友達? 恋人? いえ、学園のアイドルです。
カラン。
「いらっしゃいま……」
聞き慣れたドアベルの音に、私の身体は自然と足を止めた。
身に着いた習慣というのは恐ろしい。
休日にもかかわらず朝から出勤するサラリーマンを見送り、お昼になれば駅近の関係でオシャレな大学生風の男女で賑わう。お昼が過ぎれば、上品な奥様方がティータイムのため足を運ぶ。
他にも、爽彦さんに相談事をしに来る人もいる。
朝と昼過ぎはほとんどが常連さんで顔見知り。従業員である私もすっかり顔を覚えて、来店するたび些細な会話を交わす関係性だ。
それでも一見様も来店するので、気持ちよく出迎えるように心掛けている。
例えそれが、どんなお客さんでもあってだ……。
「麗良」
休日のランチタイムが過ぎた頃。
店内にいるお客さんの視線を集めながら、槇宮真桜が来店してきた。
春もそろそろ終わりかけ、満開だった桜もここ最近は緑色が目に付く。
だけどここには、散ることも枯れることもない花が咲き誇っていた。
白が眩しいワンピースの上にクリーム色のカーディガンを羽織り、七分丈のジーンズはスラッとした体のラインが浮き上がっている。
歩くたびに揺れる茶色の髪は、陽の光を浴びて金色に輝く。
ついつい見惚れてしまう槇宮真桜を前に、私は小さく頭を振った。
「今日も賑わってるわね」
店内を見回して、槇宮真桜はカウンターに立つ爽彦さんに一礼して歩き出す。
足取りには迷いはなく、店の奥にあるテーブルへと向かっていく。
歩く姿すらも絵になる槇宮真桜の後ろを、ゴシック調の給仕服が制服に袖を通す私は渋々ついて歩く。
それはまるで、お嬢様とメイドのような構図に違いない。
……まぁ、実際に本物のメイドがいてもおかしくないわよね。
「今日のおすすめは何かしら?」
「……はぁ」
お客さんを前にため息が出てしまった。
顔見知りだからと気が緩んだわけでは決してない。
槇宮真桜という同級生で、聖光学院の象徴とも呼ばれるアイドル的な存在が無自覚であるということにだ。
「お座りください」
ほぼ槇宮真桜の指定席ともなりつつある2人掛けのテーブル。その一方の椅子を引いて、座るように促す。
遠回しに立ちながら話すのは目立つので座ってくださいの意味合いだったが、槇宮真桜は驚いたように目を丸くさせる。
それも一瞬で、人を魅了する微笑みを浮かべた。
「気が利くのね」
スカートを両手で押さえて、シワがつかないように腰を下ろした。軽く背もたれを押すと、寄りかかるわけでもなく背筋をピンと伸ばす。
まるで天井から糸で吊るされているようで、椅子に座る動作ですら洗練されていた。
「そういう意味ではありません」
まったく意図を察していない様子に、私は努めて営業スマイルでメニューを広げた。
私が勤める【エアーダル】は、頻繁にメニューが変わることはない。
1つあるとすれば、爽彦さん手製の数量限定のケーキセット。
常連さんの奥様方から要望があったらしく、お昼過ぎという時間帯限定ではあるものの人気である。
ちなみに今日はガトーショコラ。しかもプレーンのチョコ、アレンジで爽やかにレモン、甘さとしょっぱさのミックスナッツ入り、ほろ苦く抹茶を混ぜ合わせた4種類から2つ選べる。
爽彦さん曰く、ただの趣味とのことらしい。
だが、私からしてみればケーキ屋さんで売っていてもなんら遜色ないでき。
普段から台所に立つ身として、爽彦さんからは学ぶことはたくさんある。
「個人的には、レモンとミックスナッツが美味しかったです」
もちろん、爽彦さんのご厚意ですべて味見させてもらっている。
選べと言われてそう簡単に順列をつけられないので、お客さんの立場だったら通いたくなってしまう。
「ん~どれも迷うわね」
腕を組んで悩む姿も様になるようで、槇宮真桜は可愛らしく唸りだす。
「では、お決まりになりましたらお呼びください」
そそくさと退散させてもらおうと、私は一礼してからその場を離れた。
あくまで従業員とお客さんの関係で線引きしている。
でないと、いつまでも槇宮真桜に向けらえる視線に晒され続けないといけない。
