第三章 レナとの出会い
ホワーレは背にメイビスを乗せ、何日も何日も南へ向かって駆け続けた。
道中、兵士に見つかることもあったが、自慢の弓でメイビスは次つぎと襲いくるそれらを跳ね除けた。決して平穏ではなかったが、旅は順調に進んでいた。
旅出から七日目。大陸の中央から北東に位置する、とある中都市、フェレンチェまでやってきていた。
フェレンチェはかなり活気にあふれ、街の中央通りには人がごった返している。
ここはヴァルッサ王国有数の都市で、伯爵の領地である。
ちなみにヴァルッサ王国には貴族の階級があり、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。ドロドーは侯爵の娘であったし、メイビスの母親のアリア王妃は男爵の娘だった。
それはともかく、メイビスは大通りを行く。飲食量品を買い、弓の矢を買い足して手提げ鞄に入れた。
そうこうしているうちにもう夕暮れどきだった。「さて、もう疲れましたわね。そろそろ休むとしましょうか」
ホワーレはまだ仔馬でそれほど体力がない。それにメイビスもずっと城暮らしだったのですぐに疲れてしまうのだ。だから一日に進める距離は短いのだった。
宿を探し、あたりを見まわすメイビス。
と、大通りから延びる脇道を見つけた。
「宿があるかも知れませんわね。ホワーレ、行きましょう」
脇道の先は裏路地だった。
レンガ造りの家屋が立ち並び、小さな商店もちらほらある。やっと宿を見つけたそのとき、悲鳴が聞こえた。
「何でしょう」顔色を変え、メイビスはそちらに目を向ける。裏路地のもっと奥の方からのようだ。「ホワーレ、行ってみてくださいな。何かよくない予感がしますわ」
ホワーレが風のように裏路地を駆けて行く。つきあたりで角を曲がると、そこには数人の男に囲まれた黒髪黒目の少女の姿があった。
少女は中肉中背で色白、とても美しく、純白の半袖長丈ワンピースを身に纏っている。歳はメイビスと同じくらいだろうか。彼女は覆面の物騒な男たちに取り囲まれ、押さえつけられていた。
「やめて。ああ、ああ」呻き、叫び、必死で抵抗する少女。しかしまったく敵わないようだ。
「身ぐるみをはいで、この女、売っちまおうぜ」男の一人がにたにたと笑いながら言う。
「いいや、こいつ金持ち娘みたいだ。ばれるとまずい、殺しちまおうや」
「そうだな」
少女に男たちがナイフを突きつける。このままでは彼女は殺されてしまいますわ。瞬時にそう思い、メイビスは声を上げていた。
「おやめなさいな、悪人ども」
その澄んだ声は美しく、彼女の銀髪が夕陽に美しく煌めく。
はじめてメイビスの存在に気づいた強盗らしき男たちが振り返り、あきらかに嫌そうな顔をする。「誰だ、お前」
「やっちまおうぜ、こいつも」他の男がいやらしい笑みを浮かべてメイビスに近づいてきた。「生意気な口利きやがって」
ホワーレが怯えて小刻みに震えているのが尻に伝わる。メイビスは「大丈夫ですわよ」と彼女を安心させてから、しっかりと弓をかまえた。
男たちはナイフをぎらぎらさせ、襲いかかってくる。
弓を引き、放つ。「うぐっ」腹部を射られ、一人が昏倒した。
「よくもやってくれたなっ」ナイフを投げる男。だが、メイビスは身をかがめてそれを軽々とかわした。そしてそのまま、次つぎと男たちを狙撃していったのである。
「わっ」「ぎゃっ」「ぐお」皆胸や腹、脳天に矢が突き刺さり、血を流して倒れた。もうお陀仏だろう。
残るは後一人。
「ひっ」押さえつけていた少女から飛びすさり、がくがくと震え出す男。そして不恰好にも命乞いをはじめた。「ごめんなさいごめんなさい許してください」
