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七、船上の対決

        1

 ‘トゥルルー、トゥルルー、ガチャ’

 「はい、アルフィス・エンタープライズです。」

 『あの、事業推進室の面さんはいらっしゃいますか?』

 「どちら様でしょうか。」

 『一条奈美と言います。』

 「どういったご用件でしょうか。」

 『面さんにお返ししたいものあるんですが。』

 「……少々、お待ちください。」

 交換手は保留ボタンを押すと、事業推進室に内線をつないだ。

 「面室長にお電話が入っておりますが。」

 「誰からだ。」

 「一条奈美様と申されました。」

 「一条…」

 「どういたしましょうか。」

 「わかった、繋いでくれ。」

 その声を聞くと、交換手は外線を事業推進室に繋いだ。

 『面さんですか?』

 「そうだが、どちら様だったかな。」

 『あなたがよくご存知の一条奈美です。A7といったほうがわかりやすいかしら。』

 「A7か、それで用件とは?」

 『あなた方がほしがっているMOディスクは私の手にあるわ。』

 「MOディスク?」

 『そう、川端が組織からもちだした‘マリオネット計画’の情報が入ったディスク。』

 「それをお前が持っているというのか?」

 『そう、だからお返ししたいと思って。』

 「ただでは、なさそうだな。」

 『もちろん、陽子さんと交換よ。』

 「フ、いいだろう。時間と場所を指定してくれ。」

 『明日の夜8時、場所はアクエリアス号の停泊している埠頭。あなたひとりで来るのよ。』

 「わかった、明日の夜8時だな。」

 『遅れないでよ。』

 そういうと、電話は無愛想に切れた。

 男は静かに受話器を置くと、唇に薄笑いを浮かべた。

 窓から見えるビル群はいま、雨に濡れている。先週から降り始めた雨は断続的に降り続け、街を湿気と不快感で包み込んでいた。

 男は受話器にもう一度手をのばすと、ある番号を押した。

 「あ、俺だ。例の女を連れてこい。」

 受話器の向こうから何か言うのを無視して受話器を置くと、ソニーはそのまま部屋を出て行った。唇に薄笑いを浮かべたまま。

 その同じころ、電話ボックスから出てくる一人の若者がいた。

 古いジャンパーにジーパン、マークが擦れた野球帽を被った若者は、アルフィス・エンタープライズが入っている十三階建てのビルを見上げた。

 その帽子の下からのぞいた顔はまさしく奈美であった。

 前面ガラス張りのビルは、黒い雲を映し出し、さながら黒衣を羽織った魔神のように見えた。その中にいる面史郎と明日、いよいよ対峙するのだ。どんな罠が待っているかは予想がつかないが、どんな結果になろうとも明日、すべての決着をつけようと奈美は覚悟を決めていた。

 雨に濡れるのもかまわずしばらくビルを見上げていた奈美は、手に持った傘を差すとビルとは反対の方向へ歩き始めた。

 地下鉄を乗り継ぎ、十分ほど歩いた先にあったのは、国内でも一・二を誇る銀行であった。奈美は迷わずその中に入っていくと、まっすぐカウンターに向かい、そこに座っていた女子行員に声をかけた。