ただでさえ学院で一緒にいるだけで注目されて、お近づきになりたい生徒たちに囲まれる生活を強いられている。
せめて、アルバイト先くらいは心穏やかに過ごさせてもらいたい。
「麗良」
だけどお客さんが入れ替わって減る時間、閑散となりつつ店内には私の逃げ場はない。
まるで友達を呼ぶかのような気軽さがある槇宮真桜の声が耳に届き、真っすぐと揃えられた指先が曲げられて招かれる。
せめて『店員さん』とか、『すみません』とかで呼んでくれないかしら。
このご時世、何がある変わらない。
常連さんですらも私の名前を呼ぶときは声のトーンを落とすか、顔を近づけて気にかけてくれている。
その点、タエはグレーラインかもしれない。
私は店内を見回して、足早に槇宮真桜が座る席に向かった。
「あの、下の名前で呼ぶの止めてもらえませんか?」
「どうして? 麗良は麗良じゃない」
「それはそうですけど、一応仕事中なので」
このやり取りも何度目だろうか。
それでも槇宮真桜には通じない。
「麗良、別料金で払うから4種類全部ちょうだい」
「……かしこまりました」
まるで無邪気な子供の笑みに、私は軽く一礼してからオーダーを通した。
「店長。セットのケーキ4つお願いします」
「沼崎くん。お店も落ち着いてきたし、友達のところで休憩でもしてきたらどうかな」
「……え?」
少しだけ耳を疑ってしまった。
「ただの同級生ですよ?」
「……同級生。それでも、傍からみて友達のように見えるけどね」
爽彦さんのご厚意で休憩に入ることになった。
そっか……友達に見えるのか……。
私は一度更衣室に戻って、制服の上から上着だけを肩にかけた。
用意してもらったまかないのオムライスを片手に、槇宮真桜が座っている席に向かう。
先にケーキセットを食べていた槇宮真桜は、驚いたように目を丸くさせた。
「……お仕事はいいの?」
「休憩中です」
「……そう」
聖光学院の外で、それも休憩中という意味では私にとってはプライベートの時間。
おそらく初めて槇宮真桜と向かい合ったと思う。
……普段って私、何を話してたかしら?
食べる手を止めるほど、槇宮真桜からも話題を振ってくる様子がない。
「……」
「……」
出来立てのオムライスが冷めてしまうため、私は食べる手を動かす。
ん、いつ食べてもフワッフワでトロトロ。……ん~何が違うのかしら。
濃い目のケチャップライスを半熟の卵で包み込む。一見シンプルで簡単、メニューとしても何ら変哲がないだろう。
ただここ【エアーダル】で出されるオムライスを真似しようとも、一度も近い成功例がない。家で何度も試して、動画で調べてと試行錯誤を繰り返している。
咲さんはいつも美味しいと言って食べてくれるけど、私が目指すレベルはまだ高い。
「麗良。……それ美味しい?」
「ん?」
半分ほど食べたところで、槇宮真桜からの声に手を止めた。
まるで初めてオムライスを見たような視線。
私からすると、聖光学院で食べてる料理の方が珍しいモノばかりだ。
「……食べてみる?」
私の記憶が正しければ、槇宮真桜は【エアーダル】のケーキセットしか注文しない。
ほぼ毎日。私が出勤する週4、5日あれば全メニューを食べ比べることはできる。
それなのに来店してから頑なにケーキセット。
たとえバリエーションが豊富でも、週を跨げば重なることもある。だから選ばせることで次の来店効果を狙った営業方針。
そのおかげでリピーターがついて、常連さんになっていく。
だけど、槇宮真桜は例外なのかもしれない。
甘い物が好きだったとしても、他のメニューも食べてもらいたい気持ちはあった。
「一口貰えるかしら」
まさかの申し出に、ちょっとだけ嬉しかった。
「別のスプーン、持ってきますね」
「待って」
あまりの嬉しさに席を立とうとして、槇宮真桜に呼び止められた。
「そのスプーン……麗良が使ってたのじゃダメなの?」
懇願するような熱量が宿った瞳で見据えられ、触れる程度に人差し指を握ってきた。
「……へ?」
わずかな思考の果て、意味は理解できた。
それでも、面と向かって間接キスしたいと言われたことない。
と、友達同士でもそんなことするかしら……?