「いいえ許しませんわ」だが、メイビスはきっぱりとそう答える。「また悪人を野放しにするほど、わたくしは慈悲深くありませんことよ」
そして金の装飾の施された美しい弓が思いきり引かれ、胸部に矢を受けた男はがく、と倒れ、そして二度と起き上がることはなかった。
地面にうつ伏せに倒れていた黒髪の少女は起き上がり、ワンピースに付着した汚れを手で払いながら軽くお辞儀をした。「わたしはレナというの。助けてくださってありがとう。あなたがきてくださらなかったら、わたしはきっと死んでいたわ」微笑む彼女は尻上までまっすぐ伸ばした黒髪と純白のドレスがよく似合い、とても美しかった。
「いいえ。当然のことをしたまでですわよ」メイビスもレナと名乗った少女が無傷であることに安堵し、表情を緩ませる。「無事のようでよかったですわ。わたくしはメイビスと申しますの」
微笑み合う少女たち。ふとレナは思いついたように声を上げた。「そうだわ、助けて頂いたんですもの、お礼がしたいわ。もしよければ」
と、そのときだ。
腑抜けた声が裏路地に響いたのである。
「レナ様ぁ、探しましたよぅ。一体どこ行ってたんですかぁ」
現れたのは、メイド服姿の少女だった。彼女はどうやらレナとは知っている仲らしい。
「もう。探していたのはわたしの方でしょう。はぐれたのはあなたなのよ。もしこの人が助けてくださらなかったら、わたしは今頃身ぐるみをはがされて死んでいるところだったわ」微笑みを崩さぬままで嘆息し、メイドをやんわりと叱りつけるレナ。
「えっ。そうなんですかぁ。ごめんなさぁい」メイドの少女は悪びれずに平謝り。そしてやっと強盗たちの死体に気がつき、「わっ」とか悲鳴を上げて騒ぎはじめる。
「ああ、それで」やかましいメイドの方からメイビスに向き直るレナ。「お礼がしたいの。もしよろしければ、わたしのお邸にいらしてくださらない」
話を聞くと、なんとレナは前述した通りこの街の領主である伯爵の令嬢らしい。
少し街へ買い物にきていたところ、つき添いのメイドがはぐれてしまい、探し歩いているときにこの裏路地で先ほどの強盗に遭遇してしまったのだそうだ。
宿に泊まろうと思っていたメイビスだったが、せっかくのお誘いだし断る必要もないので乗ることに決めた。「ではお言葉に甘えて、少しお邸に行かせて頂きますわね」
そして強盗たちの亡骸を残し、レナと頼りないメイドに案内されてメイビスとホワーレは伯爵邸へと向かったのだった。
邸は金銀、宝石などの装飾が施されたとても豪華なものだった。
「ようこそ、伯爵邸へ。どうぞ中に入って」
馬小屋でホワーレを待たせ、レナにうながされて「お邪魔しますわね」とメイビスは邸内へ。
食堂で待ちかまえていたのは、一人の中年男性だった。立派な礼服を身に纏い、とても威厳のある風格。彼こそがこの邸の主人の伯爵である。
彼はレナと、それにメイビスを見て娘に声をかける。「ああ、帰ってきたのかレナ。遅くて心配したぞ。それで、そちらのお嬢さんはお客様かい」
「ええ、そうよ」レナはメイビスを指差し、「この方はメイビスさん。わたしを助けてくださったのよ」と説明しはじめた。
事情を聞いた伯爵は顔色を変え、仰天する。それからメイビスに深々と頭を垂れた。「娘を助けて頂き、本当にありがとう。私は伯爵のトムだ」
それから彼は「応接間に行こうじゃないか」と言い出し、「レナ。案内してあげなさい。メイビスさん、少し話がしたい。いいかな」とやや強引に少女たちを食堂から追いやった。
「ここが応接間よ」
食堂から出て廊下を歩き、立派な扉の前で立ち止まるレナ。
