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十八話 一緒に

 煙が薄く漂うキッチンで、俺は立ち尽くしていた。

 無惨に焦げ付いたフライパンの底。それは、俺の「リョウの役に立ちたい」という傲慢な願いが、無残に焼き切れた姿そのものだった。

 

 戦うことさえできない俺が、せめて日常くらいはと背伸びをした結果がこれだ。

 結局、俺はあいつの聖域を汚し、朝の平穏を台無しにしただけじゃないか。

 情けなくて、視界がじわりと滲む。俺は逃げるようにキッチンを抜け出し、リビングの隅、壁とソファの狭い隙間に膝を抱えてうずくまった。

 

「焦げくさっ……ん? ユイト?」

 

 寝ぼけ眼をこすりながら、廊下からリョウがやってくる気配がした。

 キッチンの方へ向かい、止まる足音。すべてを見られたのだと悟り、俺はさらに顔を深く埋めた。

 

「……ごめん。リョウ」

 

 絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。

 

「ど、どうしたの? 何があったの?」

 

 リョウが慌てて駆け寄ってくる。

 怒鳴られる方がまだマシだった。呆れられても仕行かないのに、リョウの声にはただ困惑と心配だけが混ざっている。

「俺はダメなやつだ……」

「ユイト……」

「リョウは、いつも傷だらけで……一人で戦って……。それなのに、俺は……」

 

 情けない言葉が溢れて止まらない。

 すると、大きな、温かい手が俺の頭にそっと置かれた。

 

「ユイト、こっち向いて」

 

 促されて恐る恐る顔を上げると、そこには怒りなど微塵もない、いつもの優しいリョウの瞳があった。

 リョウは俺の両肩を掴むと、隅々まで確かめるように視線を走らせる。

 

「……火傷、してない? 油跳ねなかった?」

「え……? ああ、俺は、大丈夫だけど……」

「よかった……。フライパンなんて、いくらでも買い替えがきく。でも、ユイトに怪我があったら、俺、自分を許せなくなるところだったよ」

 

 リョウはホッとしたように息を吐き、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。

 

「失敗なんて、誰だってするよ。俺だって最初は、真っ黒な炭みたいなチャーハン作ったことあるし」

「嘘だ……」

「本当だって。ねえ、ユイト。一人で頑張らなくていいんだよ」

 

 リョウが俺の手に、自分の手を重ねる。

 ヒーローの大きな手が、震える俺の手を優しく包み込んだ。

 

「一緒に作ろ。二人でやれば、今度は美味しい朝ごはんになるから。……いい?」


 

 リョウが差し出してきたのは、彼がいつも使っている紺色のエプロンだった。

 

「ほら、これ着けて」

「……俺、また汚すかもしれない」

「大丈夫。俺がついてるから」

 

 リョウは俺をくるりと後ろにむかせると、手際よくエプロンの紐を背中に回した。

 すとん、とリョウの胸板が俺の背中に触れる。回された腕に包み込まれるような形になり、首筋にリョウの穏やかな吐息がかかった。

 

 キュッと、腰元で紐が結ばれる。

 

「よし、似合ってる。……じゃあ、ユイトには重要な任務を任せようかな」

「……重要な任務?」

 

 身構える俺の手に、リョウは水に濡れたばかりの瑞々しいレタスを握らせた。

 

「このレタスを、食べやすい大きさに千切って。包丁は危ないから、ユイトは手で優しくね」

 

 それは、子供でもできるような簡単な作業だった。

 リョウは隣で鼻歌を歌いながら、手際よく新しい卵を割り、ウィンナーを焼いていく。俺は教わった通り、指先に集中してレタスを千切った。

 パキッ、と弾けるような音。瑞々しい香りが立ち上がる。

 

「……こんなことで、いいの?」

「それがいいんだよ。ユイトが千切ってくれたレタスがあるだけで、彩りが全然違うでしょ」

 

 リョウは時折、俺の作業を覗き込んでは「上手だね」「助かるよ」と声をかけてくる。そのたびに、胸の奥に溜まっていた泥のような無力感が、少しずつ澄んでいくような気がした。

 やがて食卓に並んだのは、湯気が立ち上るトーストと、今度は完璧に焼き上がった目玉焼き。そして、俺が千切ったレタスのサラダ。

 窓から差し込む朝日に照らされて、それはどんな豪華な料理よりも輝いて見えた。

 

「いただきます」

 

 二人で手を合わせ、リョウが真っ先にサラダを口にする。

「美味しい。世界一、いや宇宙一美味しいよ。ユイトと一緒に作ったからだね」

 

 大袈裟に目を輝かせるリョウに、俺は俯いてパンの端を千切った。

 

「……俺は、何もしてない。ただ、葉っぱを千切っただけ」

「そんなことないよ」

 

 リョウはフォークを置き、真っ直ぐに俺の目を見た。

 

「ユイトが隣にいて、一緒に台所に立ってくれた。それだけで、いつもの朝ごはんが何倍も温かくなったんだ。……ユイトが手伝ってくれて、本当に助かった」

 

 嘘じゃない。その瞳は、心底幸せそうに揺れている。

 

「……リョウ」

「ん?」

「……ごめん」

「あはは、全然大丈夫だって。ほら、俺が作った目玉焼きも食べて」


 俺たちは、冷めないうちに「宇宙一」の朝食を口に運んだ。

 口の中に広がる卵の甘みが、泣きたくなるほど優しかった。

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