 「川端ですが、貸金庫を開けてほしいんだけど。」

 奈美の突然の申し出にしばしぽかんとしていた女子行員は、「しばらくお待ちください。」の言葉を残して奥へ引っ込んだ。

 待っている間、奈美がポケットから出したのは、一個の鍵であった。奈美の脳裏にあの別荘のことが蘇える。

 ミスリルとの戦いに勝利した後、奈美は怪我をした仲間を助けようと、松林の中を戻った。しかし、二人の重傷者はミスリルによって喉を食い破られ、絶命していた。

 奈美の心がさらに暗く落ち込んだ。仲間を助けられなかった罪悪感が体の隅々に浸透していくのが感じられた。

 奈美は雨にうたれながら、死体を別荘のあった庭に運んだ。

 伊達の死体を運び、川端の死体を運ぼうとしたとき、奈美は川端の右目が少し変なのに気づいた。

 よくよく見ると、川端の右目は義眼であり、かなり精巧に作られていて、見た目には本物と変わらない。

 そのとき、奈美は川端が言った不思議な言葉を思い出した。

 『隠し場所は俺の右目がいつも見ているところさ。』

 「右目がいつも見ているところ…」

 奈美はおそるおそる川端の義眼を抜いてみた。

 義眼をかざして見てみたが何の変哲もない義眼だった。さらによく観察すると義眼にかすかに繋ぎ目がある。奈美はその繋ぎ目にそって義眼を回してみた。

 義眼はおもったより簡単に二つに割れ、中から出てきたのは一枚の紙片だった。

 奈美は雨を避けるのと、明かりを求めてガレージに向かった。中にある車は幸い鍵が開いており、奈美は急いで乗り込んだ。

 室内灯をつけ、小さく折りたたんであった紙片を開くとそこには銀行名とある文字と番号が書かれてあった。

 「これだわ。」

 奈美の心にかすかな希望がわいてきた。

 「お客様、こちらへおいでください。」

 女子行員の声に奈美は過去から現在に引き戻された。

 奈美は女子行員に案内されるまま、フロアから奥にある応接間に通された。椅子に座り待っていると、割と早く別の行員が現れた。中年の実直そうなその男は、営業用とも思える笑顔を(たた)えて奈美の前に座った。

 「川端様、貸金庫に御用がおありですとか。」

 「はい、中のものをいただきたいのですが。」

 「失礼ですが、こちらにお名前と住所、それからパスワードをお書きください。」

 差し出された一枚の紙に奈美は行員に言われるまま名前と住所を書き込んだ。そして、パスワードの欄にあの紙片に書いてあった文字を一字一字、ゆっくりと書き込んだ。

 ‘EMISHI’

 そう書き終えると、奈美はその紙を行員に手渡した。

 「身分証明書をお持ちですか?」

 そう言われて奈美はポケットから免許証を取り出した。川端剛の名が記されているが、写真は奈美の顔だ。

 行員は目でそれを確認すると、免許証を奈美に返し、「しばらくお待ちください。」と言い残して応接間から出て行った。

 待たせられること十分、行員はまた例の営業用の笑顔を携えて奈美の前に現れた。

 「お待たせいたしました。どうぞこちらへ。」

 そう言って行員は奈美の先頭に立ち、応接間を出ると奈美を地下へと連れて行った。地下の長い廊下を黙々と歩くと、やがて鉄格子が見え、その奥に大きな金属製の扉が見えた。 行員は警備員に何か言うと、警備員がスイッチを押し、鉄格子は静かに開いた。そして、行員が扉の前に立ち、扉の横に取り付けられているテンキーを押すと、扉の前から身を引いた。

 「どうぞ、暗証番号を押してください。」

 そう言われて、奈美は紙に書いてあった番号を押すと、扉はゆっくりと開き始めた。

 「どうぞ、貸金庫はこの奥にございます。」

 大きく開いた扉の奥を指し示した行員に促されて、奈美は部屋の中に入っていった。

 部屋の壁には一面びっしりと小さな引き出しが並んでおり、奈美は軽く戸惑った。

 「こちらでお待ちください。」

 後ろから突然声をかけられ、奈美は反射的に振り返った。目の前には相変わらずの営業用笑顔を見せている行員が立っていた。奈美は促されるまま傍らにある仕切りのついた机に座った。

