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友達? 恋人? いえ、学園のアイドルです。その2

「ただいまぁ~」


 結局、真桜からの連絡はなく私は帰宅した。

 りーちゃんさん、今日も来てるんだ。

 玄関を潜ると、2人分の靴がお行儀よく並んでいた。

 聞こえてくるシャワーの音と咲さんの陽気な鼻歌。セキュリティがしっかりしているからといって、脱衣所のドアを開けっぱなしは流石に無防備すぎる。


「咲さん、扉はしっかり閉めてくださいよ」

 

 覗き込むと、脱ぎ散らかした下着とバスタオルやらが散乱していた。

 これじゃあどっちが年上なんだろう。

 文句も含めた忠告を、一緒に住み始めてかれこれ5年は言い続けている。それでもまったくの進歩が見られない。

 あげく、ここに越してきてからはお風呂上りにタオル1枚でうろつくこともある。

 手洗いついでにその場の物をカゴへ入れ、私はリビングへと向かった。


「りーちゃんさん?」

「……お風呂、先にいただいたぞ」


 扉を開いた先で、りーちゃんさんはまるで我が家のようにソファで寛いでいた。

 それは別にいい。

 だって、ここのローンを咲さんの代わりに肩代わりして払ってくれた恩人だから。

 だからといって、タオル1枚で居られるとは思ってもみなかった。

 お風呂上がりで濡れた長い黒髪が肩から流れ、細く引き締まった手足にはシミ1つ見られない。慎ましい胸ではあるけれど、女性的な体のラインがハッキリしていた。

 驚きの余り言葉を失う私を前に、りーちゃんさんは健康的なうなじを露に首を傾げる。


「その、りーちゃんさんとは私のことを指すのか?」


 しまった! つい私が勝手に呼んでる名前が口から……。


「あ、別に咲さんにそう呼べとか言われてるわけじゃなくて……あの……私、りーちゃんさんの本名を知らなくて……」


 変に言い訳をせず、私は本心からそう打ち明ける。

 咲さんの所でお世話になると同時に、りーちゃんさんのことを知った。

 これといった深い関りがあるわけではないけど、咲さん同様に付き合いが長い。この前みたく衝動的に食べ物や日用品、他にも生活に入用な物を買い揃えてくれる。

 ある意味、この生活が成り立っている重要人物だ。

 そんな人の名前を知らないとなれば、呆れるか失礼なヤツだろ思われるかもしれない。

 だけどりーちゃんさんは、怒るどころか驚いた表情を浮かべた。


「咲に聞いたりしなかったのか?」


 真っ当すぎる返答に、私は肩を竦めてしまう。


「口を開けばりーちゃんしか言わなくて……」

「はぁ、困った奴だな」

「ええ、手のかかる従姉です」


 露骨に肩を竦めて、りーちゃんさんは立ち上がってゆっくりと近づいてきた。


「改めて私は――」

「あぁ~れいちゃ~ん! おかえりぃ~」


 廊下からの足音に振り向くと、咲さんはタオル一枚で抱きついてきた。

 背中を圧迫する豊満な胸を押し付けられ、勢いのままに私の首は絞められる。


「咲さん服……って、そう! りーちゃんさんも服は着てくださいよ!!」


 タオル1枚姿の大人に挟まれ、私は声を荒げてしまった。

 けどりーちゃんさんは動じない。

 むしろ、お風呂上がりで火照る咲さんの頬を片手で鷲掴みにする。


「咲。麗良に私の名前教えてあげてなかったのか」

「え~りーちゃんはりーちゃんだよぉ~」


 唇をタコのように尖らせて、咲さんは頬を膨らませる。


「それは咲が呼んでるだけで、私には莉々って名前があるだろ」


 約5年という歳月の果てに、私は初めてりーちゃんさんの名前を知った。

 ……案外、可愛いな。

 ただ、今はそんなことを気にしていられない。


