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第七章 魔獣たちの山と捕らえられた少女

 谷の橋を渡り、山を降って森を駆ける白馬と黒馬。

 そして少女たちは、海岸に着いた。

 それからは筏の旅。

 途中できった細めの丸太をオール代わりにして漕いで進む。空は晴れ渡り、雨が降ることもなく順調に海を渡りきった。

 そしてとうとう、大陸に戻ってきた。

 筏から降りてその大地を踏んだとき、サーラは思いきり叫んだ。「大陸。大陸だわ。憧れの大陸なんだわ」

 はしゃぐ彼女をメイビスとレナは微笑ましく見つめていたのだった。

 と、海辺の小屋から少年が駆け出してくる。「あらあのときの」それは船の乗り方を教えてくれ暗号の紙を渡してくれたあの少年だった。

「姐さんたちっ。姐さんたちだっ。わあ、姐さんたち無事だったんだね」

 嬉しいのかメイビスの胸元に突然飛びこんできて、二人はともに砂浜に倒れてしまった。

「大丈夫、メイビス」レナが二人を起こす。

「ええ、大丈夫ですわ」

 起き上がったメイビスに、恥ずかしいのか少し頬を赤くして身を離して笑顔を見せる少年。「死んじまったかと思ってたけど、すごい、生きてたんだ」

 メイビスがクラークポンを眠らせて賢者の家に行ったことを話すと少年は心底驚いて感心。「すごいやすごいや。でっかい怪物倒すなんて。あんなぼろ船壊れちまってもかまわないさ。姐さんたちがそんなにすごい人だったなんて思わなかったな」

「いいえ。あなたが暗号を渡してくれたおかげですわよ。ありがとうございます」メイビスはそっと微笑み、少年の頭をなでた。

 サーラはそれをよそに、「男の子。男の子だわ。はじめて。はじめて見た。あ、あれは何。家。あんな家、はじめて見たわ」と興奮し、あちらこちらを指差しては飛び跳ねまくっている。

「よほど嬉しいのね」そう言ってレナは他三者を微笑んで見まわしていた。

 少年に別れを告げ、メイビスたちは愛馬を走らせ、最西南端の町ジャベットからただひたすらに北を目指す。

 行き道はあえて避けた町の多い西側だが、ジェラルマの町が西側にあるので仕方ない。できるだけ細心の注意を払い、色々危うい場面もあったものの、三人は十日後、ジェラルマの街に到着していた。

 ジェラルマの町は規模が大きく、夕暮れどきだというのに中央通りはとてもにぎわっていた。

「こんなにいっぱいの人を見るのははじめて。これが都市なのね。島とは大違いだわ」興味深げにあたりを見まわすサーラ。

「あまり変な挙動はしないでくださいな。兵士に見つかってしまうと怪しまれますわよ」

 メイビスの注意にも彼女は聞く耳を持たず、「いいじゃないの、せっかく出てきたんだからもっと楽しみたいし」と金髪を振り乱してかぶりを振り、またきょろきょろし出す。

 まったく、困った少女である。

 その夜は宿を取り、翌朝買い物を済ませてからメイビス、レナ、サーラの三少女はジェラルマの町のさらに西、ドモテ山へと馬を走らせていた。

「ここをまっすぐ西へ行くと川があるわ。それを渡ると草原があって、さらに先がドモテ山ね」レナが地図を覗きこんでそう呟いた。

 ジェラルマの町の特徴は、川が流れていること。大陸に流れる有数の川だ。

 そして数時間後、三人とその愛馬たちは、その川を目前にしていた。

 なんと美しく、広い川だろう。流れは穏やかで、水面に陽光が反射してきらきらと輝いている。

「まあ素敵。川ってこんななのね。綺麗」

 サーラだけではなく、メイビスもレナも感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。

 でも川は美しいだけではなく、厄介なものでもある。

「どうやらこの近くには橋がないようなの。もう少し南か北へ行けばあるのだけれど、遠まわりになるわ。どうしましょう」

 ちらと横目でメイビスを見るレナ。だがメイビスも良案が浮かばず、かぶりを振るしかない。

 筏はいらないと思って海辺の少年に渡してしまっている。さて、どうしたものかとメイビスが悩んでいるとサーラが突飛な案を出した。

「そんなの簡単じゃない。泳いで渡ればいいのよ」

 しかしレナはあまり賛成ではないようだ。「それも確かに一案よ。でもびしょ濡れになってしまうわ」

「そんなこと気にしてるの。馬鹿ね、あんたは」鼻を鳴らし、レナを見下ろす金髪の少女。「馬が泳げること、知らないの」

 その言葉にはメイビスもレナも驚きしかなかった。

「馬は泳げますの」

「あたり前じゃない」サーラは少し自慢げに知識を披露した。「父さんは物知りだから、私に色々教えてくれたの。父さんによれば、馬の比重は水より軽いから、水の中に沈まないんだって。だから前進するための推進力を前脚と後脚で生み出せば身軽に泳げるらしいわ。馬を操ってるあんたたちなら、当然知ってると思ってたんだけど」

 嘲笑するような言い方は少し気に食わないが、彼女の豊富な知識には助けられる。「ではホワーレとブラリーに川を渡って頂きましょう。その上にうまく乗れば、あまり濡れずにいけるはずですわ」

