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学園のアイドルだって、ただの女子高生!?その2

 それからしばらく経って、休み明けのテストは採点されて手元に返ってきた。無事に満点とは言い難く、ケアレスミスが目立ったけど学年1位をキープできている。

 私はいつものように聖光学院最寄り駅で降りて、流れに逆らわずに改札を抜けた。


「麗良」


 指定の白いブレザーがちらほらと目につく中、一層目立つ存在が立っていた。

 ギャラリーとかす生徒たちを無視して、眩しいほどの笑顔を浮かべている。


「ま――じゃなくて、槇宮さん?」

「あら、気安く真桜って呼んで下さらないの」

 

 ほぼ無意識で下の名前で呼びそうになった私の自制は虚しく、真桜はわざとらしく目もとにハンカチを当てて泣き出してしまう。

 それが嘘泣きだとわかっていても、周囲がそれを良しとしない。


「それにこの前だって――」

「ちょっとお話ししましょうかぁ!!」


 真桜は色っぽい唇に人差し指をあてがい、熱っぽい視線で見つめてくる。

 わざとなのか……絶対にわかっててやってるでしょ!?

 場所は違えど、ここは駅前。

 自分がとった行動が脳裏を過ぎって、顔が一気に熱くなった。

 ああ、これでまた変な噂が流れるんだろうな。……真桜のヤツ、絶対にわざと意味深に言葉を濁したわね。

 真桜の手を握り、私は足早にその場から退散した。

 このこと、破島さんにバレでもしたら大変なのよ……。

 破島さんとの一件以来、私は急きょ【エアーダル】のアルバイトを休んでいる。

 爽彦さんにも事情を話して、ここ1週間は自宅と学院の往復だけを繰り返す。

 そんな中、私は真桜と接触しないよう細心の注意を取っていた。

 いつもの登校時間を不規則に、10分休みもできるだけ席を外す。お昼休みは教室や学食を使わず、屋上や人気のない空き教室をタエと巡った。

 もちろん、真桜からの通知も無視している。

 そんな私の努力が虚しくなるほど、真桜は接触してきた。


「麗良。歩くのが少し早いわ」

「うるさい」

「怒ってるの?」

「そう見えない?」

「見えてるから聞いたのよ」


 図々しいにも程がある。

 だけどそれが、聖光学院の顔と呼ばれるアイドル――槇宮真桜だ。

 あまりにもハッキリと物事を言い切れるメンタルの強さ。どれだけ自分自身があるのか問いたくもなる。


「麗良。……私、あまり運動は……苦手なの……」


 私だって体育は苦手よ。

 だけど、今そんな事を気にしてる暇じゃないの。破島さんにこのことが耳にでも入ったら、禁止されているアルバイトの件がバラされてしまう。

 ……いや、……そんなことを今考えたとしても、遅いのかもしれないわね。

 ふとした考え事に足を止めた矢先だった。


「ふふ、捕まえた」


 後頭部を柔らかい感触に襲われて、甘い香りに包み込まれた。


「ちょっと!? 人前――」

「じゃないよ」


 囁く真桜の声に、一瞬で背筋が凍った気がした。

 だ、誰も見てないわよねっ!?

 肩越しに私の顔を覗き込もうとする真桜を押しやり、細道に体を滑り込ませた。

 顔だけを出して、注意深く辺りを見回す。


「……麗良、何しているの?」

「人目がつきやすいところでは、私に馴れ馴れしく接してこないで!」 

「どうして?」

「それは……私にもいろいろあるのよ」


 真桜に言えば、破島さんの件はなかったことになるだろう。

 ただそれは、私が告げ口をしているみたいで気が引ける。

 私の方が先に、学院で禁止されているアルバイトをしていた。

 だから、安易に真桜には頼れない。


「麗良、大丈夫なの?」


 心配そうな大きな瞳が、真っすぐと私を見つめてくる。


「また寝てないの?」


 今はアルバイトを休んでいるから時間がある。その分を授業の予習復習に回して、しっかりと睡眠までとれているので体調は万全。

 気がかりなのは、真桜からの連絡を無視していることだ。

 通知のランプが灯るたびに胸が苦しくなって、毎朝一緒に登校できなくなっただけで落ち着かない。他にも移動教室ですれ違わないようにするのも疲れるし、あのだだっ広い真桜専用の食堂で一人っきりにさせている。放課後や休日は、私がいないのに【エアーダル】のいつもの席でケーキセットを食べているのか。