「2人とも! 服を着てください!!」


 同性ではあるけど、私の目の前には肌色成分が多過ぎる。

 私の指摘に対して、咲さんと莉々さんは黙り込んだ。

 互いの体を眺めるように、頭のてっぺんからつま先へと視線を向け合う。


「え~今さらじゃあ~ん」

「すまない。気にしてなかった」


 どうやら2人にとって、お風呂上がりはこれが普通のようだ。

 いつも険のある表情で怖いと感じていた莉々さんだったけど、目の前にいる同居人に既視感を覚えた。

 類は友を呼ぶって言うものね……。


「もう、りーちゃんのせいで怒られたじゃん」

「私が悪いのか?」


 2人の背中を押して、無理やりリビングから追い出した。

 遠のいてく足音に耳を澄ませ、私は胸を撫でおろす。


「し、刺激が強すぎる」


 授業の体育になれば、クラスメイトの女子たちと更衣室で着替えをする。見慣れているはずではあったけど、今回はそれとは全く違った。

 なにドキドキしてるんだ私は……ぜ、絶対にあの告白のせいだ……。

 胸に手を当てて鼓膜の奥で響く音と同時に、真桜の顔が脳裏を過る。

 私の中では聖光学院の象徴とも呼べるアイドルであり、爽彦さんのような第三者からは仲の良い友達に見られていた。

 だけど、真桜は私のことを同性でありながら恋人として接している。

 真桜との関係をグルグルと悩みながらも、私の中では答えが出ていない。

 いや、恐らく私は明確な答えを導き出せる気がしないでいる。

 これは定期テストとは別枠だと頭で理解しつつも、真桜からの好意に争えない。

 ……いや、争いたくない自分がいる。

 子供のように純粋で真っ直ぐすぎるほどの感情をみせたかと思うと、時おり影が差す表情の温度差に扱いが難しい。

 それくらい、真桜という存在を私はまだ深くは知らないのだ。


「……どうすればいいのよ」


 誰か1人にでも、異性に対して恋心のようなモノが抱ければいいのか。

 だからといって私の身近で、そういった感情を抱ける人はない。

 それはもちろん、同性相手だったとしてもそうだ。

 あくまでクラスメイト、それか同級生という枠でしかない。

 やけにうるさく聞こえる心臓の音に、私は耳をその場に塞いでしゃがみ込んだ。


「れいちゃん、どこか体調でも悪いの?」

「咲さん。……う、うん、なんでもないよ」


 どのくらいそうしていたか分からない。

 摩られた背中に顔をあげると、咲さんと莉々さんが心配そうに私を見ていた。


「体調が悪いなら、かかりつけ医師を呼ぶか?」

「あ、いや、そこまでは……あ、あれです。ちょっとアルバイトで疲れたのかも知れないです」


 我ながら下手すぎる言い訳だと思った。

 怪訝そうにする莉々さんは、手にしていたスマホをしまう。


「咲から色々と話しは聞いてる。学年トップの学力を維持しながらアルバイトの両立……あまり無茶はするな」

「そうだよ。少しくらいは肩の力抜かないと」

「咲さんは……もう少ししっかりしてください」

「えぇ! もしかして私が原因だったりするのかな!?」

「……その可能性はあるだろうな」

「りーちゃんまで!?」


 莉々さんの言う通り、咲さんには多額の借金がある自覚を持ってほしい。

 その返済の負担を減らすために、私は学院で禁止されるアルバイトをしている。

 もしかしたら、咲さんには私のそんな意図が伝わっていないのかもしれない。


「とりあえず私は大丈夫ですから、夕飯を――」

「あ、だったら今日は私がつく――」

「咲は麗良の側にいてやれ、今日は私が作る」

「え?」

「え~」


 予想外の言葉に私は驚いた。

 咲さんは不満げに頬を膨らませて、腕まくりする莉々さんに抗議する。


