、だ」それを最後の言葉とし、血の海に倒れこんだのだった。
「か、勝ったみたいね」
ぼろぼろになってしまったサーラ。だが世界一の戦士と名乗った彼との戦いに勝利することが叶った。彼女は陽気に笑んだ。
だがまだ奥の間にはドロドーが待ちかまえている。疲れきった体を立て直し、黒竜にまたがって彼女は大きな声で指示を飛ばした。
変身薬の効き目が解けるのは、後十分もない。
「ブラリー。あんたのご主人様が待ってるはずだわ。早く奥へ飛んで行って」
そうして、黒く美しい雌竜は赤いカーペットの廊下を奥へと風のように飛びはじめたのだった。
ドロドーは侯爵の娘として生を受けた。
容姿は平凡、頭脳も明晰とは呼べず、これと言って能力はない。
だが彼女が不幸と思うことはなかった。優しくしてくれる母親がいたし、いつも使用人が面倒を見てくれた。何も不自由することはなく、すごく幸せに暮らしていたのだ。
そんな十八歳になった彼女には、恋焦がれる人がいた。
彼の名前はランセット。ヴァルッサ王国の、当時の第一王子だった。
眩しいほどの美貌、あふれ出す威厳。それから凛々しさが若きドロドーの胸を射抜き、離さなかったのである。
普通の平民なら殿上人なのかも知れない。
だが王子は大抵の場合上流貴族の令嬢と結婚することになっていて、公爵令嬢は五歳とまだ幼いことから妃の最有力候補はドロドーだった。
だからもう、国王と侯爵が婚談までしていたのだ。
なのに、王子は運命の出会いを果たしてしまったのである。
城に用があった父親とたまたま一緒にやってきていた男爵令嬢のアリアと、ランセットは王の間で本当に偶然出会った。
歳はドロドーと同じ十八で、短く艶やかな銀髪の美しい少女だった。物腰が柔らかく、澄んだ碧眼が特徴的だったという。
二人はすぐに一目惚れし合った。
王子自らアリアとの結婚を父王に懇願。男爵は下級の貴族であるが王子の勢いに気圧されて仕方なしに当時の国王も婚約を許可し、ドロドーとの婚談を破棄したのである。
そしてランセットとアリアは結ばれ、幸せに暮らしはじめたのだった。
だがそれでドロドーが納得できるはずもない。約束されていたはずの結婚、王子とわかち合えるはずだった愛、すべてを失ったドロドーの胸は、王子夫妻への憎悪に染まっていった。
「あああああ。憎い憎い憎い憎い。許さない、絶対許さないっ」
そして復讐の方法を探して侯爵邸を飛び出し、旅をするうち三十代を迎えた。
もう自分の人生はおしまいなのだろうか。そう思い悩む日々の中、アリア妃の訃報が届けられたのは突然のできごとであった。
「私を苦しめた罰をたっぷり受けるがいいわ」自分で手を下せなかったものの、ほくそ笑むドロドー。
その半年後、王妃決定戦の開催が決定した。
「なんとしても出て、勝ってやるんだから」
そんなある日、彼女はジェラルマの町の近隣、ドモテ山に眠るお宝の噂を聞く。
こういう話には目がなく、すぐにドロドーは飛んでいった。
町で装備を買い、いざ山中へ。花を纏ったなんだか気持ちの悪い虎、氷を吐き出してくる牛の化け物を退治して頂上にたどり着くと、洞窟があった。
その中で炎を吹き出してうるさく飛びまわる竜と対戦。棍棒で殴り殺し、奥に目をやれば、綺麗な翡翠の宝玉があるではないか。
手に取って、触ってみる。
すると彼女は、宝石の下敷きになっていた紙きれを見つけた。
「願いの石。なんでも願いを叶えます」
そこに書かれていたのは、いかにも嘘くさい文句。その後に魔術がなんたらとか書かれていたが、そんなことドロドーにはどうでもよかった。
「願いが叶う石、ね。面白そうじゃない。騙されたと思ってやってみてやるわ」
そして美女になって王妃戦に出たいと願った。
「まあ、ただの石なんだろうけど」
だが流れる川の水面に映る自分の顔を見て、ドロドーは仰天した。
美人が、そこにはいた。艶やかな、とても美しい女性。それが自分の顔だなんて、信じられなかった。でも間違いない、それはドロドーの顔だ。