 そんなことを、私はここ数日間心配していた。


「……またって、槇宮さんには関係ないですよね?」


 素っ気なく振り払おうとしても、真桜は逃がすまいと手を握ってくる。


「関係あるよ。麗良、いつもの張り詰めた感じがしないもの」

「張り詰めたって……私はいつも通りですよ?」


 真桜が何を言っているか、さっぱりわからなかった。

 私自身も、常に気を張っているつもりはない。


「……」

「……」


 私が黙ると、真桜も口を閉ざした。

 それでも、私のことを力強い眼差しで真っ直ぐと見つめている。

 ホント、真桜って自分の気持ちに素直で純粋よね。……私なんて必死に避け続けて、遠目からでも目立つから見ないようにしてきたのに。

 保身のために、真桜を遠ざけてきた。

 そんな私が、真桜に求められる理由がない。


「麗良、私を見て」

「見てますよ」

「違う。ちゃんと、私の目を見てって言ってるのっ」


 急に語気を強められて、私は反射的に顔をあげた。


「っ!?」


 1週間ぶりに見る真桜の顔に、息が詰まりそうだった。

 普段は強気な印象の瞳が揺れて、花の咲き誇る表情が歪んでいく。


「麗良、やっとこっちを見てくれた」

「ど、どうして泣きそうなの……」


 無意識に流れたのか、真桜は慌てたように手の甲で涙を拭いだす。

 私も咄嗟にポケットからハンカチを取り出して、真桜に差し出した。


「ごめんね、泣くつもりはなかったの……ただ、少し安心したわ」

「安心?」


 こっちはいつ、破島さんにバレるか気が気じゃないんですけど……。

 そんな私の気持ちも知らずに、真桜は嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ええ、避けてる理由が私にないってわかったもの」