 行員は手にした紙に書いてある番号を確認し、ある引き出しに向かって歩き出した。そして、その前に止まると、引き出しごと引き抜いた。

 「どうぞ、おあらためください。」

 持ってきた引き出しを奈美の前に置くと、行員は一歩下がった。奈美は引き出しに鍵を差し込み、それを回して蓋を開け、中身を見た。

 ビニール袋に入ったMOディスクが一枚入っていた。

 奈美はそれを自分のポケットにねじ込み、行員の差し出す受取証にサインを手早く書き込むと急いでその銀行から飛び出した。

 雨はまだシトシトと降り続いていた。しかし、奈美は傘を差すのも忘れたかのように、足早に街の雑踏の中に消えていった。

 西の空が徐々に明るくなっていた。

        2

 雨は朝のうちに上がった。

 しかし、夕暮れになっても鉛色の雲はひくことはなく、それは夜になって埠頭を暗闇に沈めた。

 月明かりもなく、所々倉庫にくっついている電灯が貧しい明かりを地面に落としている。遠くには船の明かりがぽつぽつと見える。

 ときおり、点いては消えるのは灯台の明かりだろうか。黒一色の海にはそれは蛍のようにも見える。

 奈美は暗闇の中からそれをじっと見つめていた。

 倉庫の陰に隠れて、もう一時間経っている。

 埠頭には猫の子一匹おらず、人の気配もない。

 埠頭に停泊しているアクエリアス号も、死んだように静まり返っている。

 船員とかいないのだろうか。

 奈美の頭にふとそんなことがよぎった。不思議と緊張も不安もない。

 腕時計の針が8時を差した。

 それに呼応するように、闇の向こうから二つの光が現れた。それは徐々に大きくなり、やがて倉庫に強い光線を投げかけた。

 闇に溶け込むような黒塗りのセドリックが、倉庫の前に停まった。ヘッドライトはついたままだ。

 車から男がひとり降り立った。

 ヘッドライトの明かりが影をつくり、男の顔は奈美からは見えない。

 「約束どおり、きたぞ。」

 男が叫んだ。

 奈美はあたりに注意を払った。人の気配はいまだにない。

 「どうした、約束を破るつもりか。」

 男が再び叫んだ。

 奈美はゆっくりと倉庫の陰から出てくると、ヘッドライトの光線の中に立った。

 「ようやく出てきたか。」

 男の顔はまだ見えない。

 「あなたが、面史郎なの?」

 その問いに答えるように、男もヘッドライトの光線の中に入ってきた。

 ヘッドライトに映し出された顔はソニーであった。

 「あなたは確かソニー。あなたがどうして?」

 奈美は意外な人物の登場に警戒を強めた。

 「室長がこういう場においそれと出てくるか。おれが変わりに取引に応じてやる。」

 ソニーは奈美の顔を覗き込むように見ると、口元にいやらしい笑いを浮かべた。

 「ディスクは持ってきたんだろうな。」

 「ここにあるわ。」

 奈美はポケットからMOを取り出すと、目の前にかざした。

 「よし、もらおうか。」

 ソニーがそれをとろうとして、手を伸ばしとき、奈美はそれを避けて、ポケットにMOをしまった。

 「陽子さんと交換よ。」

 「ふ、そうだったな。」

 ソニーはおどけた顔をすると、アクエリアス号を指差した。

 「あの船の中にいるよ。」

 「案内して。」

 「MOが先…」

 そういいかけて、ソニーの口が凍りついた。みると、ソニーの横腹にPPKが突きつけられている。いつの間にか、奈美がPPKを取り出し、その銃口をソニーに向けていたのだ。