応接間に入ると、そこは煌びやかで美しく、城に負けない豪華さだった。テーブルと向かい合ったソファがあり、メイビスは手前の方に腰かけ、レナは反対側に腰を下ろした。
「綺麗なお部屋ですのね」部屋を見まわしながらメイビスが言う。
「ええ。ここは古くからあるお邸だけれど、お父さんがしっかり手入れをさせているから綺麗なの」少し自慢げにレナは微笑んだ。
やがて扉が開き、トム伯爵が姿を現した。「やあ。待たせたね」
かぶりを振るメイビス。「いいえ。それでお話とは何ですの」
伯爵はレナの隣、部屋の奥側のソファにどん、と座るとうなずく。「いやあ、お礼がしたいと思ってね。メイビスさん、私は中流ではあるが一応貴族だ。大抵の望みは叶えられるつもりだが、何か一つほしい物やしてほしいことを言ってみてくれ」
ほしいもの。メイビスは頭をめぐらせる。だが彼女の王座を取り戻すという望みを伯爵が叶えられるはずもないし、協力してもらうにも特段思いつかない。ので、メイビスは質素な要望に決めた。「当然のことをしたまでですわ。けれどせっかくですから、ドレスを頂きましょうか。それと、一晩だけ泊めて頂きたいんですの。よろしいですかしら」
伯爵とレナは少し目を見開いて驚く。
「それだけでいいのかね」
「ええ。もちろんですわ」それ以上にほしい物はない。今着ているドレス一着では汚れたときに困るので、もらっておくことにした。それだけでもずいぶんと欲を出した方だと彼女自身は思うのだが、レナは「欲のない人だわ」と感心している。
「じゃあ衣服を用意しよう。それと個室をね。空き部屋はいくらでもある」
レナもうなずき、微笑んだ。「それにお夕食も召し上がってね。この邸の料理は美味しいのよ」
「ええ。楽しみにさせて頂きますわ」
すぐに個室とドレスが用意された。ドレスはメイビスが要望した群青色長丈長袖の、今着ているものと同じ物だ。試着してみたが、体にぴったりだった。おまけに頼んでもいないのにネグリジェまでくれるらしい。なんとしっかりしていらっしゃいますのかしら、とメイビスは伯爵の用意周到さに驚いた。
そうしてその部屋でゆっくりと体を休めながら、メイビスは夕刻を待ったのであった。
「お夕食ができたわよ」
レナの呼びかけで腰かけていたベッドから立ち上がり、メイビスは扉を開ける。「そうですの。お腹が空いていたところですわ」
レナと一緒に二階の個室から一階の食堂へと階段を降りる。そして食堂の戸を開けると、メイビスの鼓膜を怒声がつん裂いた。
「もうっ、あなたって子はっ」
食堂の片隅、腰に手をあてて顔を真っ赤にし怒鳴る老女の姿がある。彼女の目の前にはレナと一緒に街に出ていたあのへっぽこメイドがいて、口を尖らせていた。
「ごめんなさぁい。でもそこまで怒らなくたっていいじゃないですかぁ」
「だめに決まってるじゃないっ」老女がまた大声を張り上げた。「もしもお客様が助けてくださいませんでしたら、お嬢様死んじまってたとこなんですよ」
レナは軽く溜息をついてメイビスに謝る。「ごめんなさいね。彼女はメイド長よ」それからメイド長と呼ばれた老女とへっぽこメイドの間に割って入った。「ほら。お客様が降りていらしたわよ。お夕食が冷めてしまうわ、早くお父さんを呼んでちょうだい」
「あ、お嬢様。すみません」一変して縮こまる老女。「お恥ずかしいところを見せてしまいまして申しわけございません。ほら早くご主人様を呼んでらっしゃい」
「はぁい」へっぽこメイドは意地悪く笑って食堂を走り去った。
「こ、これは失礼しましたお客様」老女は姿勢をしゃんと整え、それから深々とメイビスにお辞儀をした。「私めはこのお邸のメイド長でございます。どうぞ、ご夕食の支度が整っておりますゆえ、着席なさってくださいまし」
