第五章 死の海域
ジャベットの町は海からの暖かな南風が吹きとても温暖で、静かなところだった。
朝早く、町のとある通りを、メイビスたちは海岸を目指していた。
とうとうここが大陸の南西の端である。
ここから海を渡ってまっすぐ西の島こそが目的地である賢者の島だ。
そのために必要なものを買いに、今歩いているのである。
街並みはレンガ造りの建物が並んでおり、道には人がまばらだった。朝早いのもあるだろうが、おそらく人口はそれほど多くないのだろうと思われた。だってここは辺境の地なのだから。
と、レナが声を上げた。「海だわ」
街並みを眺めていたメイビスも前方に目をやり、正面に広がる真っ青な海を見た。
海に囲まれた大陸なので海は別に物珍しくない。が、その彼方に見える緑の点がすごく目立っていた。
それは島という、メイビスもレナもはじめて目にするものであった。
「わたしたち、あそこへ行くのね」
目的地を目にし、その美しさに感嘆の声を漏らす二人。しばらくその景色を目に焼きつけてからさらに進んだ。
そして数分後、二人は今、先ほどの建物の群れとは一風変わった家屋の前に立っていた。
その家屋は木造で、磯の香りがする。ここは海辺の砂浜に建っている漁師の小屋だ。
戸を叩くと、一人の青年が現れた。「何の用だい、お嬢さん方」
メイビスはさっそく用件を口にする。「あの、わたくしたち、船を譲って頂きたいと思いましてここへ参りましたのよ」
船。それは死の海域を渡り賢者の島へ行くための必須アイテムだ。だが朝宿主の女性に話を聞いたところ船を持っている人は少数であり、ここを含む漁師の家数軒にしかないらしい。
「船か」メイビスとレナをなめるように見まわして青年がうなずく。「では少し中で話そうか」
すぐに二人は中の居間へ通された。
今朝まで泊まっていたこの村の宿と比較してもかなり質素な造りだ。おそらくあまり裕福ではないのだろうと推測できた。
「誰、その人たち」
居間の奥、台所からひょっこり顔を出してきた十歳くらいの少年が青年にそう訊ねた。
「ええとこのお嬢さん方、船を買いたいらしいんだ」
「へえ」少年は好奇の目でメイビスとレナを見つめた。「姐さんたち、もしかして貴族なのかな。だってそんなドレス着れるの貴族だけだろ」
「いいえ、旅人ですわ」話の脱線と無駄な情報開示を嫌ってメイビスはかぶりを振る。
なかなか勘の鋭い子供だが、まさか王女と伯爵令嬢とは思うまい。
「さあさあ。せっかくのお客さんだ、お茶を淹れてあげなさい」青年はそう言って少年を追い払った。そして少女たちに向き直り、「船を買いたいんだね。だがあいにく家は貧乏で、一層しか船を持ってないんだよ。それも小さい船だしね。売ってあげることはできないんだ」と言った。
そんなこと、予測済みだ。メイビスはまったく戸惑うことなく、こう言いきった。「それがもし、二十億ノラと引き換えに、だとしてもですかしら」
青年が息を呑む。「二十億ノラだって。それは本当かい」
現在、メイビスの持ち金は旅出のときから半分より減って四十億ノラ。
その二分の一である二十億ノラを支払うのは多少の痛手ではあるが、それは覚悟の上であったし、今使わないでいつ使おうか。
「ええ本当よ。わたしたち、どうしても船が必要だから、譲って頂きたいわ。お願いよ」レナも懇願する。
これは完全に青年の負けだった。「二十億ノラ、本当にいいのかい」
「ええ」メイビスはうなずく。
「なら買った」青年に迷いはなかった。
少年が台所からお茶を持って戻ってきたときには、もう商談はまとまっていた。
「では船を見せて頂きましょうか」
メイビスの言葉に驚く少年。「えっ、兄さん船売っちまったのかい」
「ああ売ったよ。でもいいじゃないか、二十億ノラだぞ。あの船が一億ノラだったんだ、また同じ物を買えば十九億ノラもお釣りが出る」そう言って青年は陽気に笑った。
「二十億ノラだって。ならいいや。船を見る前にお茶飲んで行きなよ。美味しいからさ」
