“悪役令嬢”は愛し合う二人を幸福に導く
“悪役”というのならきちんとその役を演じるべきなのでは? と考えた結果です。
プランチェスター公爵家の令嬢、ブリジット・ウィンベリーは正真正銘の“悪役”令嬢である。
「ブリジット・ウィンベリー!! アリシアに対する貴女の行いは目に余る!! よって私、エドワード・ブライアン・オールダムはブリジット・ウィンベリーとの婚約を破棄し、アリシア・ペニントンと婚約する!!」
会場の中心に立っていた男がそう宣言すると、わっと歓声が上がり、同時に万雷の拍手が沸き起こった。男と対峙していたブリジットは扇で口元を隠しつつも、蒼白な顔でわなわなと震え、淑女らしからぬ大きな舌打ちをした。
「よくもこのような屈辱を……! 覚えてらっしゃい!」
いかにもな捨て台詞を吐いて踵を返すブリジットを、一層の歓声と拍手が追いかけるが、ブリジットはそれらを気にも留めず、足早にパーティー会場となっていた伯爵家のボールルームを出て行った。会場出口に控えていた伯爵家の使用人が慌てて彼女の後を追おうとするが、それを僅かな身振りで止めたブリジットは、そのまま玄関を出た正面にある車寄せまでを早足で、しかしヒールの音を立てる事も無く静かに通り抜けた。エスコートもなく、ドレスを纏った淑女としては異常な程の俊足であった。
何故か玄関脇に立っていた伯爵家の家令に深く礼をされたブリジットが車寄せに辿り着くと、そこには事前に打ち合わせた通り、既にプランチェスター公爵家の馬車が駐まっていた。手前には侍女のメイベルと御者のハーヴィーが立ち、ブリジットの姿を認めると一礼した後恭しく馬車の扉を開けた。ブリジットは立ち止まることも無く、そのまま馬車に乗り込んだ。
「出して頂戴」
「かしこまりました」
メイベルがたっぷりと広がったブリジットのドレスの裾を纏め、ブリジットの斜向いに座ったのを見届けると、ハーヴィーは静かにドアを閉め、御者台に登った。優秀な御者であるハーヴィーの運転によって、馬車は滑るようにヘンプシャー伯爵邸を後にした。
メイベルは馬車の窓から遠ざかる伯爵邸の灯りをチラリと視線だけで振り返った後、ブリジットに向き直って尋ねた。
「それで、お嬢様。首尾はいかがでした?」
ブリジットはそれにツンと顎を上げて見せた。
「成功するに決まっているでしょう。この私が悪役令嬢をつとめたのだから!」
高慢な表情で言い放った直後、侍女と令嬢は揃って噴き出した。
「ふふふ。皆様大盛り上がりよ? 主役のお二人も満足げに見えたわ。もしかしたら追加報酬を頂けるかもね?」
「それはようございました!」
メイベルとクスクス笑い合うブリジットの表情に屈託は無く、婚約破棄された令嬢の屈辱も悲哀も見当たらない。それもその筈、この婚約破棄はブリジットにとっては“慣れた仕事”だった。
「さあ、戻ったらお兄様にお仕事無事完遂致しましたとご報告しましょう」
室内から漏れる主の満足げな宣言に優しく微笑んだハーヴィーは、二人の少女が寛ぐ馬車を極力揺らさぬよう、慎重に手綱を操り公爵邸への帰路を急いだ。
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ブリジット・ウィンベリーはかつてその不運で有名な公爵令嬢だった。
生まれ落ちると同時に母を亡くし、十の歳に落馬事故で父を亡くした。八歳上の兄が父方の叔父の補佐を受けながら慣れない領地経営や公爵としての仕事にてんてこ舞いになっている間に、ブリジットが家庭教師や一部の侍女によって酷い虐待を受けていた事がたまたま訪れた彼女の母方の叔母によって明らかになった。発見されたときブリジットは入院加療を必要とする程衰弱しており、これによってプランチェスター公爵家の使用人の二割に暇が出されることになった。特に主犯となった家庭教師と侍女が逮捕され刑事罰を受けることになっては、流石に社交界の噂になることは避けられなかった。
また十五歳の頃には、兄に近づき既成事実を作ろうとした女性によって麻薬を盛られそうになったことも、判明したのが他家の茶会であったことから事件として新聞に載ってしまった。
そして極めつけだったのが、皇太子アーヴィンとの婚約破棄である。
