二十話 文化祭準備
お泊まり会から数日。
学校の空気は、にわかに浮足立っていた。廊下を歩けば、どこかのクラスが持ち込んだベニヤ板の匂いや、ペンキの甘ったるい香りが鼻をくすぐる。
ホームルームの時間。黒板には大きく『文化祭出し物決定!』の文字が躍っていた。
意見が割れて紛糾するかと思いきや、クラスの陽気な連中が「手軽に儲けて、自分たちも遊びたい」という至極真っ当な欲望をぶち上げた結果、俺たちのクラスは『揚げ物メインの模擬店』にすんなりと決まった。
「ユイト、俺、試食担当がいいな。ユイトもどう? 唐揚げとかポテトとか、一緒に食べ放題」
隣の席で、リョウが筆箱を指で弄びながら笑いかけてくる。
その声は明るい。けれど、俺の視線はどうしても彼の制服の袖口に向かってしまう。
あの日、俺の肩で震えていた細い体。自分ですり込んだ消毒液の匂い。
今、目の前で笑っているリョウの腕には、制服の下に厳重なテーピングが隠されていることを、この教室で俺だけが知っている。
「……そんな担当ないから。リョウは呼び込みとかの方が向いてるよ」
「えー、あんなの喉枯れるし大変だよ。まぁ、ユイトが隣にいてくれるなら頑張るけど」
冗談めかして言われ、俺は誤魔化すように手元の参考書をめくった。
放課後になると、机を教室の端に寄せ、本格的な準備が始まる。
俺は看板の文字を書く係になった。床に新聞紙を広げ、マジックを握る。
ふと横を見ると、リョウが重い什器を運ぼうとして、一瞬だけ、苦しげに眉を寄せたのを俺は見逃さなかった。
「リョウ……傷、痛むのか?」
周囲に聞こえないよう、小さな声で尋ねる。
リョウは一瞬だけ止まり、すぐにいつもの、完璧な「ヒーローの笑顔」を貼り付けた。
「全然大丈夫だよ」
「……無理しなくていい。俺がそっち代わるから、リョウはこっちの作業してろよ」
リョウは一瞬だけ、黙った。
向けられた瞳に、拒絶ではなく、どこか戸惑いのような色が混ざる。
「……ありがと。じゃあ、ユイトの優しさに甘えちゃおうかな」
床に腰を下ろしたリョウは、俺の隣で看板に色を塗り始める。
色とりどりのポスターカラー。飛び交うクラスメイトの笑い声。
「来年も、こういうの、一緒にやれたらいいね」
リョウが何気なく口にした、その言葉。
俺は「そうだね」と返そうとして、喉の奥に熱い塊が詰まったような感覚に陥った。
ヒーローとしてのリョウに「来年」を保証できるのか。
賑やかな教室の中で、どろりとした影のように俺の足元に伸びていた。
俺が返事をできずにいると、リョウは少しだけ寂しそうに微笑んで、また筆を動かした。
文化祭。
それは、終わりゆく季節に俺たちが刻む、刹那の祭壇だった。