「本当だったのね」
そうしたら、もう王妃戦に出るしか道はなかった。
「待ってなさい。復讐してやるわ、ランセット」
そして見事予選突破。広間での美女コンテストに参加したのである。
審査員は目の前の憎き王。そして隣に座る少女を見てドロドーの胸は憎悪に燃えたぎった。
そこには、アリアがいた。
否、正確にはアリアではない。美しい銀髪、澄んだ碧眼、整った顔立ち。何もかも母親似だが、凛とした空気を漂わせている。彼女は王女、メイビスだ。
だが娘であろうが何であろうが、ドロドーにはアリアに見え、憎々しくてたまらなかった。
復讐できなかったアリアの分を、この娘にやってやろう。そう心に決めたのだ。
そして万事順調にことは進み、王妃の座はドロドーに譲られたのである。
それから半年、憎きランセットとメイビスに対してドロドーは、じっと我慢した。笑顔を見せ、優しく美しい母親を演じたのだ。
そしてある夜。
そっと王と王妃の部屋を抜け出したドロドーは、台所メイドのペグに毒を渡してこう頼んだ。
「あなた。この毒を、ランセットの料理に入れてちょうだい」
ペグの妹は病気だが、王城で働いても金が足りないらしく治療が受けられないという。そこにつけこんだドロドーが治療費と引き換えに自分との協力とそれで命を落とすことを提案したのだ。
「あたしは死んでもかまいませんよ。だって、妹を治したいんですもん。協力させてください」
数日後、毒を盛ってランセットを毒殺することに成功した。
ドロドーは笑みが漏れぬようにするのに必死だった。だって、だって、やっと待ちに待った復讐が、こうもあっさり叶ったのだ。誰が笑わずにはいられるだろうか。
そしてドロドーは第二の復讐を行った。
それは、メイビスへの冤罪だ。
ペグに「メイビス王女が脅してきた」と証言させ、彼女を犯罪者に見事仕立て上げた。
ドロドーを睨みつけるその碧眼。アリアのものとそっくりのそれが、ドロドーに吐き気を催させる。
「すぐに取り押さえなさい」
彼女は兵に命令をくだしたが、なんと逃げられてしまったらしい。
「まあいいわ。そのうち捕まるでしょう」
だが一ヶ月経っても捕らえることはできなかった。このまま逃げきられてしまうのではないか、そんな不安が女王となったドロドーの心に渦巻いていたが、やっといい物を掴むことができた。
それは、伯爵令嬢の身柄だ。
しばらく失踪していた彼女は、メイビスの仲間となっていた。そこを兵たちが取り押さえてきたのである。
反抗的な黒髪の少女に腹が立つ。が、十分使えた。
あの銀髪の少女を呼び出す餌になる。
そして伯爵令嬢を牢に閉じこめ、じっとドロドーはときを待った。
やっとだ。やっとだ。
王の間の扉が開かれ、白い竜が颯爽と現れる。その上には、銀髪を揺らす少女がまたがっていた。「ドロドー。戻って参りましたわよ」
にたりと、笑みがこぼれた。
やっと、何年も待ち続けたアリアへの復讐が叶う。
「待ってたわ。アリアの娘」
ドロドーは舌なめずりをし、こちらを睨みつける憎々しい少女に言ったのだった。
「メイビス」
王の間に、聴き慣れた可憐な声が響く。
玉座にかけるドロドーのすぐ隣の宙空、そこに黒髪の少女はいた。
彼女の手足は紐できつく縛ってある。純白のワンピースを着た腰にロープが巻きつけられ、天井から吊り下げられていた。彼女の足の下にはいくつもの尖った剣が上向きに並べられ、落ちれば必死だ。
ドロドーは右手に棍棒、左手に小刀を握っている。棍棒の方は単に攻撃用らしいが、小刀の剣先はロープの方に向いており、今にもきり落とさんとしていた。
白竜の上からドロドーを睨みつけ、メイビスは叫ぶ。「レナを解放しなさい。さもなくば、焼き殺しますわよ」
直後、ホワーレの口から炎が吹き出された。その火炎が輪となって女王の周囲を包みこむ。
だが彼女は動じず、赤い唇を歪めた。「焼き殺せるものなら焼き殺しなさいよ。ただし、その瞬間、このロープをきるわ」そう言って小刀を光らせる。