タエの場合は勝手に食べられる。咲さんはひな鳥のように甘えて口を開く。
長い付き合いだから意識してこなかった。
むしろ家族で、私がお世話している節がある。
「ダ、ダメかしら?」
「べ、別に嫌でなければ……はい……」
私は浮かした腰を落ち着かせて、さっきまで自分が使っていたスプーンを手にする。
ケチャップライスとフワットロ卵の部分を一口大にすくった。
「その……どうぞ……」
手の平で添えるように、私は槇宮真桜へとオムライスを差し出した。
「あ、いや……うん……いただくわ」
流れる髪を耳にかけて、槇宮真桜は小さな口をこれでもかと大きく開いてきた。
……あれ、何か間違えたかしら。
珍しく槇宮真桜の歯切れが悪かった気がした。
だけど周囲の目もある。
私は震える緊張の手で握ったスプーンを、槇宮真桜の口もとへと運んだ。
「ん、美味しいわ」
一挙手一投足とっても、槇宮真桜の所作には滲み出る品がある。
口もとを手で隠して食べる姿に見惚れしまう。
……そんなに熱かったかしら。
頬を赤く染めて、槇宮真桜は黙り込んでしまった。
しばらく視線を彷徨わせてから、嬉しさを前面に笑みを浮かべてくる。
「まさか、食べさせてくれるとは思ってもみなかったわ」
「……っ!? いや、あの空気は完璧に食べさせてって意味だったじゃん!! ……じゃないですか……」
ついタエにからかわれた時の反応を取ってしまった。
声を荒げてしまい、学院のアイドルに対して砕けた口調。自然と前のめりになった腰を落ち着かせる。
「麗良が使ったスプーンを私が使うつもりだったのに……けど、嬉しかったわ」
今度は私が黙る番だった。
何か特別な意味があったわけでもない。
本当に無意識な癖――咲さんに甘えられる時の対応をとっただけだった。
それと爽彦さんに言われた友達というフレーズが、私にそうさせたのかもしれない。
「まるで恋人っぽいやり取り……嫌いじゃないわ」
追い打ちをかけてくる槇宮真桜は、自分のケーキセット内から私が勧めたレモンのガトーショコラを差し出してきた。
「はい、お返しよ」
「い、いらないですってば」
「もう、いつまでその口調な? 同級生――いえ、恋人なんだからもっと砕けた感じで話してくれてかまわないわ」
もしそんな光景を、聖光学院の生徒に見られでもしたら陰でなんて言われるか。想像しただけで背筋が震えてしまう。
特に、破島さんからの圧が強めで追及されるに違いない。
それに――、
「恋人じゃないですから、あくまで同級生の関係です」
ハッキリと私にとってのラインをアピールしておく。
私の場合は生活のために無断でアルバイトをしていることを、たまたま学院のアイドルである槇宮真桜に知られて弱みを握られている。
何が気に入られたのか分からないけど、言い値で私のことを買おうとまでしてきた。
グルグルと頭の中で言い訳を連ねている間も、槇宮真桜は笑みを崩さない。
「いつも一緒にいる食事して、こうして顔を合わせているのに?」
「一方的に誘ってきてるというか……なんかこう、断りづらいんです」
聖光学院の通う生徒中で、槇宮真桜からの誘いもしくは頼まれごとを断れる強靭なメンタルの持ち主がいれば変わって欲しい。
私の身近であげるとすれば、タエくらいだろう。
それでも周囲からの圧、向けられる視線に耐えられるかは別の話だ。
学生という身分で、小さな社会が形成されている箱庭。目に見えないルールが存在して、みんなそれに従っている。
よくいう同調圧力。
ただ勉強ができるだけで、特に目立った特徴のない私からすれば従わざる得ない。