 原因は私の方にある。

 だから、学院のアイドルである槇宮真桜を泣かせたことに胸が苦しかった。

 ……いや、アイドルなんて関係ない。本人はどうであれ、友達である真桜に心配をかけて泣かせてしまった。

 その事実だけは消せず、恐らく私の胸に残り続けるだろう。


「……ホント、気楽で羨ましいわ」


「麗良、やっと笑ってくれたわね」


 上手く笑えているか疑問だった。

 むしろ気分的には相変わらずな真桜のマイペースさに、呆れを通り越して困っている。

 それでも私は、真桜の包み込むような温かさに気づいた時にはすでに手遅れだった。

 一方的に遠ざけて、全ての着信を未読スルー。

 付き合いの長いタエとでも、1週間という期間連絡を取り合わなかったことはない。

 たとえ些細な喧嘩であろうと、翌日に顔を合わせれば互いに謝って仲直り。

 そう、私とタエは関係だ。

 だけど、真桜は違う。

 やっぱりどうしても、人を引き付けるアイドル的なオーラがある。お金持ちだからとか関係なく、生まれ持った私にはない素質。

 誰だって真桜から声をかけるだけで、喜びに打ちのめされるかもしれない。

 私だって初めはそんな感じではあった。

 槇宮真桜という存在をどこか遠くに感じて、決して関わり合うことはないだろうなと眺めているだけ。

 それだけで良かった。

 それなのに真桜の声。変わらないマイペースなところ、私を心配してくれる優しさ。

 たくさんの人に囲まれる中で、私だけに向ける好意。

 それに、私は初めて今気づいた。


「麗良……」

「ごめんね真桜……私、別に嫌いになったわけじゃないの」


 今度は私の方が泣いていた。

 声をあげるほどではないけども、自然と喉が震えていた。


「私の方こそ、麗良をここまで追いこんで――」

「真桜は関係ないの! これは、私の問題で……けど、うん。大丈夫だから……ね。しっかりと片付けるから、少しだけ待っててもらえる」


 いつまでも私は保守的だった。

 振り返ってみれば、破島さんにアルバイトの件がバレてから【エアーダル】には近づいていない。それでも最寄り駅が近づくと、頭中ではマスターである爽彦さん。気さくに声をかけてくれる常連さんの顔が思い浮かんでいた。

