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苦学生と学園のアイドル


「お父さん、お母さん。行ってきます」


 登校前の準備を済ませて、部屋を出る前に両親3人で映る写真に挨拶をする。

 新学期を迎える一人娘に向けた『おめでとう』の一言は、トークアプリに張り付けるだけど形上では祝われた。

 ただ、そこに不満はない。

 これが4年以上続けば、私の中で当たり前になっていた。

 別に仲が悪いわけでもないし、お互いに仕事で忙しくしているのは何となくわかる。一人で家に置くのが心配だからって、近くに住む従姉の所に預けるほど大事で仕送りも欠かさない。

 それでも納得いかないのは、自分の容姿だ。

 1年が経っても残念なことに私の体(特に胸)には成長が見られず、純白の制服はやや大きく余裕がある。着ているというよりも、いまだに着られている感が強い。

 制服のシワに寝癖はなし。前髪は……うん~ちょっときになるかも。


「れいちゃ~ん、そろそろご飯食べないと遅れちゃうわよぉ~」

「今行きまぁ~す」


 親指と人差し指でちょいちょいと前髪を整え、鏡に映る自分を見つめた。

 今日から新学期! まだまだ成長を諦めていいわけじゃないし、明るくいこう!

 自分への活を入れるため、手のひらで両頬を軽く叩いた。

 私は部屋を出て、リビングへと続く通路を歩く。

 ほぼ1年前まで、親戚の従姉である間咲さんと2人暮らしだった。

 それは今でも変わらないのだが、急な引っ越しのせいで全体的に居住空間が広くなっている。2DKのアパートから、3LDKのセキュリティ対策が完璧なマンション。

 何かと同性同士で荷物は多く、雑魚寝していたのが懐かしい。

 今ではそれぞれのプライベート空間があって、むしろ1部屋余らせている。


「おはようございます」

「おはよぉ~」


 リビングで朝食を摂っていた咲さんは、大きな口でトーストを頬張っている。

 長めの明るい茶色の髪を波打たせ、どこか眠そうな眼にトロリと垂れた目尻。豊満な胸を強調するクリーム色のニットセーターからは、艶めかしく太ももを露に見せびらかしてくる。

 正直、同性として敗北感がかなり強い。

 対面に座ると圧倒的な存在を主張する胸が、テーブルの上に重そうに乗っている。


「咲さんこそ、ゆっくりしてていいんですか?」

「だいじょぉ~ぶ、りーちゃんが迎えに来てくれるから」


 社会人2年目の大人が、何を自信ありげに言っていいのか。

 のんびりと、それでいてまったりとした雰囲気を醸し出す咲さん。差し込む朝日も相まって、変にツッコム気にもなれないな。

 それにしても、不思議な感覚だな。


「れいちゃん、どうかしたの?」

「いえ、ちょっと去年ことを想いだしちゃって」

「大変だったよねぇ~。急にりーちゃんがここに乗り込んできて、保証人として立て替えた借金を返せぇ~って」


 咲さん自身真似のつもりなのだろうけど、まったくもって似ていない。ハキハキとした口調から張り詰めた雰囲気とか、咲さんとは全くの正反対だ。

 あの時とセリフは違うけど、実際にはそう言われたようなもの。

 咲さんはまるで苦労して返した口ぶりだが、たった1年で返せる額じゃない。そこのところ、どう考えているのか不思議だ。

 危機感のない咲さんの様子に、私はため息交じりに両手を合わせた。


「はぁ……いただきます」


 咲さんが作ってくれた朝食。焼いたトーストにイチゴジャムを薄く塗り広げて、カリカリの耳を頬張る。

 テーブルにはスクランブルエッグもどきと、足がもげているタコさんウインナー。ゴロゴロのジャガイモ、それにニンジンやキュウリを混ぜ合わせたポテトサラダ? 

