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夢のカクテル

作者: 島崎英治

 西武新宿駅始発の一番線下りホームで、急行本川越駅行きのベルが鳴った。遅れてホームにたった美紀は、座って帰ろうと思い満員になった電車を見送り、次に出る折り返しの電車を待つことにした。

 一人ホームにたたずむ美紀は、新宿の紀伊國屋で高校時代の友達と落ち合い、映画を観たりデパートでショッピングなどを楽しんでの帰りだった。

 安西美紀の帰宅先は狭山市駅から徒歩5分ほど離れた、ワンルームマンションである。ここに移り住んでまだ2ヶ月ほどしか経ってない。それまで練馬にある実家にいたのだが、敢えて一人暮らしを選んだ理由に、短大時代から交際していた香坂茂との別れにあった。

 共に学生だった頃にアルバイト先で知り合い、デートを重ねるたびに深い関係になり、将来の約束をかわす仲にまでになっていた。がしかし、香坂が大学卒業とともに証券会社に就職してから、二人の関係がギクシャクしだしたのである。

 香坂が就職すると学生時代とは違って、自由な時間が思うようにとれず、仕事に追われる日々が夜遅くまで続き、自宅には寝に帰るだけになっていった。休日を前に美紀からデートに誘うと体調不良を訴え、迷惑そうに避ける日々が多くなっていった。

 香坂茂は証券マンの卵としてスタートした。泊まりがけの研修や実技講習など、盛りだくさんのカリキュラムに追われ、休日にはプリントを自宅に持ち込むこともあった。

 美紀はそんな香坂の暮らしが理解出来ず、電話やメールで口論することが多くなっていった。就職してすっかり変わってしまった香坂に、自分への愛の陰りだと感じだした美紀は、寂しさと空しさのあまり、香坂の本心を問うメールを送った。翌日帰ってきたメールの内容は、美紀の気持ちは理解するものの、自分の将来を考えると、今遊んでいる場合ではないと書き添え、交際をしばらく待ってくれるように、と頼んできた。しかし、美紀からの返事は「待つことは、独りで日暮れの空を見つめているようなもので、私には耐えられない」と文句を並べ、一方的に別れを望むメールを放った。

 こうして恋人の言い訳を跳ね返した美紀は、香坂を忘れるためにも環境を変えようと、勤務先の病院に近い狭山に移り住んだのである。娘に甘い両親は独立に反対はしたものの、せがむ娘の熱意に折れて承知した。

 安西美紀は現在21歳。均整のとれたボディーと人並み以上の器量は、学生だっ頃もそうであったように、現在の職場の男性からも人気があった。しかし、男性からチヤホヤされても軽くあしらい、甘い誘いにも乗らなかった。その心根には長年交際していた恋人、香坂茂への思いがいまだ灯っている証ではと思えた。


 始発下りオームで先頭に並んでいた美紀は、折り返しの電車に乗車し座席に着いた。友人と遊んだ時を思いまどろみながら過ごすと、50分程で狭山市駅に到着した。ステーションビリ内のスーパーで買い物をして、駅から出ると小雨が降っていた。傘を持ち合わせていなかった美紀は、小走りでいけば直ぐマンションに帰れると思い、買い物袋をさげて人の群れから逃れるように走り出した。

 東口のロータリーを右に曲がって信号を左折した。慣れた道を小走りで進と、未だ見たことも無いスタンド看板にぶつかりそうになった。立ち止まって看板を見ると「BAR ハピネス」と書かれていた。看板は怪しげな明かりを放ち、美紀を誘うように足下を照らしていた。店の入り口を見上げると、おとぎ話にでも出てきそうな門構えの白い扉が、美紀を吸い込むように開いた。不思議な雰囲気に飲み込まれるように、警戒心も抱かぬまま足を進めた。

 ヨーロッパ調の装飾に施された店内は薄暗く、静かな音楽が流れていた。店内にはお客はおらず、黒服姿のバーテンダーが一人立っているだけだった。来客に気づいたバーテンダーは会釈し、緊張している美紀を優しく迎えてくれたのだった。

 お酒をの飲む気で入った訳ではないのに、バーテンダーに招かれるままにカウンターの席に着いた。バーテンダーが美紀におしぼりを手渡すと、ドリンクメニューをそっと差し出した。おしぼりを手にした手前、もう戻れぬと思った美紀は、観念したようにメニューに眼をそそいだ。するとどこからとも無しにサックスが奏でる曲が、美紀の心をほぐすように流れてきた。店内に広がった曲は、サム・テーラーが奏でるサマー・タイムであった。柔い曲に耳を傾けていると、注文もしていないのに美紀の前で、白い粉がついたグラスが置かれ、シェイカーの音ともにカクテルが注がれた。ふとバーテンダーに眼を向けると、小さく頷き、

「お客様のお好きな、カクテルですよね」

 美紀の心を見透かしたかのように応えた。

 天井から光線のような明かりがカクテルグラスに降り注ぎ、グラスの縁にある塩がダイヤのように輝いていた。恐る恐るグラスに唇をあてると、じんわりと染みてくる味でマルガリータだと分かった。

 初めて来た店なのに好みのカクテルが作られ、もっとも好きな甘い曲が、止めどもなく流れてくる有りように戸惑い、これらを教えてくれた香坂茂を思い出さずにはいられなかった。


 カクテルと音楽に酔いしれていると、美紀の肩が雨で濡れていることに気づいたバーテンダーが、カウンター越しから手をのばし、タオルで優しく拭きだしたのである。すると驚いたことに着ていたブラウスが、シャネルのドレスに替わってしまったのである。呆気にとられてドレスを眺めると、新宿のデパートで眺めた秋物のドレスだった。