 その中で、店の奥で一人座る真桜の姿。

 毎日のように【エアーダル】に通ってくれるというよりも、私個人のお客さん。

 私の手が空いていれば用もなく声をかけてきて、目が合うと小さく手を振ってくれる。

 そんな環境に慣れてしまえば、またかと思いながらも心のどこかで嬉しさでくすぐったかった。

 だからなのか、今ではそれがない物足りない毎日。


「もう少しだけ……側にいてもらえませんか」


 真桜の手を、私は握っていた。

 突き放しておいて、自分勝手で都合がいいのは百も承知。

 少しでも力を込めようものなら、壊れてしまいそうな真桜の小さな手。指先から伝わってくる僅かな温もりですらも、今の私は求めてしまっていた。


「麗良って、甘え下手よね」

「ごめん……慣れてないから……」

「謝らないで、そんな麗良の不器用なところも好きなのよ」


 幼子をあやすような声音で握り返されて、もう片方の手で私の頬に触れてくる。

 真桜の何もかもを見透かす、宝石のような大きな瞳。整った眉に鼻、小さな口とどれをとっても顔が良い。

 私とはまるで雲泥の差だ。

 心の奥底から湧き上がってくる高揚感に対して、少しだけ嫌悪感が心を蝕んでくる。


「麗良、眉間にシワが寄ってるわよ。……また、私と比べたでしょ?」

「ど、どうしてそれを」

「言ったでしょ。麗良は何でも顔に出やすいのよ」

「そうだったとしても……気づかないふりしてくれてもいいじゃない」


 顔を背けようとすると、真桜の瞳が追いかけてくる。

 こういう、少し気の利かないところも好きだな。


「イヤよ。だって、またこうして距離があくかもしれないもの」

「……真桜ってば、本当にワガママだよね」

「ええ、そうなのよ」


 堂々と胸を張って言える真桜の笑みに、ついつい見惚れてしまう。


「……真桜?」

「どうしたの麗良?」


 いい笑みを保ったまま、気づいたら真桜の顔が目と鼻の先まで迫っていた。

 吸い込まれそうなほどの瞳に、本能的な恐怖に後退ってしまう。


「……いや、どうして抱きしめようとするの?」


 だけど、真桜は私を逃がしてくれない。

 頬に触れていた手は腰に当てられて、頭を撫でていた手が後頭部に移動していた。


「だって麗良、側にいてほしいって言ったじゃない」

「確かに言ったけど、こういうことじゃなくて……」

「じゃあどういうことなの?」

「あの、友達といいますか……今まで通りで――」

「麗良はそれでいいの?」


 舐めるような、真桜の人を試す視線。

 真桜のヤツ……絶対にわかっててやってるわよね。


「どうなの?」


 私の腰に触れている真桜の手に力がこもる。

 言うまで放してくれない強い意志に、私の喉が急に渇きを訴えてきた。


「答えて麗良」

「……友達として側にいてください」


 初めて私の方から真桜にそう告げた。

 今までの真桜は同級生、もしくは聖光学院アイドル。

 私と真桜の関係は、どこか宙ぶらりんだった。

 改めて、1つの終着点を迎えた気がする。


「その言葉……やっと麗良から聞けたわ」

「前に言ったような気がするけど……」


 それでも私は、素直に首を縦に触れない天の邪鬼。


「もう、素直じゃないんだから」


 頭を抱え込まれて、耳元で囁き真桜の声。

 もう片方の耳からは、やけにうるさく心臓の脈立つ音が聞こえてくる。

 それが私のモノか、真桜のモノなのかは定かじゃない。

 けどこの温もりだけは、本物だと実感できる。


「ごめんね真桜」

「どうして麗良が謝るのよ」

「……何となく、仲直りらしいかなって」


 ただ一方的に避けていただけで、別に喧嘩をしたわけではない。

 悪いのは全部私。

 だけど、真桜を不安にさせていた罪悪感があった。


「いいのよ。だって、麗良は私の恋人だもの」

「……ん?」


 同級生で同性相手。しかも学院のアイドルと呼ばれ、周囲から憧れる存在に朝から抱き締められる状況。

 冷静な思考で肩を押し退けて、私は顔をあげた。


「あら、どうして驚いているの?」


 終始絶えない真桜の笑み。

 どこか仮面のように張りついていて、不気味すぎて怖かった。


「真桜……私の話聞いてた? 友達として側にいてほしいって言ったの」

「それは麗良の気持ちでしょ? 私は、恋人として接してるわよ」

「っ!? ちょっと、放して!!」


 添えるように優しかった真桜の手は力強く、私の腰をホールドしてくる。

 どこからこんな力が出てくるのよ! ホント、強引というか……子供っぽいわよねっ!


「ま、真桜。早く登校しないとね?」

「少しくらい遅れてもいいじゃない」

「私が良くないのよ!!」


 聖光学院に通い始めてから無遅刻無欠席どころか、一度も休んでいない。

 俗にいう皆勤賞。

 それもこれも教師側からの評価を気にして、大学への推薦状を得るため。

 あくまで表上の話。


「無断でアルバイトしてるくせに、そういうところは気にするのね」

「もう、イジワルいわないでよ」


 私の事情を知る真桜からすると、軽く笑ってしまうほど些細なこと。


「それに、破島さんも心配するわよ」


 腰に回されていた真桜の手を握り、私は少し先を歩き出す。


「それは大丈夫よ。事前に出迎えはいらないって連絡しているわ」

「はぁ、そうなの」


 ってことは、破島さんのことだから察しがついてるんだろうな。

 ついつい重いため息が口から出てしまう。


「彩華とケンカでもしているの?」

「あ、うん。……そんなところかな?」


 真桜に頼めば、恐らく破島さんが握るアルバイトの件をもみ消してほしい。

 そうなると今後、告げ口をしたと後ろ指を指される可能性がある。

 だけど今となっては、どうでもいい。

 約束といえ、私は破島さんに『真桜に近づかない』と宣言している。

 それを破ってしまっている現状。

 誤魔化そうにも、無理に言い訳をしたくない。

 真桜と久しぶりに話せた。

 それだけでも、私が積み上げてきたモノなんてどうでもいい。


「彩華はどこか気難しいけど、話せばわかり合えるわ」

「そう……なのね……」


 あれは、本当に気難しいのか? 私からすると怖い人の印象なんですけど。

 改めて真桜とその他に対する破島さん態度に、かなりの温度差があるのだと知れた。

 それくらい、破島さんにとって真桜の存在が大きい。

 それは私が真桜に抱く感情とはどこか似ていて、違う部分があるのだろう。


「麗良」


 隣を歩く真桜に呼ばれて、視線だけを向ける。


「……何よ真桜」

「呼んでみただけよ」

「……そう」


 素っ気なく返事をしてしまったけど、真桜はどこか嬉しそうに微笑む。

 そんな無邪気さに、私もつられて笑ってしまう。


「麗良の笑顔が見れて良かったわ」

「急にどうしたのよ」


 繋いだ手を軽く引かれ、私は学院へと向かう脚を止めた。

 電車から降りてかれこれ30分、振り返れば目まぐるしい。

 1週間と避けていたはずの真桜が聖光学院最寄り駅で待っていた。しかも周囲の目も気にせず、私との関係をかなり匂わせて賑わせる。真桜の変わらない気儘さに振り回されたあげく、告白紛いの友達宣言をさせられた。かと思ったら真桜には恋人の立場させられたままで、若干すれ違いも起きている。

