十六話 就寝
リョウは俺を二階の奥にある自室へと案内した。
「ここ、俺の部屋。少し狭いけど、自由に使っていいからね」
扉を開けると、そこはリョウらしい、整理整頓の行き届いた部屋だった。ベッドと机、本棚。必要最低限のものだけが置かれた空間は、どこか孤独な匂いがする。
誰かを迎え入れるための部屋じゃない。
必要なものだけを揃えて、余計なものを削ぎ落とした、戦うための拠点みたいな部屋だ。
ここで、リョウは一人で眠ってきたのだと思うと、胸の奥がきゅっと縮んだ。
「リョウはどこで寝るんだよ」
「俺? リビングのソファで寝るよ」
リョウはそう言って、予備のブランケットを取り出した。そのまま「おやすみ、ユイト」と軽やかに手を振って立ち去ろうとする。
だが、その背中を見送ることがどうしてもできなかった。あんなに広い家で、またあいつを一人にするのか。
声をかける理由はいくらでも思いついた。
トイレの場所を聞くとか、俺がソファで寝るとか。
けれど、それは全部、あいつを引き止めるための言い訳でしかない。
「……一緒に寝るくらい、いいだろ」
俺は反射的に、リョウのパーカーの袖を掴んでいた。
俯いたまま呟くと、リョウが驚いたように足を止める。
沈黙が数秒。心臓の音が耳元まで届きそうなほど大きく響く。
「……いいの? 俺、寝相悪いかもしれないよ」
「別に、いい……」
この静かな家で、リョウと離れて眠るのは、今の俺には酷な気がした。リョウは少しだけ目を丸くした後、「そっか。じゃあ、一緒に寝よっか」と、嬉しさを隠しきれない様子でベッドに潜り込んだ。
照明を落とした室内。窓から差し込む月光が、カーテンの隙間を通ってシーツの上に青白い筋を描いている。
一つ屋根の下、一つのベッド。隣からはリョウの寝息になりかけた規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
「ユイトってさ。小さい時、どんな子だった?」
闇の中から、リョウの低い声が鼓膜を震わせた。
声が近い。
暗闇の中でも、リョウがこちらを向いているのが分かる。
肩と肩が触れそうで触れない、その微妙な距離が、やけに落ち着かなかった。
「うーん、今とあんまり変わらない、人見知りだったと思うけど」
「へえ、もっと尖ってたのかと思ってた」
「尖ってねーよ……。あ、めっちゃ仲良い友達が一人いたのは覚えてる」
リョウが「どんな子?」と、興味深げにこちらを向く気配がした。
「それが、あんまり覚えてないんだよな。顔も、名前も、いつの間にか霧がかかったみたいに思い出せなくて。気がついたら疎遠になってて、それきり」
「ふーん。……なんか、妬けちゃうな」
「なんだよそれ。昔の話だろ」
俺が苦笑すると、リョウは「だって、俺の知らないユイトを知ってるやつがいるってことでしょ?」と、子供じみた不満を口にした。その声があまりに素直で、俺は胸の奥がくすぐったくなる。
会話が途切れ、静寂が戻る。
ウトウトと意識が微睡みに沈みかけたその時、急に身体に重みが加わった。
リョウがゴロリと寝返りを打ち、俺の腰のあたりに腕を回して、まるで抱き枕にするかのようにしがみついてきたのだ。
「……おい、リョウ。寝相悪いってレベルじゃねーだろ」
小声で抗議するが、リョウは「ん……」と小さく唸るだけで、俺の胸元に顔を埋めてきた。
リョウの柔らかい髪が顎に当たり、さっきの石鹸の香りが再び鼻先を掠める。
気にしない。これはただ寝ぼけているだけだ。そう自分に言い聞かせるが、身体は正直に熱を帯びていく。
抱きしめられている。
その事実だけで、俺の思考は千々に乱れた。
リョウは今、どんな夢を見ているのだろう。
この先もずっと、こうして隣で眠れる未来の夢、だろうか。
リョウの体温が、ジャージ越しにじんわりと俺の輪郭を溶かしていく。
彼が抱え込んでいる孤独の、ほんの一部でもいいから、俺の体温で上書きできればいいのに。
逃げ道はいくらでもある。
腕を外すことも、体をずらすこともできる。
それなのに、俺はどれも選ばなかった。
選べなかったのか、選びたくなかったのか、自分でも分からない。
俺は結局、リョウを突き放すことができないまま、暗闇の中で激しく刻まれる自分の鼓動を聞いていた。
「……バカ」
誰にともなくそう呟き、俺はリョウの腕の中に、そっと自分の意識を委ねた。
目を閉じると、闇の中で、確かにリョウの鼓動が隣にあった。