メイビスとレナが席に着くなり伯爵も現れて彼も座った。目の前のテーブルには温かい夕食が並べられ、その一品一品がとても豪華である。
「まあ、美味しそうですわ」ろくな食事はもう数日口にしていなかったので目を輝かせるメイビス。「では」
頂きましょうか、と言おうとしたのだが、まだ空席があることに気づき首を傾げる。「この席はどなたが座りますの」
すると台所の方のドアからメイドたちが現れた。それは三人で、歳は若い娘から高年女性までばらばらだ。その三人と先ほどのメイド長、それに戻ってきたへっぽこメイドが残りの空席にかけたのだ。
メイビスは目を見張らずにはいられない。
「あら驚いているみたいね」微笑し、説明するレナ。「この邸には、メイドを除けばお父さんとわたししかいないのよ。二人で食べるのも寂しいし、メイドと区別する必要はないと思うから、こうして全員で食べるのよ」
「そうですの」城では決して王族とともにメイドが食事を取ることなんて許されなかったのでメイビスは大いに驚きながらもうなずいた。伯爵と彼の娘はかなり寛容らしい。
「さて、そろそろ頂こうか」
伯爵の一声で食事ははじまった。
食事はどれも絶品で、舌鼓を打たずにはいられない。よほど台所メイドの腕がいいに違いなかった。
「美味しいですわ」
「ええ。自慢の料理ですもの」
「褒めて頂けて光栄です、お客様」
「お客人に喜んでもらえて嬉しいよ」
夕食は和気藹々と進み、そろそろ終わりに近くなったときだ。
食堂の窓からノックのような音がした。
「何でしょう」メイドの一人が「失礼します」と席を立って見に行くと、窓の外に手紙鳥がいてガラス窓をノックしていたのだ。
手紙鳥とはその名の通り手紙を運ぶ鳥のこと。まだ電話などが一切開発されていないこの星では、知らせたいことがあると手紙を書き手紙鳥に送らせるのである。
メイドは窓を開けて手紙鳥から手紙を受け取ると窓を閉めた。
「ご主人様宛てのようでございます」
メイドに封筒を手渡され、伯爵は「失礼」と言って開封をし、手紙を読みはじめる。
「何が書いてあるの」
レナの質問に、読み終わった伯爵はやや顔を蒼白にして答えた。「男爵が処刑されたらしい」
一瞬、場に沈黙が落ちた。
男爵。それはメイビスの母親、アリア王妃の父親のことである。つまりメイビスからしてみれば祖父なわけだ。
手紙の内容は、メイビスが国王を殺すはずがないと言い、ドロドーが怪しいのではないかと核心をついた男爵が女王への無礼だとして爵位を取り上げられ、処刑されたというものだった。
「まあ、なんてひどいことですの」メイビスは思わず小さく叫んでしまう。確かに無礼とみなされるのはあるだろうが、処刑までするのは極端過ぎる。せいぜい厳重注意くらいが妥当だろうに。
レナは嘆息した。「きっと新女王は自分に批判的な人を皆殺しにするつもりなのね。ドロドーさんのことはよく知っているわ、あの人は昔からそういう人だったもの」
ドロドーが即位七日目にしてもう権力を振るい出しているとは知らなかった。きっと彼女は女王の権限で独裁的な政治を行い、レナの言う通り反抗的な者を処罰していくつもりなのかも知れない。メイビスは、わかっていたことではあるもののドロドーが恐ろしい女なのだと思った。
「私もあまり新女王に好意的ではない。が、言動には気をつけないとな」伯爵も重々しい溜息をついた。
食卓の雰囲気が少し暗くなってしまった。が、台所メイドがデザートのケーキを持ってくると座は明るくなり、皆でケーキを美味しく頂いて夕食は終わった。
「では眠らせて頂きますわね」
夕食後、一段落したメイビスは伯爵親子にそう告げた。
