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君がくれた最後の一日

作者: ねこラシ

放課後の教室。机と椅子の間に沈む夕日は、僕らの時間が残り少ないことを静かに告げていた。


 その日、教室に残っていたのは僕と、橘雫だけだった。


 カツ、カツ……と、鉛筆を削る音が静けさの中に溶けていく。彼女は黒板に背を向けたまま、窓際の席でノートを開き、ゆっくりと何かを書きつけていた。


「……もうすぐ、終わるんだね」


 彼女がふと、窓の外に視線を落としながら言った。


 僕は教卓に腰かけたまま、夕日に染まる黒板を見つめていた。少し迷ってから、小さく返事をする。


「ああ、そうだな」


 卒業まで、あと三日。黒板に残された「三学期行事予定」の文字が、どこか遠い世界のことみたいだった。


 雫は、三年間同じクラスだった。中学も一緒だったけれど、話すようになったのは高校に入ってからだ。きっかけは図書委員。二年の春に一緒に任されてから、彼女とは毎日のように顔を合わせた。


 最初はただの委員仲間。それが、自然と一緒に帰るようになって、テスト前は勉強を教え合って、休みの日には映画やカフェに行くようになって──気づけば、僕の心は雫でいっぱいになっていた。


 でも、気づいたのは僕だけじゃなかった。


 ──あの夏、彼女は僕に告白してくれた。


「私、……好き。ずっと前から」


 放課後の図書室。夕日が差し込む中、彼女は勇気を振り絞って、言ってくれた。だけど──僕は何も言えなかった。


 驚きと、戸惑いと、何よりも、自分の気持ちに自信がなかった。


 こんな僕が、彼女の期待に応えられるのか?

 このまま、失いたくない。ただの委員仲間の関係が崩れてしまうのが、怖かった。


 だから僕は、黙ってしまった。

 それが、彼女への返事だった。


 その日から、彼女は僕に「何も求めなくなった」。


 優しくはしてくれる。だけど、前のように甘えてくることはなくなった。ふいに笑うことも、目を合わせてくることも、少しずつ減っていった。


 けれど、それでも彼女はそばにいてくれた。


 ただそれだけで、嬉しかった。


 本当は、あの時ちゃんと答えるべきだった。

 ずっと好きだったことを、言うべきだった。


 でも、もう遅いと思っていた。


 


 ──その日の夕方、帰り際の昇降口で、彼女がぽつりと呟いた。


「ねえ……卒業式の日さ、最後にどこか寄り道しない?」


「……どこか?」


「うん。昔行った公園でもいいし、図書館でもいい。駅前でも。……もう、君と出かけることも、ないと思うから」


 その時の彼女の目は、どこか泣きそうだった。


 けれど、何かを押し込めたように、笑っていた。


 僕はうなずいた。


「……わかった。じゃあ、卒業式のあと、昇降口で待ってる」


 彼女は、微笑んでくれた。


「うん。絶対に、来てね」


 


 ──そして卒業式当日。


 式が終わって、友達と写真を撮り終えて、僕は昇降口に向かった。


 人の波が引いていくなか、僕はひとり、雫を待っていた。


 一分、五分、十分……。スマホを何度も確認しても、通知はなかった。LINEにも既読はつかない。電話も繋がらない。


 まさか、何かあったのか──

 でも、どこにも雫の姿はなかった。


 時間が過ぎて、空は暗くなり始めていた。校門が閉まりかけた頃、僕はようやく立ち上がった。


 雫は、来なかった。


 


 ──数日後、彼女が引っ越したことを聞いた。


 転校ではない。卒業を待たずに、家族ごと県外へ越したのだと。詳しい理由は知らない。けれど、もう連絡を取れる術はなかった。


 彼女は、何も言わずにいなくなった。


 僕は、あの時なぜ「好き」と言えなかったのか、何度も何度も、自分を責めた。


 だけど、責めたところで、彼女はもうどこにもいなかった。


 


 季節が巡り、大学に進学して、新しい環境に身を置いても、心のどこかにぽっかりと穴が空いていた。


 あの日交わした「最後の約束」。

 果たせなかった想い。


 あの夕焼けの教室のぬくもりだけが、いつまでも、僕の中で灯っていた。


 


 ──そして、一年後。


 大学の春休みにふと実家に戻った僕は、思い立ったように、あの高校の近くまで足を運んだ。


 どこか懐かしい景色。校門の前の桜は、もうすぐ咲きそうだった。


 コンビニで缶コーヒーを買って、かつて雫とよく過ごした公園のベンチに腰を下ろす。すぐ近くのブランコには、小学生くらいの子どもが揺れていた。


「……元気にしてるのかな」


 ぽつりと呟いた瞬間だった。


 


 「──久しぶり」


 


 耳慣れた声に、僕は目を見開いた。


 振り返ると、そこに彼女がいた。


 変わらぬ柔らかい表情。

 少し髪が伸びていたけれど、それ以外は何も変わっていなかった。


「……雫?」


「うん。びっくりした?」


「……ああ。夢かと思った」


「夢だったら、手、繋げないよ?」


 彼女はそう言って、僕の手にそっと触れた。冷たい風の中で、彼女の手だけが、やけに温かく感じた。


「どうして……」


「言わなきゃいけないことが、あったから」


 彼女は、僕の目をまっすぐに見て言った。


「──本当は、あの日、行きたかった。卒業式の日。でも……最後に、君の『好き』を聞いてしまったら、私はたぶん、行けなくなるって思ったの」


「どういうこと……?」


「私、引っ越すのは前から決まってたの。どうしても、言えなかった。でも、最後に、君と一緒にいられたらって……そう思ってた。でも、怖くなったの。期待して、でも何も言ってもらえなかったら、また壊れてしまうかもしれないって」


「……それでも、俺は」


 言葉が詰まった。喉の奥が熱くなって、言いたいことが、胸の中でぐるぐる回っていた。


 雫は、そっと言った。


「私ね、ずっと好きだった。いまも、好き。あの時も、今も。だから……会いに来たの。遅くなっても、ちゃんと伝えたくて」


 


 ──そして、今度こそ。


 


「……俺も。好きだよ。ずっと、ずっと。あの日、ちゃんと言えなかったけど、本当は……誰よりも、雫が好きだった」


 彼女の目に、涙が浮かんだ。


 僕の目にも、同じものが滲んでいた。


 今度こそ、間に合ったのだ。言葉が、想いが、届いたのだ。


 僕は彼女の手を握る。強く、二度と離れないように。


 


 そして、僕たちは並んで歩き出す。


 駅前のあのカフェでもいい。図書館でも、公園でも、どこでもいい。


 たとえ一年遅れても、君と一緒なら、また春は訪れる。


 


 あの日交わせなかった約束の続きを、これから始めよう。


 


 僕の春は、ようやく、君と共にある。


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