槇宮真桜はその見えないカーストの上位で、学院の顔とも崇められている。
安易に断った後が怖いのだ。
「……やっぱり迷惑よね」
「え?」
誰もが見惚れるほど整った顔に、明らかな影が差し込んだ。
「私にとって初めてだったのよ。槇宮真桜という存在に対してゴマをするとか、へりくだる態度を取らなかったのわ」
いや、今まさにペコペコ頭を下げてるというか、顔色窺って会話してますけど?
「周りにいる取り巻きは一歩引いた態度で接してくる。……そのことで一度、彩華ともそれで口論になったわ」
自虐的で、それでいてどこか懐かしむような表情。
そっか、だからあの時も……。
初めて槇宮真桜から手を握られた時、私は一度それを拒んだ。
だけど不意に差し込んだ影を目の当りにして気づいた。
たとえ学院のアイドルや象徴とも呼ばれていても、私と変わらない普通の女子生徒なのだということを。
その時、槇宮真桜に興味を抱いたのかもしれない。
でなかったら今の関係は、あの瞬間で終わっている。
だから私も――、
「迷惑じゃないよ」
胸の内を打ち明けるしかない。
「ホント?」
……そんな顔しないでよ。
悪さがバレた子供のような怯えた視線。
私の前にいるのは、いつも自由で何を考えているのかわからない。学院アイドルとして慕われる槇宮真桜とは思えなかった。
だからここは、覚悟を決めるしかない。
軽く咳払いをして、口調を改める。
「この状況でウソは言わないって。……けど、断りづらいのは本音」
「……そう」
叱られたように項垂れて、せっかくの顔が前髪で隠れてしまう。
「もう、だからって素直に全部受け取らないでよ。真桜」
「!? 今……名前――」
「呼んだわよ。自分の気持ちに素直で真っすぐ、春になると綺麗に色づく桜。それで真桜……名は体を表すってよく言ったものよね」
面と向かって言うには気恥ずかしかった。
それでも私にとって槇宮真桜という存在は、そう映って見える。
子供っぽくて、すぐに感情が表に出る内の面。
整った顔立ちで、学院の顔とまで呼ばれる周囲を魅了させる外の面。
どちらもそれは槇宮真桜で、それを薄々感じつつあった。
「麗良」
「なに?」
「もう一回呼んで」
「真桜。……これでいい」
返事はない。
だけど、私の手を握る感覚があった。
私のように水仕事をしたことないほど綺麗で、細くて白い指先。少し力を込めただけで折れてしまわないか不安になる。
それでも、私は槇宮真桜の手を握り返す。
「握ってていい?」
「うん、いいよ」
残ったオムライスを片手で食べるのは難しかったけど、触り続けていたい真桜の手を離したくなかった。
少しずつ……知り合っていけばいいのよね。
あの日、確かに槇み――いや、真桜から言われた。
遅くなったけど、私の方からも真桜のことを知っていこう。
まぁ、お金で人のことを買おうとするし、いつの間にか恋人にさせられて家族にも紹介済み……。もしかしたら私の耳に入ってないだけで、他にも真桜が勝手に動いていてもおかしくない。
「真桜、1つ聞いていい?」
「1つと言わず、何でも聞いて麗良」
まだ舌に馴染まない真桜の名前を呼ぶと、満面の笑みを浮かべられた。繋いだ手にも力が込められ、全身で喜びが伝わってくる。
無邪気な真桜の仕草に、私の胸は早鐘を打って少しうるさかった。
「その、恋人の件なんだけど――」
「挨拶の日取りでも決めておく?」
「なんでそうなる」
「麗良、もしかして知らないの? 女子は16歳で結婚できるのよ」
「真桜こそ、私が学年トップの学力を持ってるって知ってる?」
頭の中がお花畑、もしくはピンク色なのだろうか?
