三十一話 覚醒
薄れゆく意識の底。暗闇に沈む俺の脳裏に、古いフィルムのような映像が、焼けるような痛みとともに逆流してきた。
――それは、赤色に染まったあの日。
瓦礫の山の中で、冷たくなった両親の手。その掌から、呪いのように俺の体へ流れ込んできた「力」の奔流。
『リョウ、世界を守って。……ヒーローに、なるのよ』
最期の言葉は、鎖だった。
あの日から俺は、自分の名前を捨てた。リョウという少年は死に、人類の盾という機能だけが生き残った。
一人きりで、数え切れない夜を戦い抜いてきた。
誰もいない広い家。冷たい廊下。
感謝の言葉も、賞賛の声も、俺の孤独を埋めることはなかった。俺にとって世界とは、守るべき義務であり、同時に俺から自由を奪い去った檻だった。
「……が、はっ……」
現実の衝撃が、肺の中の空気を叩き出す。
怪異の爪が、俺の胸を深く抉っていた。
視界は血に染まり、力は霧散していく。
ああ、これでようやく、あの重い鎖から解放される。ヒーローとしての役目が終わる。
けれど。
その瞬間に脳裏をよぎったのは、世界の平和でも、両親の遺言でもなかった。
あの白い指先。
あの何よりも愛おしい声。
――俺が死んだら。
――あの子の生きる世界まで、消えてしまう。
そんなの、耐えられない。
義務も、宿命も、英雄の誇りも、全部くれてやる。
俺が守りたいのは、そんな大きなものじゃない。
「……笑わせるな」
止まっていた心臓が、怒濤の勢いで跳ねた。
「俺から……ユイトを、奪わせない……っ!」
それは、ヒーローの祈りではない。ただの男の、醜くも美しい執着だった。
全身の細胞が、命を燃料にして爆ぜる。
失われたはずの力が、純白の閃光となって俺の右腕に収束していく。
「ユイトの生きる未来に……お前は、いらない!」
俺は、己の全存在を懸けて突き進んだ。
怪異の咆哮が、俺の叫びに掻き消される。
人類を救うためじゃない。
明日、あの子が目覚めた時に、カーテンの隙間から差し込む朝日が、今日と同じようにシルクのように揺れているように。
あいつが、もう一度誰かを愛せるような、そんな当たり前の世界を遺すために。
白光が世界を塗り潰す。
怪異の核を貫くと同時に、俺の体もまた、耐えきれぬ負荷に崩壊を始めた。
相打ちでいい。
この命、一秒だって余らせるつもりはない。
全部、全部、ユイトの明日のために使い切ってやる。
結界が内側から弾け飛び、俺の意識は、眩しすぎる光の中に溶けていった。
最後に感じたのは、不思議なほどの静寂。
そして、遠い日の記憶にある、ユイトの温かな手の感触だけだった。




