青の王子と黒の姫
――異世界人の娘が、ぐらりと体勢を崩し、倒れる。そんな彼女を支えた腕に、貴族たちは絶句した。
* * *
セルディアで異世界人が召喚されるのは、九十日に一度。召喚された際は国中に知らされ、国全体がお祭り騒ぎのようになる。城下町では出店が出て、国が更に豊かになることを祝うのだ。今回も、十日前から召喚を行うことが国王から告知されていた。昨日、無事成功したという知らせが国中を巡り、朝から城下町は大変な賑わいを見せている。
両陛下と異世界人の対面式の際はどんなに忙しくとも、主要貴族と大臣は参加をすることになっている。それは異世界に突然召喚された人々に敬意を込めての行動であるし、国として歓迎する姿勢を示すための大切な式典。両陛下への挨拶と大臣方の応答を見届け、その後は、交流会と言う名の舞踏会を行うことになっている。
けれど、今回は。
* * *
今回少女を召喚したのはこの国一の魔術師であり、セルディアの第二王子であるラルディア・フォン・シグナードだ。
第二王子であるラルディアは、貴族の間ではよく噂となる。美しきその姿や地位もさることながら、彼本人の経歴が非常に変わっているからだ。
ラルディアは王族でありながら幼少期より魔法に興味を示し、十二歳まで辺境に住みながらセルディア一と噂される魔術師に弟子入りし、魔法を習った。才能のある彼はすぐに師の教えを吸収し、十六歳というセルディア最年少で国一番の魔術師となる。それから五年、いくつもの術を生み出しては民の生活を支え、兄である第一王子と争わないためか、王位継承権を放棄した。
極めつけに、王妃譲りの類まれな美しい顔であり、国王譲りの美しい声であり。尚且つ、彼自身の特徴なのか、仕草一つ一つに艶があり、甘い色気が滲む。
国一番の魔術師であり、艶やかな美形であり、謙虚で優しさも持ち合わせる。非の打ちどころがないと噂されるラルディア王子に、国中の女性は夢中になった。しかし彼本人はまるで女性に興味がないのかと思える程、誰にも振り返らない。優しい笑顔と言葉で夢中にさせておきながら、誘いをさらりとかわす。つれない彼に益々盛り上がる令嬢も多く、彼が出席する舞踏会などでは、誰が彼の心を射止めるかと注目の的になる。
しかしラルディアは、成人した十五の時から、誰一人として特別扱いすることはなかった。ダンスはすることはあるものの、それ以外で決して女性に近付こうとはしない。特にここ数年は他国との舞踏会のみ顔を出して、その国の魔術師と新しい術式を話しあうことが多かった。
どんなに美しい令嬢でも、どんなに身分の高い令嬢でも、可憐でも、甘えん坊でも、高飛車でも、彼は相手にしない。失礼にならない程度に相手を褒め、ダンスに誘い、その後の誘いを断ってしまう。
……考えたくないが、ラルディア王子は女性に興味がないのかもしれない。最悪、男性という線も考えたが男でも相手にしていないようだから、やはり違うと思う。
この世界で彼の心を射止める女性はきっといないのだろう、とみんなが彼の行く末に関して思いを馳せていたのに。
* * *
謁見の間に現れた少女は、セルディア国の女性の平均身長と同じくらいの、百六十程度に思える。割と細身だが、ガリガリに痩せている訳でもなく、平均的な体型。ぱちりとした二重の瞳は愛らしく映るが、今は悲しそうに細められている。高くもなく低くもない鼻、ぽってりした唇。全体的に見て、可愛らしい雰囲気はあるものの、やはり平均的。見慣れない服装は異世界人ならではだが、黒い瞳と黒い髪は目を引いた。この国にはほとんど見掛けない、本物の黒。特筆する点はそれだけだと言ってもいいだろう。目を引くような美しさもない、町にいそうな普通の少女。けれど、彼らは絶句した。
――あのラルディア王子が、異世界人の少女の手を取り、歩みを合わせている!!
目の前の光景に、その場にいた貴族達は愕然とした。ふらふらと歩く少女は昨日故郷に帰れない寂しさで泣いてしまったのだろうか目が少し赤い。そんな彼女を気遣うように慈悲深い眼差しで少女を見つめ、優しく微笑む。挙句の果てに、顔を寄せて話しあい、頭を撫で、肩まで抱いた。
何と言うことか!!今までどんな令嬢が言いよってもダンス以外で手にすら触れなかったラルディア王子が!!