 レナもそれならとうなずき、サーラに微笑みかけた。「ありがとう」

「別にお礼を言われるようなことじゃないわ」顔をそらしそう言うサーラだったが、その顔がにやりと笑んでいるのをメイビスは見逃さなかった。

 そんなこんなで幼い白馬と若い黒馬は、八メートルほどの川をゆったりと瑜伽に泳ぐことになったのである。サーラの言った通り彼女たちは身軽に泳いで渡ってみせた。

「ホワーレ、助かりましたわ。泳ぐのが得意ですのね」

「すごいわ。ありがとう、ブラリー」

 主人になでられ褒められた馬たちは誇らしげだ。

 たどり着いた川向こうの草原は涼しい風が吹いており、短い草がさわさわと静かに揺れていた。

 陽光が暖かく、とても心地よい。

「そろそろ昼食にしましょう」

 レナに言われて、昼食となった。

 メイビスは料理をつまみながら、草原の彼方、割合近くに見える高山を横目にふと疑問を抱く。

 もし願いの石を手にしたら、レナは、そしてサーラは何を願うつもりなのか、だ。

「お二人とも。質問ですけれど、あなたたちの願いは何ですの」

 美しい碧眼でじっと見つめられたレナとサーラ。

 金髪の少女は胸を張り、間髪入れずに答えた。「それはもちろん、世界の平和よ」

 そのずいぶん大層な願いごとに、メイビスは目を閉じてうなずいた。

 結局のところ、メイビスもそれを願っている。だから女王の座を取り戻そうとしているのだ。

「父さんはずっと平和を望んでたわ。誰も悲しまないし苦しまない、そんな世界を。だからその願い、私が叶えるの」

 なんとも立派なことだ。

 だが一方のレナは柔和な微笑みを崩さぬままでその目を泳がせて、それからゆっくりとかぶりを振った。「わたしは特にないわ。でもメイビスとサーラと同じ気持ちよ」

 かつて彼女はメイビスを欲のない人だと言ったが、レナこそ本当に欲がない。

 人間、何か願いごとと言われれば大したことにしろつまらないことにしろ、必ず何かあるはずである。

 だが彼女は今は何もないと言いきったのだ。

「きっと見つかりますわよ、レナの願いも」そう言ってメイビスはそっとレナの手に触れる。とても温かく柔らかかった。

「ありがとう。でもわたしは今、とても幸せなのよ。メイビスがいてくれて、サーラも友だちになってくれて。本当に嬉しいの」そう優しく微笑むレナの黒く大きな瞳には何の嘘偽りもなかった。