生活力0の咲さんが、成長を見せようと挑んだ成果が並んでいた。


「……殻、入ってます」

「ううぅ~早起きして頑張ったのにぃ~」

「あんまり無理しなくていいですよ?」

「ん~今日は上手くいく気がしたんだよぉ~」


 パタパタとテーブルの下で咲さんの足が動くと、テーブルが慌ただしく揺れる。


「けど、美味しいです」

「ふへへぇ~やったぁ~」


 子供っぽく屈託のない咲さんの笑みに、私も笑顔を返すしかなかった。

 ……ホント、調子が良いんだから。

 機嫌を良くしたのか、咲さんがつま先でちょっかいをかけてくる。

 だからといって敵対や注意はせず、何事もない風を装う。


「夕飯、何がいいですか?」

「オムライスぅ~」

「はいはい、お行儀よく食べましょうね」


 白い湯気が立つマグカップから、珈琲が零れなかっただけ良かった。

 咲さんとはよく、一緒に買い物に行くと姉妹に間違われる。実際に遠からず近いかもしれないけど、咲さんと過ごしているとお姉さんらしさをあまり感じない。

 むしろ、手のかかる妹的な感覚に近い人だ。

 ちらりとキッチンを覗くと、後片付けがされていない惨状。

 私はサッサと朝食を済ませ、食器を洗うついでにキッチンを片付ける。


「れいちゃん、もう1枚焼いてぇ~」

「……まだ食べるんですか」


 咲さんは大きく開いた口で、恐らく3枚目のトーストを頬張っていた。

 薄く表面に焦げ目がつく程度に焼くだけなのに、無邪気な様子でこれでもかと美味しそうに食べる。

 そのたび揺れる胸。

 すべての栄養はそこへと集約しているのではと、一時期は考えたこともある。

 ……ほんと、よく食べるよな。

 私たちの朝食は、6枚入りの食パンが1日で消えてしまう。私が1枚か2枚で、咲さんは必ず4枚という割合。他にもおかずを作っても、咲さんはぺろりと平らげてしまう。作り手としては気持ちいいけど、ひと月の食費で換算するとかなりかかっている。

 冷蔵庫に張ったスーパーのチラシを眺め、今日の特売品を確認しておく。

 卵に……洗濯洗剤!? 確かそろそろ無くなりそうだったから助かるな。……18時に学校が終わってそれなら行けるかな? ……念のため、バイト先にも遅れるかもって連絡しておくのもあり?


「れいちゃん、眉間にシワ寄ってるよ?」

「咲さんがよく食べるから、色々と大変なんです」

「食費足りないの?」


 そう言って、咲さんは行儀悪くトーストを銜えたままリビングから消えていく。


「これで足りる?」


 パタパタと近づいてくるスリッパの音。咲さんはお財布からお札を1枚取り出し、手渡してきた。

 いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんですよ!!


「……2日前に貰ったんで大丈夫ですよ」

「そう? 足りなかったらいつでも言ってねぇ~」


 ……咲さんって、どうしてここまで私と金銭感覚が違うかな。

 大人はみんなそうなのかと、自分の物差しに当てはめて考えてしまう。

 それもそのはず。

 急に一般成人男性の生涯年収を上回るマンションは買うし、手にしていた青色のステンドグラスを連想させる長財布もだ。気になって調べてみたけど、海外製のモノで受注生産されていた。

 価格も高校生の私がやすやすと手を出そうとは思わない額。

 むしろ、生活費に当てたいと考えてしまう。

 見回す限りにキッチン道具も、名の知れたブランドのロゴばかりが揃っている。


「咲さん。……支払いの方は大丈夫なんですか?」


 焼き上がったばかりのトーストを前に、咲さんは嬉しそうに頬張る。


「だいじょぉ~ぶ、りーちゃんには待ってもらってるから」

 ……それって、普通に不味いんじゃないかな。

 どれだけ仲が良くて付き合いの長い友達で、借金を肩代わりしてくれるほど懐が深い人でも待ってくれる額じゃない。

 月に何度か咲さんの様子を見にウチに来るりーちゃんさんを前にすると、胃がキリキリと痛んでしまう。

 さらっと聞き流していたけど、送り迎えまでしてくれているようだ。


「とにかく、あまりりーちゃんさんに失礼がないようにしてくださいね」

「ふぁ~い」

「座って食べてください!」


 元気いっぱい返事する咲さんを叱りつけ、私は一足先に家を出た。

 ……はぁ、手のかかる人だ。

 セキュリティがバッチリのマンション。空き巣などの心配はないけど、念のため戸締りするようにと咲さんに声をかけた。

 何か叫んでいるようだったけど、少しのんびりしすぎて遅刻ギリギリ。

 私は急ぎ足でエレベーターの乗り込み、最寄駅から電車を乗り継いで学院へと急ぐ。

 私が通う幼稚園から大学院までの全てがある聖光学院。まるで西洋のお城かのように外壁は白く、近づくにつれて足もとはコンクリートからレンガ造りに代わっていく。

 本当に現代と思えない光景には最初は驚いた。

 けど、今では日常で当たり前。

 ほとんどの生徒が使用人と呼ばれる人たちに送り迎えをしてもらい、家が近い生徒は徒歩通学。学院の最寄り駅が近づくと同じ制服姿の生徒も見かけるけど、どこか纏う雰囲気に品がある。