「私、私が作りたいの!」

「咲……今まで成功した料理が一品でもあったか?」

「そ、それはないわけじゃないけど……」

「莉々さん、私は大丈夫ですから」


 キッチンに立とうとする莉々さんを呼び止めるも、気にする素振りをみせない。

 むしろやる気満々の様子で、莉々さんは冷蔵庫を開けだす。


「小さい頃に妹にも作ったこともある。それに、ご馳走になりっぱなしも気が引けていたからな。いい機会だ」


 口ぶりからして、莉々さんは腕には自信があるようだ。

 だけど、私にとっては借金相手でありお客さん。

 それ以外でも生活の色々とでお世話になっている。

 そんな相手に迷惑をかけられない。


「ほら咲、麗良を休ませてあげてやれ」

「けど……」


 食い下がれない私だったけど、莉々さんの表情が不機嫌になっていく。

 目もとを鋭く細め、横目を向けてくる。


「……何をそんなに遠慮してるんだ?」

「だって、莉々さんには借金してますよね……?」

「麗良が、私にか?」


 驚いたように目を丸くさせて、莉々さんの眉間に深くシワが寄っていく。


「あの、咲さんの……ここのマンション代です……」


 深く、呆れの混じったため息が吐き出された。


「咲……」

「れいちゃん……そんなことを心配してたの?」

「へ?」


 目頭を揉むように呻く莉々さんと、締まらない笑みを浮かべる咲さんに挟まれる。

 何かが……噛み合っていない?

 どこか変な空気感に、私は動揺を隠せなかった。


「麗良、詳しくは食事をしながらでも話そうか。……なぁ、咲?」

「りーちゃん……顔が怖いよ?」


 包丁を手にする莉々さんに怯える咲さん。

 有無を言わせない莉々さんの圧に、私はソファに移動した。

 ……変な光景だな。

 オープンカウンターキッチンは、9割方で私が立つはずなのに咲さん以外の人がいる。

 どこに何があるのかをわかっているように、莉々さんの動きに無駄を感じない。


「麗良は何か苦手な食べ物はあるのか」

「何でも大丈夫です」

「私――」

「咲には聞いてないだろ」


 間髪入れない莉々さんの否定に、私は思わず笑ってしまった。

 咲さん同様に付き合いが長い莉々さんは、今日はかなり饒舌で話しやすい。

 どこか怖い印象から、家事までできる理想のお姉さん像でカッコよかった。

 それから夕飯ができるまで、私は咲さん監視の下ソファで寛いだ。


「れいちゃんの耳ちっちゃ~い」

「咲さん……息が……く、くすぐったいです」

「ダァ~メ、大人しくしてねぇ~」


 嬉々とした咲さんの声に囁かれ、私は瞼を強く瞑った。

 高校生になって……いや、咲さんと一緒に住むようになってから初めての膝枕&耳かき体験。耳たぶに触れる咲さんの指先に背筋が震える。


「さ、咲さん……た、楽しんでますよね」

「うん! だって~れいちゃんが甘えてくれてるんだもん」


 私だって好きで甘えてるわけじゃない。

 だけど、それもちょっと悪くないと思ってしまった。

 ガサゴソと耳の奥で音がするたび、無意識に肩が飛び跳ねる。

 そんな私の反応に、咲さんは上機嫌な鼻歌交じりで手を動かす。


「……咲さん、手慣れてますね」

「よくりーちゃんにしてあげてるからねぇ~」

「へ、へぇ~」


 莉々さんが咲さんに甘えている姿が想像できなかった。


「れいちゃんも言ってくれれば、いつでもしてあげるよぉ~」

「大丈夫ですってばっ!?」

「こらぁ~動いちゃダメだってばぁ~……もう、りーちゃんみたいなことしないの」

「咲。……そんな事、言わなくていいだろ」

「怒ってる? もぉ~後でしてあげるから、ね」


 ……2人って、本当に仲が良いだけなのよね?

