宝薬調剤店コトリ
宝薬士コトリのさわやかな目覚めを台無しにしたのは、飼い鳥のけたたましい鳴き声だった。
「コトリ、コトリ。早く起きなよ、調剤の依頼がいっぱい来ているよ」
「ねむ……へっ、ウソっ!」
ベッドの布団をはねのけるようにして起き上がりあわてふためくコトリを見て、してやったりと宝石オウムのディルが鳴く。
「ウッソー! 今日も一個もきてませーん!」
「あー、もう腹たつなぁ。なんでそんなに性格悪いのっ」
少女コトリはブツブツ言いながらベッドを出ると、ため息をついて鏡の前に立ち、もつれた髪をくしけずる。たっぷりした髪の毛をふたつにわけてキツネのしっぽのようなおさげを二つ作ると、むっつりとしたままテーブルの大きな夏りんごを手にしてかぶりつき、まだもぐもぐと口を動かしたまま大きな背嚢をしょいこんで、ディルと一緒に家を出る。
いらだちをにじませて戸が閉じられると、壁一面のガラス瓶が少女を見送るように音を立てて震えた。
フローライトにラピスラズリ、ほんのちいさなダイヤモンド。
壁の棚いっぱいに並ぶ小瓶には、とりどりの色合いの宝石たちが二、三粒ずつ込められていて、コトリの元気な筆跡でラベリングされている。
そのすべては天然そのものの輝きをたたえた原石だ。
宝薬採取特別区の外れの一角に、コトリの暮らす小屋がある。その軒先には、錆びた鉄棒にぶら下げた手作りの木の看板がかかっていた。
宝薬調剤店 コトリ
少女コトリは、野山に眠る宝石を集め、人の使役する精霊や妖獣を癒す薬を作る自称天才宝薬士だった。今日もカンテラを手に洞穴に飛び込み、岩肌からぽとりと産み落とされた宝石がないかくまなく見回り、そうしてひとしきり山を歩くと、次は服の裾をたくし上げ冷たい川に足をひたしながら川底をさらってヒスイや水晶を探して過ごす。
「宝薬士なんて名乗るのはいいけどさ、調剤の依頼なんて全然ないし、ほとんど採取屋じゃないか」
「うるさいなぁ、こういう依頼を地道にこなしてたらいつか出る芽もあるの! 調剤さえさせてくれれば、そのあとはお金持ちまっしぐらよ」
「ふぅん、お気楽だねぇ。街に出てどっかの店に弟子入りでもしたらどう?」
「黙って。カーネリアン、もうすぐ依頼締め切りだからね。今日中に見つけてヨダカ深夜便に乗せれば間に合う!」
「ハッ、いつもそんなにギリギリプレイヤーだから、いい依頼もらえないんだよ」
「そうはいうけど、私はタガネでガツガツ掘りたくって抉り出した半端な宝石を納品したりはしないんだから。ちゃんと古式ゆかしく――」
「天地の生みなすに任せた宝石だけを見つけ、磨き、お送りしております」
コトリの口ぶりを真似てから、広げた白い翼を胸に当て慇懃にお辞儀したディルに向かってコトリは心底嫌な顔をした。
「ほんっと、バカにしてるんだから。あ! これ、いいヒスイ!」
その時、コトリの上に暗く空舞う影が落ちた。
「宝薬士コトリに、依頼、ご依頼っ! 火急の仕事。つつしんでうけたまわれーっ!」
見上げると大きな翼を広げた猛禽が、しゃちほこばった口上を歌いながら旋回しつつおりてくる。すくみ上ったディルは慌ててコトリの肩に止まって身を縮めて細くなった。
そんな様子に目もくれず、胸に勲章をつけたカンムリワシがコトリの目の前の大岩に降り立ち、右脚をすっと差し出すと足環につけた文書を少女に取るよう促した。
「国王陛下からの勅命であーる! 都の王竜の命危うし。選ばれし宝薬士たちよ、急ぎ霊峰の秘薬エリキシアを持ち来たーれ!」
朗々とひと声をあげて、カンムリワシは飛び去った。
「王竜……。そりゃ大ごとだけど。選ばれしなんて絶対ウソ。ムリだよ、コトリじゃできないよ」
ディルの心配そうな声をよそに、コトリは薄く笑い、震えた。
彼女の住む僻地にある峻険な霊峰、その上層に眠る石こそ秘薬の要。手に入れられる宝薬士はひと握り。調合だって至難の技だ。王竜を癒すほどの量や質を整えられる者などそうはいやしない。
少女の命など露ほども惜しくない人物からの依頼とはいえ、コトリの心は既に決まっていた。
笑う。
震えは、武者震いだった。
「ディル」
「やめなって、採取屋のコトリになんてムリ……」
「八年前も、王竜は生き長らえた。私が作ったエリキシアを飲んでね」
「えっ!」
「あの時私は八歳。私が作ったなんて言えるはずもなくて、父さんの手柄になっちゃったけど。ふふ、一応跡継ぎの私に声をかけてみるなんて、誰がやったんだかしらないけど気が利いてるじゃない。やってあげる、この天才宝薬士コトリがね」
不敵に笑む少女の瞳は、北にそびえ立つ峰の頂上を既に見据えていた。
後の世に語られる、天才宝薬士コトリのキャリアはここから始まったのだった――。