 私にとっては場違い感が強い学院だ。それに中等部からの編入組で、幼稚園からの付き合いがある輪に飛び込む勇気がない。

 だからといって友達がいないわけでもなく、私と同じ編入組はいる。


「おはよタエ」


 ガードレールに寄りかかる一人の女子生徒。人懐っこい瞳と目が合ったかと思うと、耳にしていたヘッドホンを首へとぶら下げる。


「はよはよ、珍しいじゃんレイが遅いなんて」


 一色(いしき)タエ。中等部1年の頃、クラスが一緒だったことで仲良くなった。明るい茶色の髪を右サイドに、学年を示す黄色と緑のリボンで束ねる。

 そのせいでがら空きの胸元は、第二ボタンまで解放されていた。


「朝から色々と大変だったのよ」


 原因は咲さんにある。……何をとは言わない。


「そう、ならいいけど」


 寄りかかっていたガードレールから離れ、タエは私の隣を並んで急ぐ。私を待っていたから、タエも一緒に遅刻ギリギリだ。

 ふわりと舞うタエのスカート裾。

 校則として膝下10cmまでと決められている。長いか短いかの議論は、私にとってどうでもいい。

 ただ、颯爽と走るタエの下着が見えないか心配だ。

本人曰く気にしていないらしく、同性として恥じらいを持ってほしい。


「タエ、校則違反が過ぎるわ」

「そんなレイこそ、マジメ過ぎると思うよ?」

「真面目って……私は普通に学生として当たり前の――」

「そういうところだよ」

「きゅ、急に立ち止まらないでよ」


 危なくタエの背中に衝突しそうなところを、どうにか踏ん張った。

 私が抗議しようと睨むも、タエは目を細めて見下ろしてくる。


「ほら、無理してる証拠だよ」


 そう言ってタエの触れた指先は、私の目もとを優しく撫でた。


「遅くまで勉強してただろぉ~」

「にゃにするにょよ」

「おお、レイの頬っぺたはぷにぷにだぁ~」


 わざと怒った振りでタエの手を払おうとするも、私の手は虚しく空を切る。

 ……くっ、こういうところタエには勝てないか!

 運動神経が良いだけあって、私では到底かなうわけがない。

 中学の頃から、タエは各部の部長である上級生たちから一目置かれるだけはある。

 初めは体育の授業。2クラス合同だったため、タエの噂はそこまで広がっていなかったと思う。

 私自身もよく動く元気な子くらいに認識だった。

 そしてタエが逸材と目を突けられるキッカケは、中等部の体育祭に違いない。

 最初の競技【徒競走】。タエは同級生で短距離走者の陸上部員を相手に、圧倒的な大差で1位になった。それを皮切りに球技大会では、バスケ部員で構成された上級生チームを相手に互角に張り合い、惜しくも負けてしまっている。

