二十八話 デート
日曜日の朝、枕元で震えたスマホの振動が、俺の意識を跳ね飛ばした。
薄い眼を開けて画面を覗き込む。通知欄に踊る『リョウ』の三文字。
『おはよ。今日、もし空いてたらデートしない? 前に行ったあの公園、クレープの新作が出たみたいなんだよね』
たった数行の文字列。それだけなのに、心臓が朝の静寂を打ち消すほど強く脈打った。
「……デート、か」
口に出すと、喉の奥がむず痒い。俺は返信を打つ指を少しだけ震わせながら、『いいよ。何時?』とだけ送った。
リビングに降りると、キッチンからトーストの焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
「おはよう、ユイト。今日は早いのね」
母さんがエプロン姿で振り返る。
「……うん。ちょっと、友達と約束したから」
「あら、そう。なんだか最近、ユイト楽しそうね。学校、いい感じなの?」
ジャムを塗る母さんの手元を見つめながら、俺はコップに牛乳を注いだ。
「……そうかな。まぁ、楽しいよ。普通に」
「普通の割には、顔が緩んでるわよ? 良いお友達ができたのね」
母さんの悪戯っぽい微笑みに、俺は返事に詰まって牛乳を飲み干した。
「友達」なんて言葉じゃ、もう足りない。
俺の世界を塗り替えて、光を連れてきてくれたリョウ。彼と過ごす時間が、俺の「普通」をどれほど色鮮やかなものにしてくれたか。
「……ご馳走様。着替えてくる」
「はいはい。おめかししないとね」
「……っ、もういい」
背後でクスクス笑う母さんの声を振り切り、俺は自室へ駆け込んだ。
それからの時間は、戦いだった。
クローゼットを開け、手持ちの服を片っ端から広げる。
リョウはいつもお洒落だ。制服も着崩し方がサマになっているし、私服だってモデルみたいに何でも着こなす。
それに引き換え、俺は……。
「……可愛い、とか……思ってくれるかな」
鏡の前で、アイボリーのニットを合わせる。リョウが以前「ユイトは淡い色が似合うね」と言ってくれたのを思い出したからだ。
髪を少し整えて、何度も角度を変えて自分を見る。
最強のヒーローを隣に歩かせるにしては、あまりにも平凡な自分。
けれど、あいつが選んでくれたのは、この平凡な俺なのだ。
今日くらいは、あいつの瞳に映る自分が、少しでも「特別」であってほしかった。
約束の公園、あのベンチ。
リョウは既にそこにいて、秋の淡い光を浴びながらスマホを眺めていた。
「ユイト! こっちこっち」
俺を見つけた瞬間、リョウの顔がパッと華やぐ。その笑顔を見るだけで、服を選んでいた一時間の苦労がすべて報われた気がした。
「お待たせ。……その、変じゃないかな?」
「何が? ……ああ、そのニット。やっぱり似合ってる。すごく、可愛いよ」
さらりと、一番欲しかった言葉を投げかけられる。俺は顔が熱くなるのを隠すように、足早にクレープ屋のワゴンへ向かった。
買ったのは、あの時と同じクレープ。
一口食べると、甘いクリームと酸っぱいイチゴの味が広がった。
「美味しい?」
「……うん。前より、美味しい気がする」
「よかった。俺も、ユイトと食べるのが一番美味しい」
リョウは隣で、幸せそうに頬を緩めている。
あの日、初めて告白された時と同じ場所。同じ味。
風は少し冷たいけれど、隣り合う肩から伝わる熱が心地いい。
リョウの未来がどうとか、ヒーローがどうとか。今は、そんな重い鎖をすべて忘れて、ただこの甘い一分一秒に浸っていたい。
「ねえ、ユイト。……次はさ」
リョウが何かを言いかけて、言葉を切った。
「……何?」
「ううん、なんでもない。……ずっと、こうしていられたらいいなって思っただけ」
リョウの瞳が、秋の空を映して一瞬だけ悲しげに揺れた。
俺は何も気づかないふりをして、クレープの端っこを齧った。
幸せすぎて、怖くなる。
空はどこまでも高く、俺たちの笑い声は、平和な日曜日の午後に静かに溶けていった。




