二十五話 たしかなもの
賑やかな部屋に戻る勇気がなくて、俺はドリンクバーの隅にある窓際に身を寄せていた。
外はすっかり夜だ。駅前のネオンがアスファルトに溶けて滲んでいる。
「ユイト君、だよね?」
不意に横から声をかけられ、肩が跳ねた。
そこに立っていたのは、同じクラスの女子――確か、いつも数人のグループの中にいる、大人しそうな子だった。
「え、あ……うん……」
「私、ヒナタ。一応同じクラスなんだけど……急に声かけてごめんね」
ヒナタと名乗った彼女は、少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。俺は咄嗟に言葉が出てこなくて、曖昧に頷くことしかできない。
「ユイト君って、東中だよね?」
「え、うん……そうだけど」
「やっぱり。実は私もなの。三年間、ずっと同じクラスだったんだよ?」
「……え」
俺は絶句した。中学の三年間、ずっと。
「ごめん……全然、知らなかった」
自分の不器用さと、周囲への無関心さが突き刺さる。けれど、ヒナタさんは怒る風でもなく、窓の外を眺めながら小さく笑った。
「いいの。ユイト君、いつも隅っこで本読んでたもんね。……ユイト君は、こういうところ、苦手?」
「……あんまり、好きじゃない……かも」
「ふふ、私も。でも、友達が一緒に行こうって言うから。断るのも悪いかなって思っちゃって」
少しだけ、強張っていた肩の力が抜けるのを感じた。
「ユイト君って、リョウ君とすごく仲良いよね」
唐突に投げかけられたその名前に、心臓がトクンと跳ねる。
「仲良いっていうか、まぁ……そうかな……」
「ふふっ、ニヤけてるよ」
「え……」
慌てて口元を押さえたが、もう遅かった。
鏡を見なくてもわかる。リョウの名前を出されただけで、俺の顔はきっと締まりのないことになっているのだろう。
「敵わないなぁ、リョウ君には」
「え……?」
「だって、中学の頃のユイト君って、誰とも喋らないし、氷の壁があるみたいだったもん。そんなユイト君を、あんなに楽しそうに笑わせちゃうんだから。……すごいよね、リョウ君」
ヒナタさんの言葉が、胸の奥に灯火を灯す。
俺を変えたのは、リョウだ。
あいつが強引に隣に座り、強引に俺の殻を叩き割り、強引に愛を注いだから。
「自分は重荷なんじゃないか」なんて、さっきまでの不安が馬鹿らしく思えてくる。リョウが俺を選んでくれたという事実は、誰にも、何にも、侵されることはない。
「あ、彼氏さん来たみたい。私、行くね」
ヒナタさんが視線を向けた先――廊下の向こうから、肩を上下させて走ってくるリョウの姿が見えた。
ヒナタさんは小さく手を振って、入れ替わるように去っていく。
「ユイト! ここにいたんだ。……急にいなくなるから、心配したよ」
リョウは俺の前に辿り着くと、膝に手をついて荒い息を吐いた。
さっき女子に囲まれていた時の「完璧な仮面」はもうどこにもない。必死に俺を探していた、情けないほど必死な、俺だけの恋人の顔だ。
「……探し回ったのか?」
「当たり前でしょ。ユイトがいないカラオケなんて、俺にとってはただの騒音地獄だよ」
リョウは俺の顔を覗き込み、ふと動きを止めた。
「あれ? ユイト、なんか顔赤くない? 熱でもある?」
そう言って、リョウが額に手を伸ばそうとする。
「……別に。なんでもない」
俺は少しだけ顔を背けた。けれど、頬の緩みはどうしても抑えられない。
「本当? 何かいいことあった?」
「……教えてやらない」
俺は先を歩き出した。
後ろから「えー、気になるよ!」と追いかけてくるリョウの足音。
俺たちの未来がどうなるかなんて、やっぱり分からない。
けれど、誰が相手でも、たとえ世界が相手でも、リョウの隣を譲るつもりはない。
俺はリョウの手を、今度は自分からしっかりと握りしめた。