 優勝確実といわれていた上級生相手に、1回戦から手に汗握る試合を見せつけた。

 その日からひっきりなしの運動部から勧誘されるも、どの部にも所属していない。

 本人曰く、帰宅部であり続ける信念があるとのこと。

 ……タエの考えてることは、付き合いの長い私でもいまだよく分からない。


「はぁ、レイは本当に可愛いよね」

「タ、タエ? 目が怖い……よ?」


 時おり熱い眼差しを私に向けてくるので、本能的に身の危険を感じてはいる。

 私とタエは足早に学院へと急ぐ。


「げっ」


 だが、行く手を阻むかのように生徒たちが昇降口前で並んでいた。

 真っ白なキャンバスのごとく、聖光学院の制服にはどの色もよく映える。遠目からでも右腕には緑の腕章が付けられていた。

 タエは苦虫を嚙み潰したような表情で、私の後ろに反射的に隠れてしまう。

 こういう時の動きは、今まで以上の一番キレを発揮する。

 新学期である初日から、風紀委員による服装点検。ほとんどの生徒は挨拶をするだけで留められることはない。

 ただ、タエは一目でわかるほど校則違反のオンパレード。

 そんなタエを庇えるわけもなく、私は普通に登校する。


「レイ……私を置いてくの」

「だって私、服装に関しては校則通りだもの」


 別に自慢するほどでもなく、当たり前だと胸を張る。

 そんなタエは私に納得がいかないのか、眉間にシワを寄せて低く呻きだす。


「いいの……レイの秘密、バラすよ」

「……タエ、それは言わない約束じゃなかったかしら?」


 不敵な笑みを浮かべるタエに、私は自然と拳を握り締めてしまう。

 私にとって一番のタブーを握るタエ。

 学院側にバレると内申点に響き、大学への推薦状がもらえなくなる。そうなると受験するためのお金がかかり、借金の返済が遠のく。


「レイ、私との仲じゃん」


 ここで足止めされると、中等部から続く皆勤賞にも響いてくる。

 こんな時のタエ……必死すぎでしょ!

 切っても切れない私とタエの関係は、まるで運命かのように糸で結ばれている。

 いい笑顔で両手を広げて迎え入れる姿勢のタエに、私は争えず足を止めた。


「解決策として一つ、制服を着崩さない。以上」

「それ以外を求む!」


 キリリと凛々しい目つきをするタエに、周囲にいた生徒たち(主に女子)が黄色い歓声を上げて足早に通り過ぎていく。

 ……なんで、私が問い詰められないといけないの?

 柵を超えた先は学院の敷地内。正規ルートで登校できる私からすれば、頭を捻る必要もない。

それをタエが許してくれないので、最善策を一応考えて見る。


「この柵を飛び越えるのはどう?」


 汚れやサビ一つ見られない黒いポール状の柵。ジャンプしたところで届くわけがないと知りつつも、タエの運動神経ならよじ登れそうだと思った。


「その手はすでに尽きている。今ではほら」


 足元に転がっていた小石を手に、タエはフェンスの上部へ投げた。

 バチン! という音に、登校する生徒たちの足を止めて虚空を見上げる。澄み渡る青空には雲一つない。

 にもかかわらず、まるで雷が落ちたかのような音が響いた。


「この通り、柵を乗り越えようとする前にやられる」


 まるで一度体験したかのようなタエの達観した口ぶり。どうしてそこまで校則違反にこだわるのか、私には到底理解できない。

 睨み合うように、私とタエは向かい合う。

 そんなしょうもないやり取りを横に、一台の黒塗りの車が走り抜けていく。

 聖光学院では珍しくもない一台のリムジン。

 だが、道行く生徒たちは足を止めまでその車を目で追いかけている。


「しめた!」


 タエは嬉々とした笑顔で走り出す。


「ちょっとタエ! 危ないわよ!!」


 人が普通に走っても、到底車とは並走できるわけがない。さすがのタエも追いつけず、徐々に距離が開いていく。

 ……まったく、ただ服装を整えるだけなのに!

 呆れてため息しか出なかったけど、タエを追いかけるように校門を目指した。

 すると、さっき私たちを追い越していったリムジンが停まっている。

 運転席から降りてきた、白髪で黒いスーツ姿を着た初老のドライバーさん。後部座席の方へと回ると、扉を開けた。


「真桜様、おはようございます」

「おはよう彩華。いつもありがとう」


 まるでハリウッドのレッドカーペットかのように、腕章をつけた生徒たちが横一列に並んだ。その中から長い黒髪を後ろで一本にまとめた女子生徒が、リムジンから降りてきた女子生徒から鞄を受け取った。