 これ以上の濃い時間の中、そうそう身構えることはないだろう。


「その……麗良の様子からして知らないのよね」

「……何のこと?」


 普段から自由で、人の話を聞かない真桜が珍しく言い辛そうにしている。

 真桜の自信満々な瞳が揺れて、急に落ち着きがなくなっていく。

 そんな姿を前に、気にならない人がいるだろうか? 

 それも学院のアイドルである真桜となれば、誰もが聞き耳を立ててまで気にする。


「真桜、らしくないわよ」

「普段の私って、麗良からどう見られてるの?」

「周りの目なんか気にせず、自分がしたいことに対して真っ直ぐ。お金で私のことを買おうとするし、同性なのに恋人だって勝手に紹介しちゃう困った友達よ」

「何かトゲのようなモノで、チクチクと刺される気分だわ」

「ただ事実を言っただけよ」


 実際、私にとって真桜は天上のような存在だった。

 だけど接してみて、頭のネジが外れたヤバいヤツ。

 ……まぁ、それが真桜らしいのよね。


「ほら、時間もないんだから手短に済ませてよ」


 私は覚悟を決めて、真桜と向かい合う。

 大きく息を吸って吐いてを繰り返して、真桜は短い掛け声と一緒に小さな拳を握った。

 ……そこまで勇気が必要なの? それはそれで、身構えないといけないかしら。

 気づいたら、私は片足を少し引いて軽く腰を落としていた。


「私ね、婚約者の方にあってみようと思うの」


 真桜は冗談で私をからかうようすもなく、瞳には真剣さが宿っていた。


「……え?」


 いつものように真桜は唐突ではある。

 だから、すぐに反応を返せなかった。


「真桜……私のことご家族に紹介したんじゃ……」

「お姉ちゃんにはね。だけど、お父様にはまだなのよ」


 動揺する私の心臓の音がやけにうるさく、鼓膜の奥で激しく脈を打ち始める。

 ついさっき、私はようやく真桜に素直な気持ちを伝えることができた。互いの考えや立ち位置はすれ違ったままだけど、改めて一歩を踏み出せた気でいた矢先だ。


「麗良と離れて気づいたの。私も、顔もみたことのない婚約者の方に同じ思いをさせ続けていると」

「けど、真桜は会いたくないんだよね?」

「ええそうよ。だけど、それだと不誠実だと気づいたの」


 友達はおろか、真桜はクラスメイトとも深い交流がない。幼い頃からの付き合いである破島さんですらも、一歩引いた立ち位置にいる。

 それがポッとでた、ただのしがない一生徒に過ぎない私が急に現れた。

 同じ学院に通う生徒たちからは驚きと好奇心。少しでもおこぼれでも預かろうとする者もいるくらい、私の学院での地位は確実に上がっている。

 あげく、お姉さんには勝手に恋人として紹介されてしまった。

まだ顔もみぬ真桜のお姉さんと会った際、私は常々どう対応するべきか頭の中でシミュレートもしている。

 そんな矢先だ。

 保身のためとか、破島さんの約束なんか……気にせず接していられれば。少しでも真桜のことを知ろうとしていれば……こんなことにはならなかったのか?

