二十一話 メイド
文化祭当日。俺たちのクラスの模擬店は、予想以上の大盛況だった。
ポテトを揚げ続け、声を張り上げて呼び込みをし、ようやく手に入れた自由時間。俺とリョウは、油の匂いが染み付いたエプロンを脱ぎ捨て、戦場のような中庭を後にした。
「ふぅ……。ユイト、お疲れ様。ポテト配るの手際良すぎてびっくりしたよ」
「……必死だっただけ。リョウこそ、女子の集団に囲まれて大変そうだったろ」
「あはは、あれはユイトが助けてくれなきゃ逃げられなかったかも」
リョウは首筋の汗を拭い、屈託なく笑う。その細い首筋に、戦いの痕跡は見えない。今はただ、祭りの熱気に浮かされた一人の少年だ。
「それで、どこ行く? お化け屋敷? それともライブステージ?」
「……どこでもいいけど、あんまり騒がしくないところがいい」
「了解。じゃあ、ちょうどいい場所があるよ。二組がやってるやつ。……ほら、あそこ」
リョウが指差した先には、ピンクのフリルとレースで過剰にデコレーションされた教室の入り口があった。看板には踊るようなフォントで『喫茶・ぴゅあぷりんせす』と書かれている。
「……え、待って。あそこって」
「メイド喫茶。こういうのも経験しといた方がいいよ。社会勉強、社会勉強!」
嫌な予感がした。だが、リョウに背中を押されるまま、俺はあえなくその異界へと足を踏み入れてしまった。
「お帰りなさいませ、ご主人様! ぴゅあぷりんせすへようこそっ!」
鼓膜を突き抜けるような高音。
入り口で待ち構えていたのは、フリフリの衣装に身を包み、語尾にハートマークが見えるような笑顔を浮かべたクラスメイトの女子たちだった。
俺は思わず一歩後ずさる。圧倒的なまでの陽のオーラ。これまで「ぼっち」を決め込んできた俺にとって、この空間は酸素が薄い。
「ご主人様、こちらのお席へどうぞにゃん!」
「にゃ、にゃん……?」
案内された席に座る。向かい側のリョウは、慣れた様子でメニューを眺めている。いや、慣れているというより、この状況を楽しんでいる。
「ユイト、何にする? 『愛情たっぷりオムライス』か、『魔法のいちごパフェ』か」
「……普通のアイスティーでいい」
「だめだよ。ここではコンセプトに従わないと。すみませーん、オムライス二つで!」
リョウの非情なオーダーにより、運命は決まった。
数分後、目の前に置かれたのは、ケチャップで歪なハートが描かれたオムライス。そして、メイド姿の女子が俺たちの前に立ち、手をハートの形に組んだ。
「それでは、美味しくなる魔法をかけちゃいますね! ご主人様も一緒にやってください! せーのっ」
地獄か。ここが地獄か。
俺は助けを求めてリョウを見た。しかし、あいつは楽しそうに俺を指差して、「ほら、ユイト、頑張って!」と無声で応援している。
「おいしくなーれ! もえもえ……」
メイドの女子が、期待に満ちた目で俺を見つめる。隣のテーブルの客たちも、にやにやしながらこちらを見ている。逃げ場はない。
「……も、もえ……」
蚊の鳴くような声。
「聞こえませーん! もっと心を込めて! せーのっ!」
「……も、もえ……きゅん……」
消え入りそうな声で、俺は人生最大の屈辱――もとい、魔法を口にした。
指先で小さなハートを作りながら。顔面は間違いなく、オムライスのケチャップよりも赤くなっていただろう。
「はい! 完璧です! ごゆっくりどうぞ!」
メイドが去った後、俺は机に突っ伏した。死にたい。今すぐこの場から蒸発したい。
すると、正面から「くふっ」という堪えきれない笑い声が聞こえてきた。
「……リョウ、笑いすぎ」
「ごめん、ごめん……。でも、ユイトが……あんなに真っ赤になって『もえもえきゅん』なんて言うから。……可愛すぎて、どうしようかと思った」
顔を上げると、リョウが頬杖をついて、心底愛おしそうに俺を見つめていた。
その瞳には、先ほどまでの悪戯心とは違う、熱を帯びた優しさが混じっている。
「……可愛くない」
「ううん、最高に可愛かったよ。世界を救うヒーローでも、あの可愛さには勝てないな」
さらりと、リョウが「ヒーロー」としての自分を自虐的に混ぜる。
「……変なこと言うな。早く食え。冷めるぞ」
俺は照れ隠しに、スプーンでハートのケチャップをぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
一口食べたオムライスは、魔法のせいか、それともリョウの笑顔のせいか、驚くほど甘かった。
「ねえ、ユイト。次はあっちのお化け屋敷、行かない?」
「……行かない」
「えー、俺が守ってあげるからさ」
リョウが手を伸ばし、俺の指先に少しだけ触れた。
メイド喫茶の狂騒の中、その僅かな接触だけが、熱を持って俺の肌に刻まれる。
「……仕方ねぇな」
「やったね」
リョウが楽しげに笑い、俺たちは甘すぎるオムライスを完食した。
祭りの喧騒はまだ続く。
けれど、このフリフリのレースに囲まれた騒がしい教室の中で、俺は孤独を完全に忘れていた。