 朝の光を浴びて輝く明るい茶色の髪は、動くたびに背中で波打つ。胸元で結ばれたリボンの色は私と一緒の黄色と緑。

 ただ、本当に同級生なのかと思うほど、周りとの纏う雰囲気が違う。

 まるで女神でも降臨したかのような光景は比喩的な表現でまったくなく、足を止めた一部の生徒が祈るように両手を組んでいる。

 ……こんな時間に登校なんて、珍しい。

 聖光学院の象徴とも呼べる女子生徒。さすがの編入組でも彼女の名前は耳にする。

 槇宮真桜。

 圧倒的な存在感と毅然とした振る舞いはまるでお嬢様。話に聞く限り親がお金持ちで、高校生ながらすでに婚約者までいるらしい。

 彼女が通る道を遮る生徒は一人としておらず、全員が脇に逸れて足を止めた。

 ホント、おとぎ話の中から飛び出して来たかのようなお嬢様よね。

 ただの何気ない登校風景に彼女がいる。

 それすら私には久しぶりの遭遇で、あまりの非現実的に息を呑んでしまう。

 鞄を持たせた黒髪の女子生徒を少し後ろに従えて、槇宮真桜は誰も見向きせずに歩き去って行く。

 そんな一瞬のような出来事に、止まっていた時間が動き出す。


「いやぁ~真桜様にはさまさまだったよ」


 茂みからひょっこり姿を見せるタエ、どうにかお咎めもなく潜り込めたようだ。

 ……校則通りに着ればいいだけなのよ。

 そんなことを思う私ではあるけど、タエから謎の強い意志は尊重したい。

 私は遠ざかっていく学園のアイドルの後ろ姿を目で追いかける。


「ホント、生きる世界が違うって感じがするよね」

「フッ、これが格の違いってやつか」

「……?」


 急にカッコつけ、タエは悲哀に満ちた表情で空を仰ぎ見た。

 時々だが、タエの中で謎のスイッチが入ると私は置いてきぼりにされることがある。


「何か反応してくれよ!」

「え、ああ……と、うん。カッコいいわよ?」

「レイの反応が冷たい!!」


 朝からハイテンションのタエに、露骨すぎるウソ泣きで抱きつかれる。

 ……誰か、謎の言動に対する適切な反応を知るお方。私にご連絡をお願いします。

 周囲からの視線を感じつつ、私はポンポンと頭を撫でた。


「ほら、そろそろ行かないと遅れるわよ」


 朝のホームルームを知らせる予鈴が鳴り、私とタエは顔を見合わせた。行き交う生徒たちの足も早まり、流れに争わず校舎へと向かう。

 今日から2年生となり、私の新しい学院生活が始まった。


 だからといって、何かが変わるわけもない私の日常。

大学まで一貫である聖光学院は、進級するのが当たり前の空気が漂っている。それに関してはまあいい。外部の名の知れた有名な大学に引けを取らない偏差値だから。

 だけど、私にとっては滑り止めとして考えている。

 どうして唐突に悩んでいるか? それは朝のHRで進路希望調査が配られたからです。


「レェ~イ、お昼いこう」

「あ、うん」


 鞄からお弁当を取り出し、進路希望調査用紙を奥へと押し込んだ。

 同じ敷地内に幼稚園から大学院まである。

 それでも校舎が別れているため、高等部に通う生徒以外はいない。1クラス30人とそれ程多くないクラスメイト。

 だけどそれが各学年10クラスあればどうだろう。


「うわぁ~人がゴミのようだ」

「タエ、声が大きいってば!」

 

