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十二話 家庭

 今日の晩御飯は、コロッケだった。

 中学の頃から、定期テストの後は判で押したようにこいつが食卓に顔を出す。


「ほら、ユイトの好きなコロッケよ。試験、お疲れ様」

 

 母親は満足げな笑みを浮かべて、大皿をテーブルの真ん中に置いた。きつね色の衣が目に刺さる。

 昔は確かに喜んだ記憶がある。けれど、それは「世界一」なんていう子供特有の語彙で全てを片付けていた頃の話だ。

 

「あんたが小さかった頃は、『ママのコロッケが世界一美味しい』なんて言ってたのよ。お父さんの分まで横取りしようとして、泣きべそかいちゃって……ねえ、覚えてる?」

 

 また始まった。

 ソースのボトルを手に取ったまま、俺は小さく溜息をついた。

 何度も擦り切れるほど聞かされた思い出話。彼女の中の俺は、いつまでもその「泣きべそをかいていた幼児」からアップデートされていない。

 

「……いつまでその話するんだよ」

「あら、恥ずかしがっちゃって。可愛いところがあったのよ、昔は」

 

 母親は俺の冷ややかな反応など気にする様子もなく、自分の皿にコロッケを移しながら楽しそうに肩を揺らしている。

 目の前の皿から立ち上る湯気が、なんだか酷く窮屈に感じられた。


 コロッケを箸で割く。きつね色の外骨格がザクッ、という快い音を立てて崩れ、その裂け目から凝縮されていた熱い湯気がまた一段と立ち昇る。

 

 断面を覗けば、黄金色のマッシュポテトの海の中に、細かく刻まれた橙色のニンジンが原石のようにひっそりと眠りについていた。その淡いコントラストは、この家で何百回と繰り返されてきた見慣れた光景だ。

 

 小さく息を吹きかけて冷まし、一欠片を口の中に放り込んだ。

 粗めのパン粉が口内で心地よい抵抗を見せた後、塩気のある種がホロリと崩れていく。ジャガイモの素朴な甘みと、控えめに混ぜられた挽き肉の旨味が、舌の上で優しく、けれど重たく広がった。

 喉を通るいつもの味の奥に、別の味が広がる。

 敗北の悔しさ、違う。友と競い合えた喜びとも、少し違う。


「週末、友達の家に泊まってくる」


 箸を動かしたまま独り言のように告げた時、この味の正体がわかった気がした。

 母さんの視線が、ほんの一拍だけこちらに来た。


「へえ。誰の家?」

「クラスの友達」

「……男の子?」

「うん」


 それ以上、特に説明はしなかった。

 母さんも深くは聞かず、味噌汁を一口すすってから言う。


「何かあったら連絡すること。あと、向こうのお家に迷惑かけないこと」

「わかった」

「──コロッケ、足りる?」

「大丈夫」


 そう答えながら、俺はもう一度箸を伸ばした。

 昔みたいに、おかわりをねだることはなかった。



 『お泊まり会』の日は、あっという間に訪れた。

 

 プシュー、という排気音を立ててバスの扉が閉まり、走り去るエンジンの音を背中で見送る。一人残された停留所の先には、気品と重厚感に満ちた閑静な住宅街が広がっていた。

 未知の世界へ踏み込むような緊張感を抱え、リョウから送られてきた地図を頼りに歩き出す。一泊分の着替えを詰め込んだだけのリュックは、なぜか赤子を背負っているかのような、ずっしりとした重量感を伴って俺の肩に食い込んでいた。


「いらっしゃい」

 

 呼び鈴を鳴らすと、数秒も経たないうちに重厚な扉が開いた。

 オーバーサイズのパーカーにチノパンというラフな姿のリョウは、学校の制服姿とはまた違った、どこかあどけない空気をまとっていた。

 

「おいで」

 

 手招きする彼に「お邪魔します」と短く返して、俺は一歩、その領域に足を踏み入れる。靴を脱ぎ、磨かれた床をソックス越しに踏み締めた途端、リョウの家にいるという実感が、しびれるような感覚となって足裏から全身へ駆け抜けた。


 玄関から一歩足を踏み入れると、そこは外観の印象を裏切らない、無機質で洗練された空間だった。

 吹き抜けの天井から柔らかな光が降り注ぎ、白を基調とした壁と、深い色味のウォルナットの床材が美しいコントラストを描いている。無駄な装飾を削ぎ落としたモダンな内装は、どこかモデルハウスのような静謐せいひつさを湛えていた。

 

「こっち。……まずは、紹介させて」

 

 リョウに促されるまま、リビングの奥にある一段高くなったスペースへ向かう。そこには、部屋のモダンな雰囲気に溶け込むように、シンプルで現代的なデザインの仏壇が置かれていた。

 リョウは慣れた手つきで線香に火を灯すと、静かに手を合わせ、目を閉じた。

 

「……父さん、母さん。友達を連れてきたよ。ユイトっていうんだ」

 

 その声は、学校で見せる明るいトーンは違う、祈りにも似た穏やかさを帯びていた。

 

「……あ、お邪魔してます。ユイトです」

 

 俺も慌ててリョウの隣に並び、ぎこちなく手を合わせた。

 リョウの言う「いつ死ぬかわからない」という言葉の意味が、目の前にある二つの遺影と、この静かすぎる家の空気感によって、鋭い棘となって胸に刺さる。

 リョウは目を開けると、少しだけ照れくさそうに俺を見て笑った。

 

「ありがと。……二人とも、きっと喜んでるよ。俺、ずっと一人だったからさ」

 

 そう言って立ち上がったリョウの背中は、広いリビングの中で、いつもより少しだけ小さく見えた。

 その背中を見つめながら、俺は初めて、ここに泊まるという意味を考えていた。

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