 一瞬あたりには静寂が落ちるが、すぐにサーラが急激に立ち上がり鼻を鳴らした。「ふうん。なんか感じのいいこと言ってるけど、早くドモテ山に行きましょ」

 すっかり雰囲気に浸かってしまっていたメイビスははっとなり顔を上げる。

「そうね」気持ちをきり替え、高山の方を向くレナ。

 この草原をつっきればすぐ麓だろう。

 馬に飛び乗る少女たちは、足早に草原を駆け、どんどん高山へと近づいて行くのだった。


 目前に高々とそびえ立つは緑の山。

 ドモテ山を目前にし、メイビスは唇を噛みしめた。

 ここが旅の最終目的、願いの石のある場所である。

「五匹の魔獣がいますのよね」

 またあのクラゲ怪物のように巨大な敵であったらどうしましょうかしら。

 そんな不安を覚えるメイビスだったが、レナもサーラもあまり心配していないようだった。

「心配していても仕方ないわ。ただ倒すしかないもの。恐れずに戦えば、きっと勝てるわ」手提げからレナが短剣を抜き出す。

 サーラもその紅の瞳に戦意を灯して笑う。「レナの言う通りよ。案ずるより産むが易し、とっとと倒しちゃいましょ」

 二人の言葉に自分の臆病さを自覚させられたメイビスは強く目を閉じ、そしてそっと開いた。それから弓をかまえる。「そうですわね。さあ、上を目指しましょう」

 山の中は薄明るく、針葉樹が重なり合うようにして立ち並んでいた。

 少し湿っぽく、あちらこちらの木にはキノコが生えている。

 一見普通の山に見えるが、不自然なことが一つある。

 肉食、草食、どちらの動物もまったく見かけないのだ。それは鳥や虫も同様で、あたりは異常なほどの静寂に包まれていた。

「こんなに静かだと、なんだか不気味ね」

 きっと魔獣の脅威によって動物が近づけなくなっているのだろう。確かに考えてみれば、霧の森でも、あの死の海域でも怪物以外の生物は見かけなかった気がする。

 小一時間ほど山を登り続けていると、馬に乗り慣れないサーラが「疲れたわ」と言い出した。「お尻が痛いわ。そろそろ休憩しましょ」

 だがメイビスは首を振る。

「いつどこから魔獣が攻めてくるかわかりませんわ。しっかり気を引きしめておいてくださいな」

 と、そのとき。

 まるで彼女の言葉に反応したかのように、メイビスの背後から、ごそ、と物音がした。

 それと同時に、針葉樹がばたり、ばたりとなぎ倒される。

 振り返り、メイビスはそれを見た。

 太く長い、土色の何かの塊。それがこちらへ急突進してくるのだ。

「メイビス、逃げて」

 レナに手を引かれ、メイビスが飛び退った瞬間、それは彼女がいた場所をすり抜けて行った。

「危なかったですわ」

 木に衝突し、またなぎ倒してから塊はゆっくりと体の向きを変え、こちらに向き直った。

 その姿を見て、メイビスは息を呑む。

 うねうねとした柔らかそうな肉体、頭か尻かよくわからない先端部分、それは蚯蚓だった。ただし、超巨大な。

 巨大蚯蚓は今度はサーラに向かって突進をはじめた。

 だが横っ腹が空き空きだ。

 メイビスの放った矢が、次つぎに蚯蚓の側面につき刺さる、はずだった。

 しかし蚯蚓は走りながら、ある物を口から吐き出すことでそれを防いだのだ。

 ある物とは無数の土礫だった。蚯蚓の口からあふれ出す土礫が矢をことごとく跳ね返すと同時に、サーラへの攻撃でもある。

 サーラはぴょんと横っ飛びしたが、どすん、と土礫を肩に受け、遠くへ跳ね飛ばされてしまった。

「サーラ」駆け寄るレナ。

 次の攻撃目標を彼女に定めたらしく、レナに向かって弾丸のように駆け出す蚯蚓。

 これからこの怪物のことを土弾蚯蚓と呼ぼう。

 レナを守らなければ。とっさにそう思ったメイビスはとある行動に出た。

「ホワーレ、走りなさい」

 ホワーレに針葉樹の隙間を駆けさせるメイビス。蚯蚓の尻側にまわりこんだ直後、白馬はぴょん、と跳躍し、怪物の背中に飛び乗っていた。

 走り続ける蚯蚓から振り落とされないよう必死になりながらメイビスが叫ぶ。「レナ」

 呼びかけられただけで察するとは、彼女はなんと頭がいいことだろう。

 黒髪の少女は迫りくる蚯蚓などかまうことなく、目の前の土弾蚯蚓へ自分の短剣を投げつけたのだ。

 ぶす、と見事頭に命中し、蚯蚓の勢いが弱まる。

 その隙にレナは昏倒しているサーラを連れて逃げ、土弾蚯蚓の頭から短剣を抜いたメイビスは次の行動に出る。

 ホワーレから飛び降り、ハイヒールを履いた足で直接大蚯蚓の上に立った。

 ホワーレは主人の意図を察していち早く土弾蚯蚓から飛び退き、背後の土礫の嵐の中を駆け去っていく。

 もうすぐ蚯蚓が針葉樹につっこむ。

「その前に、手にした短剣でとどめを刺しますわよ」

 と、そのとき。

 蚯蚓が急停止し、思わぬ方向に頭を向けたのである。それは地面、つまり地下に潜ろうという算段だった。

 察し、すぐに離れようとするメイビスだが、ときすでに遅し。急降下する蚯蚓と一緒になり、彼女も地面の中に引きずりこまれてしまい、一瞬意識を失った。

 すぐ気づいたがそこはもう土の中。

 土弾蚯蚓が掘ったのであろう道が地下通路となってあちらこちらに張り巡らされているのが、薄暗い中でもわかる。

 いつの間にか蚯蚓から振り落とされていたメイビスはふたたびその背中に乗ろうとするが、間に合わない。

 ゴゴゴ、ゴゴゴ。

 轟音を立てながら蚯蚓がすごい速さでどこかへ走り去ってしまったのだ。

 追おうにも口から吐いた土弾の嵐で一歩も進めない。

 そうこうしているうちに、息が苦しくなって喘ぎ出すメイビス。地中の酸素は地上と比して低いはずであり、激しい肉体戦を繰り広げている最中なのだから余計に酸素が必要なのに吸っても吸っても入らず気が遠くなりはじめる。

「しっかり、しなくては」唇をかみ、気を取り直そうとするが、やはり苦しいのには変わりない。

 と、轟音が近づいてきた。

 逃げ去ったはずの土弾蚯蚓だ。地下通路をまわってきたのだろうか、背後から急接近してくる姿が見えた。

 迫りくる土礫。サーラが一発食らっただけで飛ばされて昏倒したほどだ、威力はかなりあるだろう。それにここは地下通路。逃げようにも細い路地のようになっていて簡単には逃げられない。

「ああ」

 叫び、次の瞬間、メイビスは土礫を胸に受け飛ばされ、土の壁に背中を強打していた。

 痛みで動けない。

 息が苦しい。痛い。眠い。動けない。動かなければと思うが足が石のようだ。手が言うことを聞かない。逃げなければ殺されてしまう。だがやはり体は動かず、酸素不足で意識が遠のく。

 土弾蚯蚓がメイビスの目の前までやってきた。その目があるのかさえわからない顔が嘲笑しているように銀髪の少女には見えた。

「こんな奴に、殺されては」

 こんな奴に殺されて、自分は悔しくないのか。そうメイビスは自問する。

 手の届く距離だ。体さえ動かせば届く。早く、早く。

 震える手が、やっと動く。

 それだけで息がきれ、倒れてしまいそうだ。だが気をしっかり持ち、彼女を食わんと大口を開ける蚯蚓にレナの短剣をつき刺した。

 無我夢中でつき刺し続けた。ぶすり、ぶすり、ぶすり。群青のドレスが血まみれになるのもかまわずに、意識の続く限り刺し続けた。咆哮を上げ、土礫を吐く暇もなく土弾蚯蚓が粉々にきられて行く。そんなのはおかまいなしでメイビスはただひたすらにきり、きり、きり続けた。