こうなっては、攻撃できない。
殺そうと思えば、ドロドーは今すぐにでも殺せる。だが彼女の言う通り、それは同時にレナの死も意味するのだ。それだけは、絶対に避けなければならない。メイビスは唇を強く噛んでかまえていた弓を下げた。
「さあ。首きり人。出てきなさい」
大剣を手にした細身の男が、王の間の影からのっそり出てくる。
「メイビス。首をつき出しなさい。そうすれば伯爵令嬢は助けてやるわ。でも、その男を射たら伯爵令嬢の命はないと思いなさい。さあ、決めるのよ」
一歩、一歩と男が近づいてくる。
彼を射るのは簡単だ。何せ細身の男だし、一発で死ぬだろう。
だがそうすればレナは殺されてしまう。
でもメイビスが首を跳ね飛ばされたところで、きっと彼女が女王にはむかった罪で殺されるのは変わりないだろう。
どうすれば、彼女を助けられるのか。
「メイビス」声を詰まらせ、レナが目に涙を貯める。「このままでは殺されてしまうわ。早くドロドーを殺して。お願い」
彼女はきっと、このどうしようもない状況で、ただひたすらにメイビスのことを思ってくれているのだ。
しかしレナは、レナだけは絶対に死なせない。メイビスがかぶりを振ったそのとき。
銀髪の少女の背後から、黒い竜が飛びこんできたのである。
その上に、金髪を揺らす少女がまたがり、メイビスを見下ろしていた。
「メイビス。お待たせ」
「サーラ」レナが目を輝かせたように、メイビスには見えた。
女王が少しばかり目を見開く。「あら。もう一人いたのね。これは聞いてなかったわ」
「あんたが噂の偽女王ね」赤い目で女王を鋭く睨み、サーラが叫ぶ。
レナがサーラを見下ろし、訴える。「サーラ。このままではメイビスが殺されるの。女王を殺して。わたしのことはいいから」
ブラリーが主人を見つめ、悲しげに唸る。
もうすぐ竜たちも、元の馬の姿に戻ってしまう。どんどん状況は悪化するばかりだ。メイビスがちらとサーラに目をやると、彼女はなんとレナにうなずきかけていた。
「わかったわ。いいわよ、仕方ないから殺してやるわ、ドロドー」
そう言うなり黒竜から飛び降り、首きり人の胸に槍を貫通させていた。
「ああ」メイビスが叫ぶ。勝気な彼女とはいえ、なんてことをしてくれたのだ。
「あなたたちの答えは、わかったわ。じゃあ」
ぷつ。
ドロドーが小刀で、ロープをきり落とす。
メイビスとレナの絶望的な絶叫が重なったその瞬間、落下するレナに、何かが猛突進した。
「ああ」弾き飛ばされるレナ。彼女は壁に背中を強打したものの、針の餌食にはならなくて済んだのである。
彼女を救ったのは漆黒の竜、ブラリーだった。
いななき、ブラリーも壁に激突する。次の瞬間、彼女はぐんぐんと体を縮め、馬の姿に戻りながら昏倒してしまった。
「ブラリー」手足が縛られたままのレナが這いずって愛馬に近寄る。「助けてくれたのね。ありがとう」
「なっ。なんてこと。よくも」
ドロドーの驚愕の声が発されると同時に、サーラが風のように王の間の奥へ駆けていく。
「受け取って」
そして這いつくばるレナを抱え上げ、ぽい、とメイビスに向かって投げつけたのだ。
悲鳴を上げるレナ。
彼女の体がメイビスの豊かな胸に飛びこんでくる。竜から馬に戻ってしまったホワーレの上から彼女たちはどた、と落馬。
「大丈夫ですの、レナ」
身を起こし、群青色のドレスを揺らして、メイビスはレナの手足を縛っていた紐を解く。
「ええ。大丈夫よ、メイビス」レナが思わずといった様子でメイビスに抱きつく。そして涙を流し、安心したように微笑んだ。「ありがとう。ありがとう。わたし、あなたたちが助けにきてくれると信じていたわ」
黒髪の少女の体はぼろぼろだ。でもしっかり生きていることを触れて確かめ、メイビスもうっすらと滲む涙を拭い、微笑み返す。「レナが無事で、本当に嬉しいですわ。さあ、戦いましょう」
女王を取り囲んでいたはずの火の手はもうすっかり弱まり、今にも消えそうだ。