不安げに瞳を潤ませる少女を安心させるように抱き寄せ、柔らかく微笑む。恋人のような親密な空気に、貴族達はざわめいた。あの平凡な少女を、ラルディアは非常に大切にしていることが遠目からでも伝わってきたから。
その後、ラルディアが掛けた魔法により、少女の声が聞き取れるようになった。柔らかな、はきはきした受け答えに、人の目を見て話す彼女は確かに好感が持てる。しかし大臣が質問を始めたところで、雲行きが怪しくなった。
セルディア国に召喚される異世界人には一つの特徴がある。それは、『今国が必要としていることを与えることが出来る』という特徴。召喚陣にそのような紋が刻まれているのかは分からないが、彼らがもたらすものは必ずセルディアにおいてプラスになることだった。
今度もそうだと誰もが思ったのに、今セルディアが必要としている知識を、少女は一つも持っていない。大臣たちの顔が徐々に困惑に歪んでいるのを見ながら、貴族達も眉を潜めた。
ラルディアの召喚が失敗したことは、今まで一度もない。しかしミスをしない人間などいない訳だし、今回はもしかしたら呼び出す人間を間違えたかもしれない。それはいいのだが、少女に対してはどうだろう。勝手に呼び出しておいて「間違えました」など、決して許されることではない。大臣たちが戸惑うのも当然である。もしかしたら、少し話をしてみれば何か分かるかもしれない、と説明がやたらと長い大臣が十分近く掛けて、セルディアの歴史を語り、やっとセルディアという国が出来たところに差しかかった時。
――少女の身体が大きく揺れ、地面に向かって倒れ込んだ。
国王と王妃が立ち上がり、衛兵に叫ぶ。大臣は届かないのに無意味に手を伸ばし、若い貴族が駆けだして助けに行こう、と走り出した時。
ふわり、とまるで少女が羽であるかのように、優しく抱きあげられた。
――ラルディアの手によって。
「……まったく、仕方ないなぁ」
「あんなにお茶を飲むからだよ」と苦笑しながら一人ごち、少女を横抱きする。黒髪の隙間から覗く顔は青ざめるのを通り越し、白くなっている。ぐったりと身体を預ける少女の髪をそっと撫でてやり、ラルディアは顔を上げ、大臣達に向き直る。びくりと身を竦める彼らに笑って、困った風に笑ってみせた。
「どうやら、昨日彼女は故郷を離れた寂しさ故かあまり眠れなかったようですね。朝からふらついてしましたし、貧血かもしれません」
「ああ、そうでしたか!!」
「いやはや、女性ですからな。そのようなことを考えもせず、話を続けてしまったとは申し訳ないことです」
ラルディアの言葉に、大臣達は深く頷く。すぐに納得する彼らに内心黒い笑みを浮かべながら、表面上は眩い笑みのラルディアは、ちらりとミワコを見下ろす。
――昨日、ミワコが飲んだラルディア特製のお茶には眠れなくなる薬が入っていたなど、誰も知らない。
元々は、寝ずに仕事をやらなければならない衛兵のために作った薬。しかし今回は改良を加え、「おはよう」の言葉を告げれば眠気が速攻で復活するようにしておいた。一晩眠れず苛々し、挙句の果てに大臣達の質問に眠気を必死で堪えるミワコを見たいがために作った薬。
彼女が何をセルディアにもたらすかは分からないが、昨日彼女と話して、ミワコが大臣が期待するような知識は持っていないだろう、と結論づけた。だから彼にとって、あの質問会は予想通り。更に幸運なことに、話が長いので有名な大臣がミワコのためにセルディアの歴史の話をするという。最早天がラルディアに味方したとしか思えない。
気を失う寸前のミワコの眠気と戦おうと充血した目を潤ませ、唇を噛み締める姿は、彼の嗜虐心を大いに刺激してくれた。やはり彼女は、退屈しない。初対面からこちらが少しでも捕食者の空気を出すと、気に入らないと顔を顰める。
すぐに懐くような従順な下僕など、面白くない。抵抗し、反発し、睨んでくる者の方が余程虐めがいがあるし、楽しめる。その必死に気丈に振る舞う顔を自分が崩し、辛そうに歪めたり、もしくは泣かせてみるのを想像するだけでゾクゾクする。
……などとラルディアが考えていることを知らない周りの貴族達は、熱っぽいラルディアの瞳にまさか、と言う思いが込み上げ、周りの人間と小声で話しあう。
「では、彼女を部屋に送っていきます。質疑はまた今度にして、今は寝かせてあげましょう」
「そうですな。衛兵に連れて行かせましょうか?」
「いえ、私が最初に抱きとめたのだから、責任を持って送り届けます」
にっこり笑うラルディアの眩さに、ラルディアのファンの貴族(もちろん男)数人が鼻血を吹きだす。ある種いつも通りの光景なので、周りも放置。
みなの視線を一身に受けながら、ラルディアは国王と王妃に頭を下げ、扉に向かって歩き出す。しかしその歩みを、国王の涼やかな声が遮った。
「ラルディア。随分、その異世界の娘が気にいっているようだな」
まるでからかうような声に、ラルディアはゆっくりと振り返る。ふわりと揺れる前髪の影が顔に映り、彼の美貌は益々引き立ち。
「――そうですね。ミワコは今、一番私を惹きつける存在です」
ラルディアは見せつけるように、己の滑らかな頬を眠れる少女の髪に擦りつけ、青い瞳をゆっくり細めた。
そこに恋愛感情など存在しなくとも、周りはそうは取らない。意味深な彼の微笑みと言葉に、さらに数人の貴族が失神し、対面式は終了した。
数日後。セルディア国内に、一つの噂が流れる。
『今国が必要としていることを与えることが出来る』と評判の異世界人。しかし、今回の異世界人は何も知らない。何も持たない。何故ならば、彼女が与えるものは知識や物ではないからだ。
――異世界人の少女は、ラルディア王子の運命の相手として召喚された。誰も愛すことのない王子に愛を教えるため、彼女はこのセルディアへとやってきた――
その噂は貴族を中心に広まり、徐々に民の口にまで昇るようになった。
ラルディアの真意も、ミワコの思いも知らないまま、噂は広がり、彼女を抱き上げたラルディアの絵が市中を回る。その姿に人々は想像を馳せ、遂には数年後、二人をモデルとした『青の王子と黒の姫』という長編ロマンス小説が多くの民の間で読まれることになる――。
プロローグ編はこれにて終わりです。
個人的に、眠らせないってすごくドS。
追記:あまりに文章が目茶目茶だったので改稿。ラルディアの独白を追加しました。
書き忘れましたが題名は二人の瞳の色です。元の題名は『運命の眠り姫』(笑)