 そしてやっと我に返った彼女は、そっと呟いた。「やりました、のね」

 そしてそのまま意識を失った。


 気がつくとそこは針葉樹の根本。

 目を開けたメイビスが最初に見たものは、微笑んだ黒髪の少女の顔だった。「レナ」

「よかったわ。大丈夫みたいね。心配したのよ、メイビス」

 心底安心したような柔らかい声を発してレナがメイビスの銀髪をそっとなでる。

 ゆっくりと起き上がるメイビスは周囲を見まわしてから、レナに膝枕をされていたことにやっと気づいた。

「ありがとうございます、レナ」そしてまだ把握しきれない状況を整理しようとまだ少し朦朧としている頭を働かせる。「わたくし、確か」

 地下通路に引きずりこまれ、土弾蚯蚓に殺されそうになったところを滅多刺しにして。

「ああ、起きたのねメイビス」

 そこへ、金髪の少女の声がかかった。

 答える間もなく、彼女はメイビスに駆け寄り、突然に怒鳴った。「もう、心配させて」

 急のことに驚き、絶句するメイビス。

「死ぬかと思ったじゃない。私が気がついたらメイビスがいなくて、レナが蚯蚓と一緒に地下へ消えたって言うから槍で掘ってみたら、あんた血まみれで。引き上げたら虫の息じゃないの。レナなんて心配でおろおろしてたんだから。私、あんたとここでお別れになるかと本気で思ったわよ」

 毒気のある早口のサーラの言葉に、メイビスは少し驚きながらも状況を把握した。

 土弾蚯蚓を倒し、酸欠で倒れた後、そんなに瀕死だったとは。でも今はだんだん意識もはっきりしてきているし大丈夫そうだ。

「ごめんなさい。心配をかけてしまったようですわ。でも体はよさそうですから」

 メイビスがそう言うと、レナはほっと安堵の息を漏らした。「そうなの。無事みたいで本当によかったわ」それから地下を指す。「あの大蚯蚓は倒したようね」

 うなずくメイビス。「わたくし、夢中で細ぎれにしてしまったようですわね。おかげでしっかり絶命しているはずですわ」

「まあ、万事なんとかことは済んだ、ってことね」肩をすくめ、唇を尖らせてからサーラはぷいとそっぽを向く。「勝手なことしないでよね。私もレナもあんたがいなきゃ何のために旅してるかわかんないんだから」

 照れ隠し的なサーラの可愛い反応を見て少し笑い、気を取り直してメイビスはしっかりと立ち上がる。

「これで一匹目の魔獣、土弾蚯蚓は退治しましたわね。後四匹ですわ」

 メイビスに渡してあった短剣を握り、レナも前を向く。「まだまだね。さあ、日暮れが近いわ。先を急ぎましょう」

 そうして土弾蚯蚓を退治した一行は、ホワーレとブラリーを走らせ、さらに頂上を目指すのだった。


 一面の花畑が、針葉樹ばかりの山の中に突然現れた。

「何ですの、ここは」

 馬たちが足を止める。

 あたりは赤や白、青や黄色の花だらけ。気持ち悪いほどに群生したそれらは強烈な悪臭を放っていた。

 それはまるで、「動物の死臭みたい」

 サーラの指摘は非常に的確だった。

 死に、数ヶ月が経った動物の亡骸。それから発せられるなんとも言えない異様な匂いに非常に類似しているのだ。

 花畑には、やはり気持ち悪い蛾やら蛆虫が群れて飛んでいる。

「不気味だわ」レナは長い黒髪を揺すり、いやそうにかぶりを振っている。

 だが、ここを通らなければ願いの石がある頂上には行けない。

 駆け出すホワーレとブラリー。

 鼻がひん曲がるほどの悪臭に、メイビスは頭がくらくらした。

 花畑のちょうど真ん中に達したとき、あ、とサーラが叫んだので他二人は驚いた。

「何なの、サーラ」

 がたがた震え出す金髪の少女。「こ、これ、花じゃない。し、死骸。死骸だわっ」

 彼女が指差した先、そこには血走った目玉と、ぐずぐずになった顔面があった。

「きゃあ」思わずレナも悲鳴を上げる。

 よく見るとあちらこちらにそれらは存在していた。

 この花畑の正体は、魔獣の死骸であった。

「どういうことですの」メイビスは首を傾げずにはいられなかった。

 魔獣の正体は花虎とでも呼ぶべき、花を全身に纏った奇怪な猫型動物。だがそれらは棍棒のような物で叩き潰され、ぐじゃぐじゃになって皆死んでいるのだ。

 考えられることは一つだけ。

「ここへ足を踏み入れた人がいるのだわ」

 この花虎は死後半年から一年と思われる。

 その間にこのドモテ山へ何者かが訪れたに違いなかった。

 それではなぜ土弾蚯蚓が生き残っていたのかと言えば、たまたま遭遇しなかったか魔獣に喰われてしまったかのどちらかになる。

 魔獣が一匹、というか一群れ殺されているのは一行にとって好都合だ。だが同時にとある懸念もあるのだが、「まさか、そんなことがあるはずありませんわ」と脳裏に浮かんだいやな予感をメイビスは振り払った。