女王の座のすぐ傍、サーラがドロドーとの接近戦を行っている。
ドロドーはあのドモテ山の魔獣たちの命を奪ったであろう棍棒を振りまわし、巧みな技で急所を狙わんとする。サーラはぴょんぴょんと跳ね、それを寸手で回避。槍で攻撃を繰り出すが、棍棒との打ち合いになり弾き返される。
「つ、強いわ」
「そうでしょう」怪しげに笑うドロドー。「でもこれでおしまいじゃないのよ。さあ、血の海に沈みなさい」
そう言って女王が取り出したのは、見たこともない武器。
黒く美しい、小刀ほどの大きさの物だった。
「兵士に命じて作らせた、この世に一つの私のための武器。その名も拳銃よ」
女王は左手でくるくるとその武器、拳銃をまわし、そして人差し指で引き金を引いた。
王の間に爆音が響き、稲妻のような光が走る。
ドロドーを狙って接近していたサーラが、左手に持つ盾で庇いきれずに弾丸を右肩に受け、数メートル背後につき飛ばされた。
「うう」
倒れるサーラ。右肩からどろどろと真っ赤な鮮血を流し、完全に気を失ってしまっていた。
「すごいでしょう。この拳銃があれば、私に怖いものはないわ。さあ、絶望に打ちひしがれなさい。そして深い深い死の世界に落ちなさい。最後に笑うのは、私なのよ」
生意気に高笑うドロドー。
「サーラ。大丈夫なの」
レナが倒れる金髪の少女に駆け寄る。命に別状はないようであるが呻き、目を覚まさない。
その一方で、メイビスはその澄んだ碧眼に静かな怒りの炎を灯して女王を睨んだ。「ドロドー。よくもやってくれましたわね」
「それはこっちのせりふだわ」はっ、と鼻を鳴らすドロドーも焦茶の瞳に憎悪を燃え上がらせて鋭い視線を返してきた。
「いったいわたくしに何の恨みがありますの」
王の間に響き渡るメイビスの問いに、ドロドーは強く叫び、拳銃をぶっ放した。「私の幸せを奪ったアリアへの仕返し、それ以外に何があるというの。死になさい、憎きアリアとランセットの娘めが」
また、王の間に爆音が鳴り響く。
高速で迫りくる弾丸。それを胸あてで跳ね返しつつ、メイビスは栗毛の女王へとホワーレを走らせる。
放たれる矢の嵐。それを右手の棍棒を一振りすることでドロドーは回避した。
「弓の腕はあるけど、私の棍棒には勝てないわ」
そして放たれる弾丸の大嵐。ホワーレはぎりぎりでそれをかわすが、いくつかメイビスのすぐ横を通り過ぎて行った。
このままでは、ドロドーに敵わない。
「ドロドー。わたしが相手よ」
そのとき、純白のワンピースの少女が立ち上がって前に出た。
手にするは、大きな剣。それは死んだ首きり人が持っていたものだった。
「短剣は今はないけれど、これで勝負しましょう」
「レナ。無茶ですわ」
メイビスが思わずそう叫んだほど、その大剣はあまりにも彼女に似合っていなかった。
大剣はレナの体長ほどもある。これを彼女が扱えるはず、なかった。
「いいえ、できるわ。メイビスたちがわたしのために頑張ってくれたのだもの、わたしだって力にならなくてはね」
しかしかぶりを振り、両手で重たそうに大剣を持ってレナが奥の玉座へと駆けていく。
「面白いわ」
ドロドーの手の拳銃から、次つぎにレナへと発される弾丸。
だが彼女は身軽な跳躍ですべてを避け、盾もないのに一発も弾丸を受けない。
そしてドロドーの目前までくると、大剣を天に向けて振り上げた。
ドロドーの棍棒が、彼女の胸目がけて飛んでくる。しかしそんなのもかまわず、彼女の左手めがけてレナは思いきり大剣を振り下ろしたのである。
がん。
すごい音がし、メイビスは息を呑んだ。
剣先で火花が散り、ドロドーの右腕がちぎれ飛んだのである。それと同時に拳銃も粉々になって舞い散った。
だが棍棒はレナの胸をついており、レナは大剣を手放して背後へ吹っ飛んでいる。それを、いつの間にか気絶から覚めたブラリーが受け止めていた。
「ありがとうブラリー。すごいわ」
主人に褒められ、ブラリーは嬉しそうだ。
だが次の瞬間、左腕を失い、拳銃をも壊されたドロドーの怒声が王の間を揺らした。