 手を伸ばせば触れられる距離。

 真桜は笑みを崩さずに立ち尽くしている。

 だけど私は、指一本動かす勇気が出なかった。

 周りがどうあれ、真桜は誰に対しても分け隔てなく平等に接する。自分から近づこうとすると、畏まって気遣わると分かっているから。

 だから、真桜自身も一歩引いた振る舞いを続けた。

 勝手な想像かも知れないけど、それが真桜の身に付けた処世術。


「真桜は……それでいいの?」

「ええ、堂々と胸を張って生きるにはこれが一番だもの」


 同級生とも思えないほど、真桜の心は大人びていた。

 親がお金持ちで、何不自由のない生活。

 だからといって、顔も見たことのない。はたまた、時代錯誤もいいこのご時世に親が決めた婚約者と会おうとする決意。

 まるで私のことを恋人と言ってきたことが、たちの悪いイタズラか何かに感じてきた。

 どこまでも気まぐれで、振り回しておいてこれだ。

 気づくのが少しでも早かったら、と後悔してしまう。

 グルグルと頭の中を、色々な考えが回り続ける。

 だけど真桜は、そんな私を置き去りに抱えた想いを口にし始めた。


「私にとって、麗良に会えない日々がどれだけ苦しかったか。それは、おそらく婚約者の方もそう。自分に会いたくない理由があるんじゃないかと考えているはず」


 小さな手を胸元で握りしめ、真桜は今にも泣き出しそうに目尻を下げる。


「たとえそれがお互いの意図しないものだとしても、しっかりと話し合うべきだと思うの。麗良もそうは思わない?」

「私は……」


 その続きが、すぐには言葉に出てこなかった。

 黙り込む私を前に、真桜は一歩近づいてくる。


「こんな形で伝えるつもりはなかったの。だけど、連絡しようにも既読はつかないし、勤め先の【エアーダル】にも顔を出さない。マスターにも聞いたけど、しばらく休むしか教えてくれなかったわ」


 もしも真桜が私のことで訪ねてきたら、そう告げてほしいと爽彦さんにお願いしていたから仕方ない。

 どれもこれも、破島さんとの約束。

 いや、保身に走った私が招いたすれ違い。


「ごめん、連絡無視してて」

「だから謝らないで、お陰でこうして決心がついたのだから。麗良は何も悪くないわ」

「だけどっ、じゃあっ! どうしてその婚約者さんと会おうとするの? 私のこと――」

「ええ、大事な恋人よ」

「だったらさぁ!」


 正直、自分で言葉にしようとして痛感した。

 私は確かに、甘え下手だ。

 一方的に真桜を遠ざけて、離れていこうとすると引き戻そうとする。

 自分勝手なワガママに振り回されているのは、私だけじゃなかった。真桜も同じで、私が振り回してしまっている。


「……初めてね、麗良が怒った顔をみるのわ」

「ずいぶん前に【エアーダル】でも、似たようなことしたあったはずよ」

「そんな事あったかしら?」

「あったわよ」

「麗良って、本当に物覚えが良いわね」

「だったら何なのよ……」


 口もとに手を当てて笑う仕草、微かに上下する両肩。肩から流れる髪は、風の力とは別に動きを見せた。

 ……真桜って、笑いのツボがどこにあるのか分からないわね。

 真剣な話をしているわけでもなく、だからといって笑わせたかったわけじゃない。

 むしろ私のことを真桜が褒めて、それを素直に受け止められなくて不機嫌な態度を取ってしまっている。


「だってね。普通だったらいちいちそんなこと覚えていないもの」

「……っ!? いや、覚えていたかったわけじゃなくて……あれよ! 同じ学院の生徒だし、無断でアルバイトしてるからバレると厄介だなとか。真桜みたいな人目を引くお客さんが珍しかったからで……」