テーブルの下ではお行儀悪く、私の足を真桜が爪先で突いてくる。
「結婚どころか私たち同性よ?」
「だから?」
よし、ここからは長丁場になりそうだ。
何となく真桜の言動から察しはついていた。
世間体という周囲の目、考えなんて気にしてないのだろう。
よく歌詞やドラマで【運命の相手】なんていう言葉を耳にする。
だけど残念なことに、私はまだ出逢ったことはない。
もしかしたら出逢えない可能性だってある。
けど今は【運命の相手】に関してはどうでもいい。
「このことは2人だけの秘密ね」
「どうしてよ?」
「真桜は人目を気にしないだろうけど、私が慣れてないの。その……恥ずかしいのよ」
正直、隣を並んで歩くだけで胃痛に苛まれている。
それに破島さん。……いや、聖光学院に通う生徒の1人にでも知られたら情報が拡散される。
そして最終的には、私の身が危険に晒されるに違いない。
考えただけで背筋がゾッとする。
「……麗良、熱でもあるの?」
「う、うん……大丈夫」
「成績の維持とアルバイトで大変だろうけど、第一に体の心配はしないとダメよ?」
「真桜は心配しすぎだってば」
実際、ここ最近風邪を引いた記憶はない。
馬鹿は風邪を引かないことわざがある。でもよくよく考えれば、バカは風邪を引いたことに気づけない。
学年トップの学力がある私は、馬鹿じゃないから引かないのだ。
これだけは胸を張って自慢できる。
「もしもの時は言ってね? かかりつけ医師を紹介するから」
「それ、まえも聞いた。ホントに大丈夫だから……あっ」
壁にぶら下がる時計を見ると、休憩時間が終わっていた。
だけど、カウンターに立っている爽彦さんから声がかかってこない。
爽彦さん……甘やかさないでくださいよ。
立ち上がろうとして、真桜と握ったままの手に力が込められた。
「真桜……あくまで私は仕事中だから」
「わかってるわ……だけど、うん……」
こんな姿、聖光の生徒は知らないんだろうな。……だけど、ごめんね。
まるで飼い主から離れたくない子犬のようで、耳があったら伏せてるだろう。
ちょっとした優越感に潜む本心が、チクチクと胸を刺してくる。
「仕事に戻るね」
「うん、頑張って」
放してくれた真桜の手に触れて、私は足早に仕事へと戻った。
「お疲れ様でした」
爽彦さんに声をかけてから、私は【エアーダル】を後にした。
「麗良、お疲れ様」
「ありがとう真桜」
お店を出てすぐ、真桜が待ってくれていた。
別に上がり時間を教えているわけではない。
ただ毎日通ってるだけあって、私の上り作業で察したのだろう。
それに狙いを定めたかのように、私が上がる10分前に真桜のテーブル会計をした。
完璧に私の行動時間は、真桜に把握されている。
「お迎えの人は呼んだの?」
「ドライバーさんには事前に知らせてるわ」
「そうだよね」
私の驚きは一周回って呆れ、それを超えて諦観まで達しようとしている。
「けど、今日はちょっとだけ……ダメ?」
周りは休日なのにお仕事の社会人、休日を過ごすオシャレな大学生っぽい人で賑わう。他にも私たちと同い年の学生も目につく。
そんな雑踏の中でも、真桜の存在感は圧倒的だった。
「ドライバーさんを困らせちゃダメだよ」
真桜は甘えるように腕を組んできて、ピッタリと体をくっ付けてくる。
これも毎朝、校門から下駄箱までの距離を一緒に歩くようになって慣れたもの。