 花虎畑を抜けると、また針葉樹の並ぶ道が続いていた。

 それからさらに数時間。

 陽はもう西の空を赤く染め、沈もうとしている。

 山道を馬を駆けさせていると、遠くに池が見えた。

「そろそろ休憩しましょうよ」先ほどからサーラが駄々をこね続けている。

 確かにメイビスもレナも疲れていた。

「では、あそこの池で一休みしましょう」

 池に近づく。と、メイビスは変な冷気を感じた。

 この山の気候は比較的温暖。だからここだけ妙に寒いのだ。

 もう少し近寄ったとき、すぐにその理由は明らかになった。

 池が凍っているのだ。

 でも普通、この気候で池が凍るはずがないのだが。

 進み続けるホワーレ。だがブラリーが突然いなないて立ち止まった。

「どうしたの」

 ブラリーは池の方に鼻をつき出し、何かを訴えかけるように鳴き続けた。

「何か、妙な匂いがするの」

 レナの問いに、肯定するように尾を振りまわすブラリー。

 彼女は一行の中で一番鼻がいい。クラークポンとの戦いのとき、雷の匂いに真っ先に気づいていななき出したのはブラリーだし、先ほどの花虎畑なんて実は昏倒しそうになっていたくらいだ。

 先を行くホワーレにまたがるメイビスは、とある物を見て思わず小さく悲鳴を上げた。

 凍った池の中央、赤黒い何かがある。

 それは凍った牛の無惨な死骸だった。これまた棍棒で叩きのめされている。

 この牛は単に凍ったわけではないようで、全身氷だらけ。どうやら魔獣のようで、氷で攻撃していたらしい。

 メイビスの声を聞きつけて後続したレナとサーラもその惨状に息を呑む。

「また、なの」

 ブラリーが敏感に嗅ぎ取った匂いはこの氷牛とでも呼ぼう魔獣の死臭だったのだ。

 半年だか一年だか前にここに訪れた人物は、一体何者なのだろう。魔獣を殺してくれていることはありがたいが、メイビスにはいやな予感しかしなかった。

「休憩している場合ではありませんわ」

 メイビスに命じられ、ホワーレが踵を返してふたたび頂上へと駆け出す。

 もしメイビスの予感が現実になっていたとしたら。

「待ってメイビス」後からレナの声がし、ブラリーが銀髪の少女たちの後を追う。

 そんなことも気づかずに、メイビスはただただ一心に白馬を走らせ、願っていた。

 願いの石がまだ残っていますように、と。


 頂上はもうすぐだ。

 陽は暮れ、薄暗くなってきている。

 メイビスもレナもサーラも、そして愛馬たちだって、皆へとへとだった。しかし止まるわけにはいかないのだ。

 突然、先を行くメイビスの鼓膜を獣の遠吠えがつん裂いた。

 そして針葉樹の間から姿を現したのは、一匹の狼だった。

 薄い青の毛並み、立派な体格。その灰色の瞳は凶暴で、こちらを睨みつけていた。鋭い牙が口からはみ出しており、額には二本の紺色の美しい角が輝いている。

「魔獣ですわね」

 瞬時に弓をかまえ、メイビスは狼に向けて矢を放つ。

 そのまま狼の脳天につき刺さるはずだったそれは、突然の風に煽られあらぬ方向に飛んで行った。

 狼の額につき出る角、そこから風が吹き荒れたのである。それは暴風で、ホワーレと彼女に乗ったメイビスも、そして他の少女たちと黒馬も一瞬にして軽々と吹き飛ばされてしまった。