「ええ。おやすみなさい」微笑むレナ。なぜか黒い瞳が輝いて見える。
「ゆっくりと体を休めるといい」
充てがわれた部屋に戻り、もらったばかりの青いネグリジェ姿でベッドに小柄な体を横たえるメイビス。
「ドロドーを野放しにはしておけませんもの。これ以上の被害が出る前に、一刻も早く賢者の島へたどり着かなくては」
そう呟き、固く碧眼を閉じふたたび決意を固めて、銀髪の少女はゆっくりと眠りに落ちていったのである。
深夜。
眠りこけていたメイビスはノックの音で目が覚めた。
「起きていらっしゃるかしら」その美しい声からしてレナに違いない。
「ええ。今起きましたわよ」
メイビスの返答に「起こしてしまったのね。ごめんなさい」と謝ってレナは入らせてほしいと言った。
こんな夜中に何の用ですかしら。首を傾げながら、メイビスは戸を開けた。
そこには白いネグリジェを着こんだレナが笑顔で立っていた。その立ち姿はとても綺麗で、しとやかで優しい彼女の性格を表しているように見えた。
中に招き入れられたレナ。「ごめんなさいね、こんな時間に」
「いいですわよ」時刻は深夜二時。まだ少し眠いが、すでに六時間くらいは眠っているため、ずいぶんと体力は回復している。「それで、何のご用件ですの」
問われるなり、微笑みを消すレナ。彼女は真剣な顔になって、まっすぐにメイビスを黒い瞳で見つめた。「ご相談したいことがあるのよ。ねえ、あなた、メイビス王女様でしょう」
突然の指摘に、メイビスは少しばかり驚いて息を呑んだ。
確かにメイビスは特段変装などしていず、見破られることは大して不思議なことではない。だが王国中にはメイビスを処刑したとの情報が伝わっているはずで、多くの人がそれを信じているだろうと思っていたのだ。
「だって銀髪だし美人だし、それにわたしとほぼ同い歳でしょう。直接王女様を見たことはないけれど、どれもメイビス王女様の条件にあてはまるわ。名前だってそうよ」
メイビスは白旗を上げるしかない。「そうですわ。わたくし、メイビス王女ですのよ。ここだけの話ですけれど、城から逃げてきましたの」
うなずく黒髪の少女。「ええ。そうでしょうね。だってわたし、王女様が殺されたなんて信じられなかったもの」それから微笑し、「その経緯をくわしく聞かせてほしいわ。いいかしら」と問うた。
彼女にすべてを打ち明けていいのですかしら。メイビスは悩んだが、もうここまで悟られてしまっているし王女であることを明かしてしまっているのですもの、今さら隠す必要もないありませんわ。そう考えてあらいざらい話すことに決めた。
一から十まで、すべてレナに話した。話すのは辛かった。でも決して涙だけは流さず、メイビスは静かに語り終えたのである。
「そうだったの」真剣な眼差しを向ける黒髪の美少女。そして、彼女はこう言い放ったのであった。「わたしもメイビス王女様と同行したいわ」
一瞬、メイビスは耳を疑った。
大きな危険がつきまとう旅だ。彼女にとって百害あって一利なしだろうに、どうしてこの平和な伯爵邸から離れて過酷な旅に同行したいなどと言うのか。
「およしなさいな。旅は危険ですのよ。あなたのような無関係の方を巻き添えにはできませんわ」
だがきっぱりと首を横に振るレナ。「わたしもドロドー新女王が嫌いよ。男爵を処刑するなんて、許せないわ。それにこのままではお父さんも殺されてしまうかも知れないもの。ただ黙って見ておけというの」彼女はもう決心しているようだった。
確かに彼女の気持ちはメイビスにだってわかる。
だが、強盗にも勝てやしないやわなレナを危険にさらす勇気がメイビスにはないのである。「あなたのお気持ちはわかりますわ。でもあなた、戦えますの。戦えないでしょう」