 「悪い冗談だぜ。」

 自然にソニーの顔がこわばってくる。

 「お嬢さんが持つようなおもちゃじゃないぜ。」

 おどけたように言うソニーの目は、決して笑っていなかった。

 「悪いけど、これはおもちゃでも冗談でもないわ。私は本気よ。」

 奈美は引き金に指をかけた。

 ソニーはおもわず両手をあげる。

 「わかった。案内する。」

 「先にたって歩いて。両手はあげたままよ。」

 奈美とソニーは連れ立って、アクエリアス号に向かった。タラップを(のぼ)り、デッキにあがった。

 奈美はデッキをすばやく見渡したが、陽子どころか人っ子一人いない。

 「どこにいるの。」

 奈美はソニーの横腹をつっついた。

 「あわてるな、船尾にいる。」

 「じゃ、はやく案内して。」

 銃口でソニーの背中を押すと、ソニーはしぶしぶ奈美を導くように歩き出した。

 ブリッジ脇の通路を通り、しばらく歩くとかなり広い空間に出た。

 アクエリアスの船尾の部分に出たのだ。がらりとした船尾を見回すと、船尾のさらに後部の手すりのところに人がひとり立っていた。

 「陽子さん!」

 陽子はアルフィス・エンタープライズにしのびこんだ時の服装のまま、体をくの字に折り曲げて手すりに縛り付けられていた。

 猿轡(さるぐつわ)をされている陽子は奈美の呼びかけにも反応せず、ぐったりとうな垂れていた。

 「殺したの?」

 奈美が恐ろしい目でソニーを睨みつけ、PPKをさらに強く背中に押し付けた。

 「まさか、大事な取引材料だ。死なすようなことしないぜ。ただ、眠らせているだけさ。」

 ソニーはあわてたように言った。

 「そう、ごくろうさん。」

 そう言うな否や、奈美はPPKのグリップでソニーの後頭部を強く打ち付けた。

 「う!」

 軽いうめき声を残して、ソニーは床に倒れた。それを確認した奈美は急いで、陽子の元に駆け寄った。

 「陽子さん!」

 奈美が陽子を抱き上げようとしたとき、不意に陽子が顔を上げ、縛り付けられた縄を解いて奈美に襲い掛かった。

 銀の線が奈美の目の前をかすめ、奈美の前髪が数本、宙に散った。その拍子にPPKが奈美の手から滑り落ちた。

 見ると、陽子とは似ても似つかぬ女が、鋭い光を放つナイフを片手に奈美を睨み付けている。

 「罠ってわけね。」

 そう呟くや否や、女は奈美に切りかかってきた。それを奈美は右に左に躱しながら、少しずつ後づさりした。

 奈美の背中が手すりに触れる。

 後がない。

 後ろは真っ黒に染まった海原だ。

 女の唇に勝利を確信した笑みが浮かんだ。

 ナイフを持つ手が奈美の心臓めがけて、鋭く伸びた。

 その手首を握った奈美は、相手の顔面に手刀を食らわせ、女が怯んだ隙に、その胸倉をつかみ、肩越しに投げ飛ばした。女は手すりを乗り越え、悲鳴を残して海原に消えていった。

