そして、始まる
「っあー!楽しかったぁぁぁぁ!」
無意味に伸びをして、雄たけびを上げてみる夕暮れの帰り道。飛行機がハワイから飛ぶ時には帰りたくないとわめいたものだけど、やっぱり日本は格別。どっかの家から漂ってくる美味しそうなお味噌汁の匂いに鼻がひくひく蠢いてしまう。
でこぼこのコンクリート道路の上でスーツケースを転がすと、ガラガラうるさい。中には一週間分の着替えやお土産が入ってるから重いし。でも、家に帰る足取りは割に軽かった。
申し遅れましたが、あたしは葛木 美和子十七歳、平凡な現役女子高生です。家は今時珍しい五人兄弟。上から順番に兄・姉・あたし・妹・弟の順番で、全て二歳ずつ離れている。騒がしい兄弟と、そんな子供達のために毎日働いている両親。まぁ、幸せな一家で暮らしているとは思う。でもね、でもね、あたしには小さい頃から夢があるのです。そう。
海外旅行したい!
計七人の大家族で、旅行なんてなかなかいけない。養育費なんてあっという間に飛んでいく。都合だって全然合わないしね。だから小さい頃から行った家族旅行なんて、一泊二日で関東近郊の温泉ばかり。それだって楽しいけど、一度でいい、――あたしは日本国外に行きたかった。
その夢を叶えるため、近場の高校で修学旅行で海外を設定しているところを探し回り、親に頭を下げバイトをして。とうとうあたしの夢は、この一週間で果たされた訳です。行き先はハワイと言う海外旅行定番の地だけど、やっぱり日本とは違う!空気は澄んでたし星は綺麗だし、海は真っ青。お風呂など慣れない習慣も多かったけど、やっぱり楽しかったなぁ。
「あー、でも次はヨーロッパとか行ってみたいなー」
スーツケースを引きずりながら、一人にまにま呟く。しばらくは無理だろうけど、大学に入ったらお金貯めて一人旅行でもしてみようかな。素敵な未来図が頭に浮かんで、ぽわぽわ消える。そんなことを繰り返している内に、見慣れた我が家が目の前に現れた。あたし一人国外に行くと言うことで、ぎゃあぎゃあうるさかった兄弟の為にお土産も買い込んできたし、それほど文句を言われ続けることはないだろう。とりあえず今日は疲れたし、懐かしきマイ敷布団に包まれたい。
さて、愛しの我が家へれっつごー!
と、あたしが一歩、踏み出した時。
「……へ?」
いきなり、引いてたはずのスーツケースの重みがズンと腕にかかり。あたしの身体が、軽くなる。……あれ、なんか浮いてない?
飛行機が飛び上がる瞬間のような浮遊感に、下を見れば。
コンクリートの道路の真ん中には、真っ黒な、穴。
「……、」
――口を開いたけれど、悲鳴をあげる暇もなく。あたしは、穴に吸い込まれた。
* * *
「あれ、今回は女の子が引っ掛かったみたいだ」
後ろから、柔らかな笑い声と共に響く低音ボイス。普通に話しているはずなのに、何故か甘ったるく聞こえて。背筋がゾクリとするのを感じながら、ゆっくり振り返る。そこにいた人を見て、あたしはぽかんと口を開けた。
何この人。すっっっっっごいイケ面!
茶色というよりは、明るい。栗色の髪は天然パーマなのか、ふわふわ散っていて、前髪に優しくかかる。後ろは襟足くらいまでの長さ。あたしと目が合うと、澄み切った空のような青い瞳を細めて、薄い唇の端を上げた。掻き上げた髪から覗く右耳には、三連の赤い石のピアス。ルビーかな、とりあえず高そうだ。白くきめ細やかな肌にすらりとした細身、長いローブみたいなものを着ていて、肩から白い布を掛けている。よく見れば銀色の糸で細かい刺繍がされているのが分かり、目を丸くした。ていうか顔ちっさ!何何何頭身!?
天地を飛びぬけたレベルのイケ面の後ろには、同じようにローブを着た白髪で口髭をたっぷり蓄えたお祖父さんやら、中世のヨーロッパの騎士みたいに鎧を身につけたお兄さん達だとか。その後ろにあるのは、クリーム色の大きな柱。それを追って視線を上げれば、複雑に柱が組まれた丸い天井と綺麗な海の絵が見えた。……なんかこう、RPGとかでよく見る画像だな。うん。弟がよくやってるから知ってるぞ。主人公が最初に、神から啓示やら受けてみたり勇者認定受ける場所だよね。いわゆる、聖堂って奴?