確かになかなか美味しい紅茶をすすってから、メイビスとレナは漁師の兄弟に連れられて海岸の砂浜へ出た。
「これがおいらたちの船だ。あ、もう金もらったから姐さんたちのか」そう言って少年が笑い、指差したのは先ほどの小屋に鎖で繋がれた、小さな木造の舟だった。
オールのついた手漕ぎ船だ。ちなみに屋根はなく、船体は卵型に近い。ずいぶんと安っぽい造りだが、メイビスは満足した。
「これで充分ね」レナもうなずく。「じゃあさっそく漕ぎ出しましょうよ」
だが青年は少し不審げに小首を傾げた。「お嬢さん方、船を漕げるのかい」
メイビスは船を漕いだことがない。それはレナも同じだ。だが、簡単に漕げるものだと思っていた。「わかりませんわ。はじめてですもの。そんなに難しいんですの」
「そりゃそうさ」呆れたように肩をすくめる少年。「仕方ないなあ、おいらが教えてやるよ」
それからメイビスとレナは、少年に舟漕ぎを教えてもらった。
だが確かになかなか難しいもので、下手に漕ぐとまったく進まないし波に押されて転覆しそうにもなった。だが、少女二人はたった半日で習得することができていた。
一旦砂浜に戻って休憩し、夕陽に照らされる少年と二人の少女。
「姐さんたち、すごいや。おいらなんてこれ漕げるようになるのに一ヶ月もかかったのに」
「いいえ、きっとあなたの指南がうまかったのよ」黒髪の少女はそう言ってまだ幼い少年の頭を優しくなでた。「ありがとう」
「ところで姐さんたち、この船でまさか賢者の島へ行こうっていうつもりじゃないだろうね」
心配げな少年。だが無情にもメイビスはうなずいた。「ええ。そうですわよ」
少年は大きくかぶりを振った。「だめだ、そんなの。姐さんたち知らないのかい、あそこへ行った人はみんな帰ってこねえんだ。みんな、みんな」
「知っていますわよ」メイビスは静かに言った。少年を見つめるその目はとても穏やかだ。「心配してくださって感謝しますわ。けれど行かなければならない理由がありますのよ。死の危険があるからと言って、引き下がるわけには行きませんのよ」
その意思の強い碧眼に押され、溜息をつく少年。その目にはうっすら涙が浮かんでいるようにレナには見えた。「仕方ねえ姐さんたちだな。じゃ、兄さん呼んでくるよ」
そう言って少年は木造のぼろ家へ走り去った。
やがて少年が青年を引き連れて戻ってきた。「もう上達したんだってね。よかった」
沈みゆく夕陽が、輝く海を茜色に染める。
もうそろそろ別れのときだ。
「そうだ。これ、おいらの部屋から取ってきたんだ。姐さんたち、賢者の島に行くんだったらこれを持ってくといいよ」
そう言って少年が手渡したのは、四つに折りたたまれた小さな紙きれだった。
紙を開いて、メイビスは書いてある文字を読んでみた。
「この暗号を解いて海を渡れ
一二三四五六七八九
うたうもりをこえた→七四五三二六一九八」
「何ですの、これは」首を傾げ、もう一度読み直すメイビス。だが何が書いてあるやらさっぱりわからなかった。
「暗号みたいね」
レナの言葉にうなずく少年。「そうさ。それは賢者さんがこの村に残した暗号だって。これを解かねえと海で死んじまうらしいんだよ」
メイビスは女王になるため、ずっと勉強をしてきたので頭がいい自覚はある。だが暗号なんていうものは解いたことがないのだ。
賢者の島までの死の海域。そこを渡る鍵が、この暗号に隠されているのだとすれば、解かなければならないのだが、レナは「まあいいわ。早く出発しましょうよ」とメイビスをせかし、先に船に乗りこんでしまった。
「ありがとうございます。大切にしまっておきますわね」少年に軽く一礼し、メイビスは手提げ鞄にそっと紙きれをしまいこんだ。
木造の小舟に駆け寄り、船に腰かける。
「さようなら」背後から大きな声がし、振り返ると青年が手を振っていた。「ありがとうございました」
「姐さんたち、気をつけろよ」少年も笑って見送ってくれている。
「さようなら、ありがとう」
「お二人ともお元気で。さようなら」