 しかし、ほっとしてもいられない。

 PPKを拾おうとしたとき、殺気が奈美の頭を貫いた。

 体を横に飛ばしたすぐ後、銃弾が床を弾いた。

 すぐに体を起こし、奈美はジグザグに走った。飛び交う銃弾の中、走りながら奈美は敵の位置と人数を確認していった。

 全部で三人。

 柱の陰にひとりとブリッジに二人。

 奈美は柱の陰にいる男の前に、すさまじいスピードで移動すると、男の持っていたM459のスライド部分を握り、その鼻の頭に掌低を食らわせた。

 男は鼻血を振りまきながら壁に吹き飛び、その腹部に前蹴りをはなつと男は気絶した。

 奈美は落ちているM459を拾い上げると、それを海に投げ捨て、ブリッジの方を見上げた。

 そのとき、後方から銃声が響いた。

 「きゃっ」

 奈美の悲鳴が上がったかと思うと、奈美はそのまま手すりを乗り越え、海へと落ちていった。

 「やったか。」

 銃声のしたほうからM459を構えた男が現れた。

 ゆっくりと奈美の落ちた場所に近づくと、倒れた仲間に目もくれず、手すりから下を覗き込んだ。

 そのとき、銀の光が走り、男の額に深々と突き刺さった。

 男は声も上げず、そのまま海へ落ちていった。

 その下には、奈美がデッキのヘリに掴まってぶら下がっており、敵が落ちたのを確認すると、奈美はゆっくりとデッキに這い上がり、身を低くしたまま近くの階段に忍び寄った。

 上から足音が聞こえる。

 「おい、どうした。やったのか?」

 ブリッジから降りてきた男は、慎重にあたりを見回しながら答えるはずのない仲間に呼びかけた。

 男は奈美の存在に気づいていない。

 奈美は影のように男の背後に忍び寄ると、その首にいきなり腕をかけ、背中に人差し指を突きつけた。

 「おとなしくして!」

 奈美の不意打ちに男の体は硬直した。

 「銃をすてて。」

 言われるままに男は持っていたM459を捨てた。

 「陽子さんはどこにいるの。」

 「し・知らん。」

 奈美の腕の力が強まった。

 「もう一回しか言わないわよ。陽子さんはどこ!?」

 「せ、船倉だ。下の船倉にいる。」

 男はあわてて答えた。

 「じゃあ、案内して。」

 男は素直に歩き出した。

 そのとき、すさまじい轟音とともに、衝撃波が二人を襲った。

 間一髪、奈美は身を躱したが、男は間に合わず、衝撃波をもろに受け、体を二つに折り曲げながらデッキから海原に吹き飛んでいった。

 「ふふふ、よく躱したな。」

 前方にソニーが不気味な笑いを上げて、立っている。

 「真打登場というところかしら。」

 奈美もゆっくり立ち上がりながら不適な笑みを浮かべた。すでに髪は銀色に染まり、目は戦闘モード一色に燃えていた。

        3

 「やはり貴様は俺の手でやるしかないようだな。」

 「できるかしら。あなたのような小心者に。」

 「自分で味わうんだな。俺の力を。」

 そう言うと、ソニーは軽く右手を突き出し、それを奈美に向けた。ソニーの手の平がわずかに輝きだし、次の瞬間、大音響がデッキを駆け抜け、衝撃波が奈美に襲い掛かった。

 しかし、奈美の姿はすでにそこにはなく、いつの間にかソニーの真横に移動した奈美の髪から銀の針が飛んだ。

 ソニーはその針を軽くかわすと、突然駆け出した。

 奈美も追おうとしたが、ソニーはブリッジの中に消えていった。

 奈美はその場で立ち止まると全神経を周囲に向けた。それは奈美のセンサーとなり、アクエリアスの甲板上のあらゆるところを探っていった。

 静寂が流れた。

 時間も凍りついたように一切(いっさい)が静止していた。

 それを突き破る衝撃音が奈美の真上から轟いた。

 奈美の足が床を蹴り、後方に飛ぶと同時に甲板が吹き飛んだ。

 奈美は着地と同時に駆け出した。

 その後を追って衝撃波が襲う。

 甲板に次々と穴が開いていった。

 奈美がマストの一本に張り付いたとき、黒い影が奈美に覆いかぶさってきた。急いでかわそうとしたが、間に合わなかった。網が奈美の身体の自由を奪った。

 網を取り除こうともがいているところへ、衝撃波が奈美の腹部を貫いた。

 「ぐ!」

 ヘビー級のボクサーのボディーブローを受けたような衝撃と苦痛を味わいながら、奈美は前方を睨みつけた。

 ソニーがいつの間にか立っている。

 「いい格好だな。A7。」

 勝利の笑みを浮かべるソニーを横目に、奈美は自分の髪を引き抜いた。

 「とどめをさして、ゆっくりとMOをいただくよ。」

 ソニーの両手が頭の上に上がった。その隙を逃さず、奈美はソニーの足首に銀の糸を投げつけた。

 銀の糸がソニーの足首に絡まる。

 ソニーの顔からサッと笑いが消えた。

 奈美が思いっきり糸を引っ張ると、ソニーは足をすくわれ、背中から甲板に倒れた。

 奈美はかぶった網を急いで取り除くと、ソニーに向けて銀の糸を次々と投げつけた。急いで起き上がろうとしたソニーの身体にその糸が幾重にも絡みついた。

 「!」

 ソニーは糸を振りほどこうともがいたが、もがけばもがくほど糸は身体に絡み付いてくる。今度はソニーが身体の自由を奪われた。

 「無駄よ。いくらもがいてもその糸は切れないわ。」

 奈美は厳しい口調で言うと、ソニーをそのままにブリッジに向かった。

 「どうした、なぜとどめを刺さん。」

 「その必要はないでしょう。あなたは動けやしないわ。」

 奈美は振り返りもせず、ブリッジのドアを開けた。

 「勝ったつもりか。A7。」

 奈美はそれに答えず、ドアの中に消えていった。

 奈美が去った後、一人残ったソニーは身体をくねらせ始めた。すると、ソニーの身体に異変が起こり、見事に均整のとれた体が急にしぼみ、体に巻きついていた銀の糸が緩んで次々と足元に落ちていった。