「……って、聖堂?」
待て。おかしいだろう。あたしがさっきまで歩いてたのは日本の関東圏であって、そこら辺にはこんな大きい建物はなかった。それどころか、今時こんなローブ着た人も鎧着けてる人もいないし、ていうか日本人て基本黒髪だよ。お祖父さんお祖母さんは染めない限り白髪になっちゃうから別としてね!
それに、あの穴がここに繋がるってどんな状況だ。まさかうちの地下にこんな聖堂ある訳ないし、ていうかあたしが落ちて来たなら天井に穴の一つや二つ開いててもおかしくないでしょう。
目を白黒させるあたしを見て、周りの人々は何やらを話し込む。お祖父さんは眉間に皺を寄せ、例のイケ面は面白そうに微笑んでいる。
不意に視線を落とすと、あたしの足元には円の中に何だか模様が刻まれ、淡く光っていた。……これは、いわゆる魔方陣という奴かな。うん、ダンジョンの中でもセーブ出来る便利で憎いあいつだね!とりあえず、自分の足元がよく分からないもので光っているのって気持ち悪い気がする。なので、一歩踏み出そうとすると。
「やめた方がいいよ?」
「え、」
いつの間に近付いていたのか、イケ面があたしの肩をとん、と押して魔方陣の中に押しとどめた。近くに来るとよく分かるけど、背も高い。あたしより頭一個は上にある彼の瞳を見上げると、春の日射しのような笑顔を向けられた。
「そこから一歩出たら、言葉も通じなくなるから。……まぁ、それで困っている君を見るのも楽しいかもしれないけれど?」
後半は、わざとなのかどうなのか、ちゃんと聞こえなかった。それでも、くすくす笑うその顔は、ひどく美麗だ。なのにその目は、獲物を前にした肉食獣のように鋭い。びくりと身を竦めると、ますます楽しそうに笑われた。むっ。人が怯えてるのを見てそんな反応ってどういう教育受けてるのか!
瞳に力を込め、今度こそ頑張って睨んでみる。すると彼は、少しだけ目を見開くと、すぐにゆるりと微笑んで。
「――ああ、今度のは良い玩具になりそうだな」
……何か危険な台詞出ました。どうしよう、その笑顔怪しいですエロいですフェロモン大放出です。ていうかもう、今の台詞は聞かなかったことにしてスルーしていいんでしょうか、ていうかスルーした方がいいんですよねはい。
とりあえず自分を納得させよう、クールダウンしようと努力するあたしに、一歩踏み出したイケ面が、跪いてあたしの手を取り。
「ようこそ、我が国セルディアへ。君がこの世界へ来たことを、心から歓迎しよう」
手の甲に一つ、ちゅう、という可愛らしい音と共に、口付けが落とされ。
あたしを見つめながら、微笑む変なイケ面。その後ろにいたお祖父さんたちは慌てて同じように跪いて礼を取り、何だかまるであたしが偉い人みたい。
……セルディアって何。どこの国?
ていうか今イケ面、『世界』って言わなかった?
あたしの頭に走馬灯のように走るのは、二つ下の妹の記憶。奴は携帯小説にはまり、インターネットの通信料をものすごく掛けたせいで、お母さんにこっぴどく叱られていた。それでも懲りずに夜中にこそこそ読んでいたんだけど、時々嬉しそうに感想をあたしに話してきたものだ。
そしてその中に、『普通に生きていた主人公がある日突然、どっか知らない世界に飛ばされて無茶ぶりさせられる』なーんてストーリーのものが、あった気がする。
ごくり、唾を呑みこんで。ふ、とすぐ横の壁に手を当ててみる。冷たく、ざらざらした感触。素早く手を滑らせてみれば、痛みが走る。夢じゃない。てことは、これ、もしかして。
「異世界とりっぷぅぅぅぅぅ!?」
――葛木美和子十七歳、平凡な現役女子高生。
まさかの異世界ライフの始まり、始まり?
初投稿です。分かりにくい文章などあるかと思いますが、よろしくお願いします。