「よくも。よくもよくもよくも。私の左腕を折ってくれたわね。どこまでもお前たちは。許さないわっ」
背中までの栗色髪を逆立たせ、ドロドーが黒馬へと突進してくる。
その棍棒が黒馬を強打する寸前、まさに横槍が入った。
「そうはさせないわよ」
これまたいつ気がついたのだろう。サーラがレナに襲いかかろうとするドロドーを槍の柄で食い止めていたのだ。
「サーラ。無事でしたのね」安堵の息を漏らすメイビス。彼女も大切な仲間だ。大負傷したのではないかと思って心配していたのである。
「ええ。ちょっと肩が痛いけど、ね」
「おのれえ」激昂するドロドー。
槍と棍棒の接近戦が繰り広げられはじめる。
甲高い打ち合いの音が王の間中に響いた。
メイビスたちも、見ているだけというわけにはいかないだろう。
「ホワーレ。突進ですわよ」
メイビスの指示に従って白馬が風のように駆け出す。
「え。メイビス」目を見開くサーラの正面、顔を赤くして棍棒を振りまわすドロドーの真横から、白馬がつっこんだ。
勢いに跳ね飛ばされる女王。漆黒のドレスがひらひらと揺らめき、やがてどす、と地面に彼女は墜落。
そのまま白馬は走り抜け、レナとドロドーのそばに戻ってきた。
「すごいわ、ホワーレ」
レナになでられ、誇らしげに胸を張る白馬。
一方つき飛ばされた女王は憎々しげにメイビスを睨みつけると、ぱっ、と立ち上がる。そしてこちらへ棍棒を手に猛突進をはじめた。
だが、背中から槍で射抜かれ、動きを制止させられる。
「やあっ」
大きく叫んでサーラは槍をさらに押しこみ、槍先が貫通してドロドーの腹からつき出た。
「うぐ」倒れ伏すドロドー。目は血走り、腹から鮮血を噴出させて、美しかったその姿はもはや醜いとしか言えなかった。「この小娘がああああ」
「とどめですわよ、ドロドー」
そう言って、白馬から飛び降りた銀髪の美少女は弓を引き、美しい青の目でまっすぐドロドーを見る。
目を閉じれば、これまでのことが思い出せる。
ずっと、助けられてばかりだった。
霧の森でも、死の海域でも、ドモテ山でも、そして、この王の間でも。
一人ではすべてきり抜けられなかった。
レナとサーラのおかげで、今ここで憎き女王を目の前にしている。
やっと、待ちに待った復讐のときだ。
そしてメイビスは静かな心持ちで、思いきり、矢を放った。
それはドロドーの胸を射抜き、血の花を咲かせた。
「ぎやああああ」怪鳥の声のような絶叫が少女たちの耳をつんざく。「アリアの娘のくせにぃぃぃぃぃぃ。呪ってやるぅ、う、うぅ」
そしてがっくりと四肢から力が抜け、ドロドーはその焦げ茶色の瞳から生気を失わせ絶命した。
ドロドーがなぜ、メイビスの母を嫌悪し、メイビスも憎悪していたのかはわからない。
ただ一つわかることは、父、ランセット王の仇が討てたということだった。
「勝ったのね」微笑み、黒馬から降りて銀髪の少女に笑いかけるレナ。「おめでとう」
「ありがとうございます。レナとサーラのおかげですわ」
メイビスはそう微笑み、レナとサーラと抱き合ったのだった。
気づけば夜になっていた。
「ところで願いの石はどこなの」
ひとしきり勝利を祝い合うと、サーラが首を傾げてそう訊ねた。
首を捻るメイビス。そう言えばどこだろうか。
だがレナは女王の死体を指差してうなずいた。「それなら、ドロドーのペンダントよ」
見ると、倒れるドロドーの亡骸の胸には、確かにペンダントが飾られていた。メイビスはそれを取り上げ、眺める。
ペンダントの宝石は翡翠色で、とても美しい。「これが、願いの石ですのね」
「いよいよね」静かに微笑むレナ。「メイビスからどうぞ」
レナにうながされ、それをそっと手に握るメイビスは目を閉じる。
彼女はずっとこのときを待ち望んでいたのだ。
この願いのため、どれだけ苦労したことだろうか。たった一つの願いのために。
色々なことがあった。本当に、いやなことも、嬉しいことも。
それを乗り越えて、今、願いは果たされる。