 最後の一本を振りほどくと、またソニーは身体をくねらせ、元の均整のとれた体に戻った。

 「ふ、甘いなA7。一流の戦士なら体の関節くらい自由にはずせるぜ。」

 唇に嘲笑を浮かべたソニーは、奈美の消えたドアをじっと見つめていた。

 そうとは知らない奈美は、陽子が監禁されている船倉へ向かって階段を下りていった。

 10分ほど歩いていくと、やがてガラリとした空間に出た。

 アクエリアスの船倉の一部だ。

 かなり広い空間には荷物らしい荷物はほとんどなく、隅々まで見渡せた。

 「陽子さん!」

 陽子は船倉の片隅に縄でぐるぐる巻きにされて、床に転がされていた。奈美はすぐにそばに駆け寄ると、口に張られたガムテープをはがし、頬を軽くたたいた。

 それで気づいたのか陽子が薄目を開けた。

 奈美は縄を解こうと結び目に手をかけた。

 「だめ!」

 縄が緩み始めたとき、陽子は突然そう叫ぶと、いきなり奈美を蹴って自分から突き放した。

 「陽子さん?」

 奈美には陽子の行動の意味がわからなかった。

 陽子はすくっと立ち上がると、船倉の一方にあるドアに駆け寄った。

 奈美もその後を追おうとしたが、それを陽子は制した。

 「こないで!」

 「どうしたの、陽子さん。」

 「奈美、私に近寄らないで。」

 陽子は縄を振りほどくと、ドアを開けた。

 「私には爆弾が仕掛けられているわ。縄をほどくと30秒後に爆発するように。」

 「爆弾?」

 奈美の全身が硬直した。

 「さようなら。奈美。あなたは最高の妹よ。」

 そう言って微笑みを残したまま、陽子はドアの中に消えていった。

 「陽子さん!」

 奈美がドアに近づこうとした瞬間、大音響とともにドアが吹き飛び、爆風で奈美は床にたたきつけられた。

 奈美が起き上がったときには、ドアの向こうには白い煙だけがうごめき、人の気配どころか物の動く気配もなかった。

 「陽子さん…」

 奈美はのろのろとドアのところに歩み寄り、しばらく呆けたように陽子がいた場所を見つめていた。

 全身に悲しみが充満していく。

 自然、涙が両の目にあふれた。

 そして、それは憎しみの涙に変わっていった。

 「ソニ───!」

 怒りと憎しみのこもった咆哮が船倉に響いた。

 奈美の銀の髪が逆立ち、()(しめ)める唇から血が滲んだ。

 いきなり駆け出した奈美は、一気にデッキに駆け上り、ソニーがいた場所へ向かった。しかし、その場所には銀の糸しか残っておらず、ソニーの姿はどこにもなかった。

 「ソニー!でてこい!」

 怒りの咆哮が船内に木霊(こだま)する。しかし、誰も答えなかった。

 「ソニー!」

 再び叫んだとき、奈美に向かって衝撃波が襲い掛かった。

 奈美はそれを難なくかわし、衝撃波が放たれた方向に超振動ニードルを撃った。

 しかし、撃った場所には何の手ごたえもなく、代わりにまったく別なところから衝撃波が飛んできた。

 奈美はそれもかわし、またマストの陰に隠れた。

 「あのトラップをよくかわしたな。」

 暗闇の奥からソニーの声が響いてきた。

 「どこまでも卑劣なの。ソニー!」

 マストの陰からソニーの居場所を探りながら奈美は叫んだ。

 「おれは効率的に物事を進めるたちでね。」

 闇の奥から嘲りの笑いが漏れてくる。

 奈美の怒りが頂点に達した。

 マストの陰から躍り出た奈美は、ある一点にニードルを撃った。

 そのニードルは衝撃波で粉々に打ち砕かれた。

 そして、奈美とは別の影がブリッジから駆け下りてくる。

 ソニーは常人では考えられないスピードでデッキの上を駆け回ると、奈美に向かって次々と衝撃波を撃った。

 奈美もソニーに負けないスピードで、それを次々と躱していく。

 そのたびに甲板や機材、その他もろもろの物が犠牲になっていった。

 ソニーは奈美にかわし続けられても、なお衝撃波を打ち続けた。その顔には焦りの色はなく、口元には笑みさえ浮かんでいた。

 奈美には衝撃波を打ち続けるソニーの意図が見えなかった。奈美も憎しみに任せて攻撃を続けていたために思考の視野が狭まっていた。しかし、自分が船首の突端にいることに気づいたとき、初めてソニーの狙いが何かを知った。

