緩やかな一日は
ぼふ、と音を立てて白いシーツの海に飛び込んだ。ごろごろと三回転程してみても、床に落下することはない。人生初めての天蓋ベッドは、予想以上に大きいものだった。
顔だけを上げて室内を見渡せば、木材を使った家具を中心とした柔らかい空気の部屋。レースのカーテンや花柄の布のかかったタンスなど、少々女の子らしすぎてあたしには合わないものもあるけれど可愛いと思う。行ったことはないけれど、まるでホテルのスイートルームのような広さに若干落ち着かないことを除けば、好みのインテリアだ。これが普段は使っていない客室の一室だと言うんだから、無駄が多い。無意味にころころを繰り返し、自分の着ている上等ながらすっけすけの服を見て大きくため息を吐いた。
「……つっかれたなぁ」
つい数時間前の話し合いを思いだし、また一つ、ため息が宙に浮いた。
* * *
衝撃の告白を聞いて、しばらく茫然自失だったあたし。もう完全に、脳味噌が動きを停止していて。ぐるぐる言葉と彼の笑顔だけ、から回る。
……おうじ、って玉子、いやそりゃ違う王子だ。おうぞくて、王族て、
『異世界人を召喚すると決めたのは、僕だよ。発案も決定も、……そうだね、実行も全て、――僕』
「おおおおお前かーーー!!」
頭の中で回路がやっと繋がる。がたりと立ち上がり、ラルディアさんの胸倉を掴もうと身を乗り出す。彼自体は楽しそうな顔していたけど、慌てた近くの騎士さんに取り押さえられた。ちくしょう、甲冑固いし冷たいじゃないか!!
職務に忠実らしい彼はか弱いあたしをソファの背もたれに押し付け、ラルディアさんに向けて何事かをしゃべった。彼は笑顔のまま、手を振る。すると。
「う、うぎゃあ、何だこれっ!!」
騎士さんが手を離した瞬間、見えない何かであたしの身体が拘束される。ぴたっと腕が身体に張り付いて、痛い訳じゃないけどどうやっても動かせない。うぎぎー!!と歯を食いしばるあたしに、ラルディアさんはにこにこ笑ったまま。
「ごめんね、僕としては殴られるのも悪くないと思うんだけど」
やはりドMか!!
「異世界人は歓迎されるけれど、王族に手出ししたことがばれればまずいことになるかもしれないんだ。僕に手出ししないことを約束するなら、その拘束も外すよ」
「……まずいって?」
「最悪、殺される」
ラルディアさんの言葉に、あたしはぴたりと動きを止めて、騎士さんを振り返り――ぶんぶん首を縦に振った。何か腰からぴかぴかするもの取りだしてるよ!!すごく切れ味良さそうだよ!!
しかし彼はきょとんとする。う、このジェスチャーは世界共通じゃないのか!!
「分かった、約束する!!」
「了解」
ぱちり、ラルディアさんが指を鳴らす。きざな男め、と思った瞬間身体が解放感でつんのめった。笑顔一つで人を自由にする彼に腹が立たない訳じゃないけれど、殺されると聞けばとりあえず従うしかないじゃないか。何せあたし、何の後ろ盾もないただの平凡な女子高生な訳だし!!
だけど気持ちは収まらないから、とりあえずじーっと睨んでみたら、ラルディアさんは面白そうに片眉を上げた。
相変わらず、王族の勝手な事情は気に入らない。でも、迂闊に手ぇ出して殺されちゃうなら、下手に暴言も吐かない方がいいかもしれない。
先程の様子からしてラルディアさんは話が通じそうだと分かった。今まで話をした感じからしても、王族であることをひけらかしたりはしてなかったから正直に言った訳なんだけど。……それ以上に性格が合わなそうだからゴマすりたかなかったていうのも大きいんだけどね!!