「ああ」風になびくメイビスの銀髪。どた、とホワーレから落馬した彼女は暴風の中、風で傾いた木にもたれかかりながらやっとのことで立ち上がった。

 少し離れたところではやはり落馬し、木に衝突したサーラが苦鳴を上げ、レナはブラリーの下敷きになってもがいている。

 狼が、堂々とこちらへ近づいてきて、風が強まる。

 メイビスは必死で弓を放つ。だがまったく効果がなく、ただただ風に払い落とされるだけだ。

 やっと立ち上がったらしいサーラが赤いワンピースを揺らし、きっと狼を睨む。「よくもやってくれたわね狼野郎」

 そして槍を持って突撃しようと駆け出す。が、巻き起こる風に煽られ、ふたたび背後の木に衝突し、呻いた。

 レナもようやくブラリーの下から這い出して息をつき、そして短剣を握った。それから吹き荒れる風に負けぬようしっかりとした足取りでメイビスの傍へ。

「きっとこのままでは、どうにも攻撃できないわ」

 レナの言葉にうなずき、メイビスは狼の紺の角を見ながら考える。

 風は角から発せられている。だから、角を折ってしまえばあれはただの狼となるはずだ。

 だがその角を折る方法が問題だ。

 狼の周囲、四方八方には竜巻が吹き荒れ、決して近づけない。

 矢を放っても槍で突撃してもだめだったし、レナの短剣を投げたところでだめに違いない。

 では木をきり倒して押し潰すというのはどうか。

 いややはりだめだ。

 なぜならこの暴風、木が倒れてきたとしても跳ね除けてしまうだろうからである。

 攻撃できるのは、無風の場所からだけということ。

「無風のところとはどこがありますかしら」

 風のないところ。

 例えば空。だめだ、風狼とでも呼ぶべき魔獣の角からは上にも風が吹いている。

 では、その逆は。

「そうですわ」ひらめき、メイビスは思わず声を上げた。

 その声で、這いずってサーラがやってくる。「何よ」

「何か、いい案を思いついたのね」純白のワンピースの少女が黒い瞳を輝かせ、銀髪の少女を期待の目で見つめた。

「ええ。思いつきましたわ」碧眼で風狼を見つめ、メイビスはその良案を口にする。「地下から攻めればいいのですわよ」


 これは、地下で気絶していたメイビスをサーラが槍で穴を掘って助け出したと言っていたことから思いついた案だ。

 暴風は、四方八方に吹いている。

 だが、地下にはもちろん風がないはず。

 そこを利用した作戦である。

「サーラ、あなたに任せますわ。角を折ってくださいな」

「気をつけてね」微笑み、送り出すレナ。

「任せといて」

 そう言って勝気に笑うなり、槍で掘った穴にサーラは飛びこんだ。

 土の中を槍で掘りながら這いずって進んで行く。

 息苦しい。土が口の中に入る。だがそんなのは賢者の島で暮らしていた半野生児のサーラにはへっちゃらだった。

 地下からでも吹き荒れる風の音がし、風狼の咆哮が聞こえる。サーラは遠吠えを頼りにどんどん掘り進んで、やがて風狼の真下だと思われるところで止まった。

「私、今まで全然活躍できてない。だから、かっこいいとこ見せてやるのよ」

 そう決心を固め、ぶす、と槍を土穴の天井につき刺した。

 顔に土が、どっ、と落ちてくる。咳こみ、片手で土を払い落としながら恐るべく脚力で金髪の少女はぴょん、と跳ね、地上に顔を出した。

「ガルルルル」狼の咆哮がすぐ背後でし、サーラは振り返る。すごい風だ。彼女は必死に狼の尾を掴み、吹き飛ばされないように力をこめる。

「やっ」

 そして空いた方の手で狼の体に槍をつき刺し、背中へとサーラはのし上がった。

 吹き荒れる暴風。鼓膜が破れるかと思うほどの遠吠え。狼は必死で少女を振り落とそうとするが、精一杯彼女は耐えた。どんどんよじ登り、首に手をかける。

 ぐっ、と背中に刺した槍を抜いた途端、ふわりとサーラの体が宙に浮いた。片手だけが首を掴んでいるが、飛ばされてしまいそうだ。

「頑張ってサーラ」

 そのとき、レナの声がした気がした。

「頑張ってるわよ」

 舌打ちし悪態をつき、さらにサーラは力をこめる。「吹き飛ばされるもんですか。角を、折ってやるんだから」

 ぐるぐるまわるサーラの体。足が牙にあたり血を吹き出し、目がまわりそうになっても彼女はしっかり気を保った。

 と、きらりと光る紺色の角が見えた。

 直後、サーラは右手に持った槍でその角を抉っていた。

 竜巻の中を飛ぶ美しい角。

 獣の悲鳴が山中をきり裂き、魔獣は身をのたうちまわらせた。

 風が弱くなる。こうなってはこっちのものだ。

 そのまま金髪の少女は、もう一度槍を振りかぶって思いきり角を跳ね飛ばした。

「やったわ」

 そしてにたりと微笑むサーラは、角と一緒に軽々と宙を舞って行ったのだった。

「今ですわよ」

 二つ目の角が風に舞うのを見届けた瞬間、メイビスは号令をかけた。

 直後、彼女の弓矢が乱舞する。矢は風狼の頭部に命中し、その頭を射抜いた。

 一方のレナはその矢の間をくぐって直撃し、狼の胸に短剣の剣先を向けて血の花を咲かせていた。

 この世が崩れ去るかと思うほどの絶叫をあげて、風狼は目から正気を失って倒れ伏したのであった。

 四匹目の魔獣、その死が遂げられた。


 吹き飛ばされ、ぐったりしていたサーラが目覚めた。

 もうあたりは夜闇に包まれている。

「私、気絶してたみたい」ぴょんと身軽に起き上がった彼女は足に傷を負っていたが、どうやら大丈夫そうだった。

「すごかったですわサーラ。あなたとあなたの槍がなければ、きっと勝てなかったですわよ」

 メイビスに褒められ、ぷいと顔を背けながら、「当然よ。だって賢者の娘だもの」と少し照れて笑うサーラなのだった。

 だがこれで終わりではない。頂上、そこに五匹目の魔獣がいるはずなのだ。

 ホワーレもブラリーもきっと疲れきっているに違いない。だが休んでいる暇はない。目的地は目前である。

「ホワーレ。もう少しだけ頑張ってくださいな。きっと大変な戦いになりますわよ」

 メイビスの言葉にホワーレはうなずくように尾を振った。

 最後の戦いに向けて、白馬と黒馬は山頂へと駆け出した。


 山頂にたどり着いた。

 そこに待ちかまえるはいかにも怪しげな洞窟である。

「ここにきっと願いの石があるのね」そう言いながらレナは短剣をかまえる。

 自慢の槍をくるくるまわし、サーラは余裕の表情だ。「どんな奴でもやっつけて、願いの石を手に入れちゃいましょ」

「やっと、ですわね」

 メイビスは思う。

 最初、旅出のときに誓ったこと。冤罪を晴らし、王女の座を取り戻す。

 それがやっと、願いの石によって叶えられるのだ。

 静かに少女たちは馬から降り、そっと洞窟の中へと足を踏み入れた。

 ぱっ、と明かりがつき、三少女は驚く。レナなどは悲鳴を上げたほどだ。

 普通、この世界で一般的な灯りといえば蝋燭やランプ、城などの特別な場所になるとシャンデリアなどだ。だが洞窟を照らすのは、石の天井にはめこまれた青白い宝石だった。それは人がくると光るような仕かけになっているようである。これも滅びた魔術の一端に違いなかった。