 追い詰められた。

 奈美の全身に戦慄が走った。

 逃げなければ。

 奈美の防衛本能がそう教えた。と同時に、奈美の足が床を蹴ろうとしたときだった。

 奈美の目の前を衝撃波が駆け抜け、甲板を粉々に弾いた。

 奈美の足が石のように固まった。

 闇の奥から忍び笑いとともにソニーが姿を現した。

 奈美は思わず後ずさりした。

 手すりが背中に触れる。

 逃げ場所がなくなった。

 「もう逃げないのか?A7。」

 ソニーの目が怪しく輝いた。

 「クッ」

 奈美の髪から銀の針が飛んだ。

 ソニーがそれを躱すと同時に、奈美はソニーの脇を駆け抜けようとした。しかし、ソニーはそんな奈美の行動を読んでいた。

 ソニーの拳がもろに奈美の鳩尾(みぞおち)に食い込んだ。

 「グエ!」

 奈美の口から胃液が迸った。

 鳩尾を押さえて苦しがる奈美にソニーの膝が顎に飛んだ。

 のけぞった格好のまま奈美は後方に吹き飛び、そのまま手すりに激突すると、前のめりに床に倒れた。

 「まだおネンネは早いぜ。A7。」

 ソニーの右手が奈美の銀髪をつかみ、奈美を引き上げると、左拳が奈美の鳩尾にめり込んだ。

 「グハッ!」

 重い衝撃が奈美の呼吸を停める。

 両足の力が抜け、奈美は膝から床に崩れ落ちようとした。しかし、銀髪をつかんだソニーの右手が崩れ落ちようとする奈美を引き起こした。そして、また一発、奈美の鳩尾にソニーの拳が食い込む。

