帝都のアウルム
母親が死んでから、アウルムの日常は変わった。
パメラの死後、メウルニは書斎に籠って酒を飲むようになり、葬儀が終わった今ではアウルム以外を書斎に入れようとしない。食べなければ死んでしまうと心配した使用人たちからの願いで、アウルムが食事を運ぶことになったのだ。
今までなら子ども部屋からほとんど出してもらえなかったのに、厨房まで父親の食事を貰いに行くことが許されて、帝都にあるエンデパン選帝侯の屋敷の中を探検することもできる。
アウルムは使用人たちが行き交う階段を使って、いつも使う表の廊下や階段の様子を窺う。そうやって、一人で遊んでいるのだ。
そんなアウルムの様子を使用人たちは痛ましげな眼差しで見ていた。母親を亡くし、父親は酒浸りで世話ができるのはまだ幼いアウルムだけ。守られている年頃なのに、早く大人になるしかないことを。
アウルムが一人遊びを楽しんだり、屋敷の中を探検することを使用人たちは止めずにただただ温かく見守っていた。
メウルニはエンデパンの地に戻ろうとせず、帝都に留まって酒でパメラの死を紛らわせている。エンデパンではメウルニの父・先代選帝侯が代行してくれているので問題ないが、帝都のこの屋敷には麾下の貴族たちが我が物顔で歩き回るようになり、メウルニの悪口を廊下を歩きながら言っているのをアウルムが目にすることもあった。
しかし、アウルムはまだ幼く、咎めたところを逆に貴族たちから邪魔者のように扱われた。
使用人たちも執事以外は貴族に強く言える立場ではないし、肝心のメウルニは書斎から出て来ない。
日に日に帝都のエンデパン選帝侯の屋敷で貴族たちは増長していった。
従僕に書斎の入り口まで食事を載せたカートを押してもらって、アウルムは書斎の中に入る。ここからはアウルムだけしか入ることを許されていないので、一人でカートを押すしかない。
アウルムの身体よりも大きなカートには食事だけでなく、地下の酒の貯蔵庫から出された葡萄酒や蒸留酒も載せられていて、アウルムには重労働だ。
日がな一日、酒を飲んでいるルウメニはアウルムが運んできた食事を気が向いた時につまむだけで、重いカートに四苦八苦しているアウルムを手伝うことはない。
アウルムはもう諦めていた。
諦めて、返答すら期待せずに、酒瓶を抱え込んでいる父親に話しかける。
「父上。母上はなにも悪くないのに、なんでみんな母上のことを悪くいうんですか? 悪いのはあの女でしょ」
「・・・」
メウルニは起きているのか、眠っているのかわからない様子だった。何日も入浴していない髪はべたついてフケが浮き、黒髪を斑にしていて、いつ着替えたのかもわからない服はすえた臭いをさせている。一週間に一度、使用人たちが暴れるメウルニを強引に風呂に入れなければ、更にひどい状態になるだろう。
「みんなは父上のことも悪くいうんです。あの女がいなくなったのは、父上が悪いからだって。父上はなにも悪くないのに。あいつが悪いのに。あいつが」
「・・・」
「なのに、みんなは父上が悪いっていうんです。母上なんかと結婚して、治癒術師をひとりも手にいれられなくて、せっかく手にはいった治癒術師も追い返したおろか者だって」
「・・・」
「父上、ねえ」
「・・・」
アウルムは父親の肩を揺する。
「私は母上の血を引いてるからだめだって。エンデパンをおさめる資格がないって。母上といっしょに死ななかったのが残念だって」
「・・・」
「ねえ、父上。私はいらない子なんですか?」
「アウルム・・・?」
自分の存在にすら疑問を持っている悲しい問いかけに、メウルニは息子の声がするほうを向いた。
「父上、私は死んだほうがよかったんですか?」
「何を言っているんだ。お前が生きているから、私も生きていられるんだ」
歓迎するように広げられた父親の腕の中にアウルムは飛び込んだ。
「でも、みんな、私は死んだほうがよかったって」
「みんながそう言おうと、私はお前がいないと生きている理由がない。私の為にパメラが命懸けで産んでくれたんだぞ。そんな大切なお前がいられないはずがないだろう」
「でも、みんなが・・・」
「それを言ったみんなというのは誰だ?」
「ポラレンス伯爵とレムルーラ卿とサリナーシュ卿です」
幼いながらもアウルムは屋敷に出入りしている貴族たちをおぼえていて、正確に名前を上げてみせた。その名前はパメラとの結婚に難色を示していた貴族の一派だった。パメラとの離婚に応じないメウルニに麾下の貴族の妾腹の娘を愛人(治癒術師とは別に第二夫人的な存在)にするように何度も言ってきていた。
「奴らを懲らしめてやるから、アウルムはもう気にしなくていい」
「父上!」
酒を飲んでいるとは思えないはっきりとした宣言にアウルムはこれで母親が悪く言われなくなると嬉しかった。父親の頼もしさにしばらく抱き着いていた。
「アウルム・・・?」
「・・・・・・」
アウルムは怪訝な様子で酒で濁った眼を向けてくる父親に気付き、都合の良い妄想を見ていたと思った。慌てて父親から離れ、食事の載ったカートを身体全体で示す。
「お食事をお持ちしました、父上。そろそろ、お風呂に入りましょう。食事の前に着替えだけでもしたら、気分もよくなりますよ」
「・・・」
メウルニは何か言いたげな目でアウルムを見た後、返答代わりに手にしていた酒をラッパ飲みした。拒絶だ。
提案を受け入れてもらえなかったアウルムは肩を落として、前回運んできたカートに向かう。食事も酒瓶もなくなった、皿だけが載ったカートは大きいだけで重くない。
「また来ます」
そう言って、アウルムはカートを押しながら書斎を出る。使用人たちは小さな主人にも優しいが、アウルムが優しくして欲しいのは父親だ。そんな父親との唯一の接触ができるのはこうして食事を運んでくる時だけだが、それですらも対話がままならないことが多い。
小さな胸を痛めながら、廊下で待っていた従僕にカートを渡す時にはアウルムは胸を張ってこの屋敷の主人としてふさわしく振舞おうとした。