「いいえ戦えるわ」レナは断固として引く気がなかった。「わたし、武術を習っているの。短剣なら使えるわ。あのときは街だし短剣なんて物騒だから持っていなかっただけ。短剣があればあんな強盗なんて退治できたわ。だからお願い。同行させてちょうだい。わたしだってこの国を救いたいし、恩人のあなたの力にだってなりたいのよ」
必死な訴えかけ。
彼女の決意を宿した瞳に、メイビスはこれ以上抗うことができなかった。彼女は小さく嘆息すると、仕方なしに「わかりましたわ」と許しを出した。
「ただし、危険は重々承知の上でですわよ。二度とここへは戻ってこられないかも知れませんわ」
首を縦に振る黒髪の美少女。「もちろんわかっているわ。では、これからよろしくねメイビス」
レナの笑顔を見てメイビスも微笑む。「ええ。ではこれからよろしくお願いいたしますわね、レナ」
そうして銀髪の少女と黒髪の少女は仲間になったのであった。
出発は翌朝を待たず、夜更けのうちと決まった。
一度自室へ戻ったレナが純白のワンピースを身に纏い、荷物を持ってメイビスの部屋へ戻ってきた。「お待たせ」
その手には大きめの手提げ鞄が下げられている。
「それにしてもトム伯爵に何か許しを得ていますの」
ふと思った疑問を口にするやはりドレスに着替えたメイビス。夕食のときの様子からして伯爵は何も知らないように見えたのだが。
「許しは得ていないわ」案の定、彼女の独断らしい。だが置き手紙をしてきたようなので、一応は大丈夫だろう。
メイビスも荷物を手提げ鞄にまとめた。まあ荷物といっても衣類と食料品、現金に弓と矢だけであるが。
一方レナの荷物も似たようなもので、数着の衣類と彼女の短剣だけのようだった。
「これがわたしの短剣。見ていいわよ」
レナに短剣を手渡され、メイビスは眺めまわしてみる。
持ち手は薄紫色の宝石でできており、剣先は鋼で作られている。優美さとともに頑丈さと使いやすさを兼備した、かなりいい短剣である。「素敵な剣ですわね」
「ええ。わたしの自慢の短剣なの」レナは美しく笑って短剣を大きな手提げ鞄にしまいこんだ。
「さあ、見つからないように邸外へ出なくてはね。正門は見張りがいるのよ、裏門の方から出ましょう。案内するわ」
廊下は照明器具によって照らされ薄明るく、道に迷うということはなかった。
裏門は立派であるが目立たず、確かに侵入者もあまり入らないだろう。
レナは静かに裏門に白い手をかけ、がらがらと音を立てながら門を開ける。
門を抜けると、涼しいそよ風が吹き、あたりをぼんやりと月光が照らしていた。
門を閉じ、レナが振り返って呟く。「これでしばらく、このお邸とも、美味しいお料理ともお別れなのだわ」
「後悔はありませんの」再度、メイビスが確認する。
もちろんレナは首を横に振った。「そんなもの、しないわ。絶対ここへ戻ってくるつもりよ」
「そうですわね」メイビスも微笑し、己の長い銀髪を月の光に煌めかせたのだった。
馬小屋で待たせていたホワーレを起こし、またがるメイビス。
一方のレナは馬小屋にいた黒馬に騎乗した。
「この娘は愛馬のブラリーよ」
ブラリーも若い雌馬らしい。ホワーレとブラリーは気が合うようで、お互いに身を擦り寄せ合ったりしている。
いよいよ出発である。
「さあ、賢者の島を目指しましょう」黒髪の少女は、まるでこの先のことを楽しみにしているかのように無邪気な笑みを浮かべた。
それを見て苦笑しながら、メイビスも心底ではレナの仲間入りを喜んでいたのだった。
月夜の中、少女たちは伯爵邸を背にし、南へと馬を走らせはじめたのであった。