華街の占者(9)
―――いらいらする。
訓練場は将軍が姿を現したことで、一転、ピリピリとした空気に包まれた。
稽古と言いながらも、圧倒的な強さで次々と隊員を瞬殺し、最後の一人が力尽きると訓練場は死屍累々の山と化していた。瀬は周りを一瞥するが、隊員たちは起き上がる事さえできない始末。
内心、舌打ちをした。
苛立ちは紛れていない。稽古と銘打った八つ当たりは、苛立ちを払拭するには不十分で。
しかし、その八つ当たり先の隊員たちは力尽き、この苛立ちをぶつけることはできなかった。
―――不甲斐ない。
それは隊員たちに向けられた言葉か、それとも自分自身への言葉なのか。はたまた、両方か。
瀬自身にも、その答えは分からなかった。
どちらにせよ、隊員たちの鍛錬が足りていないことは事実。
「―――休憩後、また稽古をつけてやる。―――逃げるなよ」
瀬はそう言い残し、訓練場を後にした。
その言葉に訓練場の空気はさらに重たくなった。
―――――
「瀬さま?」
王の執務室に向かう途中。
この最近、姿を見ることのなかった人に逢った。彼女は、ワゴンを押しながら近づいてきた。
「こんにちは」
数日ぶりの椎の笑みは破壊力抜群だった。
―――数日間、この笑みが野放しになっていたわけか…
若干、黒いオーラが漂いつつも、椎には悟られないように笑みで誤魔化す。
「ああ。お茶会の準備?」
ワゴンにはティーポットにティーカップのセット、お菓子が用意されていた。
「はい。中庭で行うのでその準備を。瀬さまはお仕事の途中ですか?」
「いや…今は休憩中」
本当は露に八つ当たりでもしようと思い、執務室に向かっていたのだが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「途中まで、ご一緒してもよろしいですか?」
椎に極上の笑みを向け、了承の言葉を求める。
その笑みに椎は頬を染め、
「はい」
了承の言葉を返した。
瀬は椎の様子に満足し、椎の横に並んで歩き出した。中庭に着くまで他愛無い話を交わした。この数日の不機嫌さは消え、すれ違う人々が余りの違いに目を疑うほどであったという。
「それでは、ここで失礼します」
中庭の前に着き、椎はお辞儀をし、瀬から離れようとした。
「椎?遅かったわね」
「―――杏さま!?」
椎が振り向いた先には美貌の王女、杏が立っていた。
「心配になって、迎えに来ちゃったわ」
杏はにっこり笑いながら椎に言った。
椎の手を取り、
「さあ、行きましょう」
中庭へと足を向ける。
ちなみに、瀬を完全に無視している。そのことに瀬の周りの空気はどんどん冷えていく。
「あ、ちょっと待ってください」
椎は杏を止め、瀬へと向き合った。
「どうした?」
冷えた空気を一瞬で霧散し、瀬は椎へ問う。
もちろん、瀬も杏の存在を無視して。
椎はワゴンから包みを手に取り、瀬へと渡した。
「これ、後で渡そうと思っていたんですけど…」
渡された包みはお菓子のようだった。
「私の手作りなので、口に合うかわからないんですけど…よかったら召し上がってください」
椎ははにかみながら、そんなことを言う。
―――連れ去りたい…
そんなことを思いながらも、表面には出さず、
「ありがとう。」
椎に蕩けるような笑みを向けて、礼を言う。
一転、杏には冷めた笑みを浮かべ、
「では、失礼します…杏王女」
言葉を返した。態度は王女に対するものではない。分かっていながら、その態度を改めるつもりもなかった。
「…ええ」
杏も瀬にようやく目を向けた。その目はどこか冷たく、険しい。
椎は二人の間に流れる不穏な空気に気付き、
「どうかしましたか?」
恐る恐る二人に声をかけた。
「「別に?」」
二人の言葉が被った。
そのことに二人は睨み合う。
「でも…」
椎が困惑したように二人を仰ぎ見た。
「別になんでもない。そろそろ、休憩も終わりか。…たまには顔を見せにきて?」
椎の頬に触れながら、最後は椎だけに聞こえるように耳元で囁いた。
椎は真っ赤に頬を染め、瀬を凝視した。
その様子に満足して、瀬は中庭を後にした。
向かった先は訓練場。
椎に会えた事でだいぶ、気分は向上したが、天敵にも遭遇してしまった。
その苛立ちを隊員たちへの稽古で晴らそうと思った。
そして、ふたたび訓練場は地獄絵図と化したわけです。