ブリジット自身は本来引っ込み思案な性格で、王家に輿入れしたいなどという“畏れ多い”考えは毛頭無かった。が、公爵位を継いだばかりの兄は老獪な高位貴族の当主達に殻のついた雛鳥とばかりに舐められており、それに対する反発心から功を焦っていた彼は、何故か異様な熱意を以てブリジットを皇太子妃にと推す王妃に唆されて、故あって空席だった婚約者の座に妹をねじ込んでしまった。 恐らくは自分が仕事にかかりきりになり、家庭を顧みないでいる間にたった一人の妹に起きた悲劇が、それによって深く傷ついた妹を自分では癒やせないもどかしさが、結婚こそ女の幸せと信じる彼を極端な行動に走らせたということもあろう。
しかし“下らない”と社交界の噂を軽んじていた彼は知らなかった。実のところ、皇太子アーヴィンには十四の歳から六年も続く長年の恋人がいた。それが東の国の王女オーレリアである。国益の面から言っても結婚相手として妥当であろうと父ヘンリー王の了解も得ていた二人だが、オーレリアの父である東の国の王の方が溺愛する末娘を国外に出したくないと渋っていた為に、アーヴィンには未だ正式な婚約者が決まっていなかった。
互いに美形である皇太子アーヴィンと王女オーレリアの恋は社交界では公然の秘密というより周知の事実寄りであり、両国の令嬢貴婦人方垂涎のロイヤルロマンスであった。だからこそ未だに皇太子の婚約者の席が空いていたとも言える。この国の高位貴族の当主は妻に睨まれても娘を皇太子妃に、と望むほど強欲ではなかったし、娘達もロイヤルカップルの間に割って入るような野暮を嫌ったのだ。
故に、そんな二人に無理矢理割って入る形になったブリジットは彼女らから総スカンを喰らってもおかしくはなかったが、本人が悲劇の令嬢として有名だったこと、社交によって非常に内気で慎ましい性格であることが知られていたこと、有能だが残念と称される兄公爵に横車を押された形であることが明白だった為に、むしろ多くのご婦人方に気の毒がられていた。
そんな、王妃と公爵以外誰にも望まれない婚約だったが、ところがここに、ブリジットにとっての大きな転機が訪れる。
皇太子とブリジットの婚約が決まった途端、膠着していたアーヴィンとオーレリアの関係に変化が起きたのだ。
発端は、東の国を襲った未曾有の長雨であった。これにより東の国では農産物全般が近年稀に見る不作となり、特に穀物類は貯蔵されていたものまでもが浸水や湿気から発生した黴によって深刻な打撃を受けた。国や各領の領主が備蓄の糧食を放出しても尚一袋の小麦粉が銀貨と等価になるほど高騰したのだ。
しかし、国境線となる山地を跨いだ自国側では、逆に近年稀に見るほどの豊作となり、むしろ大きな値崩れが起きることが懸念されていた。皇太子アーヴィンは自ら東の国に赴き、無償での食糧援助を申し出た。
無論アーヴィン側にもいずれ、という下心はあっただろう。しかし東の国の王は彼が思うよりも深く、自らの大人げない振る舞いを反省し、末娘オーレリアを輿入れさせることで両国の関係をより強固にしたいと申し出た。これに焦ったのはアーヴィンと父王ヘンリーである。この時既にアーヴィンとブリジットの婚約は成立してしまっていた。
オーレリアの輿入れは断ることが出来ない。元々アーヴィン自身も強く望んでいた結婚である。断るはずもない。しかし隣国の王女を娶るために自国の公爵令嬢との婚約を解消したともなれば、王家の権威が失墜しかねない。貴族社会にとって婚約とは家と家との契約である。ブリジットにも公爵家にも何の瑕疵も無いのに王家側から一方的に解消したとなれば、王家と貴族の間の信頼を揺るがしかねない。しかし皇太子側に瑕疵ありとして公爵家側から解消するようなことがあれば、そんな皇太子に友好国の王女を輿入れさせるのかと東の国の機嫌を損ねることになる。
ここに来てやっと皇太子とブリジットの婚約が誰にも歓迎されないものであると気づいたプランチェスター公爵は、名を捨てて実を取ることにした。つまり、表向きブリジット自身に瑕疵があったことにして皇太子から婚約を破棄させ、王家に一つ貸しを作ったのだ。この事情は表向き内密に、しかし実際には貴族界全体と、当事者である王女オーレリアにまで粛々と周知された。そうして全員がその概要を把握した上で、このためにわざわざ開いた王宮の夜会にて堂々たる茶番劇を披露したのである。それがこの後貴族界の話題を総浚いする『悪役令嬢断罪婚約破棄劇』の記念すべき第一回であった。