 ストレートすぎるタエの言葉に、誰一人と反応を見せていない。

 むしろ、賑やかすぎる周囲の会話にかき消されていく。

 朝の満員電車かのように人でひしめき合い、身動き一つとっても一苦労。私が席の確保に動き、タエは自分の昼食を求めて券売機の列に並ぶ。

 それにしても、今日はやけに多いわね。

 春休み明けてからの新学期。クラス替えもあったため、久しぶりに顔を合わせた友達同士の会話が弾んでいるようだ。

 各学年によって暗黙といわんばかりに、使用エリアが明確化している。

 食堂の入り口、券売機の近い座席から3年生。中間を2年生、1年生はかなり遠い。

 だけど奥へと行くにつれて扇状に広がり、座席数が多くなる。

 私の足は、自然と外が見える席へと向かっていた。

 だがそこには、すでに1年生の男女が数人に座っている。楽し気に談笑していたようだが、私の姿に口を紡いで辺りを見回し始めた。


「あ、ごめんね。つい癖で」


 1年の時に見つけたガラス張りで外の風景が見える特等席。今年からは残念なことに使えなくなってしまっていた。

 初々しく、真新しい制服に着られている雰囲気が可愛らしい。


「あれぇ~どうして2年生がこんなところにいるんだぁ~」

「……タエ?」


 タエの陽気でからかいじみた声音に、私は驚いてしまった。

 手にしたトレーにはBランチ。運動部の男子生徒にとってはボリューム感のあるカツ丼定食。それにプラスでサラダとカッププリンと、タエはよく食べる。


「クセってのは、なかなか抜けないもんだな」

「そうね……」


 ヘラリと笑うタエの様子から、私と同じであの席に向かっていたのかもしれない。

 1年生に手を振るタエを横に、私たちは別の席を探した。

 隣り合う席に着いて、タエは不満を言いながらも冷めてしまったカツ丼を豪快にかきこんでいく。


「タエ、もう少し上品に食べなさいよ」


 夕飯で残った余り物の里芋煮とから揚げ、朝に焼いた卵焼きに色合いに詰めたミニトマト。あとは白米といったい胸を張るほどでもないお弁当を広げた。


「そんなこと気にしてたら、一人でラーメン食べらんないって」

「はぁ、タエのそういうところ嫌いじゃないわ」

「なら卵焼きちょうだい」


 卵でとじたカツを食べながら、卵焼きを要求してくる。デザートもプリンと卵づくし。

 ひな鳥のように口を開いて甘えてくるタエに、私は嘆息気に卵焼きを差し出す。


「ん~いつ食べても美味しい」

「ありがとう。……けど、あんまり好きなものばかり食べると体に悪いわよ」

「好きなもの?」

「卵、食べ過ぎじゃない?」

「これが健康を気にする嫁を持つ気分か……」


 しみじみとした様子で漬物を食べるタエに、私は肩を竦めた。


「何言ってるのよ」


 初めはただクラスが一緒で、同じ編入組っていう関係だった。似た生徒は私以外にもいて、タエのように注目されていれば誰でも仲良くしてくれるに違いない。放課後だってよく遊びに誘われている姿を見かけることがある。

 人付き合いも良くて明るい性格。

 それなのに、どうして勉強だけが取り柄とも言える私と一緒にいるのだろうか。


「どした?」

「何でもないわ」

「え~そんなわけないじゃん。ほらほら、素直に言いたいことがあるならいいな」

「もう、だから何でもないってば」


 隣に座ってるだけあって、タエは逃げ場のない私の脇を突いてくる。


「ほれほれ、ここが弱いんじゃろぉ~」

「タエ。や、やめてってばっ!」


 私が身をよじらせてくすぐったがると、タエはすぐ調子にのる。

 ガシャンとすぐ近くで鳴った音に、私とタエは目を丸くした。


「ご、ごめんなさい。……っ!?」

「だ、大丈夫か?」


 人が多いだけあって、通路が狭くなっていることまで気に留めていなかった。


「真桜様、お怪我はありませんか!」


 振り返ると、そこには学院のアイドルである槇宮真桜がいた。

 付き人らしく同級生の女子生徒は、慌てた様子でポケットからハンカチを取り出す。


「いいえ、大丈夫よ」

「お前たち、真桜様に怪我でもあったらどうするんだ!」


 キリリとした目つきで睨まれ、胃の奥が急に締め付ける痛みが襲ってきた。

 ……この感覚、りーちゃんさんと似てる気がする。

 それに対してタエは臆することなく、女子生徒に対抗するように目じりを吊り上げた。


「んな大袈裟な……本人が大丈夫って言ってるだろ?」

「タ、タエってば……ご、ごめんなさい」


 トレーを手にするアイドルは、どこか呆けた表情で立ち尽くしていた。

 ……絶対に怒らせたよね!?