 ちょっとした疑念と同時に、真桜が嬉しそうにする笑顔が過った。

 私が真桜に対して、特別喜ばれるようなことをしてあげたわけじゃない。

 いつも私より早く来て校門前で待つ真桜と、下駄箱までの短い距離を並んで歩く。お昼時間になれば、真桜専用の個室で特製ランチに舌鼓。食べ終わってからも取り留めのない学校での話をする。放課後は一目散に【エアーダル】へと駆け込み、時間を置いて来店する真桜をいつもの席に案内。そして爽彦さん手製のケーキセットを毎回のように頼んでは、常連客としての頭角を現している。

 そう、まとめればこれくらい。

 ほぼルーティン化している。

 私が真桜に還元してあげてられているとは思えない。


「ん~何か考え事?」

「え、そんな顔してました」

「してたよ~恋する顔だったぁ~」

「恋ッ!?」


 あまりの唐突さに、耳かきが刺さらなかっただけ良かった。


「れいちゃん、もしかしてぇ~好きな人いるのぉ~」

「いない! いないですってば!!」

「え~その反応怪しぃ~」

「……その話、私も興味あるな」

「莉々さんまでっ!?」


 キッチンの方から、莉々さんまで参戦してきた。

 食い入るほど前のめりで、反応がクラスメイトの女子生徒たちと遜色ない。


「ああ、妹に恋人ができたらしくてな」

「ほら、この前の惣菜祭りの時だよぉ~」


 言われて思い返す。

 デパ地下で売られているたくさんのお惣菜とアルコール類。咲さんがお酒を飲まないため、いまだに冷蔵庫でしっかりと冷えている。

 普段惣菜系は高いから買うことがないため、咲さんと一緒に美味しくいただいだ。

 あの日はかなり不機嫌で、息が止まるくらい莉々さんは怖かった。

 だけど妹に彼氏ができたくらいで、そこまでなるのか疑問だ。だって、普通は喜ぶものなんじゃない?