だけど、それも今日から変わるのかもしれない。
上がる前にしっかり手、洗っておいてよかった。
真桜の細い指が、私の指を包むように握ってくる。
「帰ろっか」
真桜からの返事は聞かずに、私はゆっくりと歩き出す。
それでも握られた手は離れることなくついてくる。
これといって何かを話すわけでもない。
ただ何となく、真桜が喜んでいる気はする。
駅から【エアーダル】までの距離は目と鼻の先。
横断歩道を挟んだ向かい側はバスロータリーやタクシー、駅の改札があって人で溢れている。
真桜が見ている世界って、どうなってるのかしら。
集まる視線に晒されながらも、真桜は堂々としている。
その姿勢を目の当りに、隣にいるのが恥ずかしくて胸が痛む。
「どうかした?」
「真桜ってスゴイだね」
「急にどうしたの」
照れたように笑う真桜の表情は、私に向けられてきた中で一番可愛かった。
これが恋する乙女っていうのかな。
正直、同性相手の私でもドキドキする。
私に対する純粋すぎる好意を全面的に、真桜からの熱い視線に胸が苦しい。
「麗良」
「……ダメ、人目があるでしょ」
周囲を走る車の中で目を引く黒塗りの一台。私にとっては見慣れた車でも、やっぱりどこか浮いているから目立つ。
甘えるように握った手に力が込められる。
「……お願い」
少し見上げれば真桜の顔がすぐ近くにある。
吸い込まれそうなほど綺麗な瞳。整った鼻は可愛らしく、小さな唇には艶があって艶めかしい。
胸の鼓動がやけにうるさく、鼓膜の奥で響いてくる。
吹き抜けた風に乗って、夕日に染まる茶色い髪が金へと変わっていた。
いい匂い……香水とか使ってるのかな。
清涼感のある甘い香りに包まれる。
「2人っきりの時だけよ」
近づく真桜の唇に、私は自分の人差し指を押し当てる。
「一瞬だけ……ね」
それでも真桜は強請ってくる。
だから私は、押し当てていた人差し指を自分の唇に当てがった。
軽く1回、それから2度3度リップ音で鳴らして見せつける。
そして、麗良の唇にちょっと強引に押し当てた。
「これで我慢して」
指を切ったわけじゃないのに……何してるのかしら……。
初めて台所に立って料理をしようと思って、慣れない包丁で指を切っていた時以来口に銜えたかもしれない。
満足してもらえたかと真桜の顔を覗き込むと――、
「……うん」
呆けたように瞳を丸くさせて、頬を朱色に染めていた。
夕日を言い訳には絶対にさせない。
だって、私の顔もかなり熱を帯びている。
「また明日」
「うん……また明日、麗良」
私は真桜に背中を向けて、足早にその場を後にした。
これ以上真桜と見つめ合ったまま一緒にいて求められたら、断り切れずにいたと思う。
熱を帯びた頬を軽く叩いて、小さく頭を振りながら改札を潜り抜けた。
お、置いてきたけど……大丈夫よね?
帰宅する人ごみに紛れつつ、私は横目で真桜を探した。
だけど、すぐに見つけられることはできず電車へと押し込まれる。
ほぼ満員の車内で揺られながら、真っ黒なスマホの画面を見つめた。
いつもだったら真桜から10分置きの何気ない、取り留めのない会話が届く。通知ランプは信号機のように点滅していたけれど、今日はうんともすんとも反応がない。
「やり過ぎたわよね……」
内心どこか落ち着かない気持ちのまま、私は最寄り駅までスマホを握りしめていた。