表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/36

六話 甘い嘘

 放課後の喧騒が、少しずつ校門の向こうへと吸い込まれていく時間。

 俺が貸したノートを満足げにパタンと閉じ、丁寧に俺の机へ返した。


「完璧。おかげで命拾いしたよ、ありがとう。お礼に何かご馳走させて」


 リョウは荷物を肩にかけると、当然のように俺の顔を覗き込む。

 ご馳走する。その言葉を聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは「あーん」をした卵焼きの記憶だ。喉元がまた熱くなる。


「別にいいよ……。ノート貸したくらいで、そんな」

「俺がよくないの。それにさ……」


 リョウは言葉を切り、少しだけ声を低くした。それは内緒話をするような、あるいは自分たちだけの境界線を引くような、特別な響きだった。


「昨日はユイトが誘ってくれたからさ、今度は俺が誘おうと思って。デートってやつ?」


 心臓が、何度目か分からない「職務放棄」を起こした。

 昨日の俺は、ただ怖くて、縋るように袖を掴んだだけだ。それをあいつは、あんなに甘い「お誘い」として解釈していたのか。


「……デートじゃない」

「俺にとってはデートだよ。俺と二人で出かけるのは嫌?」


 リョウが首を少し傾げ、不安そうに眉を下げる。あんなに堂々としていたくせに、こういう時だけ捨てられた仔犬のような顔をするのは、あまりに卑怯だ。

 そんな顔をされて断れるほど、俺は強くない。


「……嫌じゃないけど。……別に」


 消え入りそうな声で答えると、リョウは待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。


「よし、決まり! 行こう、ユイト」


 差し出された手に触れる勇気はまだなくて、俺は逃げるように先に歩き出した。

 背中に、リョウの弾むような足音が重なる。

 春の西日が、俺たちの長い影を一つに重ねるように、アスファルトの上へ長く伸びていた。


 校門を出て数分、リョウが「あ、あそこ!」と指差した先には、パステルカラーのキッチンカーが停まっていた。

 甘い、焼きたての生地の匂いが春の空気に混じって漂ってくる。


「クレープ、嫌いじゃないよね?」

「……嫌いじゃないけど、自分じゃあんまり買わない」


 女子生徒の列に並ぶのは、今の俺にはまだハードルが高すぎる。リョウがいなければ、一生素通りしていただろう場所だ。

 メニュー表を覗き込むと、色とりどりの果物やクリームの写真が並んでいる。迷っている俺を余所に、リョウは慣れた様子で注文口へ向かった。


「すいませーん、チョコバナナ一つと、イチゴを一つ」

「……っ、ちょっと、勝手に決めるなよ」

「え、イチゴ嫌いだった?」

「そうじゃないけど……」


 イチゴは好きだ。でも、その贅沢さを選ぶ自分の姿を、リョウに見透かされているのが恥ずかしい。

 リョウは財布を取り出すと、俺が口を挟む間もなく支払いを済ませてしまった。


「はい、ユイトの分」


 手渡されたクレープは、ずっしりと重くて温かい。

溢れんばかりの真っ白なクリームの中に、鮮やかな赤色が顔を覗かせている。対するリョウの手元には、たっぷりのチョコソースがかかった輪切りのバナナ。


「……ありがと。次は俺が払うから」

「いいよいいよ。俺が誘ったんだし。ほら、冷めないうちに食べよ。あそこのベンチ空いてる」


 リョウに促されるまま、俺たちは公園の隅にある木製のベンチに腰を下ろした。

 包み紙を慎重に剥がし、端の方から一口。

 暴力的なまでの甘さと、イチゴの微かな酸味が口いっぱいに広がる。


「美味しい?」

「……うん。美味しい」


 ぶっきらぼうに答えると、リョウは自分のチョコバナナを豪快に頬張りながら、「よかった」と心底嬉しそうに目を細めた。

 その指先、チョコソースが少しだけ付いてしまったガーゼの端を見つめながら、俺は冷たいイチゴを咀嚼し続けた。

 幸せなはずの甘さの奥に、昨夜の「鉄の臭い」がまだこびり付いているような気がして、俺は無意識にクレープを握りしめる手に力を込めた。


 甘い香りに包まれた沈黙を破ったのは、リョウの小さな笑い声だった。


「ユイト、口の端」

「……え?」


 慌てて舌先でなぞろうとしたが、それよりもリョウの指が動く方が早かった。

 温かな、けれどどこか硬い質感のある指先が、俺の唇の端にそっと触れる。

 

「あ……」


 心臓が不規則なビートを刻む。リョウの長い指が、はみ出していた白いクリームを丁寧に掬い取った。至近距離で見つめられた茶褐色の瞳に、動揺して泳ぐ俺の姿が映り込む。


「クリーム、ついてるよ。……よくばって食べるから」


 リョウはそのまま、自分の指についたクリームを事もなげに口に含んだ。

 そのあまりに無防備で、親密すぎる所作に、俺は手元のクレープを落としそうになるほど硬直した。


「な……っ、な、なに、して……」

「え? ついてたから取っただけだよ」


 リョウは平然とした顔で笑っている。

 けれど、その笑顔のまま、彼はふと視線を落とした。

 掬い取った指——その手の甲には、先ほど見たばかりの、あの痛々しいガーゼが貼られている。

 

 夕暮れの風が吹き抜け、甘い匂いをどこか遠くへ運んでいった。

 リョウの表情から、徐々に熱が引いていく。

 代わりに宿ったのは、どこか覚悟を決めたような、静かで透明な光だった。


「この傷、転んだって言ったじゃん」


 クレープを頬張る傍ら、ガーゼにばかり注目していたのがバレた気がして、俺は慌てて目を逸らした。

 図星を突かれた気まずさに、イチゴの酸味が舌の上で鋭く弾ける。


「ごめん、嘘ついた」


 リョウの声が、不自然なほど静かに響いた。

 顔を上げると、彼は自分の手をじっと見つめている。夕陽に照らされたガーゼが、白く浮き上がるように見えた。


「俺さ……『ヒーロー』なんだよね」

拙作「今日が最期になるとして〜世界を救うヒーローは、世界の終わりに俺を選べますか〜」を手に取っていただき、誠にありがとうございます。

完結まで毎朝8時に投稿していきます。

少しでも気に入っていただけた方、続きが気になった方は、ブックマーク、評価、感想などをいただけると、大変励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