 咲さんがそのいい例だ。


「そっかぁ~れいちゃんにも春がねぇ~」

「だから違うんですってば!!」

「咲、その辺も詳しく聞いていこうか」

「わぁ~いりーちゃんの手料理だぁ~」


 夕飯ができたらしく、莉々さんは食卓へと料理を運んでいた。

 無邪気な子犬のように咲さんは駆けていく。

 そ、そこまで私の色恋が気になるのかしら……。

 莉々さんと食卓を囲むことは何度もある。

 けど、まさか手料理を振舞われるとは思ってもみなかった。


「これ、本当に作ったんですか?」


 普段から自炊をため、常に冷蔵庫には食材は入っている。

 それでも週末で、明日には買い出しに行く予定ではあった。


「咲があれこれ食べたいってうるさかったからな」

「れいちゃんなら、買い足しておけば色々作ってくれるからねぇ~」

「それはまぁ、そうですけど……助かりました」


 帰宅して、私はまだ冷蔵庫の中を確認していない。

 する必要もないほど、中にある食材は覚えている。

 肉じゃがに煮魚、油揚げとワカメの味噌汁と白米。


「莉々さん、すごいですね」

 手の込んだ和食を前に、私は驚きを隠せなかった。


「咲が和食好きだからな……自然と覚えたんだ」

「ん~美味しいよぉ~」

「咲、少しは落ち着いて食べろ」


 一足先に肉じゃがを頬張る咲さんは、お行儀悪く足を暴れさせる。

 嘆息気に注意する莉々さんも、咲さんの隣に座って食べだした。


「……」


 私の中で、2人の関係に謎が深まっていく。

 確かに咲さんは食べることは好きだ。莉々さんの言う通り和食を好むけど、自分では作らないし作れない。

 徹底した食べ専。

 けどたまに好奇心で立たれると、私にとっては不安で気が気でない。


「どうかしたか麗良?」

「いえ、何でもないです。……いただきます莉々さん」


 味付けも薄目で咲さん好み。私も普段から気にかけていたけれど、圧倒的に莉々さんの方が美味しいと感じた。

 爽彦さんといい、莉々さんも……私の周りって料理が上手な人多いな。

 タエも【エアーダル】の厨房に気紛れで立っては、爽彦さんの手伝いをしてくれる。時どき、私にもある食材でまかないを作ってくれて上手だ。

 家事をこなす上で身に付けた私と違って、3人とも何かしら強い意志を感じる。


「薄かったか?」

「あ、いえ……凄く美味しいです」

「なら良かった」


 険があって怖い印象だった莉々さんが、今日はやけに角が取れて丸い気がする。

 私の知らない一面を目の当りに、莉々さんの夕食を堪能した。


「さてと、色々話すことが多そうだな」


 莉々さんに夕食を作ってもらって後片付けまでさせるのは流石に申し訳なく、私は3人分の食器を洗った。

 咲さんは食べたらすぐにソファで寛いで、手伝ってくれないのはいつものこと。


「そのマンションの件――借金のことを知りたいです」


 ため息をつく莉々さんと向かい合い、私は背筋をピンと伸ばした。

 記憶は1年前、ここに越してきた春まで遡っていく。

 このマンションを購入した際に背負った借金。一般成人男性の生涯年収を超える金額を、莉々さんが肩代わりしてくれた。

 莉々さんの口ぶりから、既に返済が終わっている気がしている。


「学年トップの麗良のことだから察してるんだろうけど、私の口から聞きたいのだろ?」

「はい」


 グラスに注いだ白ワインを片手に、莉々さんは口角をあげるほど笑みを浮かべた。

 またこんなところで寝て。……咲さんってば子供なんだから。

 食べてお腹いっぱいなのか、いつも騒がしい咲さんが寝入っている。

 けど、お陰で莉々さんと話しやすい環境だった。


「端的に言って、ここの借金は私が返済したよ」

「……1年でですか」

「パ……父の仕事を私が手伝う条件で、セカンドハウスとして買ってもらったんだ」

「セ、セカンドハウス?」

「ああ、父が経営する系列の子会社が近いんだ。お陰で移動時間が短縮されて、その分を経理の仕事を手伝いに回している」


 どんな仕事をしているか、将来的に参考にしようと気になった。

 ただ、それは借金を返済するための収入が見込めると思ったからで。今となっては、既にその借金が返済されている。

 そうなると、私は何のために頑張り続けてきたのか?


「学業にアルバイト。麗良は忙しそうにしているから生活が苦しいのか気にはなっていた。それに、咲とは初めからこの件について話がついていたんだよ」

「初めからですか?」

「ここに私が押しかけてきた、あの次の日にな……」

「そ、そんなに早い段階から……って、莉々さんっ!?」


 莉々さんは空いたグラスをテーブルに置くと、唐突に頭を下げてきた。


「原因は私だ。本当にすまなかった」

「頭をあげてください莉々さん!」


 それでも莉々さんは、テーブルに額を押し付けるほど深々と頭を下げ続ける。


「いや、大人としての恥だ」


 ユルフワで子供のような咲さんと違って、キビキビと働くキャリアウーマンのイメージが強い莉々さん。

 ここ数日で怖かった印象は、だいぶ緩和して今では親しみお姉さん的な存在。家族が経営する子会社で勤めながら、別枠で経理もこなす。それに料理もできて、私が知らないだけで他にもできることがありそうだ。

 私の中で、理想として描く完璧な女性だと言える。


「いったい何があったんですか」


 そんな莉々さんが年下相手の私に頭を下げる事態、気にならないわけがない。


「まぁ、あれだ……端的にヤケ酒が原因だ」

「……はい?」


 莉々さんは申し訳なさそうにして、人差し指で片頬をかいた。

 あまりのしょうもなさに、頭の中が真っ白になっていく。


「大学の頃から両親が結婚しろとうるさくてな。強引にお見合い相手を連れてくるし、あげく仕事の付き添いを理由に食事デートさせられもした。……特に大学3年になってからしつこくてな。イライライライラ……家にも帰りたくなくらいだったよ」


 お、おう……急に両親への不満を吐き出し始めた。の、飲み過ぎかな?