王家にとっては苦肉の策でしかないこの茶番劇は、皮肉にも貴族らの間では“名舞台”として後世まで語り継がれる事となる。
その日、本人には何の瑕疵も無いのに一方的に婚約破棄される、いわば悲劇の令嬢である筈のブリジットは、普段の儚げで奥ゆかしい様子からは想像もつかない程高慢かつ冷徹な態度で皇太子と対峙した。その迫力に、観衆である貴族のみならずヘンリー王も息を呑んだという。しかし皇太子アーヴィンは怯まず悪女ブリジットを非難し、毅然として婚約破棄を申し渡す。そんな皇太子の凜々しさに年若い令嬢達は黄色い悲鳴を上げ、アーヴィンの愛の言葉に零されたオーレリアの美しい涙と、直後の二人の熱烈な抱擁には、ご婦人方のみならず紳士達も拍手を惜しまなかったという。そして振り返ることもなく背筋を伸ばして会場を去るブリジットにはそれ以上の拍手が送られた。それは無論、女性としての名誉を傷つけられながらも王家のために尽した忠義に対するものでもあったが、それ以上に“悪役令嬢”としての大きな魅力がブリジットにはあったのだ。
その後困難を乗り越え結婚した皇太子とその妃の仲は大変睦まじく、式を挙げて半年後には妃の妊娠が公表された。そうして成婚から一年と経たず産まれたのが玉のような美しい王子である。この時点で皇太子夫妻の幸福はブリジットが運んだという噂が社交界では既に囁かれ始めていた。
その噂が単なる噂ではなくジンクスとして信じられるようになった切っ掛けが、ブリジットとアクリントン伯三男のセドリックとの婚約だった。
セドリックは正面からブリジットに契約結婚ならぬ契約婚約を申し込んだ豪胆な青年だった。本来ならば公爵家の令嬢であるブリジットはセドリックからすれば手の届くはずもない高嶺の花である。しかしとある目的からブリジットに契約を申し込んだセドリックに、ブリジットは「傷物の自分が役に立つのであれば」と快く了承したのである。
セドリックは幼馴染である同い年の男爵令嬢と、まだ幼い頃から将来を約束していたのだとブリジットに語った。しかし令嬢の父である男爵は非常に野心家であり、伯爵家の子息とは言え三男坊で継ぐべき爵位も持たないセドリックに娘を嫁がせる気などさらさら無かった。それを感じ取ったセドリックは成人前から騎士見習いとして励み、成人と同時に正騎士となって、何とか出世街道に乗ることが出来たから令嬢を妻にと男爵に訴えたが、男爵は足繁く通っていたセドリックを嘲笑うかの如く、娘を四十も年上の豪商の後妻に宛がうことを決めてしまった。一月後に結婚が決まった娘と会わせる訳にはいかないと面会までも封じられたセドリックは、信頼できる人づてに渡して貰った彼女への手紙で、夫が年老いて亡くなった後でも構わないからいつか必ず結婚しようと約束したが、それを知ったアクリントン伯は三男とはいえ息子が平民の後家と結婚しようとしているのを快く思わず、婿入り先を探し始めてしまったのだという。
「ブリジット様と婚約すれば、父からは解消を言い出せません」
「わかりました。セドリック様のお慕いしている方が自由を得られるまで、私が仮の婚約者となりましょう」
この話を聞いたプランチェスター公は無論顔を真っ赤にして反対したが、妹の「今更気にする体面もないでしょう?」という言葉に折れた。ショックで撃沈したとも言う。さすがのプランチェスター公も、妹を傷物にしたのは他の誰でもない自分だという負い目があったのだ。
そうしてブリジットとセドリックの婚約が成立した途端、思いがけない事件が起きた。
夫と死別した富豪の姉が、一人息子が入り婿になったのを切っ掛けに実家に戻り、既に成人した跡取りがいるというのに年甲斐もなく若すぎる後妻を娶るという弟に、何という恥知らずな男か、この色情狂めと怒鳴り散らしたのである。その一件で幼い頃から姉に頭の上がらない弟は震え上がり、慌てて男爵に婚約の解消を申し出てきたのだとか。
