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第四章 霧の森にて

 フェレンチェを去り、東側の海沿いへ出てただひたすらに南を目指す二人。

 丘を越えて、底なし沼と言われる泥沼を苦心して渡り、ドロドーに批判的だった子爵の燃える屋敷から彼らを救い出して感謝されながら、少女たちは島の最東南端の村へたどり着いた。

 しかし賢者の島があるのは大陸の西側。なぜわざわざ最初から西側へ行かなかったのかと言えば西側の方が町が多く兵士が配備されている可能性が高いからである。

 そこの宿で目を覚ましたメイビスとレナは食卓を囲み、地図を眺めながら話し合っているところだ。

「ここが最南東端の村ですから、西側へ行く必要がありますわね」

「この村からすぐ西は霧の森と書いてあるわ。さらにその先が最南西端の村みたいだけれど、霧の森とは何かしら」レナが首を傾げる。

 確かに霧の森とはメイビスも聞いたことがなかった。「今日はそこを行くことになりますけれど、村で買い物と情報収集を行いましょうか」

 群青色のドレスを揺らすメイビスと純白のワンピースをなびかせるレナは宿を出て村の市場へ訪れていた。

 この村は今まで見てきたどの町より村より人が少なく、活気はなかった。

 そこで食料などの買い物を済ませると、二人はたまたま出会った初老の女性に話を聞くことにした。

「あの、霧の森についてうかがいたいのだけれど、何かご存知かしら」

 レナの問いにびく、とし、女性が身を硬くするのが傍目からもわかる。「き、霧の森だって」

「ええそうですわ。そこへこれから行こうとしているのですけれど、どんなところかよく知らないので教えて頂ければと思いまして」

 女性は激しくかぶりを振った。「あんなとこ行くもんじゃないよ。知らないんだったら教えてやるけど、あそこは帰らずの森と呼ばれてるんだよ」

 女性が教えてくれたことによれば、霧の森にはいつでも濃霧がかかっている。

 それが何のせいかはわからないが、化け物のせいだとか言われているらしい。

 その森に足を踏み入れた者は、村の者だろうが旅人だろうが決して出てくることはないそうだ。

 そして女性は強く言った。「あたしの兄さんも昔、そこへ行って帰ってこないんだよ。よしな、あんたらみたいな若くて可愛い嬢ちゃんが命を捨てに行ったらもったいないよ」

 だが、西へ行く方法は霧の森を抜けるしかなく、今さらおめおめと引き下がるわけにも行かなかった。

「ありがとう。気をつけるわ」

 そう言って二人は女性と別れ、霧の森へと向かうことに決めたのである。


 目前には真っ白な靄がかかった空間がある。それはまるで虚無や死の国のようにメイビスには思えた。

 ここは村のはずれ。現在メイビスとレナは霧の森の寸前にいる。陽は南東の空にあり、霧を眩く照らしていた。

「これが、霧の森ですのね」メイビスは唇を噛みしめ、まっすぐに正面を見つめる。

「ええ」優しく微笑むレナ。「でも怖くはないわ。さあ、行きましょう」

 白馬と黒馬が少女たちを乗せて、白い靄の中へ走りこんで行く。

 二人は難所、霧の森へ突入したのだった。

 霧の森に入るなり、あたりの雰囲気が一変した。刺すような殺気、怒気、そういう不穏なものが立ちこめているのだ。

 それは一歩目にして思わず身震いしてしまうほどであった。

 前後左右、四方八方見まわしても見えるのはただただ濃霧だけ。メイビスには尻の下のホワーレやすぐ隣のレナたちさえ見えない。「レナ、これは危険ですわ。離れるといけませんから手を繋ぎましょう」

 レナはうなずいたのだろうが、メイビスにはまったくわからない。レナの手がすぐそこに差し出された気配があり、メイビスは彼女の手を強く握った。彼女の手は温かく、柔らかい。