 不思議な出来事に怯えながらバーテンダーを見返すと、白いベールに隠されたはっきりしない顔が、美紀に向けて頷くばかりであった。

 魔法にでもかけられたようにポーッとしていると、瞼が重くなり、意識が遠のいていくのが分かっていたのだが、自分ではどうすることも出来ない状態になっていた。

 空けたグラスを眺めて音楽を聴き入っていると、

「お客様、お一人で帰れますか?・・・・・・もしよかったら、私の部屋で少し休んでいかれますか?・・・・・・」

「・・・・・・」

 美紀が無言でバーテンダーを見返すと、

「私は独り者なので、ご遠慮無く、お休みになってください」

 その言葉で全身の力が抜けていることに気づいた。

 バーテンダーがうつろな眼で頷く美紀を両腕で抱えると、

「私の部屋までご案内しましょう」

 美紀は警戒心も抱かぬまま、バーテンダーの腕に身を任せた。

 体格のいいバーテンダーに抱えられた美紀は、宮殿の寝室にも似たベッドへと運ばれた。そして羽布団を胸元まで掛けられると、バーテンダーがこう呟いた。

「お客様、せっかく寝室までお招きして申し訳ありませんが、これから私は店に戻らなくてはなりません。直ぐに戻るつもりですが、ここにある電話が鳴っても、電話には出ないでください」

「・・・・・・」

 美紀は黙ってきいていた。

「もし、電話に出られてしまうと、私の全てが知られてしまうので、お願いします。・・・・・・ではお休みなさい」

 バーテンダーは美紀に言い含めると、寝室から姿を消した。


 寝心地の良いベッドにぼんやりと横たわっていると、美紀は王女さまにでもなったような気分になり、別世界にきたような気持ちになっていた。

 ベットの周りにはレースのカーテンが天井から吊され、映画で観たような豪華な寝室であった。しかし、男の一人住まいにしては派手で、女性の好みそうな装飾が気になった。敢えて電話に出るなと言ったのは、恋人からの電話を心配しての忠告ではないかと思いもした。

 バーテンダーの顔ははっきりと覚えていないが、あれだけの素敵な男性に女性友達の一人や二人いてもおかしくないと思うほどに、電話の掛け主がその一人であったらどうしようかと心配した。

 美紀が酔った頭であれこれと思案していると、しだいに意識が薄れていった。そして何分ほど経っただろうか、バーテンダーが言っていたように、電話の電子音が心地よい空気を引き裂くように鳴りだした。

 瞬時に眠りから引き戻された美紀が、受話器を取っても良いかためらっていると、女心を試すように幾度も鳴り響いた。取ってしまえばバーテンダーの素性が分かってしまう。取らなければこのまま夢心地でいられる。どちらにしようかと迷いつつ、耳を塞いでベッドにもぐった。

 注文もしないうちに好みのカクテルを作り、手の届かなかった高級なドレス姿に変身させたりと、不思議な技を持つバーテンダーはいったい誰なのか?・・・・・・

 

 美紀はせき立てるように鳴り響く音につられ、バーテンダーの謎を解き明かしたい、という思いに駆られていった。もし女性が電話に出たら何も言わずに、直ぐに切ってしまえばいい。そう思った美紀は、霞む眼をこすりながら、恐る恐る受話器に手を伸ばした。無言のまま受話器を耳にあてると、飛び込んできたのは男の声であった。それも荒々しく呼びかけてくるのである。

「もしもし、美紀?・・・・・・美紀だろ?。美紀、僕だよ、茂るだよ。もう寝ていたのかい?」

 聞き覚えのある声が、ぼやけた記憶を覚ますように飛び込んできた。

「ずいぶん君をさがしたよ・・・・・・いくら携帯に掛けても通じないし、悪いとは思ったけど、君のお母さんを尋ねて、電話番号を聞いたんだ。ごめん・・・・・・」

「・・・・・・」

 美紀は明かりを点けて辺りを見回した。そしてパジャマ姿の自分に気づくと、香坂に返す言葉が口からでなかった。

「今までのことは許してほしいんだ・・・・・・」

 美紀はしばらくの間、香坂茂の言い訳を聴いていたが、その中で衝撃的な一言が美紀の心を捕らえたのであった。

 美紀はその言葉を逃すまいと、

「ねぇお願いだから、もう一度聴かせて?」

「あ、何度も言うよ。僕は美紀のために、婚約指輪買ったんだ。美紀に似合う指輪を・・・・・・」

 香坂の言葉が美紀の心に火を点けた。沸き上がる感動が胸を熱くさせ、その勢いが熱い涙となって溢れだし、瞬く間に頬をつたわりベッドを濡らしたのである。


 小雨が降り出した晩に、香坂が教えてくれた缶入りのマルガリータを買って帰宅した。カクテルグラスの縁をレモンで濡らし、お皿に広げた塩を付け加え、そこにマルガリータを注いだのである。

 香坂からプレゼントされたCDを聴きながら、ベッドの上で飲んでるうちに眠りに誘われ、自分本位の夢を見ていたのであった。

 香坂の電話で起こされた美紀は、あのバーテンダーはもしかしたら、香坂ではないかとふと思い、感じたのだった

 夢を見るほどに香坂を愛していたことに気づいた美紀、彼の力強い言葉を信じて、いつまでも待つと誓った。そしてマルガリータを新たに注いだ美紀は、受話器の向こうの恋人に向けて、

「未来の旦那様に乾杯・・・・・・」

と言って、幸せだった頃の自分に戻れた悦びを、頬をつねって確かめたのだった。


                                         完結

 

 


















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