「ほら、私のこと意識してくれてる」

「もう、からかわないで!!」


 他にも言い訳を並べたところで、墓穴を掘り続けるだけなきがした。


「やっぱり、麗良を恋人に選んでよかったわ」

「なったつもりはないわ。……勝手にさせられたのよ」

「そうだとしても、強く否定しないわよね?」

「したところで無駄でしょ? だから諦めてるのよ」

「なら今、私に面と向かって言ってみて?」

「……」


 どれだけ自分に自信があるのか。

 そんな姿に、私は呆れながらも流石だと関してしてしまった。


「言わないの?」

「イジワル」

「麗良ってば、本当に可愛いわ」


 嬉しそうに抱き寄せてくる真桜に、私は抗おうにも手が動かなかった。

 ずっとこのままでいい。このままでいたいと、ちょっとしたワガママな私が顔を覗かせている。


「たとえば私が今、真桜にいかないでって泣きついても行くの?」


 真桜を相手に、私自身がこんな重い発言をするとは想像すらしたことがなかった。

 だけど今、改めて言葉にできたことで私の中で降りてくるモノに納得してしまう。

 私は真桜のことが好きだ。

 同性とか関係なしに、真桜という存在に魅了されているに違いない。

 期待を込めて真桜を見つめると、大きな瞳を丸くさせていた。


「麗良、本当に私のことが好きなのね」

「今はそんなのどうでもいい。それで、いかないでくれるの?」


 意地悪な笑みに、私は顔をそらしてしまう。

 だけど、私の素直な気持ちは真桜から離れたくないと手を離せない。

 呆れてしまうほど、私は真桜に対して明らかな好意を抱いている。

 それが恋なのかはわからないけれど、選んでほしいという気持ちだけが高まっていく。


「麗良、それはできないわ」


 そんな私の期待は儚くも、無惨に呆気なく散っていった。


「だけどね、これは今後の私たちには必要なのことなのよ」


 婚約者の方と会う。

 それが、どんな形で必要となっていくのかわからなかった。

 ただ言えるのは、私が真桜に抱いた好意は受け取ってもらえない。


「麗良、そんな顔しないで」


 真桜の囁く声が耳もとを通り過ぎて、私の首筋に軽く何かが触れた。


「こんなところでっ! 真桜っ!!」


 同じ場所をついばむように真桜は2度、3度と音を立てて吸い始める。


「そのわりに、抵抗してこないのね」


 蠱惑で悪戯的な真桜の笑みに、私は返す言葉がない。

 しっとりと濡れる首筋に触れて、ポケットからスマホを取り出す。


「変に痕とか残してないでしょうね」


 カメラ機能をインに切り替え、私は画面越しに首筋と睨めっこする。

 よかった、痣とかにはなってないわね。……それにしても真桜のヤツ、なんてところにキ、キスするのよっ!!

 念のためシャッターボタンを押して、画像を人差し指と中指で拡大した。


「そんなに心配しなくても、見えるところにはしないわよ?」

「見えなきゃいいわけじゃないのわ!!」

「もう、うるさいとその唇……塞ぐわよ」

「うっ」


 婚約者の方に会うと言っておきながら、どこまでもからかってくる。私の好意は受け取ってもらえず、それを知った上での通常運転。

 真桜の細くて長い人差し指が、私の唇に触れてきた。


「まぁ、婚約者の方と上手くいけばいいわね」

「……?」


 いつまでいても、真桜に好き勝手にからかわれるだけだ。

 私はその場から逃げるように走り出す。

 真桜はそれ以降追ってくることはなかった。

 ……これでいいんだ。私は、真桜のちょっとした気紛れに付き合わされただけ。それ以上でも以下でもない……。


「私、なに勝手に傷ついてるんだろ」


 先に傷つけたのは明らかに私の方だ。

 真桜は初めから意味も分からないくらい、謎に好意を向けてくれていた。

 たとえそれが、小切手で私の言い値で買うなんて馬鹿げた発言でもだ。

 それがなかったら、真桜とは関わることすらもない存在だっただろう。

 遠くに聞こえる予鈴の音に、私は駆け込むように教室を目指した。

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