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ミアナは張り詰めた空気の馬車で息を殺して座席に座っていた。進行方向を向いて座っているのは、メウルニの妻であるパメラと嫡男のアウルム。ミアナはメウルニと共に御者に背を向ける席に座っている。
いつもは屋敷の奥にいて顔を合わせないパメラとこうして顔を合わせるのは、彼女の実家にメウルニも同行するからだ。メウルニは選帝侯で、治癒の力を持つ一族の従者すらいないことから、ミアナは皇帝の命で彼の愛人になった。愛人も従者も治癒術師として常に選帝侯の傍にいて、選帝侯の命を守るのが役目である。
選帝侯以外の選帝侯一族の従者や愛人はここまで主人と一緒にいる必要はないが、選帝侯付きは別だ。不慮の事故や暗殺で選帝侯が亡くなれば、皇帝の治政にも大きな影響が出てくる。跡取りが成人さえすれば、選帝侯が隠居するのはそういう理由がある。
久しぶりに見たパメラは面窶れしていた。五歳の息子のやんちゃさに悩まされているのとは違う、不幸せそうな暗い表情。
前に見た時は何か言いたげではあったが、こんな幽鬼のような姿ではなかった。あの頃は――――
あの頃はミアナもメウルニのことをただの主人だと見ることができた。選帝侯たちの一族以外の男の子どもを産むと死んでしまう呪いの為に、憎しみしか抱いていない選帝侯の愛人になったあの頃は。
憎くても、主人として仕えることができた。
憎くても、子どもを産んでも呪いで死ぬ心配がなかった。
友人や兄弟の妻が子どもを産み育てる姿を見て、どうしても自分もしてみたくなった。
同じ治癒の力を持つ一族の女たちが子どもを産んで死んでいくのを何度も見ていたのに、それなのに自分も産んでみたくなった。
ただ、相手がいなかった。
宮廷内の学校でも、治癒の力を持つ一族の男たちと再会した学園でも、選帝侯たちの一族には嫌悪しか抱かなかった。
恋人はいたが、まだ二十歳のミアナには子どもを産んで死ぬ覚悟がなかった。
ミアナがしたかったことは、子どもを産んで育てること。
子どもだけ産んで、あとのすべてを恋人に任せて死ぬことではない。
皇帝の紹介で愛人どころか従者すらいない選帝侯を紹介され、ギブアンドテイクだと感じた。治癒術師の欲しい選帝侯と子どもを産んでも死にたくない治癒術師。子どもが生まれて、時期が来れば愛人関係を解消して皇帝の持ち物に戻ればいいだけだと簡単に考えていた。
でも、それは甘い考えだった。
治癒の力を持つ一族は幼い頃に親元を離れて、皇帝の持ち物として生きていく。時には家族は父親しかいない状態で育ち、時には親が恋しい年齢で引き離され、家族の味に飢えている。
パメラと息子を愛しているメウルニ。父親に愛されている子どもと、夫に愛されている妻。
その暖かな輪に入りたいと思った。
自分が子どもを産んだら、メウルニはその子も愛してくれるだろうと思った。
ミアナはパメラを自分だと置き換えて考えるようになっていた。
だけど、ミアナは治癒術師でしかなく、次代の治癒術師を確保するための道具でしかない。
隣りに座るミアナとは見えない壁があるにもかかわらず、メウルニは向かい側に座るパメラとの距離が近いように思える。それは気のせいではない。妻を見つめるメウルニの目は愛しいと言っていて、物理的には離れていても、精神的には寄り添っているようだ。
ミアナはまだ膨らみのわからぬお腹に手を当てて、メウルニとパメラを眺めた。