レナとメイビスが微笑み、手を振り返すのを見届けると、青年と少年は小屋へ戻って行った。
少女たちは前に向き直り、青い海を見据えた。
「さあ、いよいよね」レナがなんだか楽しそうに微笑む。
目的地は目前だ。メイビスは唇を強く噛みしめ、はるかの賢者の島を青い瞳でじっと見つめた。
そうしてメイビスとレナ、それにホワーレとブラリーの乗る小舟は、死の海域へと漕ぎ出したのだった。
出港してから五日が経った。
雨が降ることもなく海も穏やかで、船旅は非常に順調に進んでいた。
少し困ったことと言えば、一日中漕いでいるのでは少女たちの細い腕が耐えられないため、なかなか一日で進める距離が少ないことくらいだ。
賢者の島は近いようで遠く、なかなかたどり着けない。だが確実に日々近づいていた。
その日もとてもいい天気だった。
さざ波に揺られながらただひたすらに漕ぎ続けているメイビスとレナ。
前方を見つめ、黒髪の少女が訊ねる。「賢者の島にはいつ頃着きそうかしら」
島はもうかなり近く見える。しばらく考えてからメイビスは答えた。「きっと順調にいけば今日中にも着けますわ」
安心したように微笑むレナ。「よかったわ。あと何日も漕ぎ続けていたらきっと腕が破裂してしまうもの」それから遠い目をして、「賢者の島はどんなところなのかしら」と無邪気に笑った。
そんなとき、ブラリーが突然騒ぎ出した。
「何なの、ブラリー」
尻尾をぶんぶん振りまわし、少し怯えているようにも見える。あまりにも急なことで驚きながらもレナが彼女を宥めようとするが全然落ち着く様子がなく、鼻を天へつきつけて何かを訴えかけるようにいなないているのだ。
ブラリーの突然の異変を不審に思うメイビス。すると傍で脚を折りたたんで座っているホワーレもそわそわし出した。
「ホワーレもブラリーもどうしましたのかしら」メイビスが美しい銀髪を揺すって首を傾げたそのときだ。
ぽつ、と彼女の顔面に水滴が触れたのである。天を見上げたメイビスは思わず「あら」と声を上げた。
「どうしたのメイビス」
先ほどまですっきりと晴れ渡っていたはずの空がどんよりとした雲で覆われていたのである。
そして直後、滝のように雨が降り出す。それと同時に、暗雲から怒号のような雷鳴が響いた。
「きゃっ」レナが悲鳴を上げる。
一瞬で服はずぶ濡れになり、大雨で視界が悪くなった。
雷鳴がふたたびし、稲妻が走る。穏やかな海は一変、荒れ狂いはじめた。
「どうしましょう。困りましたわ」あいにく船に屋根がないので雨宿りは不可能。羅針盤というものはこの世界にはないため、雷はかなりの脅威だった。
鳴り止まぬ雷鳴。そこへ、新たに割って入る音があった。
ゴゴゴゴゴ、ゴゴ、ゴゴゴゴ。それは地震のような、世界が崩れ落ちるかのような轟音だった。
直後、メイビスもレナも目を見張らずにはいられなかった。
荒れ狂う波間から、白く奇怪な物体がつき出してきたのだ。それはとてもとても巨大でであった。
絶句し、硬直する少女たち。
大豪雨が小舟に叩きつけ、嵐が吹き荒れる。白い物体はさらに海上へと頭をもたげ、その姿を露にした。
それは、いくつもの触覚をうねらせた特大のクラゲだった。その肉体は白透明で、薄ぼんやりと光って見える。
「何よ、あれは」やっと体の緊張が解けたレナがさっと大きな鞄から短剣を抜き出す。そしてちらりと横目でメイビスを見た。
レナにうながされて弓をかまえるメイビス。「何にせよ、あまり歓迎すべく相手ではなさそうですわね」
巨大クラゲは傘の縁をぐるりと囲むようにたくさんある赤い目をぎらぎらさせながら、ものすごい威嚇音を発して触覚を振り上げた。そして次の瞬間、その触覚からすさまじい稲妻が放たれていた。
それは船に向かってまっすぐ飛んでくる。だがレナも負けてはいず、なんと短剣で迫りくる稲妻を真っ向からなぎ払った。
「すごいですわ」メイビスは驚きつつ感心。
「わたしの短剣は特別製なのよ」自慢げにそう言いながら、レナの目は巨大クラゲから離されていない。
次はこちらの番だ。
思いきり弓を引き、矢を放つメイビス。