 空のワインボトルを手にして、莉々さんは無言で立ち上がる。しっかりとした足取りで歩き、キッチンの冷蔵庫から新しいの持ってきた。

 手慣れた感じでコルクを抜いて、グラスに注ぎ始める。


「そんな時、咲と出逢ったんだ」


 あ、これ、話が長くなるヤツだ。

 私としては、借金が返済された事実だけを知れれば良かった。

 だけど、ここはお世話になり続けてきた恩として話を聞こうと背筋を伸ばす。


「その日は大学近くのカフェで、仕事の片手間に課題を片付けていたんだ。そしたら注文もしてない料理が運ばれてきたんだよ」

「それが咲さんだったんですね」


 容易に想像できてしまった。

 私が中学の頃。ここに越してくる前、咲さんはほとんど家にいなかった。後々に大学とアルバイトで駆け回っていたのを知っている。

 それも全て私のため。

 慣れない従妹との生活のため、不自由がないようにと張り切っていたと聞いている。


「ミスして店長っぽい人に怒られてるのに、すぐに同じミスをする。あの時はまったく見ていられなくて、私は手を止めて咲のことを観察していたよ」


 思い出したのか、莉々さんは口もとに手を当てて笑い出す。


「もう会わないだろうと思っていたけど、まさかの同じ大学でばったり出くわしたんだ。しかも、大学2年なのに敷地内で迷子……さすがに呆れたよ」

「その節はお世話になりました」


 身内の失敗を聞かされて、あまりのも恥ずかしかった。


「それをキッカケで、学内で見かけた時は声をかけてたら仲良くなったんだ」

 改めて知る咲さんと莉々さんの馴れ初め。

 今と何ら変わらない咲さんに、莉々さんはかなり迷惑をかけたに違いない。

 けどやっぱり、このマンションを買うまでに至る経緯に謎が残る。


「麗良、感情が表に出やすいって言われたことないか?」

「へ?」


 トロンと垂れる莉々さんの目じりは弧を描く。

 莉々さんって、お酒が回ると手が付けられないタイプだわ。けど……どこか覚えのある雰囲気……よね?

 何がツボに入ったのか、莉々さんは肩を小刻みに上下させて笑いだす。


「これくらい分かりやすい妹だったら、どれだけ楽だったのか」

「そんなに私って……顔に出てますか?」

「マンションを買う理由がわからないって書いてるぞ」

「うっ」


 的確に私の心を射抜いてきた。


「まぁ、その時のことを飲み過ぎてはっきり覚えてないんだけれど……妹のことで相談していたら買う流れになっていたんだ」

「……妹さんですか?」

「ああ、ちょうど麗良と同い年なんだ。小さい頃からお姉ちゃんって甘えてきたのに、今となっては反抗的でワガママに育ったよ。……それでも大事な妹だから……私のように縛られるんじゃなくて、自由に生きて欲しかったんだ」


 うわ言のように、莉々さんは愚痴をこぼしていく。

 開けたはずのワインボトルも半分ほど減っていて、かなりペースが早い気がした。


「私が結婚に反対的だったから、父は妹に目をつけたんだ。年端もいかない妹のことを高校には通わせずに、会社のためといって勝手に結婚させようとしただよ」

「けど、今は違うんですよね?」

「いや、少し期間が伸びただけで話自体は保留になっている」


 私の年で結婚する話は、まるでドラマか物語の世界でちょっとだけ現実味がなかった。

 それでも、目の前で悔しそうにする莉々さんが物語っている。


「それで、咲さんが変に首を突っ込んだんですよね?」


 たとえ従姉とは言え、咲さんと莉々さんは重なる部分がある。

 だから、莉々さんは相談相手として咲さんにその話を打ち明けたのだろう。


「だったら逃げちゃえばいいって笑っていったんだ。それで、マンションを買って一緒に住もうよって提案してくれた」

「よくそんな話に乗りましたね……」


 軽すぎる。あまりにも脈絡がないくらい、無計画もいいところですよ咲さん。……そうなると、この場所に4人で暮らす予定だったのね。

 2人暮らしには広すぎる。

 けどそんな理由があれば、ちょうどいい広さかもしれない。

 ただ今は、莉々さんの妹さんがいない現状。


「私もまさか実現するとは思ってもみなかったよ。このことを妹に話したら、絶対に嫌だって反対されたんだ。むしろ、高校を卒業したら父の言う通りに結婚するってな……自由に生きて欲しかったのに、私はどうすればよかったんだろうな」