 タエの頭を強引につかんで、私は慌てて頭を下げた。抗議の視線を向けるタエを横目で睨み、辺りの音が遠ざかっていく。

 それがどれだけ短くも、長く感じるほどに時が止まった気がした。


「いえ、私の方も考え事をしていたわ」


 凛として、真の通った声音は私たちを責めなかった。


「真桜様!」

「いいのよ彩華。……さあ、行きましょう」


 むしろ彩華と呼ばれた生徒に対して、口調強めにして窘めた。


「貴女たちも顔をあげて、これだけ人が多いのだものお互い気をつけましょう」


 それだけ言い残して微笑む学院のアイドルは、颯爽と歩き去っていった。


「気を付けるんだぞ」


 その後ろを追いかける彩華と呼ばれた生徒からは、睨むような視線を向けられた。

 周囲で様子を見ていた生徒たち。私と同じで息を止めていたのか、物音一つないほどに静まり返っていた。


「ああ、なんて素敵なお方」

「真桜様は、今日もお美しい」

「ハァハァ、真桜様……」


 女子生徒からの羨望と、纏う神々しさに当てられた眼差し。

「くっ、瞬時に動けていれば」

「ご寛大なお方だ」

「ハァハァ、ふ、踏まれたい」


 男子生徒たちから向けられる好意。

 それぞれ最後の二人は危うい感じを匂わせるも、学院のアイドルはどこにいても圧倒的な存在感を見せた。


「……普段は使わないくせに」


 アイドルが通ってできた人垣を目で追い、タエは不満げに頬を膨らませていた。

 停まっていた時がしだいに動き出し、私たちもまるで何事もなかったかのようにお昼を済ませる。

 朝から学院のアイドルが登校する場面を目の当りにし、その日に言葉を交わす。

 普通にタエのような友達であれば、何気ないかもしれない。

 だけどまさか、私みたいな一般人が聖光学院の顔とも呼べる存在と言葉を交わす。

 今まででそんなことが有っただろうか? ……いや、無い。

 珍しい体験をした私は、午後からの授業はどこか浮足立って集中できなかった。


「レェ~イ、そんなに悠長にしてていいの?」


 放課後になってもどこか上の空。

 タエがわき腹を突くまで私は席に着いていた。


「なんかね、今日は不思議な日だったなって」

「……そんなこと言ってると特売、終わっちゃうよ?」

「あ、ヤバい時間だ! ああもう、連絡するのも忘れてたぁ!!」


 慌てて席を立つ私を、クラスメイト達が物珍しそうな視線を向けてきた。

 今から出て向かえばいける? 洗剤……お1人様2点まで……逃せない!


「じゃタエ、また明日!」

「車には気を付けるんだよぉ~」


 急いで荷物をまとめて、私は教室を出た。

 放課後になって部活に向かう生徒や、廊下や教室で談笑する姿も目に付く。

 それそれが自分たちの時間を、好きに過ごす人で溢れ返っている。

 私は人波を縫うように、足早に廊下を進んで昇降口へと急いだ。上履きからローファーへと変わった私の足は、人目もはばからず駅を目指して走った。

 ……あれ? そう言えば、タエはどうして特売のこと知ってたんだろ?

 道すがら、私はそんな疑問が脳裏を過った。

 だけどそんなことを気にしてる暇もなく、電車に揺られる。

 私も私で、自分の放課後を過ごした。


「ただいまぁ~」

 

 玄関を潜り、私が帰宅すると10時を回っていた。

 どうにか特売品の洗濯洗剤を手に入れられた私は、タエが声をかけてくれたことに心の中で感謝の念を送る。

 何とかギリギリのところで、お1人様2点を購入できた。


「あ、れいちゃん。おかえりぃ~」

「いま夕飯作りますね……」


 咲さんの陽気な声に引き寄せられるように、私はリビングに顔をだした。


「……」


 え、どういう状況?

 だがそこに、りーちゃんさんが不機嫌そうな顔をして腕を組んでいた。

 食卓上には、何故か出前のお寿司が置かれている。

 黒く艶のある漆塗りの桶には、色鮮やかな海の幸が一口サイズに握られていた。

 い、いくらしたんだろう……?


「驚いたぁ~? 新学期祝いしよっかなぁ~って思ったんだぁ~」

 

 ……そのためにりーちゃんさんを呼んだの?

 3人分のお箸と醤油さしが、すでに用意されていた。


「……」

「ほら、手洗って食べよ」

「あ、うん」


 重苦しい空気の中、上機嫌な咲さんは美味しそうにお寿司を食べる。

 そのかたわら、私とりーちゃんさんは終始無言だった。


「……」

「……」

「ん~うまうま」


 ホント、今日は不思議な日だな。

 学院のアイドルが登校する姿を目の当りにして、食堂でぶつかってしまった。帰ってきたら出前のお寿司が用意され、多額の借金をしているりーちゃんさんと食卓を囲む。

 いや、何度かはあるけども急すぎる。

 緊張でどのネタを覚えていなかったけど、どれも美味しかったと思う。


「今日はありがとねぇ~」


 日付が変わると当時にりーちゃんさんは帰宅していった。眠そうに目を擦る咲さんがりーちゃんさんを見送る。

 その2人の様子を、私は見守った。

 ……2人って、本当にどういう関係なのかしら?

 疑問を抱きながら、私は寝る前に少しだけ予習復習を済ませてベッドに潜った。

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