でも、今あたしは異世界にいる訳だからある程度ゴマすりも必要かもしれない。この世界にいる期間はどれ程か分からないけれど、使えるものは一つでも多い方がいい。
よし、と小さく頷いてラルディアさんに向かって手を上げる。彼ははい、と手で促した。
「まず、あたしが帰る方法はあるんですよね?」
セルディアがそこまで魔術の発達した国ならば、そしてこれは文化交流の一環だというならば、帰還する術はある、と思う。ていうか帰還できなきゃ困る。しばらく帰らなくてもあの騒がしい家に忙しい両親、気付かれない気はする。逆に怖いのが、あたしが忘れ去られる危険性。……ああ、怖い。真剣な顔をするあたしに、ラルディアさんはゆっくり頷く。
「それは心配しなくて構わない。この世界の魔法は、全て一対になっている。つまり、コップを壊す時には直す陣を同時に組まなければならない。送還の陣は、召喚の陣の中に同じく組み込まれている」
ふむふむ、ならやっぱり心配は無用だな、と安心したところ。
「――ただ、今まで送還の陣が使われたことはないからな」
「はぁぁ!?」
それ大丈夫なの!?テンプレないといきなり厳しいよ!?パニックになるあたしを余所に、ラルディアさんはソファの背もたれにゆったり身体を預け、長い足を組み、肘置きに腕をついた。おいおい、偉そうだなぁ。
「実は、今まで来た異世界人全て、この世界の人間と結婚して、こちらで暮らしているんだ」
「……ちなみに、どれくらい?」
「記録が残っているのは、ざっと一万人程度だね」
多いな!!
「だから、最近は送還の陣は不要になる場合が多い。一応、銀の月が三度昇れば帰す手筈になっているんだけど」
「ぎんのつき?」
耳慣れない言葉に首を傾げると、暦の一つだ、と告げられる。ますます眉を顰めるあたしに、ラルディアさんは口を開いた。
「この世界では、月が三つあるんだ。瑠璃の月が落ちれば一日が終わり、それが十日続くと茜の月が昇る。茜の月が三度昇ると、銀の月が昇るんだ。それで一月、とこの世界では数えられている」
月が三つ空に昇るのか!!そりゃすごいなさすが異世界!!感動するあたしに、ラルディアさんは更に金の月の時が最も魔力がたまる時であり、それを三度繰り返すことで、間違いなく異世界人を元の世界へ帰せるようにしている、と語った。アフターケアもばっちりってか。
「送還の陣は召喚の陣と時を合わせているから、帰る時には来た時と同じ場所、同じ時に戻れるように座標は絞ってある。ミワコがセルディアにいる間の身柄に関しては、我らセルディア王族シグナードの名において保証しよう」
「うん、それなら大丈夫です」
とりあえず当面必要なのは、この世界にいる間の身柄の保証と、帰る方法だ。それらが揃っているなら、若干気に食わないところがあろうと、とりあえずこの国にいよう。どうせ三か月だ、海外留学してるとでも思えばいいかなぁ。
ふ、と息を吐いてソファの背もたれに身を預ける。そのタイミングを狙ったかのように、ラルディアさんは口を開く。
「……けれど、君にも送還の陣は必要なくなるかもしれないね」
顔を上げれば、ラルディアさんは変わらずに微笑んでいた。お互い背もたれに身体を預けているから、距離が遠い。黙ったままカップに手を伸ばし、メイドさんが淹れなおしてくれたお茶を啜りながら、考えた。
その真意は読み取れない。けれど言葉の意味は、分かる。そりゃあ一万人分もテンプレあったら考えるよね、こっちの世界に残るんじゃないかな、って。だけど、あたしは。
「――それはありえませんよ。あたし、あっちの世界に残したものだらけだもの。それを置いてもこの世界で生きて行くなんて、絶対に言えない」
恋をしたことがない訳じゃないけれど、全て憧れで終わるような淡いものだった。だからかもしれない、こんな風に力強く言い切れるのは。
だけどやっぱり、あたしには無理だと思うんだ。たった一人のため、元の世界を捨てて生きて行く覚悟を決めることは。それには、あちらに残したものが多すぎるもの。それは家族だったり、友達だったり、 あたしの個人的な夢だったり、さまざまで。最初は気にする余裕もなかったけれど、今あたしが落ち着いているのは、来た時と同じ場所に帰れると分かっているから。帰れないならば、もうとっくに殴りかかっている。
真っ直ぐに言い切ると、ラルディアさんはまた少し、頬を緩めた。だけどそれは、どこか柔らかく感じるような。
「人の心は、分からないよ?」
「……好きな人が出来るかもしれないってこと?それでも、あたしは帰りますよ。あたしがあるべき場所は、あそこだけだから」
心が定めた場所を、覆したくはない。あたしは確かに猪突猛進タイプだけど、実際かなり保守的だ、と思う。頑として躊躇わないあたしに、ラルディアさんは静かに身体を起こした。
「――ミワコの瞳は、揺らがないね」
「……そりゃ、どうも」
褒められたのかは分からないけれど、頭を下げる。今まで言った言葉は、あたしを試すものだったのかもしれない。何で試されたか、理由はいまいち思いつかないんだけどさ。とにかくも、ラルディアさんの態度が軟化するならばそれでいい。あまり好きじゃないタイプだけど、これから三か月、お世話になるなら友好関係は大事にしたいよ、あたし。
ほう、と息を吐いてまたもお茶を一啜り、すると。
「それじゃあ、明日は早速国王と王妃に面会してもらうね」
ぶーーーっ!!