 灯りで照らされた先、一台のテーブルがある。そしてその手前に横たわっているものを見た瞬間、メイビスの胸は一瞬で絶望に染まった。

 それは、魔獣の死骸だった。

 蛇の体にコウモリのような大きい羽、それはいわゆるドラゴンである。

 鱗は燃えるような赤で、炎竜とでも呼ぶべき魔獣だったのだろう。だがその頭部はことごとく打撲跡があり、鱗は何枚もはがされていた。あたりには血痕が飛び散っている。それは明らかに死後半年以上は経っていた。

 やはり、メイビスのいやな予感の通りだった。最初、花虎の群れが死んでいたのを目のあたりにしたとき、メイビスはこの懸念を抱いたのだ。ここへ足を踏み入れた何者かが魔獣を倒し、そして願いの石を手に入れてしまったのではないか、と。

 そうは思いたくなかった。

 だが現に目の前には五匹目の魔獣の死骸が無惨にも転がっている。

「そんな」レナもやっと状況を理解したらしく、小走りに奥の机に駆け寄る。

 きっとそこには願いの石が置かれていたのだろう。しかし卓上には何もなかった。

 がく、と膝を落とし、メイビスは座りこんでしまう。「先に誰かが持ち去ってしまったなんて」

 何日も、このために旅をしてきたのに。

 ただひたすらに、このときを待ち望んで戦ってきたのに。

 願いの石はどこに行ったのだろう。どこへ消えてしまったのだろう。ただ確実なことは、ここにはもう存在しないということだけだった。

「諦めちゃだめよ。だって、諦めたら何の願いも叶わないんだから。きっとどっかにあるはずよ」だが、サーラは決して落ちこんでいず、前を向いていた。

 その姿勢に少しだけ勇気づけられるメイビス。

 きっと、この世界のどこかにはまだ願いの石がある。その所在を知ることができればいいのだ。

「そう、ですわね。ジェラルマの町の人なら何かを知っているかも知れませんわ」

 簡単には屈しない彼女たちを見てか、レナも仕方なしといった様子で微笑む。「そうね。では明日から色々訊きましょう。今日はもうさすがに疲れてしまったわ」

 そして、少女たちは複雑な心境のままに洞窟の中、炎竜の亡骸の傍で眠ることにした。

 メイビスはことがそんなにうまく進むとは思っていない。だが決して諦念する気はなかった。

 約束されていた女王の座を取り戻すためにも、ヴァルッサ王国に安寧をもたらすためにも。「絶対に、願いの石を手に入れてみせますわよ」


 翌朝早く、メイビスたちは愛馬にまたがってドモテ山を駆け降りた。

 草原を駆け抜け、目指すはジェラルマ。

 川を渡って着いた町は、かなり人手が多く商店街などには人がごった返していた。

 少女たちは三手に別れ、メイビスはホワーレ、レナはブラリーに乗り、サーラは徒歩で町の人に話しかけてはドモテ山のことを訊ねてまわった。

 メイビスとサーラはいい情報は特に得られなかったが、レナがこんな話を聞いたらしい。

「あの山には宝が眠っているという噂が古くからあって、探検家たちがよく行くのだけれど、皆帰ってこないそうなの。でも、半年くらい前ね、その人は山に入ろうとする女性を見たらしいのよ。心配になって訊いてみたら彼女は侯爵令嬢と名乗ったそうよ。宝探しをすると言うから止めたのだけれど彼女は行ってしまって、てっきり死んだと思っていると数日後に町で見かけたと言うのよ。そのまま彼女は町を去って行ったらしいわ」

 レナの聞いた話がもし本当だとすれば、だ。

 侯爵令嬢、つまりドロドーが宝探しをしにドモテ山に入り、願いの石を手にしたことになる。

 棍棒でことごとく魔獣を殴り殺していたのも彼女の仕業に違いなかった。

 そして願いの石を手にした彼女は何を願ったか。

 もちろん決まっている。世界一の美女になることである。世界一の美女、それすなわち王妃の座を意味する。つまり彼女は願いの石の力で王妃となり、そして現在女王になることができたのだ。

 そこまで考えて、メイビスは唇を噛まずにはいられなかった。「そんなからくりでしたのね。そう思うと、願いの石が憎々しくて仕方ありませんわ」

 誰もの願いを叶え、幸せにする願いの石。だが反面、その者の願いを叶えることで多くの犠牲者が出ることもある。これが賢者の言っていた魔術の光と影ということだろう。魔術とはなんと恐ろしい文明だったのだろうか。

「どういうことなの」どうやらまだ状況を把握できていないらしいサーラが首を傾げる。

「つまりね」少し笑顔を崩し、俯き加減で説明するレナ。「侯爵令嬢というのは、今の女王のことなの。だからきっと、今も願いの石はドロドー女王の手にあるはずなのよ」

「え」事情にあまり精通していないサーラだが、それでもやはり驚きは大きい。「偽の女王が持ってるの。じゃあ、お城にあるってこと」

 多分そうなる。

「まあ、まだ確実な話ではないわ。もう少し聞きこみを続けましょう」

 そして今度は三人一緒で詳しく話を聞いてまわると、さらに証言が集まった。

 半年くらい前に侯爵令嬢を見たこと、ドモテ山への道を訊ねられたこと、山に入ったのを見たこと、等々。

 つまり、その情報はもはや確実だということである。

「困りましたわね」

 こんな事態は、さすがのメイビスですら想像していなかった。

 願いの石を手にすればすべてが解決するはずだったのに、ドロドーから奪わなければならないなんて本末転倒もいいところだ。

 大通りで馬を走らせながら、メイビスはほとほと困ってしまっていた。

「城へ乗りこんじゃえばいいんじゃないの」

 サーラの提案。だがあまりにもそれは乱暴過ぎる。

「それには人員が足りませんわ。わたくしとレナ、そしてあなたと、ホワーレとブラリー。多めに数えても戦力は五ですもの。向こうの戦力は数知れませんのよ。かなうはずがありませんわ」