 地獄の苦しみが奈美を襲う。

 呼吸困難で奈美の唇は青黒く変色し始めていた。

 「まだだぜ。」

 サディスティックな笑みとともに、さらに一発、鳩尾に食い込んだ。

 「グッ!」

 奈美の意識が遠のいた。

 目の前が真っ暗になり、呼吸不全から体が硬直し始めていた。

 「ケッ、もう終わりかい。」

 そんな奈美を見て、ソニーはがっかりしたような顔をして右手を離した。

 奈美は床に崩れ落ち、しばらく痙攣をおこしていた。その顔をソニーのブーツが踏みつけた。

 「少々、欲求不満だが、しかたがない。」

 ソニーは倒れている奈美の横腹に蹴りを入れると、そこから数メートル離れた。そして、振り返ると両手を奈美に向けた。

 「これでジ・エンドだな。」

 苦痛に歪む奈美の目にソニーの両手が輝きだすのが映った。

 恐怖が奈美を襲った。

 ジャックに襲われて以来、忘れていた感情が奈美の全身によみがえった。

 戦闘本能が奈美を支配し始めた。  

「死ね!」

 ソニーの衝撃波が奈美に向かって放たれた。

 大音響とともにすさまじい勢いで衝撃波が奈美に襲い掛かった。

 そのとき、奈美の全身が銀色に輝いた。そこへ衝撃波が覆いかぶさった。

 耳をつんざくような爆発音と爆風と四散した衝撃波があたりをなぎ払った。その余波にソニーも吹き飛ばされそうになった。

 ソニーは身を守るように丸くかがみ込み、爆発の余波が収まるのを待った。

 粉塵が辺りに舞い降りてきていた。

 爆発の余波が治まりかけたのを確かめてからゆっくり立ち上がったソニーは、思わずほくそえんだ。

 「あっけなかったが、まっ、こんなもんだろう。」

 ソニーがその場を立ち去ろうとしたとき、その背中を鋭い殺気が貫いた。

 「!」

 ソニーの体が一瞬にして硬直した。

 すぐに振り返ると、収まりかけた粉塵の中に銀色に輝く物体が見えた。それが、少女の姿をしていることに気づくのに数秒とかからなかった。

 [A7!?」

 ソニーが叫んだ。

 それに答えるかのように、それは粉塵の中から抜け出してきた。

 まぎれもなくそれは奈美であった。

        4

 一瞬の静寂が過ぎった。

 ソニーはニヤリと笑うと両手を頭上に掲げた。

 「しぶといな。A7。」

 ソニーの両手が輝きだした。

 「無駄なことはやめなさい。」

 奈美は静かに言った。

 「世迷言(よまいごと)はあの世で言いな。」

 ソニーの両手が奈美に向かって伸びると、再び衝撃波が奈美に向かって放たれた。しかし、奈美はそれを躱そうともせず、無造作に両手を前に差し出した。

 銀色に輝く奈美の全身が更に輝きを増した。

 銀の輝きと衝撃波がまともにぶつかった。

 鼓膜を破るような大音響とともに衝撃波は奈美の両手の前で砕け、四散した。

 四散した衝撃波は周りの手すりやマストをなぎ倒し、甲板を紙のように引き裂いた。ソニーの衝撃波の恐るべき威力であった。しかし、奈美は傷ひとつ受けず、平然と立っていた。

 「馬鹿な!俺の衝撃波を完全に受け止めたというのか。」

 ソニーは信じられないといった顔つきで奈美を見た。やがて、その表情は怒りと変わり、再び両手を頭上に掲げた。

 「粉々にしてやる!」

 ソニーが最大限(マキシマム)にレベルを上げた衝撃波を撃とうとした瞬間、奈美の体からフラッシュのように光が(またた)いた。

 それがソニーの両腕を照らした途端、ソニーの両腕に激痛が走った。

 見ると、両腕に数本の針が突き刺さっている。

 「なに!?」

 ソニーに驚愕と戦慄が貫いた。

 (ばかな、この俺が恐怖を感じるなどと。)

 脂汗が額を濡らす。

 (俺様がこんなところで死ぬわけがないのだ。)

 「うおおおおお──── !!」

 ソニーの口から野獣の咆哮にも似た叫びが迸ると、その腕から針を引き抜き、やみくもに衝撃波を撃ち始めた。

 狂ったように駆け回る衝撃波は、アクエリアスのデッキといわず、ブリッジといわず、あらゆるところを破壊してまわった。

 破片が飛び散り、粉塵が舞い上がり、機材やボートが吹き飛んで、次々と暗い海に落ちていった。

 そして、それに乗じてソニーはアクエリアス号から脱出しようとタラップに向かった。

 「逃がさないわよ。」

 粉塵を掻き分け、奈美が追ってきた。

 ソニーは振り向きざまに衝撃波を奈美に向かって撃った。

 奈美の足が甲板を蹴り、その下を衝撃波が駆けていった。

 ソニーの頭上に奈美が舞い上がる。

 銀の光が迸る。

 顔の前に腕を交差させるソニーの胸に数本の超振動ニードルが深々と突き刺さった。

 「グオ!」

 断末魔の悲鳴を上げてソニーはタラップを転げ落ち、一番下まで転げ落ちたところでそのまま動かなくなった。

 甲板に降り立った奈美は、物言わぬソニーの姿をしばらく眺めていた。

 アクエリアス号に静寂が戻ってきた。

 戦いに傷ついた船体はその崩壊をかろうじて止め、暗闇がその傷を覆うように広がっていた。

 奈美はその暗闇に縛られたかのように、じっとその場に立っていた。

 やがて、誰かに問うように奈美の口が動いた。

 「いつまで続けばすむの?」

 そう呟く奈美の心に言い知れぬ怒りと悲しみが湧き上がってきた。

 奈美は暗闇に向かって叫んだ。

 「いったい、いつまでこんな戦いをすればすむの!?」

 「これでおしまいだよ。A7。」

 予想もしない返答が突然返ってきた。

 奈美は反射的に振り返った。

 奈美から数メートル離れたところに人影が見える。

 「だれ、そこにいるのは?」

 しかし、返事は返ってこない。

 返事の代わりに空を覆っていた雲が切れ、美しい月が顔を出した。

 月光はスポットライトようにその人影を照らし出し、ギリシャ彫刻を思わせる美青年が奈美の前に現れた。

 見覚えのある顔であった。

 そう、研究所で脱出寸前に垣間見た青年の顔であった。

 「あなたは誰?」

 そう問う奈美の頭の中にはすでに一人の男の名前が浮かんでいた。

 「…面・史郎…」


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