それは確実にクラゲの傘へ届いた。が、なんということだろう。傘はぶよんとそれを跳ね返し、びくともしなかったのである。立て続けに迫りくる矢の嵐は、同様にして海に散っていった。
触覚をもたげ、次つぎにクラゲが稲妻を放つ。閃光はまっすぐに無防備なメイビスを狙っていたが、船体が大波に揺られぶれて、船先が稲妻を受け砕け散った。
恐るべき威力である。
「さすが、死の海域の守り人ですわね」
ここが死の海域と言われる所以。それは、この怪物のためだ。
きっと巨大クラゲは渡航者を見つけると嵐を連れて現れ、旅人たちを一瞬で粉々にして去っていくのだろう。そんな恐ろしい敵に今、メイビスとレナはたった二人で立ち向かわなければならないのである。
傘以外のところを狙い、メイビスは矢を放つ。
どうか傷を与えますように、そう願って見てみると矢が刺さったはずの触覚はまったく何の衝撃もなく健全で、クラゲの体に溜まっているのであろう電気で真っ黒焦げにされた矢がぽとり、ぽとりと落ちて海に呑まれていくばかりだった。
次つぎと襲来する稲妻。レナが必死できり払うがそれにも限界があり、嵐もあって船はもろもろと崩れていった。
白馬と黒馬は悲鳴のようないななきを上げながら、うずくまってしまっている。その姿はまるで絶望しているようだった。
戦況はどんどん悪化するばかりだ。
「ああ」
メイビスのすぐ傍を、ものすごい速さで閃光が駆け抜けて行った。
「大丈夫、メイビス」前方で戦っていたレナが振り返る。
メイビスには幸い、怪我はなかった。「大丈夫ですわ。けれどこのままでは負けてしまいますわよ」
「そんなことを言っても、どうすれば」
船の上をあちらへこちらへ跳躍し舞うレナはとても美しいが、その表情は苦々しい。
この化け物を倒す方法が、一体ありますのかしら。目の前の体内に宿した電気でぼんやりと輝く怪物に、何か弱点があるのでしょうか。
そこまで考え、メイビスはふと元船主の少年がくれた紙きれのことを思い出してはっとなった。「あれですわ」
あれには確か、この暗号を解いて海を渡れと書いてあった。
すっかり忘れていたが、あれなら何かこの恐るべく怪物を打倒する方法が記されているのではないか。
「もう少し持ちこたえていてくださいな。わたくし、いいことを思いつきましたわ」
短剣を振りまわし跳ねまわるレナにはきっと意味がわからなかっただろう。だが彼女は何も言わずにうなずいた。「わかったわ。できるだけ早くお願いね」
「ええ」
大風が吹き大雨が叩きつけ稲妻の轟音が響く中、うずくまり、メイビスは手提げ鞄からあの紙きれを取り出した。
紙にはこう記されている。
「この暗号を解いて海を渡れ
一二三四五六七八九
うたうもりをこえた→七四五三二六一九八」
『うたうもりをこえた』。それに数字。全然わからない。だがメイビスは周囲の雷鳴すら忘れて頭を働かせた。
背後では必死にレナが雷を打ち払ってくれている。だからメイビスだって死に物狂いで頑張らなくては。
左から一から九までの数字が『うたうもりをこえた』の文字の上に書かれ、右側には一から九までのランダムに並べられた数字があっる。そして鍵となるのはなぜ暗号の文字がひらがななのか、だ。
「あ」ひらめき、メイビスは思わず小さく声を上げた。
九文字のひらがな。それをそれぞれ上の数字に置き換え、右の数字の通りに並べてひらがなに戻すと。「こもりうたをうたえ。つまり子守唄を歌え、ですわね」
子守唄を歌えば怪物が静まるのだろうが、メイビスはあいにく歌には滅法疎い。
どうすればいいかと困り果てていると、レナから声がかかった。「メイビス。どうしたの」
「怪物の倒し方がわかりましたのよ。でも、困ってしまって」
メイビスは簡単に事情を話した後、美しい銀髪を揺すってかぶりを振りながら、悔しげにうつむくしかなかった。「ごめんなさい。どうすれば」
だが、レナはとても可憐な笑顔を浮かべていた。
「ありがとう。それならわたしに任せて」
驚き、え、とメイビスの喉から情けない声が漏れる。「レナが」