瑕疵がなかったとはいえ実質出戻りともなれば、相手が伯爵家の三男であろうと嫁がせた方が都合が良い。男爵は慌ててセドリックに娘を娶る気は無いかと打診してきたが、ブリジットとの婚約が成立したばかりのセドリックには展開が早すぎて、父親を説得するのが難しい。頭を抱えたセドリックに提案したのは、ブリジットの方だった。
「要は、伯爵がお二人を認めざるを得ないように仕向ければ宜しいのです」
そうして“何故か”“プランチェスター公爵邸で”行われたセドリックとブリジットの婚約披露パーティーにて、再びの茶番劇が行われたという訳だ。記憶にも新しい、王宮での一幕をなぞるようなそれに、招待客らは即座にブリジットの意図を察し、婚約破棄劇の後のセドリックから男爵令嬢へのプロポーズに盛大な拍手を送った。社交界は情報こそが命。無論彼等は愛し合う二人を阻んだ障害を知っていて祝福したのだ。そこには皇太子の成婚から続く空前のロマンスブームの影響があったことも否めない。
ブリジットはたとえ“傷物”であろうと一度は王太子妃候補ともなった公爵家の令嬢である。この茶番劇はその令嬢が、果ては兄である公爵が、セドリックと男爵令嬢の婚約を認めているという事実を示していた。さらにブリジットに頼まれたプランチェスター公爵は社交界でも特に影響力の強い貴族を多数招待していた。彼等は、ブリジットの見事な演技と“その場の雰囲気”に流された部分が大きいとはいえど、拍手を以てセドリックと男爵令嬢の仲を認める意志を示したのである。これではアクリントン伯としても今更婚約破棄を「無かったことに」とは言えない。その上いくら茶番であり、表向きブリジット側の瑕疵だったことにされていたとしても、息子が公爵家令嬢との婚約を公衆の面前で破棄したとなれば、伯爵としてはブリジット側の意向を無視できない。おまけにブリジットは駄目押しとばかりにプランチェスター公から少なくない慰謝料を支払わせた。それはもはや伯爵への口封じと呼んで差し支えなかった。
この事を切っ掛けに、ブリジットは何度か訳ありカップルの男性側に婚約を申し込まれるようになる。ブリジットはその全てを承諾し、彼等の悉くに婚約を破棄されながら、結果としてその全員を幸福に導いた。そうして社交界では『幸福な結婚をしたければブリジット嬢に婚約を申込み、披露パーティーで婚約を破棄するべし』とまことしやかに囁かれるようになったのである。
つまりブリジットは、今夜も立派に“婚約破棄される悪役令嬢”を演じて一組のカップルを幸福な結婚に導いてきたという訳だ。 その白い頬を興奮に染め、満足げな笑みを浮かべながら窓の外を見つめるブリジットの横顔に、メイベルは苦笑しながらいつもの小言を口にした。
「お嬢様が楽しそうなのは何よりでございますが、そろそろ他人の幸せよりもご自分の幸せをお考えになって頂きたいのですが?」
「私だって幸せになりたくないという訳ではないけれどね?」
そう困った顔で返すブリジットは、口では反論しつつも内心結婚は無理だろうと既に諦めていた。婚約破棄された回数は既に両手の指では足りない。いくらその全てが実質を伴わない仮の婚約であったとしても、婚約破棄が茶番劇であったとしても、これだけ社交界を騒がせた令嬢を貰い受けたいなどという奇特な男性は居ないだろう、と。
(そうね。誰も“悪役令嬢”を必要としなくなったら、領地の田舎に引っ込んでこれまでの事を物語としてしたためようかしら)
密かにそんな算段を付けていたブリジットは知らない。
南の国の破天荒な皇太子が“愛し合う二人を幸福に導く悪役令嬢”の噂を聞きつけて大層その好奇心が刺激されたことも。ブリジットに対して大きな感謝とともに、強い罪悪感を抱いていたアーヴィンとオーレリアが、友人である彼にその心情を吐露していたことも。そしてこの夜、ブリジットへの興味が募り、お忍びで会場に潜り込んでいた彼が、ブリジットの鮮烈な演技とその美しさに心を射貫かれ、彼女を手に入れるべく早々にプランチェスター公爵に接触することも。
次に申し込まれる“破棄前提の婚約”が何故か破棄されることがないまま、済し崩しに南の国の皇太子妃になってしまうことも。
今は未だ知らぬまま、ブリジットは侍女の小言を聞き流しつつ、いずれ書くだろう小説の構想を練っていた。