「そうよね」悔しげにうなずくレナ。「でも他にいい考えが思い浮かばないわ」

 そうなのだ。

 願いの石は城にあり、そしてメイビスの仇であるドロドーも城にいる。簡単に考えればサーラと同意見だが、戦力を増やす方法なんて思いつかないし、全く別なる方法で望みを叶えることはできないだろう。

 つまり八方ふさがり。命を捨てる気で一か八か乗りこんでみるのは案としてはあるが、死んでしまったら願いの石も手にできないわけなので危険過ぎる。

 頭を悩ませ、できる限り回転させる。でも何も良案は浮かばなかった。

 と、そんなときだ。

「いたぞ」「いたぞ」「王女だ」「捕まえろ」

 背後で突然数人の大声がした。

 はっとなり、振り返ってみれば兵士たちだ。ざっと見て八人程度。どうやら見つかってしまったらしい。

 だがこの程度のこと、メイビスたちは慣れっこだった。「逃げましょう」

 ホワーレとブラリーが風のように人混みの中を駆けていく。

「待て」「逃げるぞ」「そこの奴、取り押さえろ」「犯罪者だ」どたどたと大きな足音を立てて追ってくる数人の兵士。

 人とぶつかりそうになり、転びそうになりながらも白馬と黒馬は必死に走る。

 そして少し人の少ない通りに出た。

「このまま逃げきりますわよ」

 だが、その通りに駆けこんだ瞬間、背後から何かがメイビスのすぐ脇を通り過ぎて行った。

 それはなんと彼女の拳ほどの大きさの硬い石だった。

「投石器だわ」レナが振り返り、叫ぶ。

 メイビスは心底驚いた。だって今まで、彼らはただ単に追ってくるか、矢を放つのみだったからだ。矢ならレナの短剣で簡単に打ち落とせたが、こんなに大きな石だとそうもいかない。投石器は高価な兵器であるが、どうやら軍事に力を入れているらしいドロドーの支援によって買い入れたのだろうと思われた。

 背後から次つぎと迫りくる石の嵐。

 サーラが槍を振りまわして巨石を跳ね飛ばす。だが絶え間ない攻撃に対応しきれなかった。

 メイビスも必死で弓を引き、兵士二人が白目をむいて倒れる。だがそんなことまったくおかまいなしで、石の雨は降り注ぐ。

 すぐ前に脇道があるのを見て命じるメイビス。「ホワーレ、あそこに駆けこみなさいな」

 脇道は細く、そこなら逃げきれるかも知れない。

 ぐんぐんとスピードを上げる白馬。と、脇道に入る直前、突然背後からどす、と音がした。

 振り返るメイビスはそれを目にし、絶句する。

 艶やかな黒馬の上、石が、レナの白いワンピースを着た脇腹を抉って通り過ぎて行ったのだ。

 湧き上がる血しぶき。

 ぐらりと体制を崩し、彼女はブラリーから転げ落ちてしまった。

「ああ」黒髪の少女から発せられる呻き声。

 そして直後、駆け寄る三人ほどの兵士が身悶えるレナを押さえつけた。彼女は必死に抵抗するが、それもむなしくじたばたする他にない。

「レナ、レナ」銀髪を振り乱して叫ぶメイビス。

 ブラリーは主人の危機を見て、脇道から戻ろうと迫りくる石の嵐へつっこもうとする。だが、サーラがそれを一喝した。

「あんた、死ぬ気なの。逃げなさい。殺されたくなきゃ逃げなさいっ」

 強く命じられ、悲しげにいななきながらブラリーはレナから離れて走り出すしかなかった。

「レナ」ふたたび呼び叫ぶメイビスのどんどん離れて行く背後、レナの悲痛な叫び声が街に木霊していた。

「メイビス」


 ホワーレに脇道を駆けさせ続けるメイビスは、本当なら今すぐ黒髪の少女の元へ戻りたい。

 だが盾がないので石には敵わず、今はただ逃げるしかないのだ。

 レナを取り押さえた兵士以外の三人が投石器を手に二人の少女を追ってくる。

 槍を振りまわし、石をなんとか回避しているうちに、なんと目前には一面川が広がっていた。昨日の昼渡ったあの川の少し下流だが、川幅が狭く流れが急だ。

 ここがどうやらつきあたりらしく、他の道は見あたらない。覚悟を決め、メイビスはホワーレに強く命じた。「飛びこんでくださいな。そして流れの方に泳ぎますのよ」

「え、ここ渡るの」

 驚くサーラだが、すぐ背後には兵士たちが迫っている。ためらいなく、ホワーレとブラリーは川に身を投げた。

 一瞬体が沈み、溺れかける。だがすぐに浮上して、息が楽になった。

「狙え、狙え」

 川の上から飛んでくる石。だがどれも槍に邪魔されてうまくあたらないようだ。

 川の流れがやたらと早く、メイビスたちはどんどん流されて行く。

 そしてメイビスとサーラ、ホワーレとブラリーがたどり着いたのは下流の町、ペチクルだった。


挿絵(By みてみん)                     (第七章 挿絵)

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