「そうよ。わたし、歌には自信があるの。やってみる価値はあるわ」
そしてレナはほい、とメイビスに短剣を投げ渡す。
「使い慣れないでしょうけれど、それで戦って。わたしは歌うから」
なんと馬鹿だったのだろう。メイビスは自分の愚かしさに苦笑した。
霧の森でのことがそうだ。なんでも一人で成せるわけではない。協力してこそ、旅は、冒険は成り立つというのに。
レナの力強い言葉に勇気づけられ、短剣を受け取るメイビス。「わかりましたわ。お願いしますわね」
風音が、雨音が、雷の音が、巨大クラゲの稲妻の音が、この場のすべての音を掻き消し、鳴り響いていた。
その中で黒髪の少女は舟の艫に優雅に立ち、轟音たちをもろともせずに口を開いて、目の前の巨大クラゲをじっと見つめながら歌い出した。
彼女の喉から歌声が漏れた瞬間、レナの短剣を振りまわすメイビスはあたりの音が聞こえなくなったように錯覚した。
レナの歌声はとても美しく、まるで小鳥のさえずりのようだった。柔らかでとても優しく、すべてを包みこむような美声。それがゆっくりと、子守唄を奏でる。
濡れた純白のワンピースを揺らし、少し踊りながら歌い続けるレナ。その目は怪物を見つめるようでいて、はるか遠く、記憶のどこかへと向いているように見えた。
巨大クラゲの方へ目を移せば、あれほど次つぎに触覚から稲妻を放っていたのが動きがゆっくりになってきている。
「眠れや眠れ、ゆりかごの中で」
まるでハープを奏でるように、歌声が荒れ狂う海に響き渡る。今はもう、この静かな子守唄こそがこの場を支配していた。
ホワーレもブラリーも先ほどまでの興奮が何だったのか、すっかりおとなしい。
風が弱まり、雨は小雨になる。暗雲はゆっくりと立ち去っていく。
歌うレナは微笑を浮かべ、どこか楽しそうだった。
「ゆっくりおやすみ。おやすみ。さあ眠れ」
歌が終わると同時に、巨大クラゲの傘の縁の赤い目から光が消えた。そして大きな波音を立て、ゆっくりと海へ消えていったのだった。
気がつくともう空はすっかり晴れていた。
大破した舟の上、メイビスは感激し、預かっていた短剣を返してレナに言った。「とても素晴らしかったですわ。レナがあんなに歌がお上手だったなんて」
レナはそっと微笑んだ。「ありがとう。あれは亡くなった母に教えてもらった子守唄なの。母は歌が上手だったから、わたしも歌いたいと思っていつも練習していたのよ」
レナの母親が死んでいることをはじめて聞かされ、わたくしと同じですのね、と銀髪の少女は少し共感と変な安心感を覚える。
それはともかく、メイビスはレナに感謝するばかりだ。「そうですのね。本当に、ありがとうございました」
「いいのよ。だってメイビスが暗号を解いてくれなければ、わたし、あのまま死んでいたでしょうし」
「そうですわね」
少女たちは微笑んで手を握り合い、無事を祝った。
でもまだ一つ問題が残っている。
「船がこんなに壊れてしまいましたわ。どうやって賢者の島まで」
行きましょうかしら、と言おうとし、メイビスは正面を見て驚いた。
ずっと大雨で視界が悪く、今の今まで気づかなかったが、島がすぐそこに見えていた。きっと、嵐で小舟が流され、ここまでたどり着いていたのだろう。
船はもうどうやら浜に乗り上げているらしかった。
「よかったわ」レナが心底安心したように溜息をつく。「わたし、泳いで渡らなければならないのかと思ってすごく不安だったのよ」
それはもっともな意見で、メイビスも泳いだことがないので舟がもし海のど真ん中にいたらどんなに困っていたことだろうか。無傷だったことといい、色々幸運続きである。
「この幸運を逃さないように、早く上陸しましょう」
船を降りると目の前には緑が広がっていた。島には一面の森と大きな山があり、そこに賢者がいるに違いなかった。
二人とも少し疲れていた。だがまだ昼過ぎで、今足を止める気はさらさらなかった。
「さあ、行きましょうか」
そうして二人は目的地、賢者の島に足を踏み入れたのだった。