――やばい、何この初体験、お茶本気で吹いたのなんか初めてだよもったいない、ていうかていうか!!
口元を必死に拭うあたしの目の前、お茶攻撃を魔法で防いだラルディアさんに(ちっ)、慌てて向き直る。
「え、え、え、え、こここ国王!?」
「そう。後見人は僕になるんだけど、セルディア国で身柄を保証するんだから、とりあえず国王と王妃には会ってもらわないと。他にも、大臣とか主要貴族とか、ざっと百人くらい同席するんだけど気にしないでいいよ」
「気になるわ!!」
思わず突っ込みの手を入れてしまうあたしを軽やかにスルーして、近くのメイドさん達に何事かをしゃべるラルディアさん。次の瞬間には。
「うぎゃう!!」
「それじゃあ、今日はとりあえず身体を磨いてゆっくり休んでもらうよ。食事もきちんと用意してあるから、とりあえず、楽しんでね」
何故か身体の動きがかちんと固まってしまい、自分の自由に出来ない。その間に、騎士さんに担がれる。必死でじたばたするあたしをラルディアさんは楽しそうに見守り、ひらひら手を振っていたのだった――。
* * *
……その後、放り込まれた場所はお風呂場。温泉みたいに広いお風呂に感動したけれど、なぜかメイドさん数人掛かりで徹底的に身体を洗われた。女の人と言えど裸晒すのってあたし絶対嫌なんだけど、もう魔法掛けられてるし言葉も通じないから抵抗する術もなく、なすがまま。そのまま身体に良い匂いがするオイルか何かを刷り込まれて、ゆったりしたピンク色のマキシ丈ワンピースみたいなのを着せられ、……うん、何かを失った気がする。
気が付けば窓の外は暗くなっていて、今度は大きいテーブルのある場所に連れて行かれた。そこにはにこやかなラルディアさんがいて、魔法が解かれ。噛みつこうと思ったけれど、部屋の中の美味しそうな料理を見せられたら、あたしのお腹が白旗を上げた。あ、食事は文句なく美味しかったです。甘いソースがかかったお肉とか、魚のすり身で作ったっぽいふわふわのお団子の入ったスープだとか、香草みたいなのの蒸し鍋だとか。デザートは杏仁豆腐みたいな白くてふるふるしたものだったんだけど、くにゅくにゅした甘い果実が入っていて、思わずお替わりしちゃうくらい美味しかった。……正面があの男じゃなければもっと他の楽しめたんだけどね!!
夕食後に部屋に案内され、何故かふわっふわですけっすけの薄い緑色の膝丈ワンピース(どうやらこっちでは寝る時ちゃんと寝巻に着替えるんだと後になって知った)を渡されて。面倒くさいと渋るあたしにメイドさんが迫り、慌てて着替えると、やっと一人になれた。
ころころ。ころころ。と、とりあえず転がる。……暇だ。
ていうかこの世界の下着ってスポブラみたいな感じなんだよね、割と布薄いしワイヤーないし落ち着かん。Bカップが何を言うかと思われるかもしれないが!!ていうか、あたしと一緒に来たはずのスーツケースはいずこ。
しばらく転がってみたけれど、お腹が若干苦しい。うう、食べてすぐ寝たら牛になる……。ていうかあんな美味しい食事毎日してたら太るよね!!元の世界にちゃんと戻すって身体まで戻してくれる訳じゃないよなぁ。
……。
……。
「……よし、歩こう」
ダイエットせねば!!スーツケースの行方も気になるし!!
決意したら、速攻動く。ワンピースはノンスリーブで寒そうだったので、そこら辺のクローゼットを開けて上着を探す。手触り最高のロングカーディガン発見。誰のものか分からないけれど、とりあえず借りちゃおう。靴は、部屋を歩くときは靴を履かなくても大丈夫らしい。メイドさんみんな、部屋に入る時はスリッパに履き替えてたし。それには安心した。日本人として靴履きっぱなし生活って落ち着かないんだよね……。玄関からさっきまで履いていたぺったんこサンダルを選んだ。早く戻れば、多分大丈夫だろう、と見当を付けて早速部屋を飛び出した。
なんだかまだ説明が多くてぐだぐだです……。しかもドSタグが全く生かされていない!!
次回からはゆるゆるコメディになる予定です。