「わたくしの願いは、父殺しの冤罪を晴らして、女王になること、ですわ」
翡翠が薄緑の眩い光を発する。
ぽわっ、と明るくなる王の間。
その光がメイビスを包みこみ、そしてゆっくりと散っていった。
「これで、叶えられましたの」
きっと、そうに違いなかった。
「よかったじゃないの、メイビス」サーラがふん、と鼻を鳴らし、言う。
サーラに玉を手渡そうとするメイビスに、レナが待ったをかける。「わたしも、叶えたい願いができたの」
驚き、碧眼を見開くメイビス。
ドモテ山の麓で、彼女は願いがないと言った。だが、一体何の願いができたというのだろうか。
「私、後でいいわ。あんたからにしなさい」
サーラがやや乱雑に言ってレナに譲ったので、メイビスはレナに宝玉を差し出した。
受け取るレナ。「わたしはメイビスとサーラといられて、本当に本当に嬉しいの。だから」その黒く美しい瞳で他の少女二人を優しく見つめ、静かに瞑目した。「わたしの願いは、メイビスとサーラと、ずっと友だちでいられること、よ」
「まあ」驚愕して、小さく声を漏らしてしまったサーラ。
そんな願いだなんて、メイビスも予想もしていなかった。
驚きと同時に、胸の奥からなんだか温かいものがこみ上げて、メイビスはふっ、と微笑んだ。
ふたたび王の間に薄緑の光があふれ、少女たちを照らす。
そして柔らかく、そっと消えた。
「ありがとうございます。これからも友だちでいましょうね、レナ」
抱きつくメイビスを、レナは強く抱き返した。「ええ、絶対よ」
「はっ。茶番だわね」鼻で笑いながらも、サーラも笑顔だ。
最後は金髪の少女の番だ。
彼女が赤い瞳を閉じて願う望みは、賢者がずっと願っていたもの。
「私、ヴァルッサ王国のすべての人々の平和を願うわ」
これまでにない、眩しい光を願いの石が放った。
それは世界中に広がり、この惑星ごとを包んで輝き、そして消えた。
こうして、少女たちの願いは叶えられたのであった。
それから五年後。
世界は平和で満ちあふれている。
女王となったメイビスは二十一歳で、平穏に国を治めており、非常に国民に愛されている。次つぎ貴族の青年に求婚されるのだが、彼女は今のところ受けるつもりはない。
同じく二十一歳になったレナは得意の歌を歌い世界を巡り歩こうと決意。ブラリーに乗って旅をはじめたところ、人気殺到でたちまち歌姫と呼ばれるまでになった。
同じく成長したサーラは一旦賢者の島に帰り、父に無事を伝えてから、「私、父さんみたいに世界の色々なことを知りたいわ」と大陸に出て旅をはじめ、今はレナと一緒にあちらこちらを渡り歩いている。
王城の庭園でメイビスは、レナとサーラとともに散歩していた。
半年に一度は二人を城に招いて数日を一緒に過ごす。以前のように旅にはついて行けないが、親友であることには変わりなかった。
「まあ。薔薇が綺麗だわ」芳しい庭園に咲く花を見て、黒馬にまたがるレナが感嘆を漏らす。
「そうでしょう。自慢の薔薇ですのよ」
微笑むメイビスの乗る白馬は、黒馬と戯れ、楽しそうだ。
ホワーレとブラリーは今も健在。互いに主人と暮らし、離れてはいるがこうして会えると嬉しそうにする。彼女たちも友だち、いや姉妹のような感覚なのかも知れない。
「そうだわ。レナ、メイビスにあれを歌ってあげなさいよ。この庭園にぴったりだから」
サーラの提案に目を輝かせるメイビスは、「聞かせてくださいな」とレナに催促。
「いいわよ」レナは微笑み、黒馬から降りて赤い薔薇を背景に白いワンピースを揺らした。
彼女はお辞儀をし、美しく舞いながら歌い出す。その歌は薔薇の歌で、踊るレナは白い薔薇のようにメイビスには見えた。
ときはゆっくりと、のどかに過ぎて行く。
メイビスは歌に耳を傾け、ホワーレを優しくなでながらそっと願う。この世界の平和と幸せが、いつまでも続きますように、と。
完
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