 妹さんをため、か。……そんな莉々さんだから、咲さんと通ずるとことがあったのね。

 空になったワインボトルを手にして、莉々さんは立ち上がろうとしてふらついた。


「の、飲み過ぎですってば莉々さん!」

「あと一本。……飲まないとやってられないんだ……」


 まるで獲物を狙う狩人の目つきで睨まれ、私は浮かした腰を下ろした。

 ダメだ……私には手を付けられないわ。こんな時に咲さんは寝てるし……どうすればいいのよ……って、あれ?

 助けを求めようとソファを見ると、咲さんがいなかった。


「りーちゃん! 私のれいちゃんに当たらないでっ!」

「咲、退け!」

「ダァ~メ、今日は飲み過ぎですぅ~」

「返せ! 私はまだ飲めるっ!」

「てい!」


 キッチンでのそんなやり取りを、咲さんは片手で場を収めた。


「もぉ~妹の話となると手がかかるんだからぁ~」

「っるさい……それは咲もだろ……」

「よぉ~ちよち、ベッドに行こうねぇ~」


 それほどの威力があるとは思えなかった手刀を頭にくらった莉々さんは、咲さんにしな垂れるように大人しくなった。

 咲さん……もしかして手慣れてる?


「ごめんねれいちゃん。酔っぱらいの相手をさせちゃって」

「それはいいんですけど、咲さん」

「なぁ~に?」


 掴みどころのないフワッとした咲さんの笑みに、胸の奥が苦しかった。


「私のためにありがとうございます」

「そんなに改まられると恥ずかしいよぉ~」

「けど、私……咲さんに苦労までさせて――」

「してないよ」


 少しだけ咲さんが大人っぽく見えた一瞬だった。


「だってれいちゃんは、少なくとも私の家族だもん。理想としてはりーちゃんの妹さんとも一緒に過ごしたいだけどねぇ~」


 けどやっぱり、咲さんは咲さんだった。


「何かいい方法あるんですか」

「それがさぁ~まぁ~たくないだよぉ~」


 咲さんとの緩いやり取りに、私は呆れを通り越してただ笑うしかなかった。

 もしそれが叶ったら、この生活も賑やかになるわね。

 今が寂しいわけじゃない。

 だけど、莉々さんの妹さんが気になった。

 私と同い年で、親の意思とは言え結婚の話まである。聞く限りでは不自由なく生活を送れているだろうけど、家族であるお姉さんとすれ違ったままで寂しくないのだろうか? 従姉とはいえ、咲さんは私にとって大事な家族だ。


「……どんな子なんだろう」


 1人になったリビングで、私は増えるはずだった同居人に思いを馳せた。

 今の私があるのは、妹に過保護すぎる咲さんと莉々さんのお陰。

 莉々さんの口ぶりだと、今の経緯を妹さんには上手く伝えられていない可能性がある。

 ……すれ違ったままか。そんなの、寂しいよね。

 年に数回しか会えない私の両親だけど、時どきしょうもない連絡が着たりもする。


「……なんて、勝手な妄想か」


 借金の真相を知って、少しだけ肩の荷が下りた気分だ。

 言い忘れていた咲さんを責めたくても、今まで私のために頑張ってくれてきた。どこか抜けていて、手はかかるけどそれでもいい……いや、それがいい。

 それが咲さんだ。


「莉々さんも、妹さんと仲直りできればいいな」


 私はテーブルの後片づけを済ませて部屋へと戻った。

 他人の心配をしてる暇もなく、机に向かい私の夜は更けていく。

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