「メイビスの手を触るのははじめてだわ」

 レナの言葉にはっとなるメイビス。確かに十日ほど旅をしてきたのに彼女の手に触れたのははじめてだった。「綺麗な手ですのね」

 レナが「ありがとう」と言って微笑んだのがわかった気がした。

 白馬と黒馬は一寸先も見えない濃霧の立ちこめる中、慎重に足を進めている。

「地図によると、このまままっすぐに行けばいいはずですわ。そうすればきっと迷うこともないでしょう」

 時間は刻々と過ぎ、万事順調にことが進んでいた。

 そしてもう時刻は正午過ぎだ。

「お腹が空いたわ。そろそろ昼食にしましょう」

 レナの提案にメイビスはうなずく。「そうですわね。そろそろ用意をしましょう」と言って、彼女と繋いでいない方の手で手提げ鞄を漁りはじめたそのときだった。

 突然、獣の咆哮がしたのだ。

「何ですの」メイビスが叫び、思わず振り向く。咆哮はすぐ背後からだった。後に、真っ白な霧の中何かの巨大な影が見える。

 レナは自慢の短剣を取り出し、かまえる。「こんなところに獣がいるなんて」

 慌てて走り出す馬たち。

 メイビスも早く弓をかまえたい。だが弓は短剣と違って両手でかまえる必要があり、レナと手を繋いでいる現状、不可能だった。

「できるだけ早く走ってくださいなホワーレ。このまま逃げきりますのよ」

 状況は一変、緊迫した空気が張り詰め、一面の霧の中を巨獣の咆哮がきり裂く。黒馬と白馬はそれから力の限り駆け逃げ、レナは短剣を振りまわし、メイビスはただただレナの手を強く握りしめていた。

「レナ。絶対に離さないようにお願いしますわね」

「わかっているわ」

 彼女がメイビスの手を握り返したそのとき、黒い影が突然に速度を増してブラリーに体あたりした。「きゃっ」レナは小さく悲鳴を上げ、愛馬ごと突き飛ばされてしまったようだ。

 そして、強く握っていたはずの二人の手が、する、と抜けた。

 ホワーレはレナとブラリーを置き去りにして走り続ける。黒い影はどこへ行ったのやら、もう追ってこなかった。遠くで咆哮が聞こえた。

「レナ」叫ぶメイビス。だが彼女からの返答はなく、獣の咆哮もやがて聞こえなくなってしまった。

 ホワーレがやっと足を緩める。弓をかまえ、あたりを警戒しながらもメイビスは黒髪の少女を呼び続けた。「レナ、レナ。どこにいますの、返事をしてくださいな」

 けれど一面の霧の中、そこにはもうレナはいず、ただ静寂がただよっているだけだった。「レナ」

 メイビスとレナは、この深い深い霧の中、はぐれてしまったのである。


「レナ、レナ、どこですの。レナ」

 メイビスはずっとレナの名を呼びながら、ただひたすらにホワーレを走らせていた。

 ここが霧の森のどのあたりなのか、メイビスにはもはやまったくわからない。

 あの獣から逃げるときに方向がわからなくなってしまったのだ。霧のせいで陽も見えないため、何の手がかりもなかった。

「困りましたわね」手提げ鞄から取り出した昼食をつまみながら、メイビスは途方に暮れるしかない。

 そういえばレナは食料を持っていない。だから彼女は今もお腹を空かせているはずである。このままはぐれていては彼女がどうなるかわからない。メイビスは声を張り上げ続けた。

 もうはぐれてから二、三時間が経とうとしている。

 しかし終わりは見えぬままで、ただただ一面真っ白な霧しか見えなかった。

 虚無。最初メイビスがそう思ったが、まさしくそれだった。

 きっとこの森には、ここに足を踏み入れた人々の亡骸がいくつも眠っていることだろう。獣に襲われて死ぬか、獣のせいで方向感覚を失い遭難して死ぬかだ。

「わたくしもその方たちと同じ末路は通りたくないものですわ。絶対にこの森から抜け出しますのよ」

 この森から抜け出せなければ、すなわちドロドーは野放し状態となり、この国は破滅してしまうことになる。それだけは避けなくてはならなかった。メイビスは唇を噛みしめ、孤独さに負けぬようまっすぐ前を見て進む。

 と、突然、メイビスは何者かの気配を感じて振り向いた。

 霧でよくは見えないが、真っ白な背景に何かの影が見える。それは大きさからしてまたあの獣に違いなかった。

「ホワーレ。また逃げますわよ」そう言ってメイビスが前に向き直ると、目前にも影が見えた。「まあ」前方にも、その獣が待ちかまえていたのだ。

 ホワーレが体の向きを変え、右方向へと走り出す。メイビスは弓をかまえ、影の方に放つがあたらない。

 獣の嬉々たる叫び声。見ると、また前方に獣の影。見まわすと濃霧の中にうっすらと影が並んでおり、ホワーレは足を止めるしかない。もう十頭以上の獣に取り囲まれてしまっていたのだ。

 重なり合う咆哮。影の輪はどんどんメイビスたちに近づいてきた。

 その獣のシルエットをはっきりと捉え、メイビスは驚く。

 それは体格が大きく、特大の耳が垂れていて、鼻がまるでロープか何かのように長く、脚が短かった。その姿はまさに象だったのだ。だが普通の象ではない。とても大きな、それにマンモスのような尖った牙を持つ、人喰い象とでも呼ぶべきものだったのだ。

 さらにメイビスが目を見張らずにいられなかったのは、その鼻先だ。長い鼻の先から、濁流のように濃霧が噴出されているのである。そこだけ霧がさらに濃く、眩しいほどだった。すべてを悟り、メイビスは愕然とする。この霧の正体は、人喰い象が鼻から吸いこんだのであろう水を蒸気に変えて噴出させているものだった。なぜかと言えば、人を森で迷わせ、わけのわからないうちに食うためだ。なんと悪質な獣たちなのだろう。そして彼女はその罠にまんまとかかってしまったのだった。

 矢を放つが、もう遅い。

 ホワーレが怯えて震える。だがメイビスにはもはやどうしてやることもできなかった。

 メイビスは思う。ああ、わたくしがもっと強ければ。今頃レナはこの巨像に喰われでもしていませんかしら。ああ、このままわたくしは死んでしまうのですわ。そしてドロドーに治められ続けるヴァルッサ王国は滅んでしまいますのね。皆さん、ごめんなさい。不甲斐ない限りですわ。

 目前に巨像の牙が、死が迫る。メイビスの中で先ほど固めた決心がもろもろと崩れ去り、「ああ」と悲鳴を上げた彼女は最後の抵抗とばかりにうっすらと涙を浮かべて、ときを待った。

 だが訪れるはずの死はこず、代わりに巨象の悲鳴が響き渡ったのである。

 直後、驚いて碧眼を開けた銀髪の少女は息を呑んだ。彼女を取り囲んでいた巨象の半数が倒れ伏していたのだ。少しだけ薄まった霧の向こうでは皆頭や胸から血を流し、メイビスに飛びかかろうとした象などは鼻を断たれずたずたになっているのがうっすら見えた。

 それを成したのは薄紫色の宝石の持ち手の短剣である。「メイビス、探したわよ」そして美しい声が森に響いた。

 思わずメイビスは碧眼からぽろぽろ抑えきれずに涙を流し、そして叫んだ。「レナ」

 霧の向こうで純白のワンピースを翻らせ微笑む黒髪の少女が見えた気がしたのだった。


 ときはメイビスとレナが離れ離れになった数時間前に巻き戻る。

 巨獣につき飛ばされ、愛馬のブラリーから転がり落ちたレナ。

 それを、黒い影が爪を立てて飛びかかってきた。

 立ち上がり、短剣をかまえる。直後、体あたりしてこようとした獣をレナはひらりとかわし、なんとその背中に飛び乗ったのである。

「があっ」奇声を発してレナを必死で振り落とそうとする獣。だがどんなに揺さぶられてもレナは決してしがみついて離れない。

 短剣が無防備な獣の背中につき刺さる。大きな叫び声を上げるが体長五メートルはあろうかという巨獣は何の抵抗もできず、ただ身悶えるしかなかった。

 これでもか、これでもかと矛先が獣の背に赤い点を作っていく。

 レナは厚い巨獣の背に短剣をつき刺し、それを軸にして跳ねて移動。また抜いて次のところに刺して跳ねて移動と身軽な凄技で頭へ到着した。

 と、何かがレナの白い手に絡みつき、締め上げようとしてきた。幸い短剣を持つ手は空いており容易く断ちきることができた。細い腕のようでもあり牙にも思えたがどちらでもなく、一体何かはわからない。

「とどめよ、人喰い獣」その可憐な声と同時に短剣で頭を割られ、獣はどさ、と崩れ落ちてあっさりと命を落としたのだった。

 獣の頭上から飛び降り、レナは獣の亡骸をじっくり見てみた。するとそれがとても巨大な象であることがわかる。先ほどレナの腕に絡みついたあれは象の長い鼻であったのだ。

「気持ち悪いわ」少しだけ不快な気分になりながら、彼女は巨象の死体から踵を返して霧の中にうっすらと見えるブラリーの影に駆け寄った。

 ブラリーは尾を振りまわし、彼女の無事を喜んでいるようだ。幸い無傷のレナだが先ほどの戦闘でかなりの体力を消耗してしまったらしい。「疲れたわ。ブラリー、乗せてちょうだい」

 黒馬に騎乗する少女。もちろん向かう先は決まっている。「メイビスとはぐれたらしいわ。だから彼女を探してちょうだい」

 あいかわらずの濃霧の中、ゆっくりと駆け出すブラリー。実は彼女、鼻がよく、知った匂いなら簡単に嗅ぎわけられるらしいのだ。「それがこんなときに役立つなんて」苦笑するレナはただただ体を休めるしかなかった。

 しかし一、二時間経ってもメイビスとは合流できないままだ。

「ブラリー。メイビスの匂いはするの」

 レナの問いかけにどうやら肯定したらしいブラリー。だがずっとその調子で、いつまで経っても美しい銀髪の少女は見つからない。

 レナはもう疲れきっていた。もともと武術を習っていたからあれくらいの戦いの疲れはすぐに癒えるのだが、問題は空腹のことだった。もう本当なら陽が傾いている頃だが朝から何も口にしていず、空腹は限界に近づき腹がせわしなく鳴り続けている。

 あたりはずっと静寂で、一人とはどんなに寂しいものかとレナは孤独をひどく感じさせられた。

 終わりの見えない森。その中でさまよう彼女は、だんだん恐怖に震えはじめた。

「わたしたち、このまま霧の森を出ることなく死んでしまうのではないかしら」

 呟き、レナは胸を掴まれるような不安に襲われた。

「こんなところで死ぬなんていやだわ。絶対にいやよ。もう、どうすればメイビスと会えるの。メイビス」

 メイビスがいてくれればいいのに、とレナは心底思いながら、あの初老の女性の忠告を聞いていればとも少し後悔した。

 戦闘のときに方向感覚はすでに失われており、出口の方向はわからなくなってしまっている。おまけに彼女もいないのだ、レナの心はどんどん恐怖に蝕まれた。あげくの果て、やはりこんな旅出なかったらよかったのだわ、と後悔までしはじめたのである。

 霧の森はだんだんと冷え、レナの孤独感はどんどん増していく。

「メイビス、メイビス」レナは泣き出したかった。黒目には涙が滲んでいる。そんなとき、ブラリーが優しく体を揺すった。

「どうしたの」

 彼女は静かにいななき、黒い尾をレナに軽く叩きつけるようにした。それがまるで、いやきっと慰めてくれているに違いなく、レナはなんだか情けなくなった。

「そうよね。死ぬなんて考えてはいけないわよね。せっかくあなたが頑張ってくれているんですもの、わたしだってしっかりしてくては」少し元気を取り戻し、レナは微笑んだ。「ありがとう、ブラリー」

 ブラリーは六年前、レナが十歳のときに伯爵邸へやってきた。

 まだそのときは生まれたてで、まだ乗れるような大きさではなかったが、レナがフェレンチェの街に降りたときに買ったのだ。

 レナは暇さえあればブラリーと名づけた黒馬と遊んでいた。体を触れ合わせるだけでも楽しかったし、少し大きくなって乗れるようになると広い邸の庭を走らせたりした。

 十四歳のとき、レナの母親が亡くなり、彼女はひどく落ちこんでいた。

 食事すら食べる気が起きず、もうそれは絶望に暮れていたとき、彼女を励ましてくれたのがブラリーだった。

 顔をなめ、鼻を擦り寄せてくる優美に育った黒馬はまるで「しっかりしなさい」と言っているように思えて、レナはやっと徐々に立ち直ることができたのだ。

 そんなブラリーをレナは愛している。「だから、一緒に早くメイビスを探してこの森を抜けましょう。こんなところで死ぬわけにはいかないものね」

 そのとき、前方に薄く黒い影が見えた。

 目を見張っていると、その影は複数以上ある。いや、輪状になっていた。あの巨象の群れだ。そして、レナの耳に悲鳴が届いた。

「ああ」絶望したような、そんな声だった。それはここ数日すっかり聴き慣れてしまった、銀髪の少女ものである。

「メイビス」

 思わず叫ぶレナ。合図するまでもなくブラリーは風のように走り出していた。

 輪の中に飛びこむ。霧はより一層濃く、一寸先も見えないとはこのことだ。だがうっすらと影だけは見え、中央へ向かって飛び出す一匹の獣の影のすぐ隣をブラリーがすり抜けた。

 獣の目線の先、小さな人影がある。それをちらりと見やり、レナはすぐ短剣を巨象に振りかざした。

「ぎゃうっ」と奇妙な声を発して倒れこむ獣。どうやら運よく頭をきりつけたらしい。

 仲間の突然の死を知り怒り出す象たち。当初の獲物のことなど忘れ、一斉に視線がレナに集まるのを彼女は感じた。

 突進してくる一匹の象。「危ないわ」瞬時にそう判断してレナはブラリーから飛び降りた。「逃げて」

 少しの間迷ってから、どこかへ駆け出すブラリー。

 一方着地したレナは迫りくる巨象の牙の上に身軽に飛び乗った。何せ相手は猛スピードなので一瞬バランスを崩すが、短剣を持っていない方の手で大きな耳を引っ掴み、落とされることはなかった。頭によじ登り、足場である頭皮に手にした短剣をつき刺す。鈍い音がした直後、象が悲鳴を上げて絶命したのがわかった。

 スピードそのままに他の象へ突進するレナの乗る象の亡骸。ドミノ倒しのように次つぎと倒れていく象の群れの中、レナは挟み潰されないよう必死にぴょんぴょんと跳ねて逃げ、胸や背中、頭などを短剣で叩き割った。

 そして馬の影を目の端に捉え、乗り換えた象から思いきり飛び降りる。少し柔らかい感触があり、無事にレナは狙い通り戻ってきたブラリーの背に戻ってきたのだった。

 レナは見事な身のこなしで象の半数を一気に絶命させたのだ。

 輪だったところの中央、立っていた人影が息を呑む気配がある。

 それに気づいて優しく微笑むレナ。「探したわよ、メイビス」

 銀髪の少女が思わずといった様子で叫ぶ声が森に響いたのだった。「レナ」


 嬉しかった。

 こんなときに彼女がきてくれるなんて。

 涙が止まらない。失せていたはずの勇気や活力がメイビスの胸に湧いてきた。

 弓をかまえ直すメイビス。レナだけに任せているわけにはいかないのだ。

「メイビス、この象たち、脳天が弱点よ」跳ねまわるレナの声がする。

 メイビスは幼い白馬に命じた。「走りなさいな、ホワーレ。派手にやりますわよ」

 直後、駆けまわる白馬の方から、巨象たちに向けて矢の嵐が吹き荒れた。

 重なる巨象たちの悲鳴、咆哮、断末魔。

 確かに胸などを射ても死なないのに対し、頭部は皮が割合薄いのか真っ白な霧を血で赤く染めて即死するようだ。

 巨象の上をレナが駆けまわっている。次つぎと頭、背中、尻、胸、鼻、喉元、牙をきり、あたりに血の花を飛び散らせた。

 霧がどんどん薄くなり、少しずつ見通しがよくなるのをメイビスは感じていた。きっと、巨象たちの鼻からあふれ出すあの霧の濁流が彼らの絶命によって減少しているからだろうと思われた。

 メイビスはホワーレを走らせ戦いながら、微笑んでいた。孤独でないことが、黒髪の少女といられることが、ただただ嬉しかった。

 とうとう残る人喰い象は一匹となった。

「とどめよ」叫んだレナ。だが、直後彼女の悲鳴がメイビスの耳に届く。

 薄くなった霧の向こう、レナが巨象の鼻に絡め取られているのが見えた。腰をがっしりと掴まれ、短剣を振りまわしているが届かないようだ。

「危ないですわ。ホワーレ」

 象がレナを口に運ぶ直前、白馬に乗った銀髪の少女が獣へと走り出していた。

 放った矢がじたばたしているレナの足の間をすり抜け、人喰い象の口の中に吸いこまれる。

 矢が喉に詰まったのだろうか。驚いたことに象が悶え出し、レナを投げ飛ばしてひっくり返ったのである。

「やりましたわ」

 宙を舞うレナ。それを近くで待っていたブラリーが受け止め、背に乗せる。なんというタイミングのよさなのだろう。

 それを横目で見やり、メイビスは倒れる象に再接近。そして、その脳天へと金の装飾の施された自慢の弓を引いた。

 矢がぶす、と額につき刺さった人喰い象の巨大な断末魔が森を木霊する。直後凶獣は目から生気を失い、肢体をだらりと垂らして絶命したのだった。


 人喰い象という元凶をすべて絶ったことで霧が晴れ、森に沈みゆく陽が差していた。

 人喰い象の死体のすぐ近くで、メイビスに抱かれたレナがそっと目を覚ます。

「レナ。大丈夫ですの」

 メイビスの美しい碧眼でじっと見つめられた彼女は少し頬を赤らめ、うなずく。「ええ。ごめんなさい、気を失っていたみたいだわね」そしてそっとメイビスの懐から抜け出した。

 彼女の純白だったワンピースは血で汚れてしまっていた。だがレナが傷ついたわけではなく、返り血を浴びただけのようだ。

 彼女が最後の一頭に投げ飛ばされ、ブラリーに受け止められたものの気を失ってしまってから目覚めるまでの二十分ほど、メイビスはずっとレナを抱き続けていたのだが、決して彼女はいやな気はしなかった。抱いた彼女は柔らかく、とても温かかったからだ。

「メイビスも無事みたいでよかったわ」レナが微笑む。

「ありがとうございます。先ほどはレナがきてくださいませんでしたら、わたくしきっと喰い殺されてしまっていましたわ」

 くくく、急に笑い出し、レナはそっとメイビスの白く細い手を握った。「これでお互い様ね」

 確かにそうだ。

 フェレンチェの街でレナが殺されそうだったとき、メイビスはたまたま現れ、助けた。

 そして今回も偶然ではないが、窮地をレナに救われたメイビス。どちらも互いが駆けつけなければともに死んでいただろう。

「そうですわね」ふっ、とメイビスからも笑みがこぼれる。

 手を繋いだまま、しばらく少女二人は見つめ合い、彼女らの愛馬たちも互いの無事を確認するかのように戯れていた。

 それから空腹だったレナとメイビスは軽く夕食を取った。レナのあまりの食べっぷりに、目をむくメイビスだった。

 穏やかな時間が流れ一区切りつき、愛馬にまたがった二人は、夕陽を目印に西へ。

「町ですわ」

 そして薄暗くなった頃。森を抜けきったメイビスたちの目前にあかりの灯る村が見えたのだった。

 ここが最南端の町、ジャベットである。


 夜、小さな宿のベッドで横たわるネグリジェ姿の少女たち。

 二人ともとてもくたくただった。

「レナ、今日は本当にありがとうございました。このことはずっと忘れませんわ」碧眼を閉じ、メイビスが穏やかに言う。

「ええ」小さく欠伸をするレナ。それから彼女は可愛く笑った。「今日は疲れたし色々あったけれど楽しかったわね」

 確かに色々、命の危険すらあった、今までで一番危うい一日だったと言えるだろう。でもメイビスもいやな日だとは思っていない。

 レナといられることが、今のメイビスにはとても満ち足りて感じられるのだった。

「おやすみなさいレナ。明日からもきっと大変ですけれど、頑張りましょう」

「ええ。メイビス、おやすみなさい」

 レナの美声が届くと同時にメイビスは深い眠りの海へと引きずり込まれて行った。

 こうして霧の森を乗り越えた少女たちは、束の間のの休息を取るのであった。


挿絵(By みてみん